第216話 相手がそれじゃあ、いくら何でも分が悪すぎるイノシシ
「ゆ、裕真……っ!?
テメー、とんでもねーことしやがるな……!」
「アクション映画のスタントマンも真っ青だぞ赤みゃん……!」
足を止めて、俺の方を振り返るイタダキ&おキヌさんに――。
俺は、対峙するイノシシに意識を向けたまま、チラッと首だけ振り返り……早く行けと手を振る。
「いいから、とにかくこのまま安全なところまで離れろって。
近くにいられると、却ってお互いが危ない」
「でも、相手はあのデカイノシシだぞ!?
いくら赤みゃんだってだな……!」
「大丈夫だよおキヌさん、助けが来るまでの時間稼ぎぐらい、何とかなる。
イノシシ相手のケンカなら経験あるし……。
――ほら、俺ってば『勇者』だからな!」
俺が、ニッと笑ってみせると……。
おキヌさんはまだ気になるらしかったが、その下のイタダキはぜーぜー言いながら、さっさときびすを返した。
「あ、おい、マテンロー!?」
「……コイツが大丈夫っつったら大丈夫だろーよ。
だいたい、いくら頂点でもヘロヘロ状態のオレと、運動オンチのちんちくりんがいたところで、コイツが言うように邪魔ンなるだけだ」
「ちんちくりん違わい!」
「あだっ! おいコラ、叩くな! 落とすぞテメー!
……ああもう、とにかく任せたぜ裕真! ヘマはすんなよ!」
「おう! そっちも、おキヌさんは任せたからな!」
おキヌさんを背負ったままサムズアップを返して、走り去っていくイタダキ。
それを横目に見送り――俺は改めて、イノシシと向かい合う。
「さて……と」
……6年前、亜里奈を助けるために立ち向かったときとは違って――。
今の俺なら、このままコイツを一撃でブッ倒すのは、まあ、カンタンだ。
だけど、常識的に考えて、武器も持たない普通の高校生がイノシシを一撃で返り討ち――とか、さすがにやり過ぎだろう。
いや、一撃じゃなくても、そうそう倒せるもんじゃないしな。
……というわけで、人里――っていうか、山を下りる方へは行かないよう適度に牽制しつつ、イタダキたちに言ったように、助けが来るまで時間を稼ぐ……のが、無難だよな。
「しかし、つくづく俺ってイノシシに縁があるよなあ……。
旅行なんてそんなにした覚えないのに、そのうちで2回もイノシシとケンカになるとか……。
いや、こんなイベント、人生に1回あるかないかが普通じゃないのか……?」
何気なくぽつりとつぶやいて……待てよ、と内心で首を振る。
いや……そもそも俺、1度やるのでもとんでもない確率だろう〈勇者〉を、3度やったんだよな……。
うん……そう考えると。
どんな確率だよ!……とか、言う資格ないのかも。
「あ〜……なんかちょっとヘコみかけた……。
――まあいいや。
ほら、かかってこいよ。付き合ってやる!」
言葉は分からずとも、俺の挑発は気配で察したのか――それともたまたまか。
イノシシは、鼻息荒く俺に突進してくる。
6年前は、心底ヤバいと命の危険を感じたそれも……今では。
いや、実際マトモに食らうと相当痛いだろうってぐらいのスピードなんだけど――それは、戦闘用に意識を集中しなければ、であって。
逆に、その気になれば――まあ、食らう方が難しいってレベルだ、当然ながら。
だけど、どこで誰が見ているか分からないってのもあるし……。
見切って最小限の動きで避ける――なんてことはせず、余裕をもって大ゲサに、横っ飛びで地面を転がって回避する。
それを繰り返すこと、2度3度。
このまま、立ち位置を調節して、意図的に木にでもぶつけてやろうかと思ってたら――。
急にガサガサと、なんだか頭上……木の上がうるさくなって。
「どれ――助太刀といこうか」
次の瞬間――木の上から飛び降りてきた人影が、そのままイノシシの背を蹴りつけ……空中で華麗に前転、銀髪をなびかせてその向こうに降り立った。
さらに――。
「同じく――助けに来たよ」
俺の後方から走り込んできた人影が、先の奇襲に驚いているイノシシの――その鼻先に向かって、棒切れをブンと勢いよく振るって牽制する。
「な……ハイリア、衛っ!?」
「まったくもう……こんな大きなイノシシを1人で食い止めようとか、いくら何でもムチャし過ぎだよ裕真……」
そこそこしっかりした棒切れを肩に担いだ衛が、俺の隣に並びながら、呆れた様子で告げてくる。
「……まったくだな。『勇者』をやるにも限度があるというものだ」
続けて、イノシシの向こうでハイリアも衛に同意するが――。
俺はそんな魔王サマに、密かに、非難を込めた視線を向けた。
……お前だけなら分かるけど、一般人の衛まで連れてきてどーすんだよ!……と。
一方ハイリアはそれに対して、『仕方なかろう』とばかりに首をゆるゆると振る。
むむう〜……。
いや、まあ確かに、状況が状況だけに、説得するの難しそうだけどさ……。
「……あ! まさか、沢口さんまで来てるとか……!」
「安心しろ、さすがにウタは途中で置いてきた。
助けが来れば、速やかにこちらへ案内してくれるようにな」
ま、まあ、沢口さんなら性格的に、『強敵と戦うとか、モブの役割じゃない』とか言いそうだしな……。
しかし――問題は衛だ。
さすがに剣道が強いと言っても、イノシシ相手じゃ勝手が違うし――。
……なんて思ってたら。
当の衛が、まるで臆した様子もなく……いや、それどころか。
「大丈夫、時間稼ぎぐらいならなんとかなるよ」
……なんて、自信たっぷりに言いやがる。
それで俺も――。
「分かったよ……じゃあ、やるか! 俺たちで!」
ついつられて、そう言ってしまっていた。
「よかろう」
「オーケー、そうこなくっちゃ!」
まあ……俺とハイリアが揃ってるんだし、どうとでもなるだろ。
とりあえずは、あんまり衛を巻き込まないように――。
……と、そんなことを考えていた矢先。
イノシシは、また俺に突っ込んでくる――と見せかけて、寸前で矛先を変える。
そう、『猪突猛進』って言うけど、実際その四字熟語に『曲がれない』という情報は一切入ってないように――。
実際のイノシシは、かなり機敏に動く。方向転換ぐらいはお手の物だ。
そして、その狙いは――!
「……衛!」
避けろ、という意味で声を掛ける俺。
そうして、いざとなれば、思い切り飛びつけば何とかなると考えたんだが――。
まるで動じる様子もない衛は……。
中段に構えていた棒切れを、すうっと持ち上げた――かと思うと。
「――ふっ!」
短い呼気とともに――突進してくるイノシシの『鼻』を、寸分違わず打ち据えた!
固い外皮にも筋肉にも守られていない弱点に、強烈なカウンターを食らったイノシシは……面食らったらしく、たまらず足を止める。
その間に、当の衛は構えを維持したまま――余裕をもって距離を取っていた。
「す、スゲーな、衛……!
突進してくるイノシシの鼻を狙うとか、達人かよ……!」
「……本物の達人になれば、こんなものじゃないよ」
衛は落ち着いた様子で平然と言ってのけるが……。
突進してくるイノシシを前に、冷静に狙いを付けるとか……剣さばき以前に、その胆力がスゲえ。
正直、普段の姿からは想像出来ないけど、試合とかになるとスイッチを切り換えられるタイプなんだろう。
家が道場ってぐらいだから、生粋の剣士気質というか……そういうのに慣れてるのかもな。
で、戦いってのは実際、精神力に拠るところも大きいわけで……。
武尊が、衛のことを『負けるのを見たことがないぐらい強い』って言ってたけど、なるほど、これならさもありなん……って感じだ。
……ぶっちゃけ、このまま異世界に転移しても、低級モンスターごとき相手にならん気がする。
「――ブゴォォッ!!」
衛の相手は分が悪いと踏んだのか、一転、今度は逆側のハイリアへと突進するイノシシ。
……いや、ひとまず相手を変えようって考えは分からんでもないが……。
それは文字通りの悪手だぞ、イノシシ。
まあ、あくまで俺が事情を分かってるからで……衛だって、ハイリアを強い調子で呼んで注意を促してくれてるけど。
「……ふむ」
当然、ハイリアに焦ったりするような素振りはない。
もちろんコイツだって、その気になれば真っ正面からイノシシをねじ伏せるぐらいは出来るわけだけど……。
さすがにそこまでするのがいろいろマズいことぐらいは理解してるから、その場でジャンプして木の枝に掴まり、突進を回避――。
だけど、それだけではすまさないとばかり、着地すると同時に……。
同じく振り返ったイノシシの、文字通りの鼻っ面に――ムチのようにしなる、強烈な蹴りを叩き込む。
「プギィィッ!?」
実に痛そうな打撃音とともに、立て続けに鼻を狙われたイノシシは、たたらを踏むように後退った。
……なんか、ちょーっとかわいそうにもなるけど……。
俺やハイリアがいるから大丈夫ってだけで、それ以外、このイノシシには誰が狙われても危ないのは間違いないわけで……。
衛だって、想像以上にスゴいけど、突進を一撃でもマトモに食らったら危険なことに変わりはないんだから。
ここはやっぱり……中途半端な仏心を出してる場合じゃない、か。
そう、むしろそれなら――。
このまま畳みかけて、一気に戦意を折る!
俺は、6年前にもやったように、突進準備に入ったばかりのイノシシの懐に自ら飛び込むと――その牙を抑え込んだ。
そして――
「歯ぁ――食いしばれぇっ!!」
これもまた、昔のように……気合いを込めた頭突きをブチかましてやる。
ガキの頃は無我夢中で、とにかく気迫で押すためだけだったその一撃は……。
さすがに今度はしっかり効いたらしく、抑え込んでいるイノシシの力が確実に弱まった。
そこで俺は、ハイリアを呼びつつ、牙を抑えたままイノシシの右側に回る。
ハイリアも、俺の後に続いて正面から組み合うと――
「悪く思うなよ?」
俺と同じく、頭を振りかぶってからの豪快な頭突きをブチ込んだ――って、お前がそれやるのかよ!?
「よし、行け衛!」
今度はハイリアが、衛を呼びつつ、イノシシの牙を抑えつつ……左側に回る。
反応した衛は、スッと音も無く一気に距離を詰めると――
「――シッ!」
棒切れでイノシシの鼻を打ち据え――さらに、そこから。
常人にはほぼ同時に感じるほどの速さで、続けて下からも打ち上げる。
それはまるで、俺の使う上下二段の超高速斬り――〈迅剣・煌顎〉を彷彿とさせる、見事な剣さばきだった。
3人がかりの強烈な連続攻撃に、イノシシの力がますます弱まる。
そこを狙って――
「――っし、いくぞっ!」
「よかろう……!」
「なら――僕も!」
……俺とハイリアの動きから、衛も、やろうとしていることを察したのだろう。
棒切れを横にし、イノシシの牙の下からあてがうと――俺たちに合わせて、身体を入れつつ一気に上向きに力を込める。
そうして――俺たちは。
左右と正面から、力を合わせて――
150キロは超えるだろうその巨体を……思い切り、ブン投げてやった。
「プギィィィ〜〜……っ!!??」
見事に宙を舞ったイノシシは、ぐるんぐるん回転して……ドッスンと、背中から地面に叩き付けられる。
でも、軟らかい土の上だから、そこまで強烈なダメージでもなかったんだろう。
わりと元気に、素早く起き上がったものの……。
「………………」
俺たち3人を見比べるように、視線をさまよわせたかと思うと――。
「プギュイィィィ〜〜〜…………ッ!!!」
なんか泣きそうな鳴き声を上げながら……脱兎のごとく(イノシシだが)、山の奥へと逃げ去っていったのだった。
「……逃がして良かったのか?」
「まあ……あの様子だと、もうわざわざ人前に出ようなんてしないだろ」
「文字通り、こっぴどく痛い目に遭ったわけだからね」
改めて、俺たち3人はイノシシの去った方を見ながら、集まって言葉を交わす。
そうして……。
まあ何にせよ、誰もケガしなくて良かったよな――とか、思ってたら。
「あああ、あーーかーーみーーやーーくーーんッッ!!!」
「――へっ?」
いきなり頭上から急速に近付いてくる呼び声がして……見上げると。
なんと――。
俺が使ったワイヤーで、ポーチの肩掛けを滑車代わりにして……。
高台に残してきたはずの鈴守が、宙を滑り降りてくるところだった――って、おいマジかよ!!??
「うおおっ!? すす、鈴守ぃぃっっ!!??」
俺は慌てて、着地予想地点へダッシュ――!
勢いのままに飛び降りてきた鈴守を、滑り込みながら何とか受け止めた!
「あああ、あーっぶねぇぇ〜……!」
「ごご、ゴメン!
でもウチも、赤宮くんたちと協力して戦おう思て――って、あれ?
……イノシシさんは……?」
「「 逃げた 」」
ハイリアと衛が、イノシシの逃げ去った方を指差して同時に答え――。
そして顔を見合わせ、さもおかしそうに笑い出す。
「……えっ? えっ?」
俺の腕の中で、キョロキョロと、丸くした目を周囲に振る鈴守。
その姿こそ、すげー可愛いものの……。
「気持ちは嬉しいけど、あんまりムチャしないでくれよ?
マジで肝潰したよ……」
イノシシの相手をしてたときより、どっと疲れた俺は……。
鈴守を地面に降ろし、そのまま、ゴロリと地面に転がるのだった。