入試の日の朝
2月4日と5日は私立高校の入試……ということで、突発的に降って湧いた入試当日の朝の一コマを書いてみました
『ジリ……』
目覚まし時計の咆哮が始まろうとした刹那、人の手によってそれは沈黙させられた。
「よし、今日も勝った」
部屋の主である、韮山朱音。毎朝決まった時間に起きることをモットーとしているらしい。
小学生の頃はなかなか起きられなかったが、長年続けていたおかげで、今は目覚まし時計がなると同時かその前に起きられるようになっていた。本人も、勝負と称してその行為を楽しんでいるようだ。
「流石に……まだ暗いか」
まだ夜も明けきらない時間である。しかし、支度もある為起きなければと思い、布団をはねのける……つもりが、身体が言うことを聞かない。つまり、それだけ寒いのだ。
「オフトゥン最強……って、さすがに莫迦やってられないよ。今日は、大事な日なんだし」
そう、本日より私立高校の入試期間なのだ。こんな日に布団に潜って二度寝して遅刻とか、恥の極みでしかない。意を決して、布団から脱出しカーテンを開ける。まだ薄暗いのに、白いものがチラチラ舞っているのが部屋の中からも確認出来た。
「ぅわ、降ってるのか……」
どうりで寒いわけだ、と彼女は気を取り直して部屋の暖房を入れ、着替えを始めた。
着替えを済ませ、洗面所で顔を洗って完全に目を覚ました朱音は、朝食を食べようとリビングへ顔を出した。
「おはよー」
「あ、あぁ、おおおはよう」
「ゆゆゆ昨夜は寝られたかしら?」
(……なんちゅー空気なのよ)
両親の挨拶がぎこちない。
何時ものような朝の雰囲気は、そこには一欠片も存在していなかった。娘の入試が気になるのは仕方がないにしても、親が緊張感丸出しってどーなのよ?と呆れ返る。
「何時も通り、ちゃんと睡眠は取れてるわよ。それより、この空気何とかなんないの?」
「そ、そうは言ってもだな……」
「今日は入試でしょ?その……大丈夫かな?って……」
「全くもって平常心よ」
そう朱音は言い放つと、テーブルの上に用意されていた朝食に手を伸ばした。
「全く……入試を受けるのは私よ?それなのに何で親の方が……」
朝食を摂りながらも、彼女の愚痴は止まらない。
「愛娘の将来がかかってるんだ、心配もするさー」
「たかが高校入試で考え過ぎよ。落ちたら人生終わり、ってわけじゃないし」
「だって公立は受けないんだろ?落ちたら……」
父親の心配も、わからないわけでもないんだけどね、と心の中で呟いておく彼女。ただ、父親以上に母親が狼狽えているのには、苦笑するしかなかった。
「ハンカチは?筆記用具は?受験票は?忘れてるものはない?あぁ、お弁当何処に置いたかしら……」
「母さん……」
もう、何を言っても無駄なような気がするのは私だけではないはず、と朱音は頭を抱えた。そうこうしているうちに朝食も終わり、後は出掛けるだけとなった。
「じゃ、雪降ってるから早めに出るね。父さん、母さんをお願い」
「わかった。気をつけて行くんだぞ」
「了解であります」
「あぁ、マフラー忘れてたわ。朱音、これを」
母親から渡されたのは、手作りのニットマフラーだった。何時ものマフラーをしていくつもりだった朱音は、母親の気遣いに感謝しそれをしていくことにした。
「ありがとう、母さん。絶対合格してくるからね」
そう言い残して、彼女は自宅玄関を後にした。
◇
いざ出陣!と、気合を入れて一歩目を踏み出す。
……つもりだったのだが。
「はぁ、こっちもか」
玄関を出て一歩踏み出そうとした先に、新たな頭痛のタネが存在しているとは、さすがの朱音も予想していなかった。
「ああ朱音?忘れ物はない?受験票持った?」
「ウチの母さんか、ミキ姉」
韮山家の玄関先に居たのは、隣に住む狩野未来だった。1歳年上で、すでに高校に通っている。親同士が仲が良いせいで、ふたりは姉妹同様に育てられてきた。そのせいか、普通の姉妹以上に仲が良かった。
「ミキ姉、今日明日学校休みでしょう?なのになんで制服なの」
「わわわたしもも入試の手伝いに行くから、つつついでに一緒に行こうと思ってね」
「その割に、狼狽えぶりがハンパないんですけどー」
「だだだって朱音、ウチのガッコ受けるんでしょ?気が気じゃなくて……」
朱音は未来が通う私立高校のみに志願していた。その学校は、この辺りではレヴェルがハンパない有名校である。にもかかわらず、朱音には滑り止めなど眼中になかった。未来がいる学校以外は1ミリの興味も持たなかった。それもこれも……
「ミキ姉の後輩になる為、と言うより一緒の学校に行く、それだけが目標だったから」
だそうだ。
「絶対合格する。そして、またミキ姉と一緒に学校へ通うんだから」
「そう……だったわね。去年の約束を実行する時が来たのね」
1歳差。
たった一年と言うかもしれないが、恋人の契りを交わした二人には、絶望的な差に感じていた。
「ミキ姉のいない学校は、何も色が感じられなかった。学校にいる時間が苦痛だった」
「朱音……」
その差を何とかしようと、二人で試行錯誤したが、朱音が受験生ということもあって、互いの家にお泊りする位が関の山だった。
「それも来月まで。四月からはまた一緒だからね!」
「入試はこれからでしょ?まだそうとは決まったわけではないのよ」
「いや私の中ではもう確定。知ってるでしょ?私の成績」
志望校が未来の学校に絞られた(というか一択だったが)頃から、朱音の両親のに頼まれて勉強を今まで見てきた彼女だったが、それが必要ないくらい朱音の成績は良かった。
「でも、万が一という事も……」
未来の心配も尤もである。突発的な出来事で受験自体を受けられなくなる、という事も無きにしも非ず。寧ろそちらの心配のほうが、未来としては大きいらしい。
「入試の手伝いするなら、わたしが朱音と一緒に行けば心配事も少しは減るかなって……」
「それで玄関にいたんだ……」
未来の謎の登場に、漸く納得した朱音。
「試験の方は心配していないけど、朱音の場合は面接が問題よね……」
「猫っかぶりは得意だよ?」
「そんなんで良いのかしら……」
「素の私は、家族とミキ姉以外には見せないよ」
普段の朱音を知っている未来は、色んな意味で心配なようだが、本人にとっては些細なことらしい。
「さて、そろそろ駅へ行く?止まらないとは思うけど、電車が心配だから」
未来がそう促すと、朱音は彼女の腕に抱きついた。
「腕、組んでいってもいい?」
「もう組んでるじゃない」
苦笑した未来は、懐から折り畳み傘を出して広げた。
「さ、雪がかからないようにもっとくっ付いて」
「あ、ぅん」
言われた朱音は、未来の腕にこれでもかという位に密着してきた。二の腕に感じる、朱音の胸にドギマギする未来だったが、何とか平静を取り繕う。此処で、動揺を見せたら負けのような気がしたから。
「行きましょうか」
「はい、センパイ♪」
「……まだミキ姉でいいわよ」
そう言い合いながら、二人は駅まで続く白い世界へ歩み進んでいくのだった。
その後、バレンタインデーに合否が発表され、朱音はバレンタインのチョコと共に『サクラサク』を未来に伝えるのだが、それはまた別のお話。
fin.