第98話 それがダイコンさんであるはずがない
――大衆浴場〈天の湯〉のお隣。
中流家庭まっしぐらな、築15年の二階建て一軒家――。
それが我が家、赤宮家だ。
「……お、おじゃましますっ」
さすがにちょっと緊張した面持ちでうちにあがった鈴守は……。
誰もいないのにきっちり挨拶、ごく自然に、脱いだ靴もキレイに揃える。
緊張してても淀みなくこうした所作が出るってことは、付け焼き刃とかじゃなく、完全に身に付いてるってわけで……。
うーん……育ちの良さが出てるなー……。
「――あ、キッチンはこっちだよ」
俺は両脇に10kgの米を抱え、手には買い物袋を提げたまま、すぐ左手側のドアを開けて鈴守を招き入れる。
「カバンとか適当に、ソファの上にでも置いてくれたらいいから」
「うん、ありがとう」
そこは、居間に食卓にキッチンがまるまる一つになった……まあ、日本の住宅にはよくある形の部屋だ。
鈴守のところも同じような間取りだしな……広さはまるで違う(もちろん狭いのはうちの方)けど。
「ふぃー……到着、っと。
まったく、母さんも大概、息子使いが荒いよなあ……」
俺はよっこいしょ、とキッチンの端に米と買い物袋を下ろし、一息ついた。
「……ごくろうさま。
やから、ウチも持つって言うたのに……だいじょうぶ?」
「ん? ああ、全然大丈夫。うちの手伝いで力仕事には慣れてるしさ」
まあ、実際鈴守だと、10kgぐらいはさして苦も無く持てるんだろうけど……。
そこはそれ。男の――彼氏のプライド、ってやつだよな。
それにしても――。
「でも、なんかめっちゃ多なったね……食材」
「ああ……なんか、オマケがいっぱいついてきたしな……」
買い物袋を前に、俺たちは、思わず困り顔を見合わせる。
その中身は――当初の予定より、はるかにマシマシになっていた。
理由は、まあ……商店街で買い物するって決めたときから、ある程度は予想――というか、覚悟してたんだけど……。
「……おや、裕真ちゃん!
なにその娘、ウワサのカノジョ!? あらあらまあまあ!」
「おう、裕真!
おおう!? おうおう、その娘がウワサのカノジョかよ!」
――行く先々の店でこんなんである。
なんせ、ガキの頃からの馴染みだから誰も彼も遠慮がない。
まあ、あれだけ体育祭でハデにお付き合い宣言したんだから、どうせどこかから話が伝わってるだろうなあ……って思ってたら、案の定ってやつだ。
しかも……その当の彼女というのが、なにせ鈴守千紗その人である。
そもそもの外見がこれだけカワイイのに、このテの話を振られるたびに、恥ずかしそうに、でも礼儀正しく愛想良く受け答えするもんだから……。
商店街のおっちゃんおばちゃんの好感度はもう、ウナギ上りに急上昇。
作るのはカレーだって言ってるにもかかわらず、アレ持ってけ、コレもついでにと、まったく関係ない食材までオマケされまくることになったってワケだ。
「……ったく、カレーだから使わねーって言ってるのに、魚屋のオヤジまで首突っ込んで来やがって……。
しかも、調子に乗って鯛を押し付けるとか、やりすぎだろ……。
あとで絶対おばちゃんに怒られるぞ……」
俺は押し付けられた鯛を冷蔵庫にしまいながら……魚屋のオヤジの行く末を思ってタメ息をつく。
あそこのおばちゃん、俺たちみたいな近所の子供には優しいけど、ダンナにはとことん厳しいからなあ……。
「でも……みんな明るくて楽しいええ人やね。ちょっと恥ずかしかったけど……。
こんな商店街が近くにあるとか、ええなあ……」
「ま、活気があるのは間違いないけどさ。
……にしても、やっぱりっていうか、鈴守、めちゃくちゃ気に入られてたな。
あげく、みんなして異口同音に『裕真にはもったいない』とか言いやがって……失礼な」
明らかにカレーには関係ないオマケ食材たちを、さらに分別して冷蔵庫に押し込み、俺は口を尖らせる。
鈴守は、そんな俺の様子と、まさにそれを言われていたときのことを思い出しているのか、くすくすと可愛らしく笑っていた。
「……さて、とりあえずこんなもんか。
じゃあ、鈴守……俺はなにを手伝えばいい?
カレーなら、問題なく何でも出来ると思うけど」
余計な食材の整理も終わり、さあ、とばかりに意気込む俺。
鈴守は、そんな俺をきょとんとした顔で見て――また笑った。
「そんなんええよ。お礼にお料理する、ってウチが来てるのに、手伝ってもろたら意味ないもん。
……赤宮くんの気持ちは嬉しいし、いっしょにお料理するのも、それはそれですごい楽しそうやけど……うん。
今日は、その……彼女として、彼氏のご飯作ってあげたいかな……って」
「………………」
恥ずかしそうに、うつむき加減に言ってくれた鈴守のそんな嬉しすぎる言葉に、一瞬、思考がオーバーヒートして停止する俺だったが……。
「じゃ、じゃあ、お願いしますっ!」
我に返るや、大慌てでキッチンから転がり出た。
「う、うん! お願いされました……!」
大マヌケな俺の発言に、律儀に背筋を伸ばして答えた鈴守は……。
居間のソファに置いていたカバンから、水色のチェック柄のエプロンを取り出し、さっと慣れた感じで制服の上から身に付けると――。
「……よしっ、と……!」
あらためて、颯爽とキッチンに立つ。
一方俺は、その、もうとにかく『イイ!』としか言えない鈴守の後ろ姿に、打ち震えんばかりの感動を覚えながらも……。
ぼーっと見とれてるのも良くないと思って、テスト勉強でもすることにしたのだった。
……集中出来る気はしないけどな……まったく。
* * *
「あっ、亜里奈ー、コレ、見てもらっていいー?」
「はーい、ちょっと待っててー!」
――カレー大佐として、調理監督に祭り上げられたあたし。
同意もなにもあったもんじゃなく、ぶっちゃけ押し付けられた役割だけど……。
やる限りはちゃんとしないと、って思って、あっちこっち動き回り――。
玉ネギのみじん切りを手伝ってあげたり、野菜やお肉の炒め具合を見てあげたり、遊んでる男子を蹴っ飛ばしたり、ルーとかの計量を確認してあげたり、焦げ付かないように鍋を混ぜるのを注意してあげたり……などなど。
一応、あたしなりに、一生懸命働いた。
――ちなみに今回、ご飯については、班ごとに炊く場所が無いからと、施設の人が大っきな釜でまとめて炊いていてくれたんだけど……これは正直言って助かった。
キャンプでご飯と言えば飯ごうで……一応、飯ごうを使ったご飯の炊き方もお兄に教えてもらっていたものの……やっぱり慣れてないから。
あたし一人で(先生は戦力的に四捨五入で切り捨て)そこまで見て回るなんて、さすがにムリだっただろう。
……ううん、それを言うなら、カレーだけでもあたしが監督してるって状況がそもそもおかしいんだけど。
頼ってもらえること自体は、悪い気はしないけどね……。
……まあ、とにもかくにも――。
最初にバシッと言い切っておいた訓示(?)が効いたのか、みんな思った以上にマジメに、『レシピ通り』ってのを心がけてくれたみたいで……。
最終的に、どの班も、あからさまな失敗っていうのはない、ちゃーんとしたダイコン&ナス入り野菜カレーが、無事に出来上がったのだった。
「「「「 いただきまーーーす!!! 」」」」
揃って野外テーブルにつき、元気良く手を合わせたあと、それぞれ、自分たちのカレーを口に運ぶその顔は……誰もがみんな、すごく幸せそう。
あー……良かった。なんか、肩の荷が下りた気分……。
そして、内心不安だったうちの班も――結果としては問題なく。
お皿に盛られたカレーは、異臭はもちろん、コゲ臭さもなく……ちゃんと、食欲を誘う良い香りがしていた。見た目もおかしくない。
「ん、ちゃーんと出来てるじゃない。
……うん、みんなお疲れさま」
「へっへーん、ま、オレたちが本気出せばこんなモンさ! な、凛太郎!」
「……ん」
「マリーンはともかく、アーサーは野菜切るのにいちいち気合い入れて技名とか叫ぶから、うっとーしかったですけどね。トロいし」
「う……い、いいだろ別に! ちゃんとやったし!」
「このわたしが直々に、手取り足取り指導してやったからでしょーが。まったく」
フンス、と鼻を鳴らすアガシー。
――実は、他の班のところ回ってるときに見えたんだけど……。
手取り足取り、ってアガシーの表現は、あながち言い過ぎでもない。
むしろあの朝岡の方が恥ずかしそうに赤面するぐらい、アガシーはぴったりくっついて包丁の使い方を教えていたからだ。
思わず遠間から、離れなさい!――って言いそうになって……やめたことを覚えてる。
いや、だって、考えてみれば別に悪いことしてるわけじゃないし……。
それになにより、アガシー自身が、すごく無邪気に楽しそうな顔をしてたから――。
うん……そうなんだ。注意するようなことじゃない……。
なのになんであたし、離れるように言おうとしたんだか……。
「………………」
なんとなく、そんなことを考えてると……。
他の3人が、カレーを食べもせず、あたしをじっと見ているのに気付いた。
「……どうしたの? 食べないの?」
「まずは、頑張っていたアリナに食べてもらいたくて! 待ってるんですよ!」
「……それ、まさか毒味役ってわけじゃないよね?」
匂いで大丈夫なことが分かってるあたしは、わざとイジワルにそんなことを言いながら、アガシーのすすめるまま……先陣を切ってカレーを口に運んだ。
それは…………本当に、おいしかった。
レシピ通りの、予想出来るおいしさよりも――ずっとずっと、おいしかった。
あたしが、その感想を素直に口にすると……。
アガシーと朝岡は満面の笑顔でハイタッチを交わし、真殿くんも、やっぱりほとんど表情は変わらないものの……どこか満足そうにうなずいていた。
「……ありがと」
誰にも聞こえないように、小さくつぶやきながら、さらにカレーの中を泳がせたあたしのスプーンは……。
なにか――妙なものをすくいあげた。
「…………?」
それは……多分ダイコンなんだけど、なんだろう……?
ダイコンにしては切り込みが多いっていうか、ヘンな形してて――。
「――あ、それ!
どーですアリナ、わたし渾身のダイコンさんですよ!」
……っていうか、なにコレ。
細かすぎる造形が、もはや彫刻レベルの……。
そう、その姿形は形容するのもはばかられる、深海の邪神とか、旧支配者とかいうような――
「……って、またか! これダイコンさんじゃなくて、ダゴンさんでしょーが!
レシピに関係ないけど、こんな手間いらないっての!」
深海の泥土のように、ぬらりと艶めくカレーをまとい……。
ダゴンさんはスプーンの上で、形容しがたい禍々しさを放っていた。
――――うん、ヤバい。なんかヤバいなー、コレ……。
……ちなみに、そのダゴンさんだけど……。
たまたま、おかわりのご飯をよそうべく近くを通りかかった見晴ちゃんに、
「うわあ、おいしそーだねえ!」
……と、お行儀の悪さを指摘する間もなく、ぱっくんされてしまったのだった。
まあ、うん……。
見晴ちゃんなら、アレをしっかり浄化してくれたことでしょう。きっと。
おいしかったあ、ごちそうさま〜……って、ご満悦だったしね。うん。