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青い空。雲雀が謳い、遠くから子供の声が聞こえる。
長閑な田舎の午後。
王都から半日ほど馬を走らせた海沿いの街は避暑地として人気が高い、高級な宿や貴族の別邸が多いことで有名である。
これから暑くなれば涼を求めた人々が集まり賑わいを見せる。だが季節はまだ春、人も物の流れも緩やかで穏やかな時間が流れていた。
街から少し離れると緩やかな丘陵地帯が続く、丘からは海が見えるため貴族が好んで別邸を建てている、点在している建物は遠目にも瀟洒な姿をしていた。
その中でも特に大きな屋敷の中、開け放たれたテラスから海を眺める一人の女が居た。
女とは言ってもまだ少女、丸みを帯びた頬はあどけなさを、細い首は頼りなさを感じさせる。力なく籐椅子にもたれ装飾が施された小さなクッションを抱いている。
海と同じ色の目はガラス玉のようで年頃とは少々不釣り合いなほど生気がない。
塩気を含んだ風が吹き、少女の黒髪を乱すと、少しだけ眼が伏せられ眉間にシワが寄る。
「粘つくんじゃボケェ」
薄紅色の唇から溢れたのは、聞いたものが我が耳を疑うような言いがかり……潮風への文句だった。
「……クソ……クソッなんでこんな目にあって……なんで私が田舎でプチ隠居しないといけないのよ。どうして、おかしいでしょ、普通こういうパターンはないでしょ。セオリーで行くなら晴れて王子と結婚とか神官から求婚とか騎士から愛を捧げられたりとか倒した魔王に惚れられてとか大穴で逆ハーうはうはパターンとかさぁ! 色々あんでしょ普通は!」
一気に言い切り荒い呼吸が整うまで少し待ったのちキッと顔を上げる。
「まあ流石に倫理的にお断りだけどね!!」
青い空。
「へっ毎日毎日晴天かよ、こっちの心は土砂降りだよ!」
雲雀が謳い。
「チチチ、フィーチチ、フィーチチ……ってうっせえよこの世の春かよ春ですね、私だけ永久凍土かよ!」
遠くから子供の声。
「あああぁぁぁ〜何にも悩みがなかった子供の頃に帰らせてぇ!」
うおぅうおぅと獣のように泣きわめき、クッションを振り回し、少ししたらピタリと止まりおかしな笑い声を上げ、静まる。そしてまたぼうっと海を眺める。
完全なる奇行。
朝からどころか少女がこの屋敷に来てから毎日繰り返されている奇行。一般的な貴族しか相手にしてなかった使用人達は震えあがっている、必要時以外は隠れるように身を潜めていた。
「リセットボタン……プリーズ……」
すんすん泣き出したらそろそろいいタイミングだ。一番近くに隠れ、どん引きで様子を見ていた筆頭側仕えは周りの者に指示を出す。
「し、シズク様、お茶は如何ですか?」
さすがプロ、怯えはほとんど隠してお茶を勧める。
ふっと顔を上げたあとふんふんと小動物的に鼻を鳴らす少女。
「こちらは本日届いたばかりの茶葉ですが果実の香りが癒しだと人気だそうですよ」
カップに注がれるとふわりと甘い香りが広がる。
「……癒し」
菓子の乗った器を見つめる少女。
「はい。焼き菓子はまだ温かいですよ」
「……いただきます」
スッと姿勢を正し身なりを整えると狂気は鳴りを潜めた。遠目の見守りをしている側仕え達もホッとする。
「美味しい……」
菓子とお茶を口にした少女がにこりと微笑む、可憐な花のような笑顔につられ側仕え達も微笑んだ。
「ところで今日届いたと言ったけれど、こんな洒落めかした着香茶、王都しか売ってないわよね。送ってきたのは王? 王子? それとも他の方かしら。お茶と一緒に何か送られては来なかったのかしら。というか私への言伝や手紙は無かったかしら? まさかひと言も添えず物だけ送ってご機嫌取りするなんてことはないと思うけれど、ねぇ?ほっほほほほほ……まさかねぇ? 救国の英雄に、ねぇ? 離婚調停中の妻へのご機嫌取りかっつーような形式だけの機嫌取りなんてねぇ? ほほほ、ないわよねぇ。ねぇ? そうでしょう?」
可憐だった花が食虫植物に変わった。しかも特大の。
再びひと通りの奇行を披露したのち、少女はスイッチが切れたかのように大人しくなり残りのお茶を飲む。
カップをソーサーに乗せる小さな音がやけに大きく聞こえた……この時点で側仕えの背中は冷や汗でびっしょりである。
「で。結局王都からの手紙は?あるの?」
まさに離婚調停中の妻のような冷たい声音で問われ、完全に出すタイミングを逸していた側仕えがそっと二通の手紙を差し出した。
「国王陛下と王太子より、親書が届いております」
印璽でなされた封蝋は送り主が指定した相手でないと開けられない、この世界では当たり前のように術がほどこされている。
少女が受け取ると封蝋はしゅわりと溶け封筒の模様へと変わった。
一通目、二通目、目を通しぽいっとテーブルに放る。
「親子揃ってコピペかよ」
不敬にも程があるセリフを吐き、天井を睨みつける。
手紙にはよく似た筆跡で、意訳すれば『もう少しお待ちください……』という言葉が綴られていた。ところどころ涙で滲んでいる。
「はぁ……もう、ほんと……」
もう何度目かの『暫し待たれよ』命令に少女はがっくりと肩を落とした。
──そもそもの始まりは一年前、南端にある大領地が魔族の侵略を受けたことからである。
サイロニカと呼ばれるこの王国は雫型をしており、北側に王都。そこから南に下がるに従って小領地中領地大領地と、かなり分かりやすい形をしている。
広大な領地を有する大領地は農業林業酪農などを生業としており、多くの領民とちょろい土ちょろい気候ちょろい世話で済む家畜で質の良い物を楽〜にザクザク収穫でき、王国の食糧および資材調達を担っていた。
中領地は王国中央部に位置する山岳地帯からちょろく鉱物資源が得られ鉄鋼業が盛んである。
小領地は資源や土地は少ないものの、王都や他国への中継地点としてがめつい関税をかけ貿易を中心に発展している。また優秀な技術者の育成にアホほど力を入れており、加工技術で大中領地からの物資をちょろっと高級品へと仕上げるのだ。
そんな感じで大儲けしている収益を吸いあげる王都は超リッチ。金も余りまくると宗教に傾倒しだすのか神殿を雫の先端部に置いて国のシンボルをして祭り上げまくっている。王都は神殿から城、軍事文化施設、貴族街、少し離れて商業施設、それから平民街へと広がっていた。
逸れたので話しを戻すが、侵略は南の大領地から始まりじわじわと北上。
国軍は魔族の軍勢に抗戦していたものの王国の中程にある山岳地帯が邪魔で大軍での移動がままならず、また戦力に特化した魔族は普通の騎士には荷が勝ちすぎ、気がつけば豊かな土地の大部分が戦火に荒らされていた。気づくの遅すぎ。
このままでは魔族を退けても数年は実りが乏しく国が荒れるのは間違いないと思われた。
今までちょろく大儲けしていた苦労知らずの国民には死活問題。そこでいますぐに決着をつけたい王族と、いろんな儀式を試した〜いな神殿の要望が合わさり、サックリ行われてしまったのである。
なにがって……ほら、こういう時ファンタジー世界でよくあるあれよ。あれ。
そう……救国の英雄様召喚が行われたのである。──
「そこで喚ばれたのが私です」
虚空に向かいひとり芝居中の少女。
職務上できるだけ近くにいなければならない側仕え達は怯えた目をしている。