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怖い噺

固い遺志 その一

作者: 齋藤 一明

 僧が抑揚をつけてとなえていた声が次第に小さくなってきている。

 耳だけ働かせていた俺は、そろそろ読経が終わることを察して薄目を開け、徐々に姿勢を正し始めていた。

「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ、……」

 三度目からは口の中でぶつぶつ言っているようで、はっきりとは聞こえてこない。


「それでは皆様、故人にむかって、合掌……、礼拝……」

 司会者の声が場内に染み渡った。

 それにあわせて一斉に手をあわせる参列者の横では、葬儀場の職員が彩りの良い花を抜き取りだしていた。

 土地柄によるのだろうが、紙で作った花輪を供花とするところもあるし、華美にならぬよう、樒だけを供える地域もある。俺の住む町では生花を供えるのが一般的だ。そして、その花は棺の中に納めて送り出すのである。職員が始めたのは、そうして納める花を集めることだ。


「皆様方におかれましては、お別れの仕度がととのいますまで、今しばらくお待ちいただきますよう……」

 僧が退出して棺が中央に引き出されてきた。

 真っ白な手袋をした職員が黒塗りの盆に抜き取った花を山盛りにして遺族の前に進んだ。小声で語りかけると、喪主を先頭にして棺を取り囲む。そして思いおもいに花をてにすると、そっと棺の中に納めてゆく。

「どうぞ皆様も、綺麗な花で送ってあげてください」

 一般会葬者の席にも声をかけた。



 享年百二歳。 ともし火が消えたのは一昨日ということだが、薄化粧を施されているためか不気味な顔色はしていない。とはいえ、まったく血の気が失せているので、生乾きの壁土のようである。年齢相応に肉がこけてしまって骨に皮が載っているようなものだが、花を供える者は、穏やかな死に顔だと囁きあっていた。しかし、全身の筋肉が弛緩するのだから、表情筋だけ生前のままでいられるはずはないのだ。どんな惨い殺人事件でも、苦悶の表情をした被害者を見たことがないと、鑑識一筋に勤めてきた警察署長が雑談のついでに語ったことがあった。理屈では納得したのだが、こうして実物に接すると本当のことを語ったのだなと思う。



 この葬儀は家族葬だ。特に親しい者にだけ連絡をしたと遺族が言っていた。が、連絡を受けた者が、気を利かせて他の者にも報せたようで、遺族も当惑をしていた。

 その予期せぬ会葬者の中には変わった者もいた。

 少しでも有力者といわれる家の葬儀には必ず参列し、顔を売ろうとするのだ。つまり心根が卑しい。とはいえ、無下に断ることができないので頭を下げているだけなのだが、必ず目立つところに席をとり、焼香は真っ先にする。つまり、目立ちたがりだ。そして、どういうわけか、誰が出席しているかをじっと観察している。

 そしてこの男、お調子者である。軽はずみに用事を引き受け、能力不足に泣くことが多い。なのに、ちょっと煽てられるとホイホイ引き受けてしまう。体よく使われていることに気付いていないのだ。そしてこの男、酒がたいそう好きである。


 棺に中が花で埋まった。故人の愛用していた帽子やら扇子、ニットの服なども副葬品として納められた。

 もうそれで棺に蓋をするばかりだった。


「ちょっと待って、ちょっと待ってよ。最後だからさ、せめて一杯だけ」

 どこで手に入れたのか、グラスに茶色の液体を入れてきた。グラスの縁に泡がついている。

「最後だからさぁ、こうしてね……」

 どういうつもりか樒の葉をスプーンに見立てて末期の水である。それを見て、俺たちはざわついた。

「なあ、こういうことって遺族がすることじゃないのか?」

「親父の葬式でもやったけどなぁ、他人にはさせなかった」

「だいたい、部外者が仕切るか?」

「そうだぞ。式場が仕切るならともかく、度が過ぎる」

 一番年下の俺でさえ六十三歳だ。列席している顔ぶれは、高齢だと八十を超え、半数が六十代の元気盛りである。これが自治会行事での出来事であれば、すぐに止めさせるところなのだが、葬儀の最中だ。騒ぎをおこして良い場ではない。それを承知で本人が蛮行に及んだのだろうと思うと、怒りが湧いてきた。


「さあ、皆さんも」

 調子にのった男は、遺族にも同じようにすることを勧めた。

 さすがにむっとした遺族だが、事を荒立てることを避けて何人かが真似をした。


「もうよろしいですか? 他の誰もが手を出さないことを受け、男は締めくくりと呟いてグラスに樒を浸したのだった。


 男が最後と呟いてビールを唇に流したとき、肝臓を患って浅黒い顔色がさっと変わった。

 この男、元来が短髪である。若い頃はパンチパーマをかけていたのだが、七十歳になる今は坊主頭にしている。日焼けと肝臓病で顔色は普通の黒さではなく、よせば良いのにサングラスをかけている。今日だって葬儀に出席するのにサングラスだ。ところが、見かけは悪ぶっているのに、根は小心者なのだ。

 男は得意満面にビールを口に注いだ。

 すでに何人かが注いだ後なので、乾いていた唇がピカッと照明を撥ね返していた。

 ツツーっと滴が唇の端に達し、頬を伝った。

「では、これが飲みおさめ」

 そう言ってビールを注いだ。

 小さな樒の葉で掬うのだから注ぐといっても僅かな量だ。ほんの三滴ほどだろうか。

 それが唇の合わせ目をツルツルと転がった。そんな気もないくせに男がその行方を目で追っている。

 これから玉になって転がり落ちるはずだった。ところが、途中で玉が止まってしまったので。

 怪訝そうに覗き込んだ男の顔色が変わったのは、そのときだった。


 唇の間から血の色を失った肉片が覗いているのだ。

 花を供えたときは、遺影のように口を結んでいたはずだったのに。


「せっかくだから、全部飲んでおけよ。さすが、素晴らしい供養を勉強させてもらったよ」

 俺の一言が効いたのか、男の両膝が激しく震えた。



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― 新着の感想 ―
[良い点]  斎藤さんこれは本当の話なのですか。  私は本気で怒っています。  それはね葬式ともなればしきりたがる親戚の一人くらいはいますよ。だけど身内だから許せるではないですか。  それをね…
[一言]  この作品を読んで、父方の祖母の葬儀の出来事を思い出しました。  私の父は4人兄弟(姉、父、弟、妹、の順番です)で、実家を引き継いだ父が祖母と同居していたのです。  祖母は認知症と病気を患…
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