第243話 実は人狼も吸血鬼もいるバーの今夜
「……しっかし、また来るたぁ確かに言ったが……。
まさか、その日のうちにもう1回、とはなあ……」
カウンター席でグラスを傾けながら……。
オレは、何とも言えねー気分でタメ息をつく。
――夜も更けて、オレが今いるのは……。
何の因果か、昼間にドアをブッ壊して踏み込んだ、元舎弟(つっても、オレの方が年下だが)のハンダがやってるバーだった。
店の様子は……つい最近までオグのヤツが取り巻き引き連れて屯ってたからだろう、繁盛してるとは言い難いが……ま、それはしょうがねぇところだな。
今後、マジメに商売やってりゃ、多少はマシにもなるだろ。
……ちなみに、壊したドアはあの後すぐに近場の業者が修理に来てくれたらしく、とりあえず一見した限りでは元通り……って感じだ。実際どうかは分からねぇが。
「あ、マスター、ボクにもう一杯同じのをもらえます?」
「――おい、もう次かよ?
アンタ、〈毒蛇〉っつーか『うわばみ』だったんだな……」
カウンターの向こうのハンダが、オレの隣の色白細目ヤローがカラになったグラスを指し示すのを、呆れたような目で見返す。
……そう。
このヤローが誰かと言えば、フトコロの寒いオレが、サイフとして使ってやろうと連れてきた質草だ。
ちなみに〈毒蛇〉っつーのは、この界隈の悪ガキどもによる、質草のヤツの異名だ。
質草自身は、どっかのチームに所属してたってわけでもねーんだが……。
『夜にうるさくされるのはキライだ』とかなんとか難癖つけて、1人で、夜に騒いでる悪ガキ連中をブッ飛ばして回ってたことから、誰からともなく呼ばれるようになった。
まあコイツ、見た目も性格も、ヘビっぽいって言やぁそうだしな。
もっとも、質草が暴れてたのは、数年前、オレがヤンチャから足を洗う直前のほんの一時期……具体的に言や、オレとタイマン張るまでのことだから――。
この辺の悪ガキどもへの知名度っつーか悪名は、オレなんかに比べるとそんなには高くない。
ぶっちゃけ、〈毒蛇〉って名前ぐらいは聞いたことがあっても、本名も顔もゼンゼン知らねえってヤツがほとんどだろう。
「……しっかし、質草ぁ……。
マジでお前はそればっかだな……」
ハンダが質草の要望通り、新しく作ったカクテルを見ながら……オレは思わずぼやく。
トマトジュースを使ったヤツだ……名前は知らねぇ。
だが質草は酒となると、大抵はこればっかり頼む。
そういや〈常春〉でもコイツ、オムライスはケチャップ多めとか抜かしやがるしな……。
……ったく、トマトに執着する〈吸血鬼〉とか、ベタ過ぎて冗談にもならねぇだろ。
ちなみに、対してオレのグラスは――
「黒井クンもどうです?」
「ああ? 分かってンだろーが。
酒なんざ調味料でいい、わざわざそのまま飲むモンじゃねぇんだよ。
……大体、オレはバイクだぞ」
フン、と鼻を鳴らして傾けるその中身は……かなり濃いめにしたケルピスだ。
……まったく、こんなにうめぇモンがあるってのに、わざわざクソ苦ェ思いして酒なんざ飲むヤツらの気が知れねぇな。
まあ、それはさておき――だ。
「――で、ハンダぁ。
テメーが言ってたヤツはまだ来ねーのかよ?」
「ああ……もうちょっとじゃねえかな。
ツキさんが話を聞きたがってるって言ったら、乗り気だったし……来ねえってことはねーだろうから」
グラスを磨きつつ、時計をチラッと見て……ハンダは答える。
――オレが、わざわざまたハンダの店にやって来た理由がそれだった。
どうやらあれから、知り合いに心当たりをあたったハンダが、『オグについての情報を持ってそうなヤツ』を見つけたらしく……ソイツを店に呼んだ、って報告を受けたからだ。
「……ったく、どうせなら昼間に全部まとまっといてほしかったぜ……」
「ああそうだ、昼間、で思い出しましたけど……」
いきなり質草のヤツが楽しそうに、ぽん、と手を打つ。
「あァ? なんだよ?」
「今日の昼間〈うろおぼえ〉で、前にお嬢が話してくれたことのある、『魔王センパイ』と出会いましたよ」
「魔王センパイぃ〜? ンだそりゃ――って、ああ……アレか」
オレは、お嬢の話を記憶から引っ張り出して……小さくうなずく。
……確か、お嬢によれば――。
外国からの転入生で……文武両道、加えてとんでもねえイケメンだとかで、よくある『王子』呼びを通り越して、一気になんか『魔王』にまでなったセンパイ……だったっけか。
しかも――。
「……そうだ、アレ……。
その魔王センパイっての、あの赤宮裕真とかいう、お嬢に色目使ってやがるクソガキの親戚って話だったな……」
楽しそうに話すお嬢のことを思い出し、ついイラッと来たオレは、反射的にゴキリと拳の骨を鳴らしちまう。
……と、そんなオレに、質草のヤツがこれ見よがしなタメ息をつきやがった。
「……あー……黒井ク〜ン?
くれぐれも今のセリフ、お嬢の前で言っちゃダメですよ?」
「ああ? ンでだよ。
オレぁお嬢のことを心配してだな……」
そう、お嬢は大恩あるおやっさんの娘で、オレにとっちゃデキの良い妹みてぇなモンなんだ。
ヘンな虫がつかねぇように心配すンのも当たり前ってモンだろ。
だが……質草のヤツは、やれやれとばかりに肩をすくめやがる。
「おやっさんも黒井クンも、ビミョーにヘンな方向に過保護なんですよねー……。
年頃の女の子にそれは――もういい加減、呆れを通り越して嫌われますよ?
――アニキ、ウザい!……みたいな感じで」
「……ぐっ……! っせえ、ほっとけ!
――ンで、その魔王センパイがどうかしたってのかよ……っ?」
「さあ……どうでしょうね?」
ちょっとばっか心当たりを感じたオレの、必死に投げ返した質問に……しかし質草はしれっと首を傾げやがった。
思わず、「テメー……」と文句を言いそうになるが、それを抑え込むみたいに、質草は改めて話し始める。
「そもそも、彼も本を見に来ていた以上、そんなに話し込んだわけでもないですし。
まあ、彼もお嬢のことは知ってましたから、ボクが、お嬢を通じて『魔王センパイ』として知っていた――って話になって、『世の中は狭い』と盛り上がりましたが……それぐらいで。
ただ――」
そこまで言ったところで、さりげなくカクテルに口を付けた質草は……。
ハンダのヤツが他の客の方へ動くのを待ってから、やや声を潜めて続ける。
「以前のあの銀行強盗の件で、もしかしたら……と目されていた、赤宮裕真クン。
彼が本当にクローリヒトなのだとしたら……。
親戚として、今は一緒に住んでいるという魔王センパイが、なにか知ってる――あるいは関わってる可能性もあるじゃないですか。
そのあたり、せっかくこうして自然な形で知り合えたんですから、ちょっと探ってみるのも手かも知れないなあ……とか、思ったりもするわけです。
……まあ、もっとも……。
向こうは向こうで相当な切れ者って印象でしたから、万が一を考えると、なかなか思い切ったことは出来そうにないですが」
カクテルをぐい、とあおり……小さく鼻を鳴らす質草。
コイツがそうまで言うってことは、その『魔王』ってヤツ、単にお勉強が出来るってだけじゃねえみてーだな……。
まあ、それだけじゃ、なんとも言えねぇンだが……。
「フン……。
質草、テメーがヘタ打って本性バレんのは勝手だがな、オレやおやっさんたちまで巻き込むんじゃねぇぞ?」
「え〜……。
そんな冷たいこと言わないで下さいよ、一蓮托生の相棒じゃないですかー」
「誰が相棒だ、誰が。気色悪ィこと言ってンじゃねえ」
「またまた〜。そんなに恥ずかしがらなくても」
「テメーみてえなヘビ野郎と知り合いってだけで、すでに充分恥ずかしいってンだよ」
「恥ずかしい、って……ヒドいですねえ。
この前、黒井クンがラーメンマシマシ食べ過ぎでダウン、っていう、そりゃもう恥ずかしい姿をさらしてたところを助けてあげたじゃないですかー」
「テメ……っ! 3ヶ月近く前の話を引っ張り出すんじゃねーよ!
――だいたい、助けてくれなんて頼んだ覚えはねえからな……!」
「え〜……。
そんな冷たいこと言わないで下さいよ、一蓮托生の相棒じゃないですかー」
「誰が相棒だ、誰が――って!
だーかーら、会話をループさせんなっつーんだよテメーは!」
「あ、あ〜っとぉ……ツキさん?」
「――あァっ!?」
呼ばれて反射的に、質草へのイラつきを引きずったまま振り返ると――。
そこには、いつの間にかカウンターから出てたハンダと……なんか、ガキみてぇに小柄なヤツが並んで立っていた。
……揃って、ビビったみてーに顔を引きつらせたまま。
「黒井クン黒井クン、顔、コワいですよ〜……いつにも増して」
「テメーのせいだろが!」
ククク、と必死に笑いを噛み殺してやがる質草を、殺意を込めてひとニラみしておいて……オレは、改めてハンダたちの方を振り返る。
「あ〜……悪かったな、ビビらせるつもりはなかったンだけどよ。
――で、ハンダ……ソイツか?」
一言詫びを入れて、オレはハンダの隣に立つチビを見る。
まあ、なんつーか……背伸びしてる感がアリアリな、着るっつーより着られてるハデめな服装に、これだけは使い古してるキャップを深々と被ったそのカッコは、精一杯イイと思える服を着込んできた家出少年――って感じだ。
実際、どう見たって中坊だろう。
……ったく、ハンダのヤツ……こんな時間、こんなトコにガキを呼ぶンじゃねえよ……。
「ああ、コイツはナツ。オグのヤローの弟だよ」
「な、ナツオです! よろしくお願いします、ツキさん!」
「……なんかコイツさ、オグからツキさんの話聞かされて、ずっと憧れてたらしくて」
ハンダから紹介された、オグの弟だってガキは、なんかキラキラした目でオレを見上げてくる。
正直、こういうのは落ち着かねえンだがな……。
……それにしても…………弟、ねえ?
まァいいけどよ……。
「で……ナツ、だったか。
オグが今どこに隠れてやがるか、知ってるのか?」
「え? あ、その、それは……アニキゼンゼン家に帰らないし、あた――オレも、知らないんですけど……」
オレの質問にナツは、いきなり肩を落とした――かと思うと。
しかしすぐさま、鼻息荒く「でも」と仕切り直してきた。
「アニキが、なんかおかしくなり始めたときのことなら……分かります!」
「なに……?」「へえ……?」
そのナツの言葉には、オレだけじゃなく質草も興味を惹かれたらしく、こちらに身体を向けてきた。
そんな質草に注意が向いたナツに、いいから気にせず続けろ、とオレは促す。
「あの、7月の……10日前後、だったかな。
夕方頃、いきなりスゴい嵐になった日のこと……覚えてますか?」
「――――!」
……オレと質草の視線が、自然と交わる。
覚えてるも何も……それ、あの謎の魔剣が暴れやがった日じゃねえか……!
「あの日、オレとアニキ、東祇の方の知り合いンとこにいたんですけど……。
あのいきなりの嵐で、すぐには帰れなくなっちまって……。
で、あれって、なんか夜前に、またいきなりおさまったじゃないっすか?
だから、これでなんとか大丈夫そうだ、って帰ろうとしたんすけど――」
……しかも、よりによって東祇と来やがったか。
そうだ、まさにあのガッコがあった場所じゃねえか……。
「その途中……東祇小の近くでアニキ、ちっちゃい宝石の破片――みたいなの拾って。
――で、多分、それからなんです。
アニキがなんか、ヤバい感じになってったのって……!」
「おいおいナツ、石コロ拾っておかしくなったって……。
そんな、お前、ホラーじゃあるめぇしよぉ〜……?」
「で、でも、ホントなんですよ!
時期的に、なんかあったっつったら、それぐらいで……!
……もしかして、あの石がなんかこう、クスリみたいなヤバい成分含んでたとか……。
それとも、あ、悪霊とか憑いてたとか……!」
ナツの必死の物言いにも、ハンダのヤツは終始、「バカバカしい」って言わんばかりの態度だ。
だが――
「「 ………… 」」
オレも質草も、笑い飛ばすつもりはさらさらなかった。
導き出された結論は……気に入らねえが、多分、同じだろう。
――あのとき、クローリヒトとエクサリオが砕いた、魔剣の一部……。
オグが拾いやがったってのは……恐らく、そのカケラだ。
……なるほど、オレたちにとっちゃそんなモン、まさにタダの石コロ同然だろうが……。
オグを惑わせ、ちょっとしたチカラを与えるぐらいの〈呪〉は残ってたってことか。
「……よく分かった。
ありがとよ、ナツ。貴重な情報だったぜ」
「え、ツキさん、今のナツの話、信じンのかよっ?」
「別にオカルトな話じゃなくても、その石が、誰かが落とした貴重な宝石――よっぽどの値打ちものだったとすれば、それと引き換えに大金を手に入れて……と、考えられるでしょう?」
荒唐無稽にも見える話をいきなり信じたオレへ、怪訝そうな視線を向けるハンダに……質草がさりげなくフォローを入れる。
まあ、そのフォローだって結構強引なんだが……ハンダは深く考えてねえのか、「な、なるほど」とうなずいていた。
「あ……!
ありがとうツキさん、信じてくれて!」
「まあ、お前もウソをついてる感じじゃなかったしな。
さて――」
オレはキャップ越しにナツの頭を叩きつつ、席を立つ。
「……質草ぁ、オレは今からコイツをバイクで家に送って帰る。
テメーはあとは好きにしろ」
「ま、しょーがないですね。
……で、会計はキミにツケとけばいいんですか?」
「オレはケルピス1杯だけだ、あとはゼンブテメーだろうが!」
「はいはい、分かってますって、もともとボクに払わせるつもりだったんでしょう?
――ええ、出しときますよ、今日のところは」
「……その通りなんだが、なんか釈然としねえな……」
オレは質草に続き、ハンダにも別れを告げると……。
ナツの頭を押して、連れ立って店の外へ出た。
「あ、あのオレ、1人で帰れますし……っ!」
「ナマ言ってンな。
お前、中坊だろうが。しかも――」
「…………?」
「いや、なんでもねえ。
……とにかく、お前みてーなガキをこんな時間に1人で帰したっつったら、オレたちの方が収まりが悪ィんだよ。
――おら、いいから来い」
……余計なコトは言わずにおいて……。
オレはナツの先に立って、駐車場の方へ歩き始めた。




