第242話 魔王、知識の泉の番人を訪ね行く
――柿ノ宮の、表通りからは離れた、駅周辺よりも古びたイメージのある一角に……凛太郎の祖父が経営するという古書店、〈うろおぼえ〉はあった。
……なるほど、ゲームなども一緒くたに売っているような『古本屋』なら立ち寄ったこともあるが……。
外から様子を窺うだけでも、明らかにそうしたところとは一線を画していると分かる店だ。
小さな店内が、これでもかと本に埋まっている様子は圧巻ですらある。
しかもそれらの本の中には、一目で相当古いと分かるようなものまで随分と混じっているのだから……主たる目的以外でも、湧き上がる興味につい気分が昂ぶってしまうな。
……しかし、こちらの世界の人間に余のような嗜好を持つ者は少ないのか……入り口から覗く範囲に、客の姿は見えなかった。
「……おじいさま」
「ン? おお、凛太郎じゃねえか」
開きっぱなしの引き戸を潜ると同時に、凛太郎が声を掛けると……。
真っ直ぐ進んだ奥、文字通りに本に埋もれるように座っていた老人が、こちらに顔を向けて破顔一笑した。
白髪に白いヒゲ、そしてこの日本の老人としては、かなり良い体格と見受けられるその老人が……ここへの道すがら凛太郎に教えてもらった祖父、三海松之助殿だろう。
「んで……そっちの、やたらと袴姿が似合ってる外人の兄ちゃんは?
客を案内でもしてきてくれたのか?」
注意がこちらに向いたところで、余は一礼する。
「……初めてお目にかかる。余は、赤宮サイン。
凛太郎の友人だ」
「ん。リアニキ、ともだち。あと、ししょー。いろいろの」
名乗る余に、凛太郎が言葉を添えてくれる。
凛太郎のこうした物言いに慣れぬ人間であれば、どういうことかと首を捻るかも知れんが、そこはさすが祖父といったところか――松之助殿は、即座に「ほう」とうなずく。
そして余に、豪気な印象の笑みを向けた。
「なるほど……この凛太郎が信用してンなら、悪党ってこたぁなさそうだな。
……ワシぁ三海松之助、凛太郎から聞いてるかも知れんが、コイツの祖父だ。
松じいと呼んでくれて構わんぞ」
「では……松じい殿。余のこともどうか、ハイリア――と。
生まれ故郷の慣習で、本名よりもその名の方が呼ばれ慣れている」
「そうかい、わかった。
――まあ、よろしくな、ハイリア」
松じい殿が向けてくれた右手を取って、握り返す。
先に向けた印象の通り、老人ながらなかなかに力強い手をしていた。
「……で、ハイリアよ。
わざわざこんな薄汚え古本屋に来たんだ、なにか珍しい本でも探してるのか?」
松じい殿は、そもそも性格的なものなのか、単刀直入に用件に入ってくれるが……。
さて――どう答えたものか。
……凛太郎から一通り聞いてはいるが、この松じい殿は……。
我らの〈念話〉のような、声なき声を聞き取れたりする、凛太郎の〈巫覡〉としての能力――それを以前、孫の凛太郎本人から聞かされ、こちらの世界ではデタラメと切り捨てられそうなその話を真っ向から信じ……そして、その能力に振り回されぬよう、適切なアドバイスをした人物でもあるという。
もっともそれは、凛太郎が当の松じい殿に聞いたところによれば、血の繋がった祖父として同じ能力を持っているから――ではなく。
こうした職業柄、さまざまな書物から多くの知識に触れてきたゆえの、柔軟性があるから……らしいのだが。
どちらにせよ、松じい殿自身はチカラの有無にかかわらず、そうした不可思議な話を信じてくれる人物――ということではある。
だが……だからといって、〈世壊呪〉などの名を具体的に出して、全面的な協力を求めるのは、今しばらく慎重になるべきだろう。
アーサーや凛太郎は、先にそうした事柄の一端を知られてしまったがゆえに、仕方ない部分もあるわけだが……松じい殿はそうではないからな。
それに、アーサーたちのような子供に比べ、大人は自由な行動の範囲が、物理的にも法的にも大きすぎる。
それゆえに、協力してもらえれば大きな助けになるであろうが……。
逆に、その協力の過程で何かあったとき、いざ助けようにも、手が届かない可能性も高い。
極端な例で言えば、手掛かりに思い至り、単独で外国へ渡られた場合などだ。
そして、そもそも――この手の話に理解があることと、我らに対しても協力的であるかは、決してイコールではないのだからな。
……そう考えれば、会って間もない、判断材料の少ない今のこの段階で、秘密を打ち明けて全面的な協力を頼むという博打を打つのは――あまりにリスキーというものだろう。
何より、ことは亜里奈の安全に関わるのだからな。
加えて、もう1つ――。
余は、考える素振りをしながら、注意をわずかに店の奥へ向ける。
……そう。
本の壁でここからは見えないが、奥の方に人の気配を感じるのだ。
もちろんここは店舗なのだ、客がいること自体はおかしくない。
しかしそれは同時に、ここが常に、話を誰かに聞かれる可能性がある場所――ということでもある。
ゆえにやはり、迂闊なことは言わぬが花だろう。
だが……それで普通の話に終始するようであれば、こちらが目当てとするような書――つまり一般人が必要としそうにないそれに辿り着くまで、大いに手間がかかりそうだ。
ふむ……と、言うことは、だ――。
「用件なのだが……松じい殿。
貴殿に、密かに相談がある」
余は身体を前屈みに、松じい殿だけに聞こえるよう声を潜める。
「実は余にも、凛太郎と同じような『特殊なチカラ』が多少あってな……」
「なにィ……?」
松じい殿が、チラリと視線を向けると……凛太郎は余の考えを察してくれたかどうかは分からんが、ともかく無難にうなずいて答えとする。
「それで、友人となった凛太郎から松じい殿のことを聞き、助力を請いに来た……というわけなのだ」
「ふむぅ……そうは言ってもな、ワシに何が出来るってわけでもないぞ?
凛太郎にも、そのチカラとの上手い付き合い方ってのをアドバイスしてやっただけだからな」
「それは承知している。
だが、そうして柔軟に受け止められたのは、不思議なチカラ――魔術や超能力、またそれらに関わりのありそうな神話や伝承といった知識を備えていたから……であろう? そうした事柄に詳しい書によって。
……なので……不躾ながら、そういった書物を見せていただけまいか、と思ってな。
余は、自分のチカラがどういったものなのか……どう対応するのが良いのか。
そうした面を自分で調べ、納得したいのだ――自分のことであるがゆえに」
「……ふーむ……」
腕を組み、眉間にシワを寄せてうなる松じい殿。
……まあ、その気持ちも分かるというものだ。
およそ、商売っ気のある話ではないのだからな。
いや、もちろん、有用な書であれば買い取ることもやぶさかではないが……そうしたもの、例えば本物の魔術書などとなれば、いずれ天文学的な値の付く稀覯書だろう。
それは、かつてならいざ知らず……今や一介の高校生に過ぎぬ余に出せる金額でないのは明白だ。
いきおい、余はその稀覯書を見せてもらうだけになり……そして余はそれだけで充分なのだが、松じい殿にとっては結局一銭の得にもならぬからだ。
たとえ、その閲覧のために礼金を用意すると申し出たところで……やはり、余の用意出来る程度では、とても見合った金額とはならんだろうしな。
「……おじいさま。
力、貸してほしい。リアニキにも」
そんなところに、助け船を出してくれたのが凛太郎だ。
そして、やはり孫のお願い――というのは効くものなのか。
やがて松じい殿は、小さくタメ息をついてうなずいた。
「……わかったわかった。
まあ、凛太郎が友人として、あのチカラのことも教えているほどの相手だ……協力せんわけにもいかんだろ」
「ありがとう。おじいさま」
「――ありがとう、松じい殿。恩に着る。
ちなみに、礼については……」
余のその言葉の末は、ひらひらと手を振って散らされてしまった。
「よせよ、ワシにもプライドってモンがあるわな。
こんな程度で、お前さんみたいな小僧からカネなんざ取ってたまるかってんだ」
「申し訳ない、助かる。
それから、重ねて申し訳ないが、このことは――」
「分かってる、ここだけの秘密に――ってわけだろ?」
松じい殿の確認に、余はうなずいて答えとする。
「ああ、それはそれとして……だな、ハイリアよ。
それっぽいモノを書庫から探すにも、さすがに時間がかかる。
だから、今すぐってのはムリだ。また日を改めて寄ってくれるか」
「もちろんだ。こちらに異論などあろうはずもない」
「よし。……ああ、ちなみにハイリア、お前さん、言語はどれぐらい大丈夫なんだ?
日本語なら当然古語、あとは最低ラテン語ぐらいは出来てもらわねえと、探す意味も無いってモンだが……」
「それも問題ない。
今挙げた2つはもちろん、概ね何とかなる」
余の即答に、松じい殿は顎髭を擦りながら、愉快そうににやりと笑った。
「……ほう、言うじゃねえか。面白え。
分かった、ならそのあたりは気にせずに見繕ってやる」
「重ねて、深く感謝する。
……どうか、よろしく頼む」
「おう、任せときな。
――しかしまあ、そんなわけなんで……だ。
とりあえず今日のところは……ほれ、そっちの奥の方に、民俗学系の一般的な古書が揃ってるからよ、そのへんを自分で調べてみてくれや。
……で、気に入ったのがあれば買ってってくれ。
モノにもよるが、多少なら安くしてやるぞ?」
「うむ……こちらはこちらで、大変に興味があったのだ。拝見させていただこう」
早速、示された店の奥の方へ向かおうときびすを返す――と。
松じい殿が、そちらへと先んじて声を張り上げた。
「おぉい、質草ぁ! 聞こえるかぁ!」
「……はいはい、もちろん聞こえてますよ」
松じい殿の呼びかけに応えて、壁のような本の山の向こうからひょっこりと顔を覗かせたのは……色白で細目の、恐らくは大学生だろう若者だった。
ふむ……さっきから感じていた気配の人物だな。
「おう、質草。そのハイリアって兄ちゃん、うちの店はお初なんでな。
本を探すのに手間取るようなら、手伝ってやってくれや」
「はあ、もちろんそれぐらい構いませんが……ボク、バイトじゃないんですけどね?」
「ったりめーだろうが。バイトだったら給料払わなきゃならねえじゃねえか!」
言って、ガハハ、と松じい殿は豪快に笑う。
その様子に、やれやれ、と大学生はタメ息をつき――そして改めて、余の方へ手を差し出してくる。
「まあ、そんなわけなんで……。
もし分からないことでもあったら、古書を愛する同好の士として、遠慮なく聞いて下さいね。
ボクはこの〈うろおぼえ〉の――ザンネンながらバイトではなく、ただの常連客……質草未散です」
「余のことは――松じい殿のように、ハイリアと。
よろしく頼む、質草殿」
出されたその手を取り、握手をかわしながら――余は、小さく頭を下げた。




