1話 月長緋真
それは、炎の様に揺らめく。
ゆらゆらと輪郭をなくし、その存在の希薄さを感じさせる。
しかし、それは確かにそこにいる。
まるで、炎の様に形を持たない、紫色の流体。
いや、形はある。
狼の様な姿形が。
ただ、その境界線が曖昧なのだ。
彼、月長緋真は、ただジッとそれを眺めていた。
普通に考えたら夢としか思えないそれを。
「ルゥゥゥウオオオオオオオオオ!!!!!」
流体が雄叫びを上げる。
まるで、自分は存在しているんだ、本物なんだと訴える様に。
そしてーーーーーー。
流体は緋真の肩口に牙を突き立てた。
「がッ……ぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!! 」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
緋真が目覚めると、そこは自室のベッドの上であった。
「夢……だった、のか?」
昨日あったはずの出来事を想起しながら、緋真は肩をさする。
昨日の夜、肩を謎の化け物に噛まれたはずだった。
肩の傷や痛みはある。
しかし、その非現実さから、緋真は夢だったのではないかと疑ってしまう。
月長緋真。
彼はどこにでもいる普通の高校生1年生……で、あるはずだった。
3年前、あの事件が起こらなければ。
「……緋真、大丈夫?」
緋真の上には、裸エプロンの金髪の女の子が乗っていた。
金髪の髪を頭の左側で纏めた、緋真と同い年くらいのスレンダーな女の子。
表情は無表情でつり目がち。
背は緋真と同じくらいの女の子。
「……柚子」
柚子と呼ばれた彼女は、無表情で首を傾げる。
「……どうしたの、緋真? ……やっぱり、肩の傷が、痛む?」
緋真は頭痛がした。
肩の傷のせいではない。
目の前の柚子が、一向にどかないためである。
「とりあえず、どいてくれないか?」
緋真は柚子にお願いしてみる。
「……え〜?」
不満がある様に頰を膨らませる柚子。
しかし、口や態度の割には、緋真の言うことは素直に聞く。
柚子はベッドから降りた。
ーーーーそして、どんどん縮んでいき、二頭身になった。
緋真はそれをさも当たり前のことの様に無視し、制服を手に取る。
「着替えるからーー」
「……うん、ここで見てる」
「いや、出てってくれよ……」
柚子が出て行ったのを確認し、着替える緋真。
「さて、飯を作るかーーーー」
「……もう、作った」
緋真が軽く腕を回して階下に降りようとした時、柚子にそんなことを言われる。
「…………柚子が作ったのか?」
柚子は、緋真の言葉にコクリと頷く。
「変なものとか入ってないよな」
緋真は冷や汗をかきながら質問する。
「…………」
無言で背後を向く柚子。
「何を入れた⁉︎一体何を入れたんだ⁉︎」
緋真は恐ろしくて柚子に問い質す。
「……」
柚子は答えない。
「……まぁ、いいや」
緋真は脱力してリビングに向かう。
「悪いな。いつも手間掛けさせて」
緋真は柚子に労いの言葉をかける。
「……」
無表情だが、柚子はどこか嬉しそうだった。
緋真がリビングに入ると、そこに料理はなかった。
「……」
あるのは、いや、いるのは、腹をパンパンに膨らませて満足そうにしている茶髪の女の子だけだった。
見た目の年齢は小学生くらい。
髪は薄茶で、頭の後ろで1つに結んでいる。
つり目がちで、口を開くと八重歯が見える。
「……蜜柑。お前、飯全部食ったのか?」
緋真は恐る恐る尋ねる。
蜜柑、と呼ばれた茶髪の女の子は答える。
「おう、美味かったぞ!」
その笑顔は小学生男子の様に満面の笑みだった。
「……4人前、作ったのに」
柚子が呟く。
「おう!美味かったぞ!」
蜜柑は笑顔で答える。
「……緋真の分に、精のつくもの、媚薬、等々、沢山いれたのに」
「おいちょっと待て!」
柚子の呟きに思わず食い付く緋真。
「おう!ちょっと変な味したけど、美味かったぞ!」
蜜柑はケロッとした様子で答える。
「というかお前は!」
緋真は蜜柑のこめかみを拳骨で挟み込み、グリグリとねじ込む。
「いだだだだ!」
滅茶苦茶痛がる蜜柑。
「うちはただでさえ金がないんだから!皆の分まで食うなよ!」
「いだだだだだだ!あ、中身出る!いだいって!いだだだだだだ!」
緋真は必死に蜜柑に説教する。
「わかりました!もうしません!」
「お前はいつもそれだからなぁ……」
よく食べてよく遊んでよく寝る。
難しいことは考えない。
それが蜜柑なのだ。
ふと、緋真は視線を感じてリビングの扉に振り返る。
見ると、黒髪の女の子が恨めしそうにこちらを眺めている。
腰まで伸びた黒髪を頭の後ろで一部分だけ纏めた女の子。
年齢は緋真と同じか1つか2つ上ぐらい。
背がスラッと高く、スタイルがいい。
特に、胸は顔と同じくらいの大きさはある。
「……」
そんな少女は、緋真達を恨めしそうに見ながら奥に引っ込んで行ってしまった。
「翠華は相変わらずだな……」
緋真はポツリと呟く。
翠華。
それが黒髪の少女の名前だ。
柚子、蜜柑、翠華。
彼女達は人間ではない。
言わば、緋真の願望が生み出した存在だ。
それを説明するには、3年前、緋真が中学の時に起きた事件まで遡らないといけない。
緋真の父親は元々冒険家である。
母も、父親の補佐をすることが多くあった。
そのため、家族が家にいることは滅多になかった。
家族のいない寂しさから、緋真は自然と家族や友達を大事にする様になっていた。
だからだ。
だから、3年前に行くはずだった家族旅行は、緋真が本当に楽しみにしていたのだ。
しかし、親戚は皆言うのだ。
当日、インフルエンザで体調を崩して良かったねと。
緋真は家族の絆を大事にしていた。
だから、緋真は両親に、自分の看病よりも旅行を優先してほしいと頼んだ。
お土産話を、沢山聞かせて欲しいと。
そして、両親は飛行機事故に巻き込まれて死んだ。
家や家具、父親が持って帰って来ていた冒険の戦利品などは親戚で分けられるはずだったが、緋真はどれも手放そうとしなかった。
家族の思い出を、両親がいた記憶を、緋真は必死に足掻いて、そして全部手に入れた。
両親の形見に当たる冒険の土産の中に、不思議な、宝石の3つ付いたブレスレットがあった。
緋真は家族のいない寂しさを隠す様に、必死にブレスレットにしがみついた。
家も土産も、何もかも、大切にした。
特に、ブレスレットは毎日身に付けていた。
家族の寂しさを紛らわせる様に。
そうして、いつの間にか、柚子達は生まれたのだ。
柚子達についてわかっていることは少ない。
・1つ、彼女達に実態はない。
・1つ、彼女達は人間の体と二頭身の体を持つ。
・1つ、彼女達が人間の姿をしている時、緋真の体力が奪われる。
・1つ、彼女達が二頭身の姿をしている時は、彼女達は他の人間には見えない。
・1つ、彼女達は緋真から離れられない。
・1つ、彼女達は体が無くとも存在できる。
そんな、人間ではない彼女達を、緋真は家族として受け入れた。
緋真は、家族の絆に飢えていたから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おはよう、緋真」
登校中、そんなハスキーボイスが聞こえて来た。
「おはよう伊吹」
緋真が振り返ると、そこには高身長のイケメンがいた。
薄茶色の髪は癖っ毛のはずなのにそれがかっこよく見える。
常に笑顔で優しそうな表情を崩さない。
彼は緋真の同級生の音無伊吹。
緋真の幼馴染で、3歳からの付き合いだ。
小学6年生まで緋真の方が背が高かったのに、中学に入って急成長して大差をつけて背が高くなられたのが緋真のコンプレックスでもある。
「お前だけか?」
緋真は伊吹に問い掛ける。
そんな問いに伊吹は苦笑する。
「後ろ」
「え?」
緋真が伊吹に言われ振り返ると、柔らかい感触と共に視界が閉ざされる。
「むぶっ!」
「サナ〜!おはよっ!」
緋真に女の子が突然抱き着いて来たのだ。
緋真と同じくらいか、やや小さめの背丈の女の子。
出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。
スカートから見える太ももも健康的で柔らかそう。
薄い水色の綺麗な髪はスカートほどまで伸びていて、ツーサイドアップと呼ばれる髪型にしていて、音符の形をした髪留めと髪飾りが特徴。
目は猫のように丸く大きく、つぶらな瞳で、口は柔らかそうに潤っている。
肌も白く艶やかで、まるで男性の理想を詰め込んだ様な女の子。
伊吹と同じく緋真の幼馴染、倉石詩埜。
緋真は無理矢理詩埜を引き剥がす。
「相変わらずだな……詩埜」
緋真は疲れた声で詩埜に返す。
「だってぇ、サナがかっこいいんだもん!」
腰をクネクネさせながらうっとりと緋真を見つめる詩埜。
「そんなことないよ……カッコいいって言うなら、伊吹の方がカッコいいだろ」
「伊吹?誰?」
「僕泣いちゃうよ?」
詩埜が首を傾げるのに、伊吹は涙目になる。
「お前……相変わらず伊吹に冷たいな……」
緋真が苦笑する。
「だって、私は緋真しか見えないんだもん♪」
詩埜は満面の笑みで答える。
「あれ?」
詩埜がふと気付く。
「サナ……!肩、傷付いてるじゃない!」
詩埜が緋真の肩をさする。
「もう痛くないから大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないわよ!誰にやられたの⁉︎」
詩埜の目は血走っていた。
「許さない……!サナを傷付けた奴は許さない……!」
詩埜は爪を噛み始める。
「殺す……!サナを傷付けた奴は殺す!殺してやる!爪を剥いで目を抉り出して四肢という四肢を切断して……!」
「……し、詩埜?」
「なぁに⁉︎サナ!」
まるで人が変わった様に緋真に満面の笑みを見せる詩埜。
いつもそうだ。
緋真に何かあると、詩埜は豹変する。
「俺は大丈夫だ。肩に一切の痛みもないし」
「そう……?」
詩埜は首を傾げる。
「サナ……これだけは覚えておいて」
詩埜は真剣な表情で緋真に向き直る。
「私はサナの味方だから……緋真の心配をいつでもしてるからね?」
「……うん、ありがとう」
詩埜はぎゅっと緋真の手を握る。
伊吹と緋真は言わない様にしているが、詩埜は変わった。
昔は誰にでも優しい女の子だったのに、その優しさは緋真だけに向く様になっていた。
例えばの話だ。
緋真が事務的な話で女の子と話していた時、詩埜はその女の子にカッターを向けたのだ。
そうなったのはいつの頃からだろうか。
確か、詩埜が事故に遭ってからだ。
詩埜は小学4年生の時に事故に遭っている。
見た目だけでなく、内臓を傷付けるほどの事故だった。
詩埜に合うドナーは見つからず、詩埜はもう死んでしまうかと思われた。
しかし、突如提供者が現れた。
その提供者がどうやってその内臓を手に入れたのかはわからない。
しかし、それが詩埜に適合し、詩埜は奇跡的に助かったのだ。
緋真は、詩埜が助かったのを心より喜んだのを覚えている。
緋真は友達との絆を誰よりも大切にした。
だからこそ、詩埜がギリギリの状況だった時は誰よりも泣いたし、詩埜が回復した時は抱き着くほどに喜んだ。
その頃からだったろうか?
詩埜が、まるで緋真に依存する様になったのは。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
昼休み。
緋真は屋上に来ていた。
「……あれ?」
緋真は違和感を覚える。
「なんで俺、屋上に来てるんだ?」
緋真は自分の意思で屋上に来たはずだ。
なのに、緋真は何の目的で屋上に来たのか分からない。
そもそも、緋真は普段、詩埜と伊吹と一緒に食べている。
それをわざわざ断ってまで、屋上に来る意味が緋真にはわからない。
「あら、偶然ね」
屋上には先客がいた。
腰まで伸びたこげ茶色の髪の少女。
栗色の瞳に、整った顔立ち。
身長は女性にしては高めで、引き締まった身体つきをしている。
その先客の声に、何かを思い出しそうになる。
『これで大丈夫』
昨日、何かがあった様な気がする。
それはーーーーーーーー。
「あ、アンタはーーーー!」
緋真は、昨日のことを思い出した。