4話 倉石詩埜
緋真達の住む地域は大きな山が連なっていて、街の半分以上を占める。
その山々はある大地主の土地であり、売買を頑なに断り続け、工事も断っているため、残りの平地にしか建物が建てられていない。
しかし、その大地主は街に多額の出資をしているため、街自体の賑わいはある程度ある。
そんな街で、連なる山々は子供達の格好の遊び場だ。
それは十数年前。
緋真がまだ伊吹と出会ったばかりの頃だ。
「伊吹、虫を捕まえに行くぞ!」
近所の公園で、緋真はキラキラと輝いた表情で伊吹に催促する。
対する伊吹の表情は苦笑いだった。
「虫って……そんな物取ってどうするのさ」
伊吹は緋真に質問する。
「どうって……冒険に宝は必須だろ?」
簡単な話だ。緋真は虫が欲しいのではなく、冒険に出たいのだ。
緋真の父親は冒険家で家を出ていることが多い。
だが、たまに帰ってくる父親がしてくれる土産話はワクワクとドキドキでいっぱいだった。
そんなワクワクドキドキいっぱいの冒険に、緋真も出てみたいのだ。
そして、冒険をする事で、緋真は父親に近付いた気分になり、それで寂しさを紛らわせたいのだ。
「別に冒険の宝が虫じゃなくたっていいでしょ……?僕、虫苦手なんだよ……」
伊吹がゾゾゾと背筋を震わせる。
伊吹は以前不意に触ってしまったゲジゲジのことを思い出して萎縮してしまう。
「え〜?カブトムシとかクワガタとか、カッコいいだろ〜!」
対する緋真の中では、虫といえば甲虫類だ。
堅固な殻にツノやハサミは男の浪漫だ。
「その虫、取ってどうするの?」
伊吹が質問する。
「どう……って、勿論、一度捕まえたら野に放つぞ?」
緋真は当たり前の様に答える。
「……それ、捕まえる意味ある?」
伊吹はため息を吐く。
「いきなり捕まえられたら、虫の方もびっくりしちゃうでしょ?手放すつもりなら、虫の為にも最初から捕まえない方がいいよ」
「う〜ん……?」
伊吹の言葉に、緋真は頭を捻る。
難しい理屈を並べてはいるが、要するに虫に触りたくないというのが伊吹の本心だ。
「なら、宝はなくていいから探検しようぜ」
「それならいいけど……」
緋真の提案に伊吹は渋々賛成する。
「お前も来ないか?」
緋真は、たまたま1人で砂場で遊んでいた女の子に声をかける。
「え……?」
それが詩埜だ。
詩埜は顔を左右に振って、他に誰かいないか確認する。
「お前だよ、お前」
緋真は詩埜の肩を叩く。
「わ、私……⁉︎」
詩埜はビックリして目を見開く。
「そう、お前。名前は?」
緋真は物怖じせずズカズカと詩埜の懐に入り込む。
「く、倉石、詩埜……」
「俺は月長緋真だ。後ろの奴は音無伊吹」
「よろしく」
緋真が名前を呼んだのに合わせて挨拶する伊吹。
「それで、俺達、これから冒険に行くんだけど、一緒にどうだ?」
「ぼ、冒険……?」
詩埜が首を傾げる。
「そう、山の中に入るんだ!」
「それ聞いてないんだけど!」
緋真の言葉に伊吹が驚く。
「今決めたからな!」
緋真は笑顔で返す。
伊吹は思わずため息を漏らす。
「緋真っていつも行き当たりばったりだよね……別にいいけど」
緋真の思い付きに辟易としつつも、どうやら伊吹は行き先に賛成の様だ。
「……」
詩埜は何を思ったのか、突然駆け出し、公園から出て行った。
「嫌だったのか?」
緋真が不服そうに漏らす。
「あんまり遅くなると行けないし、行こうか」
伊吹の言葉に促され、緋真達は出発する。
しばらくして、気が付くと、詩埜が後ろから追いかけて来ていた。
「お!やっぱり来たかったか⁉︎」
「少し待ってみる?」
しかし、詩埜は緋真達に一定以上の距離に近付こうとしない。
緋真達が歩けば自分も歩く。
緋真達が止まれば自分も止まる。
途中で面倒臭くなった緋真達は詩埜のことを気にしなくなった。
やがて、山の境界線のフェンスが見えてくる。
フェンスには丁度子供が入れるサイズの穴が空いていて、子供達はそこを通って山の中へ入っていく。
緋真達はフェンスの穴を潜った。
少しして、詩埜もフェンスの穴を潜り、山の中へ入る。
山は木々が生い茂っていて、道らしき道はない。
しかし緋真達のサイズならば木々を掻い潜るのは容易かった。
「どっち行こうかな〜!」
「危ないから前見てよ」
キョロキョロと周りを見渡す緋真に伊吹が注意する。
「うわっ!」
注意していた伊吹が足を滑らせ、そのまま窪地に滑っていく。
「伊吹!」
緋真が伊吹を助けに窪地に滑っていく。
「いてて……」
伊吹は膝を擦りむいていた。
「大丈夫か⁉︎伊吹!」
「膝擦りむいちゃった……」
じわりと、伊吹の目に涙が浮かぶ。
「待ってろ!今から家まで連れてってやるからな!」
家に帰れば救急箱がある。
そう考えての発言だったが、緋真は完全に失念していた。
「高い……」
緋真達は山の中にある窪地に落ちてしまったのだ。
そこを登るには、緋真達の体格では難しかった。
ましてや、人1人をおぶってなど、なおさらだ。
すると、突然ロープが降りて来た。
「⁉︎」
「これを使って!」
ロープを垂らしたのは詩埜だった。
詩埜は、入り口のフェンスの所にロープを括り付け、ここまで持って来ていたのだ。
「俺にしっかり捕まってろよ!」
「う、うん……」
緋真は伊吹を背に抱え、必死にロープを手繰り寄せる。
緋真達の体はどんどん持ち上がり、あともう少しで上まで辿り着くところまで来ていた。
「ぐっ……うっ……」
緋真はあと少しのところで、力が入らず、中々上に登り切れない。
「捕まって!」
詩埜が手を伸ばす。
緋真はその手をなんとか掴み、詩埜が緋真と伊吹を引っ張り上げる。
「サンキュー!助かった!」
「うん……えへへ」
お礼を言われ、照れる詩埜。
「いてて……」
「あ、そうだった!救急箱!」
緋真は慌てて伊吹を抱え直す。
「ちょっとじっとしてて」
詩埜はそう言うと、持っていた救急箱から消毒液を取り出す。
「なんでここに救急箱が⁉︎」
緋真は驚く。
「山に入ったら怪我するかもと思って」
詩埜は初対面の緋真達が山に入ると聞いて、遭難したり怪我したりした時のためにロープや救急箱を家に取りに帰ったのだ。
「あとこれ、水分取らないと」
詩埜は家から持ってきた麦茶のペットボトルを2人に手渡す。
「初対面の僕達にここまでしてくれるなんて、優しいね。ありがとう」
伊吹が詩埜にお礼を言う。
「俺も!ありがと!」
緋真も詩埜にお礼を言う。
「ど、どういたしまして……」
詩埜は恥ずかしそうに顔を隠した。
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「こら!サナ!ブッキー!ちゃんと手を拭いてから飲みなさい!」
それから何度も遊ぶようになって、小学4年生になる頃にはすっかり詩埜と緋真達は打ち解けていた。
「別にいいだろ!面倒臭いし」
「良くない!バイキン入ったらどうするの!」
詩埜は内気なところがなくなり、世話焼きお母さんの様になっていた。
「あ、タオル忘れた」
伊吹は何気なく呟く。
「それくらいなら、ウチが近いから取ってくるわ」
詩埜はそう言って、左右確認をしっかりとして道路に出る。
詩埜には見えないほど遠くから、物凄いスピードで走ってくるバイクに気付かずに。
この後、詩埜は生死の境を彷徨う事になる。