第13話 聖霊と赤い悪魔と聖女のいる教室
「ふーん……ここがアリナの学校なんですねー」
あたしが、背負っていたランドセルを下ろして、窓ぎわ一番後ろの自分の席に着くと、耳元でそんな声が聞こえた。
そこには誰もいない……けど、あたしにはもちろん、それが誰なのかは分かってる。
「くれぐれも、他の人には気付かれないようにしてね、アガシー」
あたしが小声で答えると、あの騎士姿の(ただしヘタな迷彩で台無しな)小さな聖霊が、ビシって敬礼したような気がした。
……姿を消してるから、見えてないけど。
「やっぱり、勇者様の通う学校と比べると、色々と違いますねえ」
そう答えるアガシーの声は、あたしには普通に話しているのとおんなじように聞こえる。
これ、アガシーによると、あたしにしか聞こえないようにしてるそうだけど……。
ホントに他の子たちには聞こえてないのかな、って、ちょっと心配になってつい周りを見回してしまった。
……うん……ホントに聞こえてないみたい。さすがファンタジー。
都合良く便利――とか言ったら怒られるかな。
「まあ、それは……お兄のところとは違うよ。高校と小学校だもん」
あらためて、アガシーの問いにまた小声で答えるあたし。
実は、アガシーが、口に出さなくても、心の中で念じるだけで伝わるようにしてくれてるそうなんだけど……。
ハッキリ言ってそんなの慣れてないから、ついついこうやって口に出してしまう。
……でも、そろそろ教室に人も増えるし、気を付けないとね……。
「うーん、でも、わたしはこっちの学校の方が好みですねえ……。
この、幼く青い蕾たちが集う光景たるや、もう――ええもう……グヘヘ~」
「…………」
あたしは、アガシーが浮いているハズの空間を、アタリをつけて握り締めると――机の上にベチンと叩き付けてやった。
うん……手応えアリ。殺った。
「軍曹? この学校にヘンタイは要らない。
――分かるな? 返事は?」
机の上に顔を近付けて、小声でそう囁いてやると……ヘロヘロの声が返ってくる。
「い、イエシュ、マムぅ……」
……まったく、ホントにこのコは。
お兄や本人の話からすると、ホントに、数千年は生きてるスゴい聖霊らしいけど……なんて言うか、弟か妹を相手にしてるような気になってくる。
まぁ……すっごい尊大で取っつきにくいとかよりは、ゼンゼンいいんだけど。
「でも、ホントに気に入りましたよ――いえいえ、ヘンタイ的な意味ではなく。
うん、わたしのチカラの問題も考慮すると……アリナと一緒なのもポイント高いし、やっぱりこっちですかねえ……」
ふと気が付くと、アガシーは何かブツブツとつぶやいている。
……あ、ヤバい、もしかしてちょっとお仕置きが強過ぎたかな……?
なんて一瞬心配になったんだけど、どうも打ち所が悪かったとか、そういうんじゃないみたいで、とりあえずは一安心。
――で、どうしたのか聞こうとしたそのとき……。
「おーっす、アリーナー!」
……メンドくさいヤツが、ムダに大声張り上げてやってきた。
「おはよ、朝岡」
メンドくさいなあ、とは思うけど、まあ一応、朝のアイサツは返すあたし。
――隣の席にひょいとランドセルを置いた、いかにも健康優良児なこの男子は朝岡武尊。
図体はともかく、思考はいいとこ小学3年レベルの(大抵の男子はそんなものだって聞いたけど)、しょーもないイタズラが好きな困ったヤツだ。
あたしが赤い悪魔〈レッドアリーナー〉なんて、レトロゲームまっしぐらなあだ名を付けられたのは、コイツのせいだって言っても過言じゃない。
……一応、本当にその人が傷つくようなことはしないし、もし相手を本気で泣かせてしまったりしたら、ちゃんと謝るあたり、一本スジは通ってるんだろうけど……。
やんちゃ坊主なトラブルメーカーってことには変わりなくて。
何せ〈勇者〉なお兄の影響か、つい放っておけなくて、イタズラを邪魔したり止めたりする方に回ってしまうあたしとは、つくづく相性が悪いんだ。
「聞いたかアリーナー? なんかよー、こんだけ晴れてんのに今日、ニカワ雨とか降るらしいぜー?
せっかく、今日の体育サッカーだってのによー……」
――それを言うならにわか雨だ。ニカワ降り注いだら大惨事だよ。
当然のツッコミは頭に浮かぶけど、口にはしない。
ロクに覚えてない単語と、ウソの天気予報(あたしが朝確認した限り、今日の降水確率はゼロだ)まで使って、あたしの注意を引く理由は明確だからだ。
……そう、スカートめくりだ。
朝岡が狙っているのは、椅子に浅く座ってるあたしのスカートだ。間違いない。
天気の話になれば、自然と『上の方』に注意が向く――そこを下から、ガチじゃなくちょっとだけかるーくまくって、あわてさせてやろうって魂胆だろう。
しょせん小学3年レベルの浅知恵……カウンターの前蹴りで、手首をイイ具合にヘンな方向に曲げちゃってやるか――。
そう目論んで、表向きは誘いに引っかかって窓の方を見るような素振りを見せて――。
「へへ、スキあり!」
――来た、狙い通り。
そこへあたしが、(最低限の慈悲で)上履きを脱いで、座ったまま前蹴りを繰り出した――ら。
「へっ――げぇぇぇぇええええぇぇ……っ!?」
奇妙な悲鳴をたなびかせ、朝岡は――。
スゴい勢いで、開けっ放しのドアを抜けて廊下の壁までゴロゴロゴロと……転がりながらすっ飛んでいってしまった。
「…………え?」
周りのみんなが、目を丸くしてあたしを見ている。
――いや、そもそもあたし自身が、「え?」なんだけど……。
……勇者としての反則級のチカラを持ってるのはあくまでお兄であって、あたしは何のチカラも持ってない一般人のハズ――。
と、そこまで考えたところで、耳元で答えが聞こえた。得意げな声の答えが。
「ふっふーん。この大聖霊サマを差し置いてアリナに手ェ出そうとか、1000年早いぜジャリ坊めが! 生え揃ってから出直して来いやー!」
「……それが指すのが永久歯にしろ『それ以外』にしろ、生え揃うのに1000年もかかんないけどね……」
思わず、天を仰いでため息をもらす。
あー、もうこれは間違いないなぁ……。
赤い悪魔に、まったくありがたくない新伝説追加決定、かぁ……。
(……で、アガシー。今のって魔法?)
「イエシュ、マム! つっても、相手を吹っ飛ばすぐらいで、攻撃力なんてまるでない超初級魔法ですけどね。
……あ、その気になればわたし、一応、広域破壊魔法とかも使えますよ?
あのジャリ坊、こんがりいっときます?」
あたしはまた憶測で空間の一点を引っ掴むと、やっぱり机にびたんと叩き付けた。
「軍曹……魔法使いもここには要らない。
――分かるな? 返事は?」
「い、いえしゅ、まむぅ……」
「ふわ~、すっっっごいキックだったねえ、亜里奈ちゃ~ん!」
そのとき……とてとてと可愛らしい音がしそうな足取りで近付いてきた女子が、ふんわりとした口調で、ふんわりとした笑顔を浮かべて話しかけてきた。
「……朝岡のバカが、わざとらしくムダに勢いよく転がってっただけだよ。
どーせまた、あたしのこと怪力だの悪魔だのってからかうつもりなんでしょ」
廊下で目を回してる朝岡が、アガシーの言う通り大したダメージでもないことを遠目に確認しながら、あたしはその声の主を見上げる。
――このふんわりちゃんの名前は、摩天楼見晴。
小さい頃からだから、結構付き合いの長い、すっごく仲の良い友達だ。
ちなみに、見晴ちゃんのお兄ちゃんと、うちのお兄も、あたしたちとおんなじような関係――に見えるんだけど、そう言ったら多分、どっちもイヤそうな顔をするんだろうなあ。
「あ~、朝岡くんは、いっつも大ゲサだもんねぇ~」
ふんわりにっこり笑う見晴ちゃん。
そのまぶしすぎる笑顔たるや――。
「うおお……な、なんですかこのコ……!
気を抜くと浄化されそうなぐらい神々しい笑みを浮かべてますよ……!? せ、聖女……!?」
アガシーの言うとおり、彼女の笑顔は、まさしく摩天楼の高みから世界を見晴るかす聖女のごときである。一言で言っちゃえば、まさに慈愛そのもの。
この後光すら感じる笑みが、どれほどクラス内の無為な闘争を静めてきたか――やさぐれた心を救ってきたか――数え切れない。
……いや、ていうか、聖女に浄化されないでよ聖霊。分からなくもないけど。
「それで~、亜里奈ちゃんのお兄ちゃん、今日はなにしてるの~?」
「……んん? お兄? なんで?」
好奇心が散漫な小学生だからか、色んな話題を同時進行出来る女子だからか、ただ見晴ちゃんだからか……いきなりの話題転換に、ちょっと首を傾げるあたし。
「ううん、うちのお兄ちゃんね~、今日、せっかくの創立記念日でお休みなのに予定がなーんにもないって、牛さんみたいにもーもー言いながらごろごろしてたから~」
あー、やってそうだなー、イタダキさん。
まあ……今日はうちのお兄を遊びに誘っても、ゼッタイに断られるしね。
どうしてかって言えば……。
「うちのお兄なら、今日は彼女さんとデートだよ」
あたしは、ちらりとアガシーを見やって(見えないけど)答える。
……そう。
だから今日、アガシーはあたしに付いて学校へ来ていたのだ――といっても、本人はむしろデートの方に付いていく気まんまんだったんだけど……そこはそれ。
さすがにお兄がかわいそうだったから、あたしが『説得』したのである。
まあ……あたしもまだその彼女さんのこと詳しく知らないし、そんな知らない人にお兄を任せっきりっていうのも、ちょっと引っかかるところではあるんだけど……。
うん、お兄ってそんな気が利く方でもないし、スマホすらまともに使えない機械オンチだし、創立記念日なのに制服でデートに行こうとするぐらいズレてるしで……。
ハッキリ言ってほっとけないっていうか、だから知らない人に任せていいのかな、大丈夫かなってモヤモヤするんだけど……。
だから、うん、そう、主に罪悪感のせいで――って、誰に言い訳してるんだろあたし。
(うん……だからあたし、ブラコンじゃないからね。ねっ?)
「ぐえ……首、首しまってますってアリナ、絶妙に!
分かった、分かりましたからタップタップ!」
「あ……でも見晴ちゃん、このこと、イタダキさんにはナイショにしてね?
お兄、彼女さんが出来たこと、まだヒミツにしてるみたいだから」
「うん、いいよ~。
……そっかぁ~、でも、だから亜里奈ちゃん、今日は落ち着きがないんだねぇ~」
「もう、いつも通りだよ。
だってあたし、別にブラコンでもなんでもないからね」
「……ぐええぇ……ち、力、増してます、って……」
……でも、確かに正直ちょっと心配。
なにせ、筋金入りの〈勇者〉だもんね……お兄は。
そう……色んな『事件』を呼び寄せる体質の……。
うーん……お兄、大丈夫かなあ……。
「んー……ちゃんとデート、出来てればいい――ケド」
「……ぐええ……ぎ、ギブ……」