第201話 良く出来た妹は謝りたくても、兄貴な勇者はそうさせない
――深夜……日付も変わって、1時過ぎ。
クーラーのかかった自分の部屋で、ベッドに大の字になって涼みながら……俺は、寝るわけでもなくいろいろと考え事をしていた。
いや、今日はうちの手伝いもしたし、ハルモニアとの戦いもあったしで、身体はそれなりに疲れてるから眠いハズなんだけど……。
……なんか、眠れなかった。
問題は……やっぱり、鈴守の親父さんとオフクロさんのことだと思う。
明日にでも早速挨拶に行くべきか、もう少し様子を見た方がいいのか……。
俺らしくないと思いつつも、つい、どうするのが一番いいんだろう――って、考えちまうんだ。
「うーむむむぅ〜……」
ゴロゴロと、うなりながら寝返りを打つ俺……。
――部屋のドアが、控えめにノックされたのはそんなときだった。
もしかしたらアガシーのヤツが、なんか深夜番組を一緒に見ようとか誘いに来たのかも知れない。
アイツ、なんだかんだでさみしがりだからなあ……1人で、とか結構イヤがるんだよな。
……まあ、気分転換にはちょうどいいか……。
そんな風に思ってたら――。
「お兄……起きてる?」
少しだけドアを開け、そっと覗き込みながら小声で呼びかけてきたのは……元気が無い感じの亜里奈だった。
「亜里奈? ああ、起きてるぞ。
……どうした?」
「えっと……入ってもいい?」
「――なんだよ、今日は妙にしおらしいな?
俺の断りなんてなくても、いっつも勝手に入ってくるだろ?」
なんだか元気が無さそうだったから、あえてそんな、からかうような返事をしてやると……。
「そ、それはお兄が、ちゃんと部屋を掃除しないからっ!」
パジャマ姿の亜里奈は、そんな抗議とともに部屋に入ってきた。
……ふーむ……。
声とか表情とか、少し深刻そうというか、不安げな感じではあったけど……。
まあ、こういう反応を返せるってことは、どんな用にせよ、最低でもそれぐらいの余裕はあるってことだな。
……ちょっと安心した。
「制服だって、脱いだままにしてたらシワになるから――って、いつも言ってるのに……!
お兄がそんなだから、アガシーがマネするんだよっ?」
「むぐ……っ。
いやその……ダメな兄貴ですいません、つい……」
寝ていた身体を起こし、ベッドの端に腰掛け直した俺は……。
そのままペコリと、素直に頭を下げる。
……いや、だってさ、俺の脱ぎっぱなしの制服とかをちゃんと整えたりしてくれてるのって、母さんよりむしろ亜里奈の方が多かったりするわけで……。
ここでヘタな反論して機嫌を損ねるわけには――。
……って、あれ?
俺、なんか普通に怒られてるんだけど……用って、もちろんこのことじゃないよな?
「……もう……。
ホントに、お兄は……」
……一瞬見せた、強気な態度もどこへやら。
ふと気付けば、本来の用件――きっとあまり愉快でもないんだろうそれを思い出したからか。
空気が抜けて風船がしおれていくみたいに、視線も肩も下がっていく亜里奈。
その、不安げな様子の小さな姿に……。
俺はなんとなく、亜里奈がもうちょっと幼い頃のことを思い出していた。
そう――。
オバケや怪談めいたものが大の苦手なコイツは、テレビやゲームでバッチリそういうのが出てきたりすると、その日の夜は自分の枕を抱きしめて、こんな風に……俺の部屋に来てたもんだ。
『おにぃはゆーしゃだから、わるいオバケにねらわれるかもしれないから、だから、あたしがまもってあげる』
……なんて建て前で、俺のベッドで一緒に寝るためにな。
その頃にはもう、イノシシの件があって、以前ほど俺に甘えてこなくなってたんだけど……。
オバケの恐怖を前に、背に腹は代えられなかった、ってトコなんだろう。
まあ、さすがに小学校高学年にもなると、そういうこともなくなったし(恐怖を克服したというより、単純にそういうものを察して回避するのが上手くなっただけだと思うが)、もちろん今回だってそうじゃないのは分かってるけど……。
俺はなんとなく、懐かしい気もして――。
その上で、どこか不安げな亜里奈をなだめたくて。
気付けば、明るく笑いかけていた。
そして……自分の隣を、まあ座れとばかりにポンポンと叩く。
「……うん……」
素直に従って、ぽすんとベッドに腰掛ける亜里奈。
「――で、どうした?」
急かしたりしないよう、あくまで何気ない感じに軽い調子で問う。
亜里奈は、俺とは目を合わせず、うつむいたまま……ぽつりと答えた。
「お兄に……謝らなきゃ、って思って」
「……謝る?」
……思わずヘンな声とともに驚きそうになるのをなんとか抑え、自然な感じで相づちを打つ。
しかし――俺に『謝れ』って言うんなら、恥ずかしながら色々とだらしない兄貴だからな、まあ分からなくもないんだが……。
亜里奈が俺に謝るようなことって……なんだ?
……もちろん、いくらしっかり者でも、亜里奈は俺の妹だ。
兄貴の俺から見て、危ないこととか、間違ってるってことをやらかしたときには、ちゃんとその理由を諭した上で叱ってきたけど……。
そんなの、最近はもうほとんど無いしなあ……。
「……うん。
実は、今日の夕方、お買い物帰りにみんなで〈世夢庵〉でお茶してるとき……千紗さんのお父さんに会ったんだけど――」
「……鈴守の親父さんに?」
俺が驚きながら確認すると、亜里奈は相変わらずうつむいたままにうなずく。
「それでね、その……。
昨日の夜のこと、千紗さんから聞いてたから……。
それで、そんな態度取らなくてもいいのに――って、千紗さんのお父さんにちょっとムッとしちゃってたから……。
あたし、熱くなっちゃって……」
「……うん」
「つい、食ってかかっちゃったんだ。
――お兄を認めて下さい、って……」
――そして亜里奈は、昼間、〈世夢庵〉であったことを語ってくれた。
アガシーやおキヌさんも俺の味方をしてくれたことや、自分が、熱くなりすぎておキヌさんに諭されたことまで……詳細に。
「――だって……だってお兄は、誰にも知られてなくても、勇者として、命がけで何回も世界を救ってるのに……!
なのに、好きな人との仲も認められないなんて、あんまりだって思ったから……!」
「……うん」
「でも……。
あらためて考えてみたら、そんなの、あたしの自己満足で……。
千紗さんのお父さんの心証悪くしただけなんじゃないか、って……。
――結局、お兄の足を引っ張っただけなんじゃないか、って……」
「…………そっか」
俺は、大きく息を吐き出しながら、小さくうなずいた。
「で……親父さんは、お前のこと怒ってたのか?」
「え? う、ううん……お兄さん想いだ、みたいには言ってくれたけど……。
でも、よくよく考えたら、あんな場所であたしみたいな子供相手に表立って怒ったりとか、しないと思うし……。
実は、イヤな気分だったりしたんじゃないか――って、気になって……」
「で、こんな時間まで悩んで、やっぱりガマン出来なくなって。
それで、こうして謝りに来た――ってわけか」
「うん――。
お兄のことだから、千紗さんのお父さんとも、あらためてお話ししようって思ってるんだろうけど……。
それを邪魔するみたいな、勝手なことして、迷惑かけて、ごめ――」
「バカだなあ、お前は」
亜里奈のごめんなさいは最後まで言わせず――。
俺は、うなだれる小さな頭の上に、ちょっと強めに手を置いた。
「うん……バカだよね」
「ああ、バカだな。頭イイヤツに限ってやっちまうタイプのバカだ。
……あれこれ考えすぎて、いっちばん大事なことを見落としやがって」
「だいじな、こと……?」
オウム返しに聞き返す亜里奈の頭を……。
俺は、置いた手でくしゃくしゃと――ちょっと乱暴になで回す。
……今日はもう寝るだけなんだ、髪がボサってなっても構わないだろ。
「お前は兄貴のことを、その程度のタマだと思ってたのか?――ってな」
笑いながら、イタズラでもするみたいに……俺はさらに、亜里奈の頭をひとしきりくしゃくしゃし続ける。
そして……亜里奈が顔を上げてこちらを見たところで、手を止めた。
「……もちろん、親父さんが実際どう思ったかは、俺には分からないさ。
もしかしたら、お前が言うように、心証が悪くなったりしたのかも知れない。
だけど――それが、なんだってんだよ?」
――そうだ。
さっきまでは、俺もそうしたことでアレコレ考えてたけど……。
今は本当に、『それがどうした』って思えていた。
「妹のお前が、俺を思ってしてくれたことなら――。
その結果がどうだろうと、全部呑み込んでなんとかするのが……兄貴のプライドってもんだ」
――そうだ。
昼間、ハイリアにも背中を押されたけど……。
亜里奈まで、これだけ気にしてくれてるんだ――俺も腹をくくっていかなきゃな……!
「…………お兄…………」
「だいたい、大ゲサなんだよ。生きる死ぬの問題でもないんだぜ?
……ホント、お前基本クールなのに、ヘンなところで心配性だからなあ」
「で、でも……っ!
もし、『別れろ』って言われるようなことになったら――」
「別れないし、引き下がらない。
認められるまで、諦めやしない――絶対にだ」
まだ気弱なことを言う亜里奈に、俺は少し真面目に、キッパリと言い切ってやる。
「お前も言っただろう? お前の兄貴はな――勇者なんだ。
この程度、どう転ぼうと逆境でもなんでもねーよ。
――だから、もう気にするな」
「…………お兄」
「ああ、それと――だ。もう1つ。
……ありがとうな、亜里奈。
俺のために、怒ってくれて」
俺は、亜里奈の頭に置いた手を、ゆっくりと動かして……。
今度は丁寧になでてやった。
――感謝を込めて。
「……ズルいよ、お兄。
あたし、ごめんなさいしに来たのに……」
素直に頭をなでられながら、ぽつりとこぼす亜里奈。
「そっか。
まあ、なんせ俺は、お前の兄貴だからな」
「……うん」
亜里奈は、こくん、とうなずく。
……気になっていたことをこうやって吐き出して、気がラクになったからだろう――。
最初部屋に来たときに比べれば、その表情も雰囲気も、ずいぶんと穏やかになっていた。
そうして、そのまましばらく……。
亜里奈も嫌がらないし、こうしていた方がいいかと思って、ゆったりと頭をなで続けていたら。
……もう遅い時間だし、今日はいろいろあって疲れていたのもあるだろう。
加えて、この心配事でせき止められていた眠気が、安堵とともに一気に押し寄せたようで――。
やがて、こっくりこっくりと……亜里奈は船をこぎ始めていた。
「……おい、亜里奈?」
「んう……?」
「……まったく。
しょうがない、今日はサービスだからな?」
もう部屋に戻って寝ろ……と言おうとしたものの、すでに、半ば俺にもたれて寝ているような状態だったので。
俺はそのまま背を向け、ひょいとおんぶして……部屋まで運んでやることにする。
起きていたら、もしかしたら文句の1つも言ってきたかも知れないけど……寝ぼけてるような状態だから、寝言っぽいのをつぶやくだけで、静かなものだ。
「……まだまだ軽いな」
昨日、神楽を一生懸命、立派に舞いきるところを見て、コイツも本当に大きくなったんだな……って思ってたけど。
いや、もちろんそれは間違いなんかじゃないんだけど。
でも、やっぱりまだ子供でもあるんだな……とも思ってしまう。
そうして、豆電球だけが灯る亜里奈の部屋に入った途端――。
「う〜にゅむ〜……フルメタルのりたんまぁ〜、合体!…………ぐう」
耳に飛び込んできたのは、アホ丸出しの寝言だった。
……声の主は当然、床の布団でだらしない寝姿をさらしているアガシーだ。
タオルケットを彼方へ蹴り飛ばし、ヘソも丸出し。
まあコイツのことだ、腹冷やしたりはしないんだろーが……。
「……ったく、どれだけ安心しきってるんだ、コイツは……。
気が緩むにもほどがあるだろ……」
俺はまず、おぶっている亜里奈をベッドに寝かせて布団をかけてやると……。
同じく、アガシーにも、あらぬ方向へ吹っ飛んでいたタオルケットを掛け直す。
――が、即座に蹴り飛ばされた。
負けじと、もう一度拾って掛け直す。
――が、即座にはね除けられた。
一瞬、蹴り起こしてやろうかとムカッとするが……これが最後と、もう1回だけ掛け直してやると――。
その負のオーラが伝わったのか、今度は大人しく受け入れていた。
……まったく、本当に。
〈聖なる泉〉でガヴァナードを守護していたときとはエラい違いだ。
いや……それでいいのか。
コイツはもう、『赤宮シオン』でもあるんだからな――。
「……じゃあな、おやすみ」
俺は、寝ている2人に挨拶して、そっとドアを閉める。
そして、自分の部屋に戻りながら――
「さて……妹たちにまで肩を持たれといて、黙って様子見とか……。
似合わないマネしてるわけにもいかねーか……!」
明日には早速、俺の方から鈴守のところに挨拶に行ってみよう――と、そう心に決めていた。
……思ったより、今夜は良く眠れそうだ。