第203話 彼女を巡る、勇者と父の覚悟の行方
……聞き間違い……じゃない、よな。
親父さんは、今、確かに俺に尋ねた。
――そうしろと言われれば、すぐにでも結婚する覚悟があるか? って。
「………………」
もちろん、本当に今すぐ結婚しろってわけじゃないだろう。
そもそも年齢的にムリだしな。
けど、これは……。
「……キミも、千紗が『家業』の神事のために、わざわざ実家を離れて広隅へ来たことぐらいは聞いているのだろう?
しかもその神事についての詳細は、キミたち親しい人間でも教えられていないはず。
なぜならそれは、長い年月受け継がれてきた伝統に基づき、一族と関係の無い者は決してかかわらせることが出来ない――そんな秘匿性の高い特殊なものであるからだ。
そして千紗は、そんな神事のための〈巫女〉に選ばれたわけだが……。
その〈巫女〉は同時に、宗家――つまり、いわば鈴守家の本家中の本家といったところだが――そこの人間にとって、とても特別な存在でもある。
一族の『要』――そんな風に喩えてもいいぐらいに」
……鈴守家というのが、実際にどれぐらい大きなものかは、俺には分からない。
でも、そんな伝統ある神事をずっと守り続けてきたぐらいだから、ただ古いばかりじゃなく、名家とか言われるような、相当な家柄なんだろう。
それほどの一族の『要』というぐらい中心的な存在に、娘が選ばれる――。
それは、イメージだけで言えば、名誉なことだ、とか喜んだりしそうだけど……。
そのことを語る親父さんの表情は、むしろどこか苦々しいっていうか……あまり良いものじゃないのが、印象的だった。
「……鈴守家というのは古い家柄ゆえに、特殊であると同時に、旧態依然とした部分も少なからずあってな。
一族の『要』となる〈巫女〉に選ばれた娘が、伴侶となる者以外の男と付き合っていたことがある――などという醜聞めいた話なぞ、宗家は極端に嫌うのだよ。
いや、それどころか……。
本人の意志に関係無く、自分たちに都合の良い相手を、伴侶としてあてがおうとすらするかも知れん。
――だから、私はキミに問うたのだ。
そんなことになるより先に、千紗のたった一人の相手となるべく、すぐにでも結婚するだけの覚悟はあるかと。
この、明らかに普通とは一線を画す、我が一族の一員となる覚悟があるかと。
もし、それを持ち得ないようならば――だ。
千紗だけでなく、キミの今後のためにも……今のうちに別れる方が賢明だろうな」
「……そう、ですか……」
俺は、ぽつりとつぶやき……ブラックのままのコーヒーを口に含んだ。
鼻を抜けて広がるのは、程よい酸味と苦み……そして、良い香り。
専門店ほどじゃないにしろ、充分に美味いコーヒーなんだろう……きっと。
――そう、きっと……だ。
今の俺は、それを美味しいと感じる余裕がなかったから。
なぜなら――
「…………クソっくらえだ」
なぜなら、少しばかり……頭に来ていたからだ。
「……なに?」
「クソっくらえだ、って言ったんですよ。
鈴守は……あの子は、自分が望んだわけじゃないのに――でも家の事情だからって受け入れて、その〈巫女〉としての役目を果たそうと、一生懸命頑張ってます。
……なのに、その挙げ句が……。
一族の『要』だからと、体裁やメンツを重んじて、結婚相手まで勝手に決められる?
それが伝統だって言うなら――そんなものは、クソっくらえだ。
――そして……!
だからって、それを防ぐためだろうと、言われればすぐにでも結婚するか、とか――!
あの子の人生を、あの子自身を、何だと思ってるんです……っ?
結局、どっちも!
あの子を『鈴守千紗』という、一人の人間として扱ってないじゃないですか……!
なら、そんなものは――覚悟でもなんでもない!」
俺は、親父さんの目を真っ向から見据える。
親父さんも、それを受け止めて――。
「ほう?」と、にらむように眼を細めた。
「だから、俺にあるのは――。
何があろうと、『鈴守千紗』という女の子を幸せにしようっていう覚悟。
一番近くで、そのためにチカラを尽くそうっていう覚悟。
……それぐらいです」
熱くなりすぎないようにと意識しながら……。
しかし俺は、つい、拳を固く握り締める。
コーヒーカップを持ったままだったら、取っ手を潰していたかも知れない。
「……俺が好きなのは、『鈴守千紗』です。
家のためにと、決められた神事をこなす〈巫女〉であるかも知れないけど――同時に、普通の女の子でもある、一人の人間です。
そして俺は、だからこそ、そんな彼女と、自分たちの意志で幸せになりたい。
誰かに決められたからとか、あるいはそれから逃げるためとかじゃなく――。
互いに一人の人間として、互いの意志で、一緒にいることを選びたいんです……!」
「………………。
過程はどうあれ、千紗と一緒になるということは、キミもまた、そうした一族の中に入ること――その一員となることだぞ? 結局は同じことじゃないのか?
それとも、まさか――。
駆け落ちすればいい、とでも言うつもりかね?」
親父さんが、あからさまに顔をしかめる。
だけど、当然――俺の答えは、否、だ。
静かに首を横に振る。
そうして――キッパリと、一言。
「変えてやります」
「…………なに?」
「そこにあるのが、どれほどの伝統かは知りません。
けど――。
体裁やメンツのために、場合によっては本人の意志も無視して結婚を決めたり――そんなことが、当たり前のようにまかり通るっていうのなら。
それが、旧家としての鈴守家のやり方だというのなら……。
――俺が、変えてやります。その体質ごと。
俺たちが、俺たちのままに幸せでいられるように。
誰かを不幸になんてしないように。
決して逃げずに……真っ正面から、何度でも立ち向かって」
そんな、俺の……間違いなく、想像をはるかに吹っ切っただろうバカげた発言に、親父さんは絶句する。
……まあ、そうだよな。
ガキが何を言ってるんだ、ってなもんだろう。
だけど……それを言うなら、アルタメアのときもそうだった。
魔王――引いては魔族と和解して、今後争わなくて済むようにするとか……何をバカなことをって、誰もがあきれていた。
誰も、本当にそんなことが出来るなんて思ってなかったんだ。
……もちろん、鈴守家の問題が同じだなんて思わない。
これまで上手くいったんだから大丈夫――だなんて、うぬぼれるつもりもない。
でも――
「バカげてるとか、ムリだとか言ってたら。そうして諦めてたら。
何も変わりませんから……絶対に。
だから、俺は――それがどれほど困難な道だろうと、選びます。
鈴守家のその体質が、もっと良くなって……。
そして、俺たちが、より幸せになる道を。
……それこそ、何度だって――どこまでだって」
「……世の中のことをロクに分かってもいない子供が……。
具体策も無い青臭い理想ばかりを並べ立て、出来もしないことをただ勢い任せに、なんとも声高に吠え立ててくれるものだ――」
親父さんは、ジロリと音がしそうな迫力で俺をにらみつける。
だけど――今の俺には、緊張とか遠慮なんてものは一切なかった。
これが、この先の鈴守を守ることにも繋がるなら――退くという選択は無い。
無礼だろうが、何だろうが……。
真っ向から、真っ直ぐに。その意志を込めて――見返す。
――そうして、にらみ合うこと数秒。
いきなり、親父さんは……ふ、と小さく苦笑をもらした。
「……と、そうあきれ果てたことだろうな。
それを言ったのが――赤宮くん、キミでなければ」
「…………え……?」
「不思議なものだ。
キミとて、ただの高校生に過ぎないというのにな……。
その途方もなくバカげたことを、しかしキミならやりかねない――と。
……私ですら、そう感じてしまうのだから」
雰囲気から険を落とし、穏やかな調子でそう言って、親父さんは……。
ゆったりと、ウマそうにコーヒーをすすった。
「……安心したまえ。
鈴守家が特殊な家柄であり、古めかしいところが多く残っているのは事実だが……。
千紗を無理矢理、意志を問わずに結婚させるようなことはしないだろうし……ゆえに当然、それを避けるためにキミに結婚しろとも言う気は無い。
――そもそも、だ。
そんな暴挙はまず、誰よりこの私が許しはしない」
「……は、はあ……。
――って、え? じゃあ、今の話は……」
「お察しの通り、キミを試させてもらった。
――少々意地が悪かったことはすまないと思うが」
フッ、と鼻を鳴らして微かに笑う親父さん。
その様子が、誰かに似てると思ったら……ああ、ドクトルさんだ。
……そっか、そう言えばこの人、あのドクトルさんの息子だったんだよな……。
――なんか急激に気が抜けた俺は、魂ごと抜け出そうなタメ息をつく。
いや、だってだよ?
もうこりゃ、ご機嫌窺いとかナシで、親父さんとガチのケンカになるのもしょうがない――とか、それこそ覚悟したんだからさ……。
なんとなくで口に運んだコーヒーの味も、今度はまた別の意味でよく分からなかった。
「それにしても、まったく……。
母に妻に娘と、うちの女性陣が3代揃って認めるだけのことはある、といったところか。
好青年――どころじゃない、一種の傑物だな、キミは。
さすがにこうなっては、私もキミの人間性を認めないわけにもいくまい――」
「――――え。
あ……! じゃ、じゃあ――っ!」
「――だが」
一瞬喜びかけたところに、また、『だが』の2文字がブッ刺さる。
……親父さんのクセなのかも知れないけど、この話の運び方、心臓と胃に悪いよ……。
「あくまで、認めたのは『人間性』。
千紗との仲については、また別――というものだ」
「え……ええ〜……っ?」
「文句があるかね?
認めて欲しいなら、この先ももっと努力を見せてもらわなければな……。
――あの子を、幸せにするための」
俺から視線を外し、ゆっくりとコーヒーを飲む親父さん。
……え、いや、あれ? 今のって、もしかして……。
――思わず、俺がもう一度聞き直そうとした……ちょうどそのとき。
店の入り口が勢いよく開いて……女の子が1人、息せき切って飛び込んで来た。
反射的にそちらを見ると、その子は――
「え――す、鈴守っ!?」
……見間違えるはずもない。鈴守千紗その人だった。
「え、なんでここに――」
「私があらかじめ連絡していた。
……この時間、この店に来なさい――とね」
俺の当然の疑問には、親父さんが、スマホを振りつつ答える。
「しかし、ふむ……まさしく時間通り、といったところだな」
「…………。
それでお父さん、なんの用でウチを呼んだん……?」
鈴守が、俺の方を気にしつつ、真剣な顔でそう尋ねると――。
親父さんは、スーツのポケットから、折りたたまれたメモらしいものを取り出して……鈴守に手渡す。
「アフリカ行きに際して、少々足りないものがあるのを思い出してな……。
この近くにショッピングモールがあるだろう?
そのメモに書かれてあるものを買って、家に運んでおいてもらえるか?
……私は、他に少し用事があってな」
「……お使い? それはええけど――」
「――ああ、そうだ。
少々重いものもあるから、荷物持ちもいた方がいいだろう――」
怪訝そうな鈴守の言葉をさえぎって、親父さんは俺を見る。
「……というわけだ、赤宮くん。
昼食をご馳走した代わりと言ってはなんだが、千紗の買い物を手伝ってもらおうか」
「…………え…………」
俺は鈴守と、思わず顔を見合わせる。
そして――親父さんの意図を察すると、勢い込んで立ち上がった。
「は、はいっ! 行きます!」
「お父さん……!」
「――千紗。分かってるだろうが、単なるお使いだ。
夕食までには、ちゃんと帰りなさい」
用はそれだけ、とばかりに……。
口々に礼を言って、店を出ようとする俺たちにそっぽを向いたまま。
親父さんはまた、ゆったりと……コーヒーに手を伸ばしていた。