第204話 最強の敵と、しばしの別れを告げる夜のこと
――その夜、余は、いつものように赤宮家の居間でゲームに興じさせてもらっていた。
いや……いつものように、というと語弊があるだろうか。
今宵は、メンツに欠けがある――そう、勇者がいないからだ。
「うーん……お兄、大丈夫かなあ……」
余と聖霊が、戦争もののシミュレーションゲームで対戦している中……。
見物人に徹している亜里奈が、テーブルに広げたおやつ――チョコチップ入りクッキーの〈カンとチー貴婦人〉を、ぽりぽりと愛らしく頬張りながらつぶやく。
ちなみにこのクッキー、麻雀大好きな貴婦人が、卓を囲みながら食べられるよう考案したもの……とかいう触れ込みだそうだが、その真偽のほどは不明である。
あと、『カンとチーでなぜポンが無いのか』という謎もあるそうだが……麻雀については余もまだ良く知らぬので、何とも言えん。
……まあそれはさておき、勇者がどうしたのかと言うと……。
勇者が、おスズの父親と面と向かって話をしたという日から、今日で4日。
どうやら今夜、おスズの両親は関西へ帰るらしく……。
ヤツはその見送りに行っている、というわけだ。
「まあ、話を聞いた限りでは、気にするほどでもないと思うがな。
そもそもがヤツは、口先で相手を丸め込んだというわけではないのだ――そのままバカ正直にぶつかる限り、およそ失敗と言うような失敗はするまいよ。
……ゆえに大丈夫だ、亜里奈」
「あ……はい……」
「ですねー。その程度のミッションすらこなせないようなヘナチョコソルジャーに育てた覚えはないですしー……って!
――ぬおお、工場からロールアウトしたばかりの自走砲がああッ!」
余の指揮する軍所属の爆撃機隊による決死の攻撃に、生産したばかりの虎の子の駒を無残にも破壊された聖霊が、コントローラーを持ったままソファをゴロゴロと転がる。
……その勢いに、コントローラーごと引っ張られたアンティーク(らしい)ゲーム機は耐えられず……。
いきなり、テレビの画面が原色の幾何学模様めいたものになったと思うと、『ヴィ〜』という潰れた耳障りな音を延々と流しながら――ゲームが止まった。
「………………」
「………………」
セーブは…………しばらくしていない。
と、いうかこれは……アレだな。
データごと飛んだかも、とかいう状態だな。恐らく。
こういう『カセット』でプレイするゲームは、衝撃などであっさりデータが飛ぶと、養父上や勇者が言っていたが……。
「…………聖霊。キサマ、ペナルティだ。
次、5ターンの間行動を禁じる。――分かったな?」
「――がっでむ! ンなの、負け確定じゃないですか〜ッ!」
「反則負けにしないだけありがたいと思え。
そもそもキサマ、このゲーム機が壊れたら、養父上にどう償うつもりだ?」
「うぐぐ……っ!
ぱ、パパさんにはあとで、『乱暴に扱ってゴメンナサイ』しておきます……」
「……よかろう。
ならば、ペナルティは1ターンだけにしてやる」
――聖霊をあしらいながら、ゲーム機の電源を入れ直す。
そうして、幸いにもデータが残っているのを確認、ゲームのリトライの準備をする間……気を取り直した聖霊はクッキーの封を破りつつ、亜里奈の方を向いていた。
「……そう言えばアリナ……。
さっき、ママさんからなんかチケットみたいなの、渡されてませんでした?」
「ああ……アレ?
後で話そうと思ってたんだけど……常連さんからもらったプールの無料チケットだよ。
それも、遊園地の結構大っきいプールのやつなんだ」
「……ほほう?
それはアレですか、テレビのCMとかでやってる、デッカい滑り台みたいなのがあったりするようなやつですか!」
「そうそう、そういう、ただ泳ぐだけじゃなくていろいろ遊べるプールのチケット!
……なんだけど……」
そこで、どういうわけか亜里奈のテンションが下がる。
「――なんだ、どうしたのだ?」
「はい、実は……。
チケットの有効期間が、その……お兄やハイリアさんたちが行くことになってる旅行の日程とカブっちゃってて……」
「……ふむ……」
……そう。
余を含む堅隅高校2-Aのいつもの面々は、来たる8月の頭に、イタダキの家の別荘を利用して、2泊3日の旅行に行くことになっていたのだが――。
「つまり、我らは共に行けぬ、というわけか」
「……そうなんです。
でも、せっかくもらったんだから、使わないともったいないし……」
「構わぬではないか。
我らも我らだけで旅行に行くのだ、せっかくの夏休み、お前たちもお前たちで楽しめば良い。
アーサーや凛太郎に見晴といった、クラスの友人を誘えばよかろう」
「はい、まあ、そうなんですけど……」
どこか煮え切らない態度の亜里奈。
どうしたのかと思っていると……。
「はは〜ん?」と、聖霊のヤツめがしたり顔で目をキラリと光らせた。
「これはアレですね……アリナ!
せっかく買った新しいカワイイ水着を、勇者様に見てもらう絶好の機会なのに残念無念……というわけですねっ?」
「え――ちょ、アガシー、べ、別にそんなのじゃ……!」
「そーですよねー、なんだかんだあって結局、まだ、新しい水着を着た最高に愛らしい姿を見せてやってないですもんねー。
……よーし、こうなったら――!」
聖霊はクッキーを口に放り込み、丸呑みのような速さで食ってしまうと――
赤くなって止める亜里奈をよそに、高々と拳を突き上げた。
「勇者様が帰ってきたら、水着お披露目ショーとしゃれ込もーじゃないですか!」
* * *
――あのステーキハウスでの一件から、4日後の夜。
俺は、改めて鈴守家の前にやって来ていた。
今日、鈴守の親父さんとオフクロさんが関西の方へ帰り……そして明日には仕事でアフリカに発つとのことで、その見送りのために。
俺なんかが、そんな家族の場にお邪魔していいのかと思ったけど……。
なんせ、呼び出しをかけてきたのは当の百枝さんだ、来ないわけにはいかなかった。
数日前の夜、初めて会ったときに乗っていた白いセダンへ荷物を積み込んだ親父さんたちと……。
俺は、見送る鈴守やドクトルさんの側に並んで立って、向かい合う。
「裕真くんともご家族とも、せっかく仲良うなったのにねえ。
もうお別れて、寂しいなあ……」
「そうですね……俺もです」
笑顔はいつものことながら、それでも言葉通り少し寂しそうに見える百枝さんの言葉に、俺も大きくうなずく。
――百枝さんは、〈天の湯〉を気に入ってくれたみたいで、この短い間にも何度かお客として来て……亜里奈やアガシー、ハイリアとも親しく接し、さらにそんな俺たち赤宮4兄妹に、昼飯を――こっちは普通にファミレスで――ご馳走してくれたりした。
一方の親父さん――杜織さんは、アフリカ行きの仕事に関係して、こっちの大学の先生と話し合いとかがあったみたいで忙しそうにして、そうした場に顔を出したりはしなかったけど……。
そんな杜織さんが百枝さんと一緒に、「都合が合えばぜひ」って提案して、うちの父さん母さんと、先日の夜、大人4人で飲みに行っていた。
親同士の飲み会とか、いったいどうなるんだって戦々恐々とした俺だったけど……。
どうも、俺や鈴守のことでもめるどころか……普通に意気投合して、大いに盛り上がったらしい。
……だからって、杜織さんの俺に対する態度が目に見えて軟らかくなった――ってわけでもないんだけどな。
今日のこの場でも、まったく笑顔とか見せてくれないし……。
まあそれでも、初めて会ったときに比べれば、ゼンゼン普通に接してもらえてると思う……多分だけど。
「そうやねえ……今はちぃちゃんもおつとめがあるし、ウチらもバタバタしとるけど……。
いずれ落ち着いたら、うちまで遊びに来ぃな? 歓迎するで〜?」
「――あ、はい! ぜひ!」
百枝さんの提案に、反射的に全面同意してから、ハッとなって杜織さんの方を見ると……。
なんかシブいような顔をしているものの……その口から、苦言とかは一言も出なかった。
……心情的には複雑なところもあるけど、百枝さんが言い出したことだし、明確な反対もしづらい――って感じなのかも。
「……改めてクギを刺しておくがね、赤宮くん。
私は、キミと千紗の仲を認めたわけではない。
だが……。
遠くアフリカに行く私たちでは、この先しばらくは、千紗の力になってやることが出来ない。
ゆえに……どうしても、キミの『親しい人間』としての助けをアテにする必要がある。
他の友人の子たちとともに、『親しい人間』として、千紗の力になってやってほしい。
……くれぐれも、カン違いをすることなくな」
真剣なだけともニラんでるとも判別がつきにくい目付きで俺を見、『親しい人間』ってところを特に強調しながら杜織さんが言う。
鈴守があきれたような表情で、「お父さん……」と苦言をこぼすが……。
……まあ、俺としては、今はそれぐらいでいい。充分だ。
『あの子を幸せにするための努力を見せろ』――と。
杜織さんにそう言われたように、俺もまだまだ自分を磨かなきゃいけない、未熟なガキんちょなんだもんな。
まだまだこれから、ここから――ってことだ。
「もちろんです。俺の持ちうる力の限りで、助けになります。必ず。
でもそれは……。
あくまで、ただ、俺がそうしたいから――です」
「赤宮くん……」
鈴守が俺を見てくるのに、ニッと笑ってうなずき返す。
対して、杜織さんは大きくタメ息をつき……百枝さんとドクトルさんは快活に笑っていた。
「キミというやつは、本当に……いちいちこちらの予想を妙な角度で踏み越えてくれる。
――まあいい……頼んだからな?」
俺は即座に、はい、と力を込めて答える。
続けて杜織さんは、鈴守へと視線を向けた。
「じゃあ、千紗――。
お役目は大変だろうが……頑張ってくれ。
……くれぐれも、ムリはし過ぎないようにな」
「うん……大丈夫。
ウチはまだまだ未熟やけど……助けてくれる人たちが、いっぱいおるから」
笑顔で答えて、鈴守は両隣に立つドクトルさんと俺に交互に視線を振る。
……改めてそんなカワイイ笑顔で見られると、俄然やる気が出る俺は、やっぱり単純なんだろうか……。
いや、仕方ないよな、当然だよな、うん!
「……そうか。そうだな。
――母さんも……千紗のこと、今後もよろしく頼む」
「分かってるよ、安心しな。
トオ、アンタらも……まあアンタらのことだ、心配するほどでもないが……。
出来るときには、ちゃんと連絡を寄越すんだよ?」
「……ああ、もちろん」
「――ほんなら、そろそろ行きましょか、トオさん?
名残惜しいけど、もうええ時間やしなあ」
「そうだな。それじゃあ――」
「……お父さん、お母さん!」
杜織さんと百枝さんが車に乗り込もうとしたところで……鈴守が声を上げた。
「身体に……気ぃ付けてね……!」
きっと、他にもいろいろ言いたかったんだろうけど……結局、鈴守の口をついて出たのはその一言だった。
でも……きっと、それで充分なんだ。
なんせ、親子なんだもんな……それで充分、通じてるんだ。
その証拠に、2人は笑顔で「ああ」「ちぃちゃんもね」と答えるにとどめる。
そうして……。
ドクトルさんと鈴守だけじゃなく、俺にも(杜織さんも一応は)手を振って。
杜織さんたちの乗る車は……静かに、この場を後にしていった。
「お父さん、お母さん……!」
両親の車を、ほんの数歩だけ追いかけた鈴守は――。
そのまま、車が視界から走り去っても……しばらくそこに、立ち続けていた。
* * *
「……まったく、いつもながら突然だな……」
私は思わず、何度目になるか分からないグチをこぼしながら、ここ柿ノ宮の裏路地を歩く。
もう夜も遅い時間、わざわざこんな人気のないところまで出てきたのは、そうするように指示されたからに他ならない。
――カムフラージュとしての〈広隅市地域振興課〉ではなく……。
本来私が所属する〈諸事対応課〉の上司である課長から、いきなりメッセージが送りつけられてきたのが、今日の昼のことだ。
それによれば、私の調査の手伝いにと、政府筋から人員を確保してくれていたらしい。
そして、すでに私とは別に調査を進めていたというその人間と、改めて情報の擦り合わせをするよう指示が下り……。
指定されたのが、この時間のこの場所――。
裏路地の途中にある、小さな空き地というわけだ。
「……あれれ? 西浦さん?
こんなトコでどしたんですか?」
空き地の方に注意を向けていた私は、唐突に背後から声をかけられて驚く。
あわてて振り返ると……建物の陰になっている狭い道から、ひょっこりと制服姿の少女が出てくるところだった。
この子は――何度も〈常春〉で出会ったことがある。
確か、そう、鳴ちゃんの友達の……塩花美汐くん、だったか。
「キミこそ……こんな時間にこんな場所でどうしたんだ?」
「ああ、ここ近道なもんで。
――でも、まさか人がいるなんて思ってなかったから、ビックリしたなあ」
「まったく……。
そんな人気がない道を、こんな時間に女の子が1人で通るのは感心しないな。
……しょうがない、大通りまで付いていってあげるから、早く帰りなさ――」
「0点」
「…………は?」
いきなりの0点宣言に、私は目を瞬かせる。
もしかしたら、いきなり説教じみたことを言ったのが気に障ったのかと思ったら……。
「――そういうトコ、ですよ」
言ったが早いか、いつの間にか私の懐に潜り込んでいた美汐くんは――首元に手刀を突きつけてくる。
「――――っ!?」
彼女の白く細い指の先、カラフルに彩られたネイルが……。
街灯に反射して、ギラリと不穏に輝いた。