第202話 ド庶民勇者は、鉄板に負けじと熱くいられるか?
――中学生の頃のことだ。
うちのばっちゃんが、遠くに住んでる友達のところに行く用事が出来たんだけど……そのとき、タイミング悪く足をケガしてて。
動けないわけじゃなかったし、ばっちゃんは「大丈夫」って言ってたものの、やっぱり1人だと不安だって家族内で話が決まって……仕事があるじっちゃんと父さん母さんに代わって、俺が付き添ったことがある。
そのときだ、ばっちゃんの友達が俺に気を遣ってくれて、せっかくだから美味しいものを食べに行こう、って連れて行ってくれたのが……。
――そう、今まさに俺がいる、ここみたいな……。
それまでテレビの中でしか見たことがなかった、デカい鉄板のある、いわゆるステーキハウスって呼ぶような――いかにもお高い店だった。
「……何でも好きなものを頼みなさい」
鉄板を挟み、シェフを前にしてのカウンター席で――。
隣に座ったスーツの似合う紳士が……俺に、すでにこれ自体が相当に高そうなメニュー表を差し出してくる。
その紳士とは……もちろん、鈴守の親父さん、杜織さん。
つまり、今、俺は――
鈴守の親父さんと2人きりで、人生2度目のステーキハウスにいるのだった。
で、まあ、なんでこんなことになっているのかといえば――。
……うん。
連れて来られたから、としか言いようがなかったりする。
――昨夜遅くに亜里奈と話したこともあって、覚悟を決めた俺は。
昼前、〈世夢庵〉の抹茶プリンを手みやげに、鈴守家を訪ねたんだが……。
チャイムを鳴らして出てきたのが、いきなり親父さんだった。
当然、緊張感は跳ね上がったけど、そもそもの目的が親父さんと話をすることだったんだから、ここで怖じ気づくわけにはいかない――と、挨拶に来た旨を伝えると。
「ふむ……ちょうどいい。
私も、キミと話をしなければならないと思っていたところだ。
――昼食は、まだだね?」
そう言って親父さんは、うなずく俺を車に乗せ――。
高稲の繁華街から少し離れた、いわゆる隠れ家的な立地のこの店に連れてきた……というわけである。
……なので、この流されるままの展開に、俺は正直ちょっと困惑していた。
なんせ、あれよあれよという間に、親父さんと2人きり――。
しかも、場所も普通の喫茶店とかならともかく、ド庶民の俺にはロクに縁がない、お高そうな店なんだから。
まあ、つまりは、そんな俺にメニューを渡して「好きなものを頼め」ったって、もうどうしていいか分からないわけで……。
ここはヘタに見栄を張らず、素直に頭を下げることにした。
……いやもう、なんせ値段がすでに、金欠高校生には見てるだけで冷や汗出るレベルだからさ……。
「……すいません。
俺、こんな店ほとんど来たことないから、勝手とかゼンゼン分からなくて……。
その、何をどう頼んだらいいのかも……」
「そうか、分かった。
なら、私に任せてもらっていいかね?」
「あ、はい、お願いします」
「食べられないものは?」
「あ……大丈夫です。アレルギーとかも、好き嫌いも特にありません」
……何せ、異世界を旅するのに、好き嫌いなんて言ってられなかったからなー……。
そう、迷宮内でたった1人、丸2日間迷いに迷った挙げ句……空腹に耐えかねて、魔法で凍らせたスライムを食った瞬間だ……。
あのとき俺は、もう何でも食えるんだなー、と、一種の悟りっぽいものを開いた気がする。
……ちなみにだが、ソルベにしたスライムは(種類にもよるが)わりとウマい。
血抜き処理をしないで食う獣の肉なんかより、よっぽど。
「では、飲み物は?」
続けての親父さんの問いに、ちょっと思い出に浸っていた俺は、改めてソフトドリンクの欄に目を落とすものの……。
居並ぶ値段に打ちのめされ、すぐさま考えるのを止めて、パタンとメニューを閉じた。
「その……水だけでいいです……」
* * *
「ふぬぉぉぉっ!
必・殺! 犬かきならぬ、ヘルハウンドかぎゃぼがぼぼ……っ!」
スゴい速さで犬かき――じゃない、ヘルハウンドかき(?)するアガシーが、それに比例する速さで水の中に沈んでいく。
「あ〜、も〜……。
そりゃ、ただジタバタするだけじゃ沈むに決まってるでしょ……。
それにヘルハウンドだと火属性っぽいから、水はダメなんじゃないの?」
あたしは呆れながら、底についたアガシーが諦めて立ち上がるのを待つ。
――今日は朝から、アガシーの泳ぎの練習のために、学校のプールに来ていた。
解放日のプールは、もちろん授業じゃないから自主参加なんだけど、ここのところ暑くて天気も良いからかな、思ったより来ている子は多い。
……なので。
別に示し合わせたわけでもないのに、朝岡と真殿くんまでいっしょになっていた。
「ぶはははは!
軍曹、なんかスゲー勢いで穴掘ってるみてー!」
アガシーの様子に朝岡が大笑いする中……。
触らぬ神に何とやら――とばかりに、そっと離れる真殿くん。
さらにインコのテンテンまで、定位置の朝岡の頭から、ニガテなはずの真殿くんの方へ避難していた。
そこへ、ざばんと立ち上がったアガシーは……。
「………………。フンッ!」
キャップを取るや否や、水に濡れたキレイな金髪をムチのように振り回し――笑う朝岡の顔面に、強烈な濡れ髪ビンタを食らわせた。
――バチン! って、実に痛そーな音といっしょに、そのまま水の中にダウンする朝岡。
……ホントバカだなあ、コイツは……。
「ナメたこと抜かしてやがると営倉送ンぞ、このクソ新兵めが! がるる!」
「軍曹。あんまり汚い言葉を使うな――と、常々言っているハズだが?」
続けて、あたしがじろっとニラむと……。
アガシーは、あわてて姿勢を正して敬礼してくる。
「いい、いえしゅ、まむ!」
「まったくもう……。
あんまりヒドいと、またおばあちゃんにお説教されるよ?」
「お、おばーちゃまのお説教はカンベンであります! ガクブル……」
ぶるっ、と身震いするアガシー。
……うちのおばあちゃんは普段優しいけど、厳しいところはちゃんと厳しい人だから、孫のあたしやお兄はもちろん、アガシーや、時にはハイリアさんだって、お行儀が悪かったりだらしないこととかしてると、キッチリ怒られる。
特にアガシーはこんなだから、よくお説教されるんだけど……。
じゃああんまり仲が良くないのかっていうと、実はその真逆で。
手のかかる子ほど――ってやつなのか、おばあちゃんはアガシーを可愛がってるし、アガシーも、なんだかんだでおばあちゃんに良く懐いてたりする。
アガシーにしてみたら、怒ってもらえるってことは、ちゃんと見てもらってるってことでもあるから……それが嬉しいのかも。
……アルタメアで聖剣を護っていたときは、長い間、ずっと独りだったって聞いたし……。
「いってて~……。
――あ、そー言やさ、師匠って今日どうしてんの?」
しっかり赤くなったほっぺをさすりながら起き上がった朝岡が、ふとそんなことを聞いてくる。
あたしとアガシーは顔を見合わせると、どちらからともなく、「んー」とうなった。
「まあ、なんと言いますか……」
「うん……ある意味、ラスボス以上の強敵と戦闘中……かな。
うまく会えてれば、だけど」
「――え! なにそれ、スっゲえバトルな感じ!
くっそー、オレも師匠に認められてれば、連れてってもらえたのかなあ……!」
「残念ながら、これは一種の試練だから……朝岡、アンタの出番は無い」
ゼッタイにするだろうと思ったカン違いを、予測通りキッチリしてくる朝岡。
そのヘンな期待は、当然バッサリ切り捨てておく。
「え、なに、試練って!? スゲー!」
「…………。
お兄は、彼女さん――アンタも知ってるでしょ? 千紗さん。
その千紗さんのお父さんに会いに行ってるの。
――それが大変なことだってぐらい、お子サマのアンタでも分かるよね?」
あたしの言葉に、朝岡は分かったような分からないような顔で曖昧にうなずく。
………………。
やっぱり、思考レベル小3のコイツにはまだ早かったかあ……。
「……それにしても、父親、ですかー……。
生みの親ともなると、やっぱりわたしにとってのパパさんたちとは、また少し違ってるんでしょうねー……」
一方アガシーは眉間にシワを寄せて、腕組みしながら、う〜ん……とうなっていた。
……そっか、アガシーは聖霊だから……。
直接の親――的な存在はいない……のかな。
もしかしたら、そのことすごく気にしてたりするのかな――って、少し様子を窺ってみるけど……。
幸いに、って言えばいいのか、少なくともアガシーはあまりそれを気に病んでる様子はなかった。
そして――
「あ〜……でも」
そうかと思うと、ポン、と何かを思いついたように手を打つ。
「わたしという存在自体が、いつ頃生まれたのかははっきりしませんが……。
『アガシオーヌ』という名前を付けられたことで、その時点から自我が芽生え始めたんだと思えば……。
あるいは、名付けてくれた初代勇者こそが――。
わたしにとっての、親みたいなもの――なのかも知れませんねー……」
* * *
「……ごちそうさまでした」
多分、一種のコースになっていたと思われる料理を食べ終えた俺は、食後のコーヒーを前に、鉄板の向こうにいるシェフに、そして親父さんに、続けて手を合わせる。
大きなエビやらホタテやらの海鮮に、野菜、そしてとろけるような肉――といったメインの焼き料理と、すごく味の深いコンソメスープに、焼き飯……じゃなかった、ガーリックライス。
もしかしたら、緊張で味なんて分からないかも、って思ってたんだけど……。
俺もわりかし図太いというか、あるいは覚悟を決めていたからか……。
この先、次に同じようなものを食べるのはいつになるだろう――って、思わず浸ってしまいそうになるほど、しっかりと、この豪華すぎる昼食を堪能させてもらった。
「……良い食べっぷりだったな。
緊張している様子だったから、あまり喉を通らないかとも思ったが」
砂糖だけを入れたコーヒーをゆっくりとかきまぜながら、親父さんはそう言った。
それは、皮肉……ってわけでもなく、ちょっと穏やかにも見える表情からして、キレイに全部平らげた俺に、素直に感心してくれてる感じだ。
……そう言えば、鈴守もご飯は残さずキレイに食べるからな……鈴守家の方針みたいなものなのかも知れない。
まあ、ある意味当たり前というか……うちだってもちろんそうなんだけど。
「さて――では本題に入ろうか、赤宮くん」
「! あ、はい……!」
親父さんの改まっての一言に……。
俺は、コーヒーに伸ばしていた手を思わず引っ込め、姿勢を正した。
「……千紗が、キミをどれだけ想っているかは、昨夜、本人の口から聞いた。
そして――。
同時に、キミが千紗をどれだけ想っているのかも……妻に教えてもらった。
そう――信用がおけないと判断すれば、目上の人間だろうときっぱり一線を引くようなうちの妻が、キミのことはなんとも気持ち良さそうに話していたよ。
……愛情の最も良い形を心で理解している、とね」
「……百枝さんが……」
――俺は、昨日の百枝さんとのやり取りを思い出す。
悪い印象を持たれた感じじゃなかったけど、決定的なことは何も言ってなかったから、立ち位置としては中立で保留……ぐらいかな、と思ってたら。
まさか、味方してくれてたなんて……!
ただ、俺自身は、そんなにご大層なことを言ったつもりなんて無いわけで……そこのところが、少し申し訳ないような気もするけど……。
「それに……昨日、キミの妹さんたちから訴えかけられた件もある。
単なる身内びいきというだけでは、ああも一生懸命にはならないだろう。
つまりキミは、私が思っていたよりもずっと好人物だった――ということになる」
物静かにそう告げて、親父さんはコーヒーで唇を濡らす。
「だが――」
これは、思ったよりもすんなりと認めてもらえる……?
――とか、期待した途端。
それをひっくり返すみたいに、親父さんは二の句を継いだ。
「鈴守家は、キミが思っている以上に特殊な家系でな。
これが普通の家なら、キミが千紗と節度を持って付き合うことに、もはや異論を挟む余地はないのだろうが……そうもいかないのだ。
そこで――だ。
千紗はもちろん、キミの今後のためにも、聞かねばならないことがある」
そう言って――親父さんは、にらむように真剣な眼を、俺に向ける。
これは、決して退いちゃいけないものだ――そう悟った俺も、真っ向から受け止める。
そうして、親父さんは……。
おもむろに、重々しく――その言葉を口にした。
「赤宮くん、キミは……。
そうしろと言われれば、すぐにでも千紗と結婚する――。
……それだけの覚悟が、あるかね?」