中編
「それで? 仮に私がその悪役令嬢だとしても貴女を虐める理由にはなりませんでしょう?」
あきらめにも似た心境で、私はそう問いかけました。
「あるでしょう! 貴女は悪役令嬢なのよ、この世界で私を虐めるのが仕事なの!」
「そんなお仕事ならこちらから辞めて差し上げますわ」
「駄目よ! 貴女が私を虐めないと彼らとの好感度が上がらないでしょう!」
「それは私にはなんの関係もありませんし」
「あるわよ! 悪役令嬢の貴女がいないと攻略が進まないのよ! ねえ、なんでそんなにやる気がないの!」
なんと言われようと構いませんわ。
私はゲームになど一切関わりたくないのですから。
「もう、ちゃんとあたしの話を聞いてティルキナ!」
時間の無駄、と言わんばかりにヒロインに奪い取られた本とは別の本を手に取り、開きかけたところで、またしても奪い取られてしまいました。
どうあっても、ヒロインは私を解放してくれる気はないようです。
相手にするのも嫌なのですが、このままでは終わりそうにないし、どうしましょう……。
はっきり拒絶の言葉を言った方が良い? でも、このような方には、何を言っても無駄なような気もしますが、言わないよりは良いのかしら……。
それだけで諦めてくれれば良いけれど――――
「……貴女のお話をなぜ私が聞かなくてはいけないのでしょう? それに、知っていらっしゃいますか? 貴女が今おっしゃったその御三方は、私には馴染みの深い方々ですのよ。なんの義理もない貴女の為になぜ私が彼らと口撃し合わないといけないのです」
「それは貴女が悪役令嬢だからよ!」
「仮に私が悪役令嬢だとしても、ですわ。この世界に生まれた以上、私にだって自由に生きる権利はあるはずでしょう? どうしてわざわざ貴女の為に行動しなければいけないのですか?」
「それは、あたしがヒロインだから!」
「そんなことは関係ありませんわ」
「あるわよ! この世界はあたしの為の世界なんだから、周りがあたしの為に動くのが当然でしょう!」
「貴女の為の世界などと誰が言ったのですか? それに貴女、ご自分でヒロインとおっしゃって恥ずかしくないのですか?」
「ヒロインなんだからヒロインと言って良いじゃない! とやかく言わないで貴女は悪役令嬢らしくあたしを虐めればいいの! そうすればあたしは幸せになれるの!」
「ですから、貴女の幸せのためになぜ私が貴女を虐めないといけないのです。そんな理不尽な事、出来る訳がないでしょう」
「貴女なら出来るわ! なんたって悪役令嬢なんだもの!」
な…何なのでしょう?
この方の持論がまったく理解できませんわ。
話せば話すほど会話が噛み合わなくなるなんて思いもしませんでした。
唯一つ確信したのは、この方……このヒロインは自分さえ幸せになれば周りはどうでも良いと思っているという事でしょうか。
「何度言われても、私は貴女に関わるつもりはありませんわ。貴女が私を悪役令嬢として動かしたいのは自分の為なのでしょう? なら私は私の為に貴女とは距離を置きますわ。それに、お兄様たちも貴女には渡しませんわよ」
「それは許さないわ、ティルキナ! ロスタリク様もケイラス様もナキレイド様もあたしのお気に入りなんだからあたしのものなの! 貴女はあたしを虐めるの! それが悪役令嬢の貴女の役目なの!」
許さない…とまで言いますか?
それに―――
『ロスタリク様もケイラス様もナキレイド様もあたしのお気に入りなんだからあたしのものなの!』
なんというか、あの御三方を自分のもの発言するなんて、驚きを通り越して心底呆れてしまいますわ。
この方、本当にこの世界がゲームなのだと思っているのでしょうか? 私が虐めないと恋が出来ない、と――そう思い込んでいるのでしょうか?
「ティルキナが私を虐めないと好感度が上がらないし…イベントだって起きない。このままじゃ、あたし彼らを攻略できないじゃない」
聞こえてないと思っているのでしょうか?
不貞腐れる様に横を向いて何やら小さな声でぶつくさと言っていますが……その言動から、やはりゲーム通りに進めないといけないと思い込んでいるようですわね。
そうなると厄介ですわね。
きっと私がいくら関わりたくないと言ったところで、この方は一向に理解しないことでしょう。
どうしましょう?
このままでは平行線をたどるだけ、ならば、ここはこの方の求めている返答をして逃げた方が得策?
ゲーム終了まで後半年よね?
何とかなるわよね?
ここは知られてしまったけれど、まだ隠れる場所の候補はいくつかあるし……。
うん―――そうしましょう!
このままヒロインと話していても埒が明かないことは分かっているのだから、この場は適当に言い繕って逃げる事にしましょう。
さあ、そうと決まれば、さっそくヒロインの望む返事をしましょうか。
「貴女はそんなに私に虐めてほしいのかしら?」
意を決したような静かな私の問いかけに、ヒロインが驚いたように視線を向けました。
「なによ、やっとやる気になったの?」
どこか不敵な笑みを見せるヒロインに、私はとても輝かしい笑みを浮かべて見せました。
輝かしい=凶悪な笑みとも言いますが……。
「ええ、貴女がそれを望んでいるのでしょう? ならば全力でお相手をいたしましょうか?」
「……なんだ、やればできるじゃない。そう、その調子であたしを虐めてよね。頼んだわよ! ティルキナ!」
なぜか親し気に、そしてどこか晴れ晴れとした笑みを浮かべながら去っていくヒロインに、思わずため息が漏れます。
はぁ…やっと行ってくれたわね。なんでしょう……妙に疲れましたわ。
あの方……結局、最後までご自分のお名前を言いませんでしたわね。
デフォルト名など無かったゲームでしたもの、名乗ってくれないと知りようがないのに……。
深くため息を付く私の脳裏に浮かぶのは、先ほどまで目の前にいたゲームのヒロイン。
私、ヒロインと直接会うのは今日が初めてなのだけれど、確か、ゲーム設定ではヒロインは男爵令嬢ですわよね? いくら私を転生者と決めつけていたとはいえ侯爵令嬢たる私に対しての態度ではなかったような気がしたのだけれど……。
あの方、私が転生者じゃなかったらどうしたのでしょう?
まあ、かなり確信を持っていたようだから、あまり気にも留めていなかったのだろうけれど、それにしてもすごい度胸ですわね。呆れ通り越してむしろ感心しますわね。
ゲーム世界と言えど、しっかりと身分制度はあります。
いくら学園内は身分関係なし、とはいっても暗黙の掟というものが存在するのです。
ここには私たち以外誰もいないと思っての発言だとしたなら、それは失策ですわよ、ヒロインさん。
ゲーム世界に転生してヒロインになって浮かれているのは分かりますが、まあ、なんといいましょうか、天真爛漫というか、ただのお馬鹿さん、というか、ここは明らかにゲームなどではなくて現実世界だろうに、本当に――――
「あの子、気づいてなかったの?」
ぼそっと呟かれた私の声に応じるように現れた3つの人影。
「随分と面白いことになっているね」
楽しそうに口角を上げて私の隣に座るのは、ロスタリク様。
紛う事無きこの国の王太子様ですわ。
「君も人が悪いな。教えてあげたらいいのに、ここに俺たちが居るってさ」
どこか冷めた口調で木の幹に凭れかかっているのはケイラス様。
宰相御子息ではありますが、父君の後を継ぎ宰相を目指すかと思いきや、意外にも剣術に優れていていずれは王国騎士団、ひいてはロスタリク様を守る剣となる、と豪語しています。
「彼女、確か男爵令嬢だろう? あの、噂の……。ずいぶんとまあ私の可愛い妹に身勝手な物言いをしてくれるものだ」
どうしてくれようか――――
かなり不穏な雰囲気を醸し出しているのは何を隠そう私のお兄様。
若干……いや、かなりシスコンなお兄様です。
学園入学時からいつも一人で過ごしている私を心底案じています。
実はこの御三方、途中からすぐ近くにいたのです。
ヒロインと私が何やら話していたので近くで様子を窺っていたようですが……いったいどこから私たちの会話を聞いていたのでしょうか?
まさか転生者だとばれていないですよね?
「え…と、お兄様?」
「ん? なんだい可愛い妹よ」
「お兄様たちがここに来ることは分かっていましたが、いつからここに?」
困惑気味に訊ねる私に、お兄様は少し考えるそぶりをして―――
「彼女が、この世界は自分の為にあるみたいな事を言っていた辺りかな……」
ああ、そこからですか……。
それなら大丈夫。
転生の事は聞かれていない。
この世界がゲームの世界だという事も知られていない……はず。
「それにしても、彼女はここが私たちの集いの場だと知らなかったのかな……」
「知っていたら、ここには来ないだろう? 殿下」
「いいや、むしろ喜々として来ると思うよ、ケイラス。言っていただろう? 自分がヒロインだって」
「ああ……確かに言ってたな」
「彼女がどうして自分をヒロインと思い込んでいるのかは知らないが、ティルキナを悪役にしてまで欲しているのが私たち三人なのは間違いないだろう? その私たちがティルキナと共にいるんだ、知っていたら必ず来るよ」
はっきりと私たちの名前を言っていたからな、と言を続ける殿下はどこか不敵な笑みを浮かべています。
「それもそうか。でも俺、彼女が複数の男と仲良さそうにしている所をこの前見たぞ」
「ああ、不特定多数の男を侍らせている、という、あれ…ね。噂は本当だった、というところか……ん? どうした、ナキレイド、黙り込んで」
「いいえ、なんでもありませんよ、殿下。ただ、自分を物語のヒロインと思い込むのはまだしも私の可愛い妹に対する暴言は許せるものではありませんので、報復は何が相応しいかな…と」
「ああ、そうだね。私の幼馴染にして愛しいティルキナに対する暴言、許せるものではないね」
「可愛い妹分の為だ、俺も喜んで協力するよ。ナキ、なんでも言ってくれ」
お兄様の報復宣言に、当然だ、と言わんばかりに賛同するお二方。意を得たとばかりに笑みを浮かべるお兄様は、私の頭を優しく撫でながら問いかけてきました。
「可愛い私のティルキナ、希望はある? 今なら君の望みを含めて策を練るよ」――――と。
やる……。
お兄様の事です。
絶対に言葉にできないほどの報復を決行するに決まっています!
「そ…そのような事、私は望んでいませんわ、お兄様」
その恐ろしさに、思わずぶんぶんと首を横に振ってお兄様にしがみ付いて懇願してしまいました。
「でも、君に対する暴言は許せるものではないよ」
侯爵家としてもね、と言葉を続けるお兄様の目は笑っておりません。
「それでもです、お兄様。私は何とも思っておりません。むしろ彼女の事はほうっておけば良いのです」
これ以上、ヒロインに関わるのは嫌です。というか面倒です。
先ほどは、思わず全力で相手する、なんて言いましたけど、本当に相手をするはずがないではないですか。
あと半年なのです。
絶対に逃げ切って見せると決めているのですから!
「でも、あそこまで思い込みが激しいと、彼女何をしてくるか分からないよ」
「そうだな、世界はヒロインの自分の為に回っている、と豪語するくらいだもんな~」
う……。
「殿下とケイの言う通りだ、ティルキナ。お前は何もしなくていい。私たちに任せろ」
「だ…駄目です! お願いだから、彼女の事は本当にほうっておいてください!」
むしろ近づかないでください!
これ以上、関わらないで!
その後、幾度となく報復したいとごねるお兄様たちを何とか宥めてその場は収まりました。が―――――
「この日を待っていたわ、ティルキナ。さあ、あたしを虐めなさい」
災厄は、忘れていたころにやって来る。
関わりたくないと願っていた私の思惑は、その後外れることになるのです。要は安易に考えていたのです。ヒロインを見かけたら逃げれば良いと……。
つくづく思います。
あのヒロインの執着を本当に甘く見ていたと―――
ありがとうございました!