第215話 大闘争ならぬ大逃走の果て、逃避行ならぬ超飛行
「「 ……………… 」」
ヤブの中から現れた大型のイノシシを前に、おキヌとイタダキは息を呑む。
イノシシは、たまたま通りかかっただけ……という感じではなく。
その意識が、自分たちに向けられているのは明白だった。
「な、なぁおい、マテンロー。
このイノシシさん……どう見えるよ?」
「お、おう……そうな……。
そりゃもうどーしよーもなく、キゲンが悪そうっつーか……」
「や、やっぱしそーだよなー……。
なんつーか、『夏休み前に彼女にフラれて、でもバイトだからしょうがないって海の家に働きに行ったらどこもかしこもカップルだらけでやってらんねえ!』……的な怒りのオーラをヒシヒシと感じるんだけどさー……」
「ああん? ンだそりゃ――つまりアレか?
コイツ、オレ様たちが2人でいるのを、リア充カップルと間違えて、アッタマにきて出てきたってことか?」
「はあぁ〜っ?」
イタダキとおキヌは、顔を見合わせ……。
次に、揃ってイノシシを見て……。
もう一度、顔を見合わせ……。
最後に、またイノシシを見て――
「「 いや、ないから 」」
と、やはり揃って、顔の前で立てた手を左右に振った。
途端――。
「フゴルゥゥゥ〜ッ!」
イノシシは、いかにも『ムカつく』とばかりに鼻息を荒げ……。
さらに、まさしく『怒髪天を衝く』とばかりに毛を逆立たせる。
「おい、おキヌ……さらに怒ったっぽいぞ?」
「今、ヘタにハモったりしたからじゃないか……?
もー、何やってんだよマテンロー……!」
「オレのせいかよ!
……ってか、マジでリア充狙うんなら、ちゃんと他にいるだろうがよ……!
ガチのリア充とか、ハイパーなリア充とか!」
「……ぬうう……こうなったら仕方ない……。
なあ、マテンロー」
「ンだよ?」
「キサマなら、いっぺんぐらい死んだところで、カネの力でなんとかなるよな?
……ってなわけで、ありがとう、キサマの勇姿は忘れない」
「おいコラちょっと待て! さりげなくオレをイケニエにしようとすんな!
ならねーってんだよ、どうとも!
……ってか、イケニエならテメーだろおキヌ!
女で子供っつーのがイケニエのテンプレじゃねーか!」
「ああん!? だーれがチビっ子じゃーい!」
「ブゴォォォォーーッ!!!」
またぎゃあぎゃあやり始めた2人も、その怒り心頭とばかりのイノシシの鼻息にピタリと動きを止める。
そして……ちらりと互いに目配せした。
「こりゃマジでヤバいな……逃げるぞ、おキヌ」
「お、おう……それについては同感だ。
よしいいか、それじゃ、ヤツを刺激しないように――」
向かい合ったままジリジリと退がるんだ……と、おキヌが指示する前に。
「おし、行くぜ!」
くるりときびすを返しつつ、走り出すイタダキ。
瞬間――
「ッ! こンのバカっ!!!」
思いっ切りの悪態とともに、おキヌはイタダキの背中に向かって全力で飛びつき――。
その勢いのまま、2人して地面に転がった。
――同時に。
たった今、イタダキがいた場所を、イノシシの巨体が暴走した車のように通り過ぎ――勢い余って木に激突する。
ドシンと、空気を震わせる轟音が2人の腹に響いた。
「な、なにが……」
「マテンロー、キサマはホンっっっトにバカだな!
野生動物相手に背中向けて逃げたりしたら、逆に興奮させるに決まってるだろ!
あ〜、もう……っ!
ニラみ合ったままジリジリ退がってりゃ、そのまま逃げられる可能性もあったのに……!」
イタダキと2人して立ち上がりながら、おキヌはイノシシを見る。
……牙が木の幹に引っかかったらしく、イノシシはジタバタしていた。
「こりゃもう完っ全に怒りMAXだなアレ……。
しょーがない、こうなったらとにかく走って逃げるぞ! だっしゅ!」
「お、おう! そら――っ!」
駆け出したおキヌの後に続いたイタダキは、すぐさま隣に並ぶや否や――いきなり、おキヌの小さな身体を、走りながら小脇に抱える。
「うにゃあっ!?」
そしてそのまま、足は止めずに、背中に背負う形に抱え直した。
「なな、なにすんだマテンロー!」
「何も無くても転ぶテメーを走らせるぐらいなら、この方が速え!」
叫びながら、猛ダッシュするイタダキ。
その背後からは、早々に木から牙を引っこ抜いたイノシシが……猛然と追いかけてきていた。
「――って、キサマ、イノシシの速さ分かってんのか!?
ただでさえ相当なのに、アタシ背負って逃げ切れると――」
「ああ!? そんならなおさら、どんくさいテメーを下ろすわけにゃいかねーだろが!
だいたい、テメーなんざちっせーから重りになんねーよ!
……つーか……。
この、頂点に立つオトコを――ナメんじゃねええーーっ!」
スピードを落とすどころか、さらに上げて走るイタダキ。
……しかしそれでも、イノシシは離れるどころか近付いてくる。
「くっそ、このままじゃすぐ追い付かれる……!」
「テメー必殺の、あの豆腐型マスコットでも食らわせてやれよ!」
「こんな状態から、後ろ向きながらマトモに投擲なんて出来るかっての!
――ああもう、何かないか、他に……!」
おんぶ状態のおキヌは、イノシシの様子を確認しながら、ポーチの中をゴソゴソと探る。
そして……。
家を出る間際、『みんなで料理するならあった方がいいかも』と思いついて、ポーチに突っ込んで……そのままになっていた皮むき器を見つけた。
「……よっし、これで――!」
おキヌは皮むき器の刃を取り外すと、同じくポーチの中にあったヘアゴムを、刃があったY字の場所に幾重にも渡して……弓の弦のように固く張る。
揺れる背中の上だが、運動神経は最悪でも器用さには自信があるおキヌは、その作業を集中してあっという間に終わらせた。
出来上がったのは、超簡易式のスリングショット――いわゆるパチンコだ。
ただ、しょせんはその場凌ぎのお手製、威力など望むべくもないが……。
おキヌはさらにポケットからアメを取り出すと、歯で包装を破り、弾丸としてパチンコに装填する。
「マテンロー! 蛇行せずそのまままっすぐ!」
「おう……っ!」
何をする気かとも聞かず、言われた通りまっすぐ走ることに集中するイタダキ。
それに合わせ、まっすぐ近付いてくるイノシシに狙いをつけ――おキヌは、第一射を放つ。
しかし狙いは逸れ、牙に当たったアメ玉はあっさり弾かれる。
舌打ちしつつ、即座に同じアメを装填して第二射へ。
第一射で得た情報と感覚をもとに、狙いを修正して放たれたアメ玉は――。
鼻に当たってくれれば――という彼女の願いを上回り、鼻の穴の中に吸い込まれた。
「――フグッ!? フゴゴッッ!!??」
「っしゃあ! どーだ、ハーブたっぷり〈のどアメ弾〉は!
ただでさえアンタらのニガテなハーブの匂いを、そうやって直に、良く利く鼻の中に突っ込まれるとたまんねーだろ!」
おキヌの勝ち誇ったような宣言通り――。
ただでさえ敏感な鼻の中に、いきなりニガテなハーブの匂いが凝縮したものを食らったイノシシは、思わず足を止めて頭を振りまくっていた。
「お、なんか知らねーけど、やったのか!?」
「……予想よりもクリティカルだったし、多少の時間稼ぎにはなるだろーさ。
とにかく、今のうちにちょっとでも距離を稼ぐんだ、きばれマテンロー!」
「おうよ、このまま逃げ切ってやんぜ!」
一瞬足を止めたものの、荒くなってきた息の下、しかしそれでも不平不満は言わずにまた走り出すイタダキ。
その背で、まだ悶えているイノシシを見ながら……。
おキヌは、今しかない――と、スマホを取り出した。
* * *
鈴守と2人、しばらく自然の展望台からの眺めを楽しんでいた俺は……。
さすがにそろそろ戻った方がいいんじゃないか――と思いつつ、スマホで時間を確認する。
その瞬間――。
「うぉわっ!?」
いきなりスマホが鳴り出したから、あわてて思わず取り落としそうになる。
画面の表示からすると……おキヌさんみたいだ。
「もしかして、みんなもう戻ってて、ウチらだけが遅れてるんかな……!?」
「……で、『おせーぞキサマら!』って?」
うん、ありうる……とか思いつつ、電話を繋げてみると――。
『あ、赤みゃん!? 聞こえてるか、赤みゃんっ!』
――聞こえてきたのは、切羽詰まった調子のおキヌさんの声だった。
瞬間、これはタダ事じゃない――と、意識を切り換えて応対する。
「どうしたおキヌさん、何があった!?」
『――イノシシだ、野生のイノシシに襲われてるんだよ、今っ!
ヤロー、しつっこく追いかけ回してきやがるッ!』
「「 い、イノシシぃっ!? 」」
俺と鈴守の驚きが重なる。
『ああ! とりあえず今は、マテンローがアタシをおぶって逃げてくれてるから、なんとか大丈夫だけど……!
とにかくこのままじゃヤバい、助けを呼んでくれっ!』
おキヌさんが声を張り上げるのに合わせて、何かを聞いた気がした俺は――。
直感的に、崖に面した木の柵の方へ駆け戻る。
そして、見下ろした先――
「…………いた! 見つけた!」
眼下はるか、左右に伸びる道に……そこをひた走る2つの影を発見した。
間違いない……!
かなり遠いが、おキヌさんを背負って走るイタダキと――イノシシだ!
『見つけた、って!?』
「おキヌさんたちだよ! 俺たちのいる高台から見えてる!」
答えながら、俺は考えを巡らせる。
――イノシシが相当に俊敏だってのは、対戦経験がある俺は身に染みて良く分かってる。
このままじゃ、いくら助けを呼んでも、それが来るまでに2人が追い付かれる可能性の方が高いだろう。
何とかして、今すぐ助けに行く必要がある。
……もちろん、勇者としてのチカラを使うなら、この程度の高低差も距離も、大して問題じゃない。
一息に飛んで、2人を助けるぐらいわけないんだけど……。
ただ……さすがにそれは最終手段だ。
いくらなんでもそんなマネをしたら、俺が常人じゃないのがバレちまう。
まあ、だからって、そのことに固執してアイツらを見捨てるようなマネは、当然却下なんだが……。
なにか他に良い手はないか――と、周囲を見回した俺は。
「…………おっ!」
頭上に、おあつらえ向きのものを見つけた。
……恐らくは、山のもっと上の方で切り出した木材を、裾の方へ運ぶのに使っていたものだろう。
山の上から、2人が逃げる道の方へと真っ直ぐに伸びる、宙に張られた……ワイヤーだ。
「ダッキー! 聞こえるか!」
『……ハァ、ダッキー、言うな……っ!
ンだよ、このクソリア充っ!』
答えるイタダキの息は相当に荒い。
そりゃそうだろう……むしろよく保ってる方だ。
「そのまままっすぐ、あと20秒全速力で走れ! 出来るな!?」
『ハァ、ハァ、なんなんだ、クソ……っ!
――ああ、ああ! わーった、わーったよ、やってやらあ!
ちょ、頂点に立つオトコを――ナメんじゃねえっ!!!』
「その意気だ、あきらめるなよ!」
俺はイタダキへのハッパを最後に、スマホをポケットにしまうと……。
宙を渡るワイヤーのすぐ側の木へ駆け寄りつつ、鈴守を振り返る。
「鈴守、悪いけど警察と――あと、他のみんなへの連絡も頼む!」
「うん、今やってる!――って、赤宮くんっ!?」
鈴守が答える間に、俺はひょいひょいと木を登り……ワイヤーの高さへ。
そして、ジーパンからベルトを抜き去ると、ワイヤーに引っ掛け――。
そのままベルトの両端を握り、木を蹴って、宙へと飛び出す!
ワイヤーを滑車を使って滑り降りる、いわゆる『ジップライン』――。
その滑車の代わりに、ベルトを使った変則型だ!
これなら、目標まで一直線――しかも高低差がかなりあるから、相当なスピードも出る!
「あ、赤宮くんッ――!!!」
一気に遠ざかる鈴守の心配そうな呼び声に、心の中で謝りながら……意識を前方に。
文字通りに風を切って、緑の木々の合間を飛び――イタダキたちが逃げる道へ、ぐんぐん近付いていく。
そしてその間に、脚に闘気を集中しておいて――
「ぬうぅ〜おおお〜っ!
オレ様は! ちょぉーー! てぇぇーーんっ!!!」
「その気合いはどうかと思うけど、踏ん張れマテンロー!!!」
「……ビンゴだ――!
よくやったイタダキっ!」
――すぐ先を、イタダキたちが通り過ぎたその瞬間……。
ただでさえスピードに乗ってるところに、さらに振り子のように勢いをつけながらベルトから手を離して――
「くらえ――ッ!」
イタダキたちを追って現れたイノシシに――
「そのまんま……ダイビング勇者キーーーック!!!」
横合いから、やり過ぎない程度に闘気によって威力を上乗せした、まさにミサイルみたいな勢いの飛び蹴りをお見舞いしてやる!
「フッ――ゴォォォォッ!!??」
蹴りの衝撃で、ゴロゴロと横に一回転しながら脇の林の中に吹っ飛ぶイノシシ。
俺も飛び込みの勢いを殺すのに、地面を転がって受け身を取り……。
そのまま、イノシシの進路を塞ぐような位置で立ち上がる。
そして――
俺を新たな敵と認識したらしく、怒りに毛を逆立たせ、鼻息を荒げるイノシシに。
「別人ならぬ別シシなのは分かってるけどな……。
――良い機会だ。
6年前の因縁の対決再び、といこうじゃねーか――!」
……ニヤリと、笑いかけてやった。




