第213話 湯けむりに浮かぶは、〈星〉の輝きの思い出
――洞窟風呂というと、大きめの湯船がちょうど入るぐらいの、いわば岩屋に温泉を張ったもの……ってイメージがあったし、ここもそうだと思っていた。
ところが……。
「おお〜……なんだこれ、ホントに洞窟だな〜!」
感心したようなおキヌさんの台詞は、まさに俺が抱いた感想と同じだった。
ここは、入り口から奥へ、少し広めの……天然のものに手を入れたらしい洞窟がずっと続いていて……。
その全体に、ややぬるめのお湯がゆるやかに流れているのだ。
ヒザより少し上から腹のあたりまで、場所によって多少深さが変わるお湯を、じゃぼじゃぼとかき分け、壁や天井のほの暗い照明を頼りに奥へ進んで行くのは……本当に洞窟を探検しているみたいだった。
単なる洞窟風呂ってより、むしろ『ダンジョン風呂』とか言った方がしっくりきそうなぐらいに。
まあもちろん、だからって、モンスターが出たりとかするわけじゃなく……。
それどころか、途中、ところどころ広くなっている場所で、段差に腰掛けたりして、ゆったりのんびりしている人もいたりするぐらいだ。
なんせ、お風呂なんだからな。
……ちなみに、水着着用が義務付けられていて、こんな珍しい造りなわけだから、当然混浴だ。
で、洞窟は、まあ当たり前だけど、迷うような造りでもなく、ほぼ一本道で……やがては、トンネルみたいに反対側の方へと抜ける形になっていた。
お湯の流れからして、洞窟の中心付近を頂点に、両方の出口へ向かってゆるやかに傾斜しているらしい。
「どーだよ、なかなかおもしれートコだろ?」
イタダキの得意気なその言葉には、さすがに俺たちみんな、同意せざるを得なかった。
……いやー、もういい加減、洞窟とかダンジョンとか飽き飽きだったんだが……。
こうして『温泉』となると、また印象が違っていいもんだ。
ホント、一種のアミューズメントだよな〜……。
とりあえず、反対側に出たってことは一通り歩いたわけなんで、改めてどこかでゆっくりしよう――と、ちょうどいい広めの空間を目指して、洞窟を戻っていく俺たち。
「これ、人の手は入ってるけど……ほとんど自然に出来てるんやんな?
すごいなあ……」
「だよな。しかも流れてるのが天然温泉だもんな〜……。
〈天の湯〉の新しい風呂の参考になれば――とかちょっと思ったけど、これはさすがにどうしようもないなあ。
いやー、自然って偉大だ〜……」
隣を歩く鈴守と、じゃぼじゃぼお湯をかき分け歩きつつ、しきりに感心しあう。
そうして、「いい場所がある」っていうイタダキの案内で、横道のようになっている場所へ入り込んだ俺たちは……。
ゆったりするのに、本当にちょうどいい空間へたどり着いた。
他より天井が高く大きめの広間で、壁の高い場所からは、優しい滝のようにさらさらとお湯が流れ落ち……。
さらに高い天井付近には、地上へつながる割れ目があるらしく、か細い陽光が射し込み……湯気でぼんやりしながらも、それがまた幻想的に、揺れるお湯を照らし出す。
なんとも見事で……見ているだけで、贅沢だとすら感じてしまうような光景だ。
俺たちは感嘆の声をもらしつつ、壁沿いに輪になるように座り込み、改めて温泉を堪能……と、思いきや。
「………………」
たった一人……ハイリアだけが。
この広間の入り口で、上を見上げたまま……立ち尽くしていた。
みんな、どうかしたのかと首を傾げているところに、俺が代表して声を掛けると……。
すまん、と――苦笑混じりに、ぽつりとつぶやく。
「懐かしい場所に、良く……本当に良く、似ていたのでな」
「へえ……? それ、リャおーの故郷のことかい?」
ハイリアの言葉を聞きつけたおキヌさんが、興味津々といった様子で尋ねる。
いや……おキヌさんだけじゃないな。
気付けば他のみんなも、好奇心に前のめりになっていた。
――みんなは、ハイリアが言う『故郷』ってのは、フランスの一地方のことだと思っているんだろうが……当然、そうじゃない。
長きに渡る人族との戦いの果てに魔族が追いやられた、アルタメアの僻地……過酷な環境にある、通称〈魔領〉――。
それが即ち、ハイリアの本当の故郷だ。
〈魔領〉は極寒の地でありながら、活火山も存在していて(実際、行くとき溶岩の洞窟とか突っ切らされた)、そのせいだろう、温泉が多かったらしいから……。
なるほど、こうした場所もあったのかも知れない。
「ああ……そうだな。遠い遠い故郷のことだ。
余の故郷は、一種の僻地……まあ、基本的には寒いところだったのだが……。
幼馴染みが住んでいた地に、まさにここにそっくりな温泉があったのを思い出して……つい、な」
みんなの視線にも何ら臆することなく、壁際に座り込みながら……朗々と答えるハイリア。
そして、俺は……。
今の言葉で、コイツが本当の意味で何を思い出していたのかが……分かってしまった。
……まあ、そりゃあな……。
コイツにとっては、忘れられるようなものじゃない、か――。
「で、その幼馴染みっていうのは――ズバリ、女の子なのねっ?」
そして、沢口さんが、目をギラリと輝かせながら尋ねると――。
ハイリアは、いともあっさりと「そうだ」と認める。
――瞬間……特に女子3人の興味が膨れあがるのが、アリアリと分かった。
「余のこの、〈ハイリア〉という呼び名は、以前も言ったように〈王たる星〉という意味があるのだが……。
同じく、星――〈世を照らす星〉という意味の呼び名を持っていたのが、その幼馴染みだ。
余ですら舌を巻くほどに頭が良く……同時に、大変な変わり者でもあったよ」
「おいおい、マジかよ……!
お前以上に頭が良いとか、とんでもねえじゃねーか……!」
「いや、余は記憶力ならまだしも、思考においてはそこまでの自信は持ち合わせてはいないぞ?
……なにせ、そんな本物の『天才』が側にいたのだからな」
イタダキに答えるハイリアの言葉は、誇張でもなんでもなく……。
その幼馴染み――〈世を照らす星〉という女性は、幼い頃から、過酷な地に生きる同胞のためにと、その才を活かして創意工夫を重ね、さまざまな画期的な技術を生み出したりしたらしい。
「ハイリアが『天才』って言うぐらいで、しかも変わり者、かあ……」
「……ああ。余を手玉に取るほどに」
「うおお……ますますとんでもねえ女だな……」
「で……まさかまさかだ、リャおー……!
その女の子は、許嫁――なーんて、いかにもな設定があったり……っ?」
「ふむ、その通り。
……親同士は、いずれは結婚させようと考えていたな」
「「「 えええ〜〜ッ!!?? 」」」
洞窟の中に、5人分の絶叫が反響する。
まあ……現代人の感覚からすりゃ、驚くよな、やっぱり。
――そう、魔族を統べる王子に生まれたハイリアと、〈魔領〉の一画の領主の娘として生まれたシュナーリアは、物心がつく前から婚約が決まっていたそうだ。
ただ――肝心の2人の関係は特殊で……。
「ま、マジか、リャお〜……っ!
じゃ、じゃあ当然、付き合ってたり……っ?」
「……いいや。あくまで、それは親たちの話でな。
余と彼奴の間にあったのは、兄弟のような、親友のような、双子の片割れのような――そんな絆であった。
……それは強く、決して失われぬ類のものだが……生憎と、お前たちが期待するような恋愛話に繋がってはいないのだ」
ハイリアが苦笑混じりに、申し訳なさそうに――しかしキッパリと言ってのけると。
女子たちは眉間にシワを寄せながら、互いに視線を交わす。
「むむむ〜……。
これがリャおーじゃなきゃ、『ウソぶっこいてんじゃねー、正直に白状しろ!』ってなりそうなトコだけど……」
「そうね、とてもウソには見えないわね〜……」
「……ほんで……その女の子は、今どうしてるん?」
鈴守のその質問に、ハイリアは――。
「……さて、な。もう久しく会っていないのだ。
だがまあ、彼奴のことだ……余と同じく、お前たちのような愉快な連中に囲まれ、面白おかしく過ごしているであろうよ」
微かに、優しげに笑いながら……ついと、陽光の射し込む天井を見上げた。
「………………」
そんなハイリアの姿と言葉を見るにつけ……。
俺も改めて、アルタメアで勇者として戦うその最中――。
当のシュナーリアから、手紙を送られたことを思い出していた。
それは……あろうことか、人族と魔族の和解を望むものだった。
和解は必ず成せると――それこそが、最も正しい道であるから、と。
魔族の中でも高い地位の存在にもかかわらず、彼らにとって一番の敵のはずの勇者の俺に……シュナーリアという人物は、そんな手紙を送ってきたんだ。
……あとからハイリアに聞けば、彼女はそもそも、ハイリアが魔王となり、人族との戦いを始めるよりもずっと以前、幼い頃から……。
長きに渡るわだかまりを超えての、魔と人との和解の道を主張していたらしい。
そうした考えを持つゆえにだろう、地位も高く、技術発展のさまざまな功績などがありながらも、変わり者として、特に他の権力者からは煙たがられていたようだ。
そして、双子の片割れのように――と表現するほど、最も近しいハイリアですら、その主張を受け入れはしなかった。
だけど……彼女の俺への手紙には、こんな一文があったんだ。
『……魔王が彼、ハイリア=サインであるからこそ、和解は成る――必ず』
……もちろん、俺はハナから、ハイリアを倒してしまうつもりなんてなかった。
俺のやり方で、くだらない争いの連鎖を終わらせてやろうと決めていた。
だけど……この手紙に勇気づけられたのは確かだ。
俺の思いは間違ってない、ちゃんと魔族にも和解を望む者がいるんだ――と。
魔王は、単なる破壊の権化なんかじゃないんだ――と。
そして実際、和解は成った。
彼女の宣言通り、幼い頃から彼女の考えに触れ……表立っては受け入れずとも、その輝きはしっかりと胸の奥に宿していた――そんなハイリアが魔王だったからこそ。
そんなハイリアを――最も近しい存在を。
彼女が、信じていたからこそ――。
けれど……俺は結局。
その功労者である彼女――シュナーリアと、生きて会うことは叶わなかった。
彼女はもともと――ハイリアにも知られないようにしていたらしいが、病を患い、長くは生きられなかったそうだ。
だけど、生きることを諦めていたわけでもなく……彼女は、同じ病に苦しむ魔族の同胞を救うためにも、人族との技術交流が必要だと考え、行動していた。
和解が成れば、その道も拓けると。
そしてそれは同時に、魔族の技術があれば助かる人族を救う道にもなると。
残念ながら、彼女自身を救うには間に合わなかったが……。
あれから、魔も人も……双方の多くが、彼女の理想に救われたのは間違いないだろう。
ハイリアの、『変わり者』の幼馴染みとは……そんな人物だったのだ。
「……どうした、勇者?」
今度は俺が、ハイリアの声で物思いから引き上げられる。
……そうして、ふと見れば……。
いつの間にかみんなは、また別の話題で盛り上がっているようだった。
「ああ、いや……。
俺もちょっと、お前の『幼馴染み』のこと、思い出してた」
「……そうか。
キサマであれば、さぞかし彼奴と話が合ったことだろうな。
いや――良いオモチャになった、の間違いか?」
穏やかな調子でそう言い、お湯をすくって軽く顔を洗うハイリアに――。
俺も、「かもな」と相づちを打った。
……その後、もう少しみんなでのんびりしたあと、次は山の方へ行ってみようという話になって。
洞窟を、入り口へと引き返すその途中――。
ハイリアから合図を受けた俺は、ハイリアと2人、みんなから少し遅れるようにして……ちょっと距離を離して最後尾につく。
どうやら、あまりみんなに聞かれたくはない話があるようだ。
「さっきのシュナーリアのことなのだが……。
話している中で、1つ、気になることを言っていたのを思い出してな」
「……気になること?」
「ああ。そのときは、さして気にも留めなかったことなのだが……。
彼奴は、〈魔王のチカラ〉というものに、長らく疑問を抱いていたのだ。
……魔王のチカラというのは、世襲で血によって継がれるものではない。
資格を持つ者が、己の意志で、歴代の勇者によって時の魔王から切り離され、封じられた、チカラの宿る宝珠に触れることで……その身に宿すものだ。
つまり……そもそも、魔王のチカラとは、それ自体が独立した存在だったと言える。
そう――〈魔王〉以前に、それ自体が一つの、〈世界を滅ぼしうるチカラ〉なのだ。
ゆえに、シュナーリアは言っていた――。
初代勇者を皮切りに、何人もの勇者が他の世界からやって来たのなら。
――その敵対者たる魔王のチカラは、どこから来たのか?……とな」
「それは……」
それこそ分からん、と首を振ろうとして――。
俺は、ハイリアの言わんとしていることに気が付いた。
「…………まさか」
脳裏を過ぎったのは……数日前のハイリアの言葉。
亜里奈の背に浮かんだ、〈世壊呪〉の紋様と……。
アルタメアの魔王のチカラを表す紋様……。
それらがまったく同じだった、という――。
「……そうだ、勇者よ。
キサマに、エクサリオ――分かっているだけで2人もの『アルタメアを救った勇者』がこの世界にいるのなら。
あるいは、魔王のチカラも――。
もとは〈世壊呪〉と呼ばれたそれが……世界を渡った結果ではないだろうか?」
「だけど、〈世壊呪〉は……。
これまで〈聖鈴の一族〉ってのが〈祓いの儀〉で――って……」
言葉に詰まった俺に対し……ハイリアは、小さくうなずいた。
「……うむ……。
ともすれば、〈祓いの儀〉は〈世壊呪〉を消し去るのではなく――。
そもそもが。
〈世壊呪〉を、異世界へと『追い払う』――。
そのためのものであるのかも知れん」




