第223話 釣り糸を垂らしつつ、妹たちを考える勇者
――昨日の旅行初日は、海から洞窟風呂、そして山……というルートをたどった俺たちは。
今日は、先に山の方から回っていくことにした。
朝の気持ちの良い空気に包まれながら、ハイキング感覚で気軽に緑の中を散策して……。
森の奥、静かで涼やかな池の周囲を巡ってみたり、小高いところへ登って風景を楽しんだり。
……で、今は何をしているかというと……。
「「「 ………… 」」」
山の中の釣り堀で、みんな思い思いに釣り糸を垂らしていたりする。
もちろん、純粋に釣りを楽しむためでもあるけど……もう一つの理由は、昼メシのためだ。
釣り堀のお約束とでも言うか――ここでも、釣った魚をこの場で調理してくれるのである。
まあ、明日の朝食は朝市で海鮮を楽しむことが決定してるわけだし……いっそ川魚も味わおう、ってなところだ。
鮎の塩焼きとか、シンプルイズベストの代表格だもんなー。
「はあ……それにしても……。
こうやって静かに釣り糸垂らしてると、いかにも1モブとして背景と同化したみたいで落ち着くわ〜……」
実に良い表情で、ほんわかとそんなことを言っているのは当然、『モブこそ至福』が座右の銘の沢口さんだ。
……しっかし、ホントに良い表情してるなー……。
この旅行に来て、一番なごんでるんじゃないか、今。
「ウタちゃん、そんなに釣り、好きやったん?」
「ううん、むしろ初めてだけど。
でも、こんなに魅力的なものだったなんてねー。
風景と一体化するのにこの上なく最適だわ……良いわね、釣り」
……そ、そうか? そういうもんなのか……?
いや、でも――。
「そうは言うけどさ、沢口さん。
――あそこのアレ、むしろ風景から浮いてて存在感あり過ぎるんだけど」
俺が指したのは、1人、離れたところで地べたにあぐらをかきつつ、物静かに釣り糸を垂らす銀髪の美丈夫……まあ要するに、ハイリアだ。
相変わらずというか、釣りしてるだけなのに妙な存在感がある。
これがいつもの和装だったりしたら、それこそ絵になりすぎて、『何か』の達人っぽく見えたかも知れない。
……何て言うか、こう、絵ヅラとか雰囲気的に。
「……まあ、魔王サマは別格ってことで。
あのオーラを隠す方法なんてありゃしないでしょ」
「そして、そのオーラに畏怖を覚えるのは人間だけじゃないんだろうねー。
……釣り糸、さっきからずーっと、ピクリとも反応しないよ」
「…………ホントだ」
衛の言葉を受けて、しばらくハイリアの釣り糸の様子を見守るも……。
確かに、まったくゼンゼン反応がない。
ここ釣り堀だから、ウマいとかヘタとか言う前に、ある程度はアタリがあるハズなのになあ……。
あれはもう、衛の見立て通り、ガチの魔王オーラに危険を感じた魚がみんなして逃げちまってるに違いない。
見てるこっちとしては、普段は何であれ水準以上にこなしてしまうカンペキ超人が、釣り堀で完全ボウズ状態(しかもちょっと眉間にシワが寄ってる)ってのは、なかなか面白かったりするが。
……ま、アイツにも苦手なものはあるってことだな〜。
それに対して、一方では――。
「――あ、また釣れたっ」
……いかにも人に好かれやすそうな鈴守は、魚にもやっぱり好かれていた。
釣果勝負でもしていたら、今のところブッチギリってやつだろう。
「お〜……入れ食いだなあ、鈴守」
「ふふ、ウチも釣りはそんなによう知らへんねんけど、釣れるとやっぱり嬉しいね」
ニコニコと笑いながら鈴守は、手早く針を抜いた魚を、バケツに入れる。
そしてまた、団子状の練り餌を針にセットして、池にぽちゃり。
……この一連の動作を、鈴守はまったく淀みなくこなす。
女子って、料理は出来る子でも、釣り上げたばっかりのビチビチ跳ねる魚を抑えて針を抜くとか、意外と苦手なイメージがあったんだけど……。
鈴守は1回手順を教えてあげると、すぐに自分で出来るようになった。
多分、そもそも臆してないからだろう。
「もしかしてだけど……鈴守ってさ、虫とかも結構大丈夫な方?」
「え、ウチ?
う~ん、まあ……わりと大丈夫な方ちゃうかなあ。
ちっちゃい頃から、お父さんの遺跡の調査現場に連れて行ってもらったりして……ほんで、大体がそういうのって自然の中やから、それで虫――っていうか、生き物全般に慣れた、いうところはあると思うよ」
「へえ〜……じゃ、この釣り堀のエサが、こんな団子じゃなくて虫だったとして……。
付けられそう?」
「釣り餌の虫、いうことは……ミミズさんとか?
そやね、ちょっとかわいそうには感じるやろけど……大丈夫ちゃうかな」
ちょっと考えただけで、さらりと答える鈴守。
意外っちゃ意外だけど……さすが、って感じもする。
ま、少なくとも――。
その予想外のたくましさに、また1つホレ直したのは確かだな、うん!
で、また一方では……。
「うっし、また1匹ゲットだぜ!……って、コイツもか! ビチビチビチビチと元気すぎるんだよ、も〜!
――ええい、マテンロー、またもキサマの出番だ!」
「またかよ! オレはテメーの針抜き係じゃねーっての!
いいかげんに、1回ぐらいはテメーだけでなんとかしろ!」
「つってもさー……。
ああもう、コイツ、神妙にお縄に――って、うみゃみゃあっ!?」
釣った魚の針を抜こうとするおキヌさん……その手をスルリとすり抜け、ビチビチ跳ねる魚は尾びれビンタで逆襲していた。
……うん。女子はこういうのわりと苦手かなー……とか思ったわけだけど、アレはもうそれどころじゃないなー。
まさか、釣った魚に反撃食らうとは……。
「――ったく、何やってんだテメーは……釣り堀の魚に負けるなよ……。
アマゾンの人食い怪魚とか釣り上げてんじゃねーんだぞ……」
呆れた調子で、見かねたイタダキが脇からその魚をとっ捕まえ……さっさと針を抜いてバケツに放り込んでいた。
……ちなみに、他の女子と同じく、ほとんど釣りはしたことがないというおキヌさんも、ビギナーズラックってやつか、入れ食い級に釣れているわけだが……。
そうやっていちいち隣のイタダキに釣った魚の針を取らせているせいで、当のイタダキはマトモに釣りが出来ていなかったりする。
――もうアレだな、二人一組状態だな。
まあ、あんまり釣りすぎてもしょうがないし、ちょうどいいのかも知れないけど。
「……んー……あの2人って、付き合ったりするかなあ……。
どう思う、裕真?」
そんなイタダキとおキヌさんの様子を見ていると、衛が、コッソリ小声で尋ねてくる。
それについて、俺は……。
「……どーなんだかなー。まあ、お互い、キライってことはないだろうけど……。
でもなんか、あの2人はアレが自然っつーか……ヘタに付き合うだの何だのって話にはしない方が良いような気もするなー。
……つっても、そのテのことにはニブいからなあ、俺」
苦笑混じりに、そんな正直な答えを返すのがやっとだった。
「いや、彼女持ちの裕真にそんなこと言われると、僕なんて立つ瀬が無いんだけど」
「いやいや、それとこれとはまた別問題だろ。
――だいたい、俺のニブさは亜里奈に怒られるぐらいだぞ?」
「あはは。
ま、そこはそれ、小学生でもやっぱり女の子は女の子、ってことなんだろうね――っとと!」
楽しそうに笑いながら、衛は釣り竿が引かれるのに合わせて……スパッという感じに素早く魚を釣り上げていた。
「……衛、合わせるのうまいなー」
「こういうの得意なんだ。
――って言っても、まあ、釣り堀だしね」
はにかみつつ、また練り餌を付けて……針を池に沈める。
「そうだ、亜里奈ちゃんと言えば……。
武尊からメッセージが来てたけど、今日、〈なみパー〉のプールに行ってるんだって? 武尊たちも一緒に」
「ああ……らしいな。
昨日の夜電話したとき、アガシーがあのウザテンションではしゃぎまくってやがったよ」
「あはは、わかりやすいね。
……あ、そうだ裕真。
一緒にプールに行くぐらいだし、あの子たちも結構仲が良いと思うけど……。
もし亜里奈ちゃんが、武尊や凛太郎のことを好きだって言い出したら……どうする?」
「――ぅえっ!?」
衛の思わぬ問いかけに、つい、ヘンな声を出しちまう俺。
……そのせいだろうか、エサを突っついていた魚がどっかに行っちまった。
反射的に、そんなまさか、とか言いそうになって……思わずそれを呑み込む。
「……んん〜……」
……そうなんだよなあ。
以前ハイリアにも、『いつまでも子供と思うな』って言われたけど……。
亜里奈だって、もうすぐ12……来年には中学生にもなるんだもんなあ。
うーむ、しかし……武尊や凛太郎か……。
先に告白なんてしてやがるハイリアも含めて、どこの誰とも知れん男に比べりゃ、確かな信頼のある連中なわけだが……。
――それでもなんか、やっぱり、ビミョーにモヤモヤしちまうというか……。
うーん……。
俺だって、大人にならなきゃ、亜里奈の意志を尊重しなきゃ――とは思うんだけど……まだちょっと複雑ではある。正直なところ。
いやまあ、そもそもが、あくまで例えばの話なんだけど……さ。
「……うーむむむぅ〜……」
「うわ、すっごい眉間にシワ寄ってるよ。
ホント、裕真も大概シスコンだよねえ」
「そ、そんなことないぞ、普通だ……多分」
「ふうん? まあ、いいけどさ。
――あ、じゃあ……誰かを好きって言い出したのがアガシーちゃんだったら、どう?」
「……アガシーが……?」
改めて衛に言われて――俺は、ハッとなった。
……そう、なんだよな。
アガシーのヤツは、こっちでの生活を心底楽しんでるのは間違いないものの……。
実は未だに、思考の根っこで……
――自分はあくまで『聖霊』だから。『人間』じゃないから――。
……そんな風に、一線を引いてるところがあったりする。
本人は明言しないけど、まず間違いなく。
でも――。
一人の女の子として生活してる今、いずれ、誰かを好きになる――そういうこともあるかも知れないわけで……。
そして、そうなったら……嬉しいな、と思う。
なぜなら、それはきっと、アイツが正真正銘『赤宮シオン』っていう人間になった――その証の1つに違いないからだ。
……かつて俺は、アイツを『お役目』から解放して連れ出すとき、出来る限り幸せにしてやる――って、約束したけど……。
そう、それはあくまで、出来る限り――で。
そして、誰かを好きになるってことは。
そんな、俺が――誰かが、用意して与えてやれる幸せじゃないから……。
――アイツが、誰かを好きなるのなら。
それは、アイツ自身の手で掴んだ、アイツ自身の幸せってわけで――。
……だから、そういうことがあるのなら。
それは本当に、嬉しくて、喜ばしいことなんだ――。
……ま、まあ……。
アイツだって、手のかかる妹みたいなもんだし……やっぱりちょっと複雑にもなるのかも知れないけど――さ。
「アガシーか……どーなんだろうなー。
亜里奈みたいに、ずっと一緒にいたわけじゃないからなー」
さておき、アガシーに抱く感傷を語ることも出来ないので……。
俺は無難に首を傾げるに留める。
それを受けて、衛は――
「それもそうだね。
……じゃ、そっちも実のお兄さんに聞いてみた方がいいかな?」
ハイリアの方へ、ついと視線を動かす。
合わせて俺もその、一応はアガシーの『兄貴』ってことになってるヤツを見やった。
……相変わらず、その竿はピクリとも動いていない。
眉間のシワだけは、だんだん深くなっていってる気もするが。
ハイリアのヤツ……ボウズ確定だな、こりゃ。
「さてなあ……。けど、なんせハイリアのことだ。
誰かを好きになったなら、そのままさっさと嫁にでも行ってくれれば静かになって良い――とか、言うんじゃねーか?」
若干のモノマネを交えて、衛の質問に答える俺には――。
きっとそのときはハイリアも、表向き悪態をつきつつ――俺と同じような想いを抱いて。
密かに、微かに……そして穏やかに笑うのだろうと。
……そんな、確信めいた予想があった。