epilogue
それから数日後のことだ。
「で、どういうつもりだったんだよ」
「どういうつもりって?」
学園の廊下にて。
緋真が聞き、伊吹が問い返す。
「とぼけるなよ。お前は完全には催眠にかかっていなかった。詩埜が完全にかけることができなかった。それはつまり、お前が“自分の意思で”詩埜に従ったってことだろ?」
そう、伊吹は半分ほどは操られていたとはいえ、もう半分は自分の意思で動いていたということだ。
「なんでそんな事をしたんだ?」
「…………」
やがて伊吹は口を開く。
「罪悪感、かな」
「罪悪感?」
「そう、罪悪感。僕は詩埜に罪悪感を抱いたんだ」
伊吹の抱いた罪悪感。
それは何もしなかったことへの後悔だ。
「僕達は……詩埜が変わった事に関して、暗黙の了解の様に、触れなかったよね」
「あぁ、それがどうかしたか?」
「僕は以前から知っていたんだ」
「……は?」
「もちろん、全てを知っているわけじゃない。でも、変わった原因も、それが僕の力じゃどうにもならないことも、臓器移植のあの時から分かっていたんだ」
「それじゃあ、『災禍』のことも?」
「……?さい……?」
どうやら『災禍』のことについては知らないらしい。おそらく、提供された臓器が特殊なもので、その影響で詩埜がおかしくなった、という概要だけを理解しているのだろう。
「僕は何もしなかった」
「できなかったんだろ」
「違うよ。できないことを言い訳に、しなかったのさ。できたらやるなんて、親友のためにする事じゃないよ」
親友として間違った。
勇気を振り絞れずに後悔した。
「だからせめて、僕は詩埜の味方でありたかった」
どれだけ間違っている事であっても、ただ1人の味方でいる事は親友のためにできる事だから。
親友のためなら正しくなくていい。
救われなくていい。
親友のためにならなくてもいい。
「それが、何もしない僕が唯一できた罪滅ぼしだから」
「……」
緋真には何も言えない。
緋真は正しさを優先したから。
敵になる事が詩埜のためになると思ったから。
詩埜が救われると思ったから。
緋真は気付けなかった。
伊吹は気付いた。
緋真は詩埜のために行動を起こした。伊吹は何もできなかった。
同じ親友であり、正反対だった2人。どちらの意見も正しいし、どちらの意見も間違っている。
だからこそ、緋真は何も言えない。
「ごめんね、緋真。次こそは……間違えないから」
「俺に、言うなよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
咲夜は報告書をまとめていた。
『災禍』の事件に関して、咲夜は神宮家から一任されている。
しかし、それは代表という事で、神宮は手出ししないという話ではない。
だからこそ、神宮の家系の最高責任者は咲夜に事件についてを問い質し、命令を与える。
咲夜はその事に一切の文句を言わないし、文句を言う理由さえ思いつかない。
神宮咲夜という少女は、神宮の家の歯車として、ただ粛々と使命を全うするだけだ。
今回の事件について、咲夜は1つの懸念を抱いた。
咲夜は詩埜が『欠片』を持っているかどうか判断する事ができなかった。それはずばり、今までに破壊、あるいは封印してきた『欠片』は有機物ですらなかったからだ。
鉱物や宝石、そういった無機物である事が多かった。
『災禍』は怖れの象徴でありながら、その身は無機物ばかりでできていた。
しかし、今回は人間に移植可能な臓器が『災禍』の一部である事がわかった。
災禍とは一体何なのか。
そもそも、神宮家は『災禍』の全容を把握できていないのではないか。
何とも言えない不安だけが咲夜の胸中を満たした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ある日の昼休み、屋上にて。
「あ、いた!」
ギクッ。
と、背中を震わせるのは緋真だ。
そして、緋真を探していたのは詩埜だ。
「もう、最近ずっと私の事避けてるんだから!」
「わ、悪い悪い」
例の一件以来、緋真は詩埜と顔を合わせづらかった。
『欠片』によって正気を失っていたとはいえ、詩埜の気持ちを聞いてしまった。
その罪悪感が、詩埜に対する引け目を作ってしまう。
「あー、えーっと、だな……」
上手く言葉が出て来ない。
「ねえ、サナ。私が遊園地で言ったこと、覚えてる?」
「覚えてない。頭の片隅にすら一切の記憶がない」
「何それひどくない⁉︎」
「わ、悪い悪い」
どう誤魔化せばいいのか分からず、思わず全否定してしまった。
「覚えてるんでしょ」
「……ああ」
事故の時の病室での思い出。
告白されたこと。
自分のために1人の女の子が狂ってしまったこと。
すべて覚えている。忘れられるはずがない。
「で、でも……すぐに忘れるから」
「ダメよ」
「え?」
詩埜は緋真に笑顔を向ける。
「忘れちゃダメ。サナには覚えていてほしいの。私がサナを愛していることを。その理由を」
「で、でも……あれは、『欠片』の影響を受けていたからで」
「影響なんて受けてなくても、私はサナのことが大好き。その気持ちは、今も変わらない」
「詩埜……」
「でも、返事が欲しいって話じゃないの。私、もっと魅力を磨いて、いつかそっちから『私が欲しい』って言わせてあげるんだから」
パチンッ☆とウィンクをする詩埜の姿は。
前向きで、かっこよくて、可愛くて、もう十分に魅力的で。
緋真を見惚れさせるには十分だった。
詩埜は柚子を見る。
封印されたと言っても、それが『欠片』である事には変わりがない。
そのため、詩埜には3人が見えていた。
「負けないからね」
「……私も、譲るつもりは毛頭ない」
「?」
2人の少女の真剣勝負と、その意味がわからない男が1人。
「ねえ、サナ」
「ん?なんーーーー」
唐突に、緋真の頬に柔らかい感触があった。
「……え?」
見ると、緋真から離れた詩埜は、ちろりと舌を見せて怪しげに微笑んでいる。
頬に触れて呆然とする緋真と、声にならない声を上げて真っ白になる柚子。
「まずは乙女の頑張りの第一歩、って事で」