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Chapter 2 「遠き山に日は落ちて」 "After The Sunset"

 黒い“何か”は一瞬で現れ、そして現れた時と同様に唐突に消え失せた。


「あれは……何だ?」シンはただ呆然と黒い奔流を見つめ続けている。心底からの恐れを感じながらも、それから目を離す事ができない。


「分からない。だけど、私はあれの正体を追い求めている」


 そこでセオファニアは自分がシンの服の裾を掴んでいた事に初めて気がつく。そして、シンに気づかれぬ内にその裾を離すと、照れ隠しのようにその掴んでいた指先を自身のマントで拭い、言った。


「ヌエヴォ・ムンドへようこそ。“流浪者”さん」


 セオファニアはそう言い、シンの手を取る。


「ここも危ない」


 セオファニアはシンの有無を言わさず手を引っ張り、丘の上へ上へと歩いて行く。その力は少女のそれとはとても思えぬ程の力だ。

だが、シンはその彼女の手を振り払いながら叫ぶ。


「何なんだよ、これはっ! おかしいだろう、あり得ないだろう、こんな、こんな……!」

 何がおかしいのか。それはもう彼にすら分からない。


「おかしくなんかない。あなたが今見たそれが事実。それを認めないと、生きてけない」

「認める? 何を認めろって言うんだ!」

 シンは皮肉っぽく笑う。


「認めて、何になるっていうんだ」

「何になる? 何が起こっているのかを私は知りたい。だから、私は今起こっている事を“認める”の。あなたがそれを認めたくないなら好きにすればいい。何も知らないまま、現実から目を背けたまま、死んでいけばいい」


 シンはそのセオファニアの言葉に反論できず黙りこむ。

 自分のことも分からないというのに、何を認めろというのか。シンの頭の中では、様々な事がぐるぐると、魔女の大釜の様に交じり合い、音を立てて煮立っていた。

 その時だった。


「動くなっ!」

 シン達の背後から声が聞こえた。その声は震えているのがわかる。そして、どこかで聞いたことのあるような声。


「――こんな時に。出てきなさい、“機関”の犬」セオファニアの溜息混じりの声。


 だが、セオファニアが声を発する前に、茂みからは一人の少女が姿を表した。

 茂みの中から出てきたのは……、先ほどの金髪の少女。


 確か名前は――。シンが彼女の名に思いを馳せたが、その前に彼女は言葉を発する。

「犬ではない、アーシャだ。“銀目”!」


 アーシャは右手に持った何かでこちらを狙っている。それはゆらゆらと揺れ、シンとセオファニアを交互に狙っているのが分かる。

 銃だろう、シンはそう考える。それはある意味では当たりだった。彼の考えている銃とは全く違う物であったのだが。


 シンはどうするのか図りかね、セオファニアの顔を伺う。彼女はアーシャを睨みつけ、よく見ればその小さな体は震えている。恐怖だろうか、怒りだろうか。感情に乏しいその顔色からは伺う事ができない。

 シンは今度はアーシャの方を向く。彼女の目尻には涙が浮かんでおり、先程まで泣いていた事がはっきりと分かるほどに真っ赤だった。


「貴様か、貴様がこんな事を!」アーシャは叫ぶ。

 だが、セオファニアはそれを鼻で笑うと、吐き捨てるように言った。


「私はやっていない。狙ってあんな事が出来るのなら、お前に捕まる前にやっている。……少し考えればわかることでしょうに」

「黙れ! “銀目”! 貴様らが日頃から怪しげな神を信仰し、怪しげな術で人々を惑わしているのは知っているんだ!」


 セオファニアの口元が歪む。

「何が言いたい、“特務”の犬」

「こんな事になったのは貴様ら“銀目”の生き残りが、怪しげな力を使ったからだ、そうとしか考えられない……」


 アーシャの声色は次第に弱々しい物となっていき、最後にはこみ上げてくる涙を抑えきれずに黒い制服の裾で自身の涙を拭った。そして、再びシンとセオファニアを睨み返す。彼女の矛先は今度はシンへと向かう。


「そこのお前、お前もそこの“銀目”の仲間か!」

 突然飛んできた火の粉にシンは戸惑う。


「俺、俺は……、関係が、無い」

「貴方達が一緒の牢に入れた、それだけの仲よ」セオファニアがフォローする。だが、今のアーシャにとってそれはフォローではなく、逆に火に油を注ぐのと同じ結果になりつつあるのだが。

「そんなはずがあるか!」

 興奮したアーシャは銃のトリガーに指を掛ける。狙っている相手はセオファニアではなく、シンだ。


 ああ、これは死んだな。なんて短い人生だったんだろう。

 そう考えたシンは、半ば自身の命を諦めた。それが理不尽であると思いながらも。

 ――彼の視界と思考は、次第にゆっくりとしたものになり、世界がまるで水の中にあるように、おぼろげに、ゆっくりと見える。だが彼はそれと同時に、先ほどのセオファニアの言葉を思い出した。走馬灯の代わりに、彼女の言葉が彼の頭のなかをグルグルと回り続ける。

 “何も知らないまま、現実から目を背けたまま、死んでいけばいい”セオファニアはそう言った。その時は答えが出なかった。出せなかった。だけど、今ならハッキリとその言葉に対して答えが出せる。

 そう考えたシンの口元には笑みがあった。死を目前にして、答えが決まるなんて本当に無駄な事だと考えた自嘲の笑いだ。だが、彼は満足していた。――答えが出せないまま死ぬよりはマシだ。そう考えながら。


 その時だった。彼の目の前に、突如として何かが現れる。

 無言のままセオファニアがアーシャの銃の射線上に立ち、シンを庇う形となる。身長が足りていないので、頭を狙えば意味のないことではあるのだが。


 だがアーシャにとってはそれで十分だった。トリガーを抑える指が、力を失いトリガーガードの外へと姿を消した。


「何度も言うが、私も、この人も関係が無い。――そもそもあれは予期出来た事だろうに」

「予期出来た……?」


 アーシャは銃を下ろし、セオファニアの言葉を信じられないとでも言いたげな呆然とした表情で聞いている。そして、その彼女の様子をを冷徹な――凍りつく、という形容が似合うような――表情で見ているセオファニアは不気味なほど淡々とした声色で語り始める。


「この禍は首都を中心として木の根のように広がりつつある。これまでの侵食路を考えるならば、あの街が飲み込まれるのは予期出来た」

「知っていたなら何故、何故言わなかった……! お前のせいで隊長が、皆が!」

「私は一応警告した。――だが、私が言ったとして、信じたか?」


 アーシャは言葉を詰まらせる。事実だからだ。自分はおろか、他の連中だって信じなかっただろう。こんな少女の言う事を信じる人はそうは居ない。


「私達の言葉など、お前らが信じるはず無いだろう。私達のような人々を追い立てて、殺して来たような、“機関”には!」


 恨みと悲しみ、そして諦めに満ちた声。彼女の歩いてきた道を想起させるような、感情のこもった声が丘の上に虚しく響く。

 セオファニアが言葉を発し終わった後には、誰も口を開こうとしない。ただ重々しい雰囲気だけが彼らの間に漂っていた。


「もういい、止めろ」


 ここまで二人の会話を黙って聞いていたシンが始めて口を開く。彼の表情は、何か決めた者のそれだった。

 彼はセオファニアの傍らから離れていき、アーシャの方へ向かう。そして最終的に、アーシャとセオファニアのほぼ中間の地点に立つ。二人はシンの突然の行動に言葉を失い、ただ彼を見つめるだけ。


「はっきり言って俺には何が起きてるのか、あんたらの因縁とか、それどころか俺が誰なのかすらもわからない。――俺は今日一日でうんざりするくらい、色んな事を知ったよ。おかげで頭ン中がぐちゃぐちゃで、何も分かりやしない。だが、一つだけ分かる事がある」


「分かる事?」アーシャは呆然とした顔つきのまま、言った。


「アレは、あんたらのどちらかの所為でもなければ、今ここで二人が争う必要性は無いって事だ。それに、俺達は生きてる。――生き残った者同士で争っても意味が無いだろ」

 それだけ言うと、シンはセオファニアの手を取り、アーシャに背を向けて歩き始める。セオファニアはそれに逆らう様子もなく、彼に従っていた。


「……どこへ行く気だ?」

 その様子を見たアーシャはシンの側へと駆け寄って来る。その様子を察したシンは足を止めて振り返り、言った。


「ポート・ロシェルへ行く。あんたも来るかい?」

 アーシャは無言のまま頷く。


 いつの間にか日は遠くの山の陰へと隠れていた。

次回更新は3/10になります。

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