第240話 師の考え、弟子の想い、そして魔王の興味の向かう先
――薄汚え路地の奥、ボロっちいビルの階段を降りると……。
芸術的なんだかヘタクソなだけなんだかよく分からねえが、読めねえってことだけは分かるヘンな文字が書かれた、ここだけはキレイな――だがセンスの悪ィドアがあった。
「……ここか?」
オレが聞き直すと、オレをここまで案内してきた小太りのヤロー……タダシは頬を抑えながら、何度も首を縦に振る。
ちなみにコイツがそんなマネをしてやがるのは、歯医者に駆け込む途中だったってわけじゃなく……ここまでの案内の駄賃を、オレの拳で先払いしてやったからだ。
まあ、そのせいでマジに歯医者の世話になるハメになった――ってのはさすがに無いと思うが、どっちにしろ自業自得だ。
オレだって、ワケなく人をどつきゃしねーんだからな。
「そ、そーっす! ここっす、クロさ――」
「……ああ……?
おいタダシ、テメー、オレを犬ッコロみてーな呼び方すんなって教え直してやったばっかなのに、もう忘れやがったか?
そのツラ、いっそ逆側も腫らしてバランス取るか?」
「さ、さーせんっ! つ、ツキさん!
ここ、このバーで間違いねーっす……!」
ちっとばっか脅してやると、大慌てで言い直しやがるタダシ。
……ったく、さっきまでは調子ぶっこいてオレをナメてやがったクセに……。
まあ、正直言えばオレの『睦月』って名前もオンナみてーな響きだし、ツキって呼び方だって気に入ってるってほどじゃねーんだが……。
オフクロからもらった名前だ、大事にしろって……おやっさんにも言われてるしな。
少なくとも、犬ッコロみたいに呼ばれるよりはマシってわけだ――〈人狼〉のオレだけに。
――それはともかく、このバー……。
溜まり場ってハズなのに、人の気配がまるで感じられねーのは、まだ真っ昼間、完全に営業時間外だからか。
それとも――。
「……まァいい。ウダウダと考えンのはオレの領分じゃねーし……なッ!」
――バガンッ!!!
オレは蹴り1発で勢い良くドアをブチ破って――店ン中に足を踏み入れる。
いかにも場末、って言葉が似合いそうなバーの中にいたのは――案の定、感じた気配通りに、店の人間らしい男1人だけだった。
「な、なんだテメー!……って、うげっ、ク――ツキさんっ!?」
「おう、テメーはタダシよりちっとは賢かったみたいだなあ、ハンダぁ?」
オレはヒゲ面のハンダのもとに大股で近寄ると――片手で襟元を引っつかんで吊し上げる。
ハンダもガタイは良い方だが……オレにとっちゃ大した重さでもない。
「――なるほど、ここ、テメーの店か。
そういや前に、親戚に譲ってもらうとかなんとか言ってやがったな。
で……オグのヤツはどうした。どこに行った?」
「……し、知らねーよ……!
これまでさんざんココでたむろしてやがったのに、急に来なくなって……!」
「いつからだ?」
「3日――いや、2日前だ、ああ、間違いねえ……!」
……ハンダのヤツに、ウソを言ってる気配はない。
オレは思わず出た舌打ちと同時に、ハンダを椅子の上に投げ捨てるように解放してやった。
「……ヤロー……あの後すぐに巣穴を変えた――ってところか。
相っ変わらず逃げ足の速え……。
――おいハンダ、オグの行き先、テメーはなにか心当たりねーのか?」
「し、知らねーよ……。
つーか、最近のアイツ、どんどんヤバくなってる感じがして、オレもあんまり深く関わらねーようにしてたからさ……」
ハンダの言葉を聞いて、入り口近くでコソコソ様子を窺ってやがるタダシの方を振り返るも……同じく、首をブンブンと横に振る。
「……チッ、まーた振り出しか……ったく、めんどくせえ……!」
――これ以上コイツらに聞いても、大した情報は出てこねえか……。
オレはさっさと帰ることにして、ブッ壊した入り口の方に向かうが……途中で足を止めて、タダシとハンダを振り返った。
「……そうやって、ヤバいって思うぐらいなら――テメーらもちったぁ懲りてるンだろーが?
めんどくせーが、オグのヤローはオレが責任持って目ェ覚まさせる。
だからテメーらも、マジで取り返しのつかねーことになる前に、さっさとバカからは足を洗え。
……もし、今度またくだらねーマネしてやがったら……。
親でも見分けがつかなくなるぐれーにそのツラ、整形してやる……覚悟しとけよ?」
「さ、さーせんっ! もう調子に乗んねーっす!」
「オレも……せっかくの店なのに、もう、行き過ぎたバカの溜まり場にされんのはゴメンだ。
――そ、そうだツキさん、なら今度ちゃんと店に来てくれよ……客として」
「……あぁ?」
思わず顔をしかめるが……ふと視界に入ったのは、オレの蹴りで見事にブッ壊れたドア。
弁償しようなんて気はさらさらねえが……こうなると、完全にシカト決め込むのも引っかかっちまうってモンだ。
――しょーがねえ、多少は売り上げに貢献してやっか……。
「……チッ、わーったよ……。
酒じゃねえ、なんか甘えヤツ用意しとくならな」
……そうだな、今度、質草のヤローでも連れてきて……。
で、払いはヤツに持たせりゃいーだろ。うん。
アイツ、オレよりよっぽどカネ持ってるしな。
「あ、ああ……! ちゃんと置いとくから!」
ハンダの声を背中で受けながら、オレはさっさと店を後にする。
そうして、ギラギラと暑苦しい太陽の下――。
「しかし……どんどんヤバくなってる……か」
ハンダの一言を思い返し……大きく、タメ息をついちまっていた。
* * *
「――頼むよ、師匠! 軍曹のこと、許してやってくれ!」
……旅行から帰った、その次の日。
早速、凛太郎とともに『修行』にやってきた武尊は――いつもの庭まで来るや否や、いきなりそう言って俺に頭を下げてきた。
なんのことか……とは、聞かなくても分かる。
2日前の夜、アガシーが独断で武尊を戦場に連れ出したことについて――だろう。
しかし、それは――
「いや、許すもなにも……別に怒ってないぞ、俺」
「え……そうなの?」
きょとん、とした表情で頭を上げる武尊。
「まあさすがに、事前に連絡の1つもよこせって注意はしたけど――。
そもそも、その辺のことはアガシーに一任してたわけだしな。
それに……結果オーライの面もあるだろ?」
――そうだ。
昨日のアガシーの報告を聞く限り、〈呪疫〉も何か今までより力を増していたっていうし……。
そこにさらに、何らかの魔導具によるものだろう、エクサリオの分身体まで現れたとなると……決して弱くないとはいえ、サポート役がメインのアガシー1人じゃ、相当に危険な戦いだっただろう。
それを無事に切り抜けることが出来たのは、武尊の力によるところが大きいのは間違いない。
……現にアガシーも、そう評価してたしな。
「ああ、あとアガシーも同じようなこと言ってたぞ?
――アーサーのことを怒らないでやってくれ、ってな」
「……軍曹が……」
意外そうに、でもちょっと恥ずかしそうに嬉しそうにつぶやく武尊の頭に、俺は、ぽんと手を置く。
「まあでも実際、お前たち2人とも、よく無事でいてくれたよ……。
俺は心底、そのことにホッとしてるんだ。
だから……これからも、もしまた戦いに出るようなことがあっても……何より、生き残ることを優先してくれよ?
確かに、逃げるわけにはいかないときってのもあるけど……基本、そうじゃない方が多いんだからな。
敵わないと感じたら、逃げるのは恥なんかじゃない。その経験を今後に活かして、本当に大事なときに勝てばいいだけだ。
……現に俺だって、ヤバいと思うときは何度も逃げたし――。
負けたことだって、そりゃもう何度だってあるんだしさ」
「……うん――わかった」
俺の顔を見上げて、武尊はしっかりとうなずく。
「よし。なら……改めて、俺からも1つお前に言わせてもらおうか。
――武尊、アガシーを助けてくれてありがとう。助かった」
「! へ、へへっ……そんなの、当たり前のことだしさ!
それに――オレだって、軍曹いなきゃゼッテーやられてたし!」
俺からそんな風に言われるのがよっぽど嬉しいのか、しきりに照れる武尊。
――しかし、それも少しのこと……。
武尊はまた、俺の様子を窺うような感じに……アガシーのことを尋ねてきた。
「……それでさ、師匠……。
軍曹は、その〜……様子がおかしいとか、なかった?」
「……? というと?」
「あ、えっと……その……だからさ、もともと戦わせてくれって言い出したの、オレからだし……。
他にも、そう、戦ってるとき、怒られたり助けてもらったりしたからさ!
だから――っていうか、その……」
武尊はなんか、イマイチはっきりしない物言いをする。
ズバリとは言いづらいことなのか、上手い説明が思いつかないのか……。
「んー……なんだ、つまりは、アガシーがお前のことを怒ったり呆れたりしてなかったか――とか、そんなようなことか?」
「あ、ああ、うん! そんなような感じ!
軍曹の機嫌が悪かったとか、その、逆に落ち込んでた、とか……!」
……ふーむ……?
アガシーに妙な様子……ねえ?
「……いや、特におかしなところはなかった――と、思うぞ?
強いて言えば……そうだな、いつも以上にあのウザテンションに磨きがかかってたような気もするが……。
それも、振れ幅の範囲内って言えばそんなようなものかも知れないしなあ……」
言いながら、縁側に座って凛太郎と話し込んでいる作務衣のハイリアを見やるが……。
ハイリアもまた、俺に同意するようにうなずき返すだけだった。
「……そっか……。
あ、うん、それならいいんだ!」
それならいい、と言いつつも……武尊の表情はどことなく複雑そうだ。
……あるいは、もしかしたら……武尊のヤツ――。
いや、そうなるとアガシーも、か。
――2人揃って、何かを隠してるのかも知れない。
一瞬、そのことを追及してみようかとも思ったが――俺はすぐ、やっぱりやめておこうと内心首を振った。
本当に大事なことや急を要する話なら、コイツらだって秘密になんてしないだろうからな。
そうでないなら……ひとまずは、様子見ぐらいにしておいた方がいいだろう。
「さて、ンじゃそーゆーことで……。
――師匠、今日もよろしくお願いします!」
話はここまで、とばかりに姿勢を正した武尊が、改めて俺に一礼する。
バネ仕掛けとでも評するような、キビキビと勢いのある礼だ。
「おう。
……しかし、さすがにっていうか……これまで以上に気合い入ってる感じだな?」
「ったりめーさ!
今度、あのエクサリオと戦うときは……もっとつえー本体かも知れねーんだから!
こっちだって、もっともっと強くなっとかねーと!」
パンッ、と小気味良い音を立てて、武尊は手の平を拳で叩くが……。
師匠の俺としては、そのやる気の方向性は少々複雑だ。
「やる気に水を差したくはないけど、もしそんなことになったら、逃げることを第一に考えてくれよ……マジで」
「へへへ、さっき言われたばっかだもんな、わーってるよ!
でもさ、逃げるにしたって鍛えとくにこしたことねーだろ?」
「……ま、そりゃそうなんだけど――」
「ほう! それは興味深いな……!」
「「 ? 」」
――突然の大きな声に、俺と武尊は思わず、話を中断してそちらを見る。
声の主は……縁側のハイリアだ。
……そう、普段そんな声なんて滅多に出さないハイリアだったからこそ、俺たちもつい注意を引かれたわけで……。
そのことに気付いた当のハイリアは、「ああ、すまん」と1つ咳払いする。
「……ハイリア、なにかあったのか?」
「うむ。今、凛太郎自身から聞いたのだが……。
凛太郎の祖父が、珍しい本もそれなりに取り扱うという、歴史ある古書店の店主をしている――とのことでな」
生き生きとした表情で答えるハイリアに、「あ〜」と合わせたのは武尊だ。
「〈うろおぼえ〉のこと?」
「なんだ武尊、知ってるのか?」
「うん。凛太郎といっしょにときどき遊びにいくし。
松じい――凛太郎のじっちゃんも、話してっとおもしれーんだぜ!」
俺の問いに、武尊はいかにもイタズラ小僧な満面の笑みで答える。
多分、古書どころか、本なんてほぼほぼマンガにしか興味ないだろう武尊がこれだけ楽しそうにするんだ……凛太郎のじっちゃんってのは、なるほど面白い人みたいだ。
まあ、なんせ、この凛太郎のじっちゃんだもんなあ……。
「……ともあれ、そこなら、余が探しているような類の書も見つかるやも知れん。
仮に無くとも、そうした店を切り盛りしている御仁なら、他にアテを紹介してくれる可能性もあるしな――」
言いながら、颯爽とハイリアは立ち上がっていた。
「……と、いうわけだ。
勇者よ、余はすぐにでも、凛太郎とともにその古書店へ向かおうと思うが……」
「ああ、分かった。〈天の湯〉の手伝いに呼ばれそうなら、俺が代わっとくよ。
……あと、もし遅くなりそうなら、俺――よりも、亜里奈にちゃんと連絡しろよ?
今日の晩メシ当番はアイツだからな、黙ってすっぽかすと後がコワいぞ?」
「――フ、無論だ。
そもそも余が、亜里奈の作る食事を蔑ろにするような、愚か極まるバカげた真似をするハズもあるまい」
「……さいですか……」
イケメン全開の微笑を俺に見せた後……そのままハイリアは、外出の準備のために部屋――じっちゃんばっちゃんの英家にある自分の部屋――に戻っていった。
合わせて凛太郎も、ハイリアの準備が済み次第、すぐ行動出来るようにと、英家の玄関の方へと回るべく、この場を後にする。
「……リアニキって、そんなに本が好きなの?」
そんな2人を見送って、武尊は俺にそう尋ねてきた。
「うん? まあ、確かに好きは好きだろうが……。
それよりも、アイツは今、〈世壊呪〉のことについて調べてるからな。
〈世壊呪〉がどういう存在なのか、とか、どうすれば何とか出来るか、とか……。
で、とりあえずその手掛かりを、古い本に求めてるってわけだ」
「そっかー……。
まあ確かにそーゆーことなら、師匠よりもダンゼン、リアニキの方が頼りになりそーだもんな!」
「……お前な……。
通知表で、イタダキ以来のレア低評価『もう少しがんばりましょう』をもらったヤツには言われたくねーぞ……」
俺は、無邪気な顔でうなずく武尊に、苦笑混じりの悪態をつきつつ……。
手元に喚び出したガヴァナードを、勢いよく地面に突き立てた。
「……さて、と。それじゃあこっちはこっちで……。
お互い得意分野の『模擬戦』とするか。
2日前のエクサリオとの戦いが、どれだけ糧になったか――見せてもらうぜ?」