Chapter 3-6 「選択と結果」 "The Chosen"
「なあ、あれで良かったのか?」後ろ髪を引かれる思いで、後ろを振り向きたそうにしているシン。彼がセオファニアの方へと顔を向けると、彼女はフードを押し下げ、海から吹き付ける風に自身の髪を預けていた。
その顔には、これまで見られなかったような穏やかな表情があった。
「どうしたの……?」
「いいや、何でもないよ。それよりさ、なんとかあの中に入る方法を考えたいと思って」
それを聞いた途端、セオファニアは困った表情になる。
「わたし達はアレ以上なにも出来ない。彼女達の足手まといになるだけよ」
「……確かにそうだけどさ」
その後が続かず、シンは黙りこくってしまう。
シンは街に目をやる。風が海の匂いを運んできた事で、彼は当たり前ではあるのだが、今まで気づかなかった事に気がつく。ああ、すぐそこに海があるのだと。
懐かしい感覚をシンは覚えた。何故かは分からない。だが、この潮風の匂いに懐かしさを覚えるのだ。
店の軒先には大小様々な魚が身を横たえ、店先では恰幅の良い男たちが前掛けを揺らしながら買い物客の注目を集めようと呼び込みを行なっている。そんな声ですら、今のシンには懐かしく聞こえる。
「随分と楽しそうだけれど、これからどうするつもり?」セオファニアだった。そんな彼女の声色もまた、どこか楽しそうだ。
セオファニアがやっと荷が降りたと考えていた事は確かだった。彼女――アーシャが側に居ると、どうしてもセオファニアはあのことを事を思い出してしまうから。
誰かを憎み切ることが出来れば少しは楽になれるのだろうか、そんな暗い考えをシンに悟られないようにしながら、セオファニアはシンとの会話を続ける。
「何も考えてない」
「そうよね。“記憶喪失”の人にそんな事を聞いた私が馬鹿だったわ」
セオファニアは記憶喪失の部分を強いアクセントで言うと、微笑みながら目だけをシンの方へ向ける。
「もしかして、疑ってるのか? 俺の事」
「まさか。でもまあ、その理由はあまり信用していないのは確かね」
「勘弁してくれ……。俺だって、それ以上の説明は出来ないんだからさ」
「余所の世界から来た、なんて事だったりして」
「冗談だろ、それ」そう言いながらも、シンはまんざらでもなかった。
「結構聞くわよ、その手の噂は。どこまで本当なのか分からないし、信じても居なかったけど、今はね」
そう言い、セオファニアはシンの方を見て微笑んだ。
「そうかもなあ、どうやって来たのかも分からないんだけどな」
「じゃあ余所者さん、一緒に来ない?」
「どこへ?」
「北、北の山脈へ向かうの」潮風によって、セオファニアのローブの裾が勢い良く靡く。彼女は心地よさそうに暖かな風を味わっていた。
「あの男、アーカスの別荘へ行くの。何か見つかるはず」
「父親探しってわけか」
「それだけじゃないわ。あの人は有名な魔術師。貴方の事を、貴方がここに来た方法を知っているかもしれない」
そう言うと、セオファニアは手を差し出す。握れ、という事なのだろう。そう解釈したシンは恐る恐る手を伸ばす。
「分かった。一緒に行こう」
だが、途端にセオファニアは手を引っ込めた。
「そうじゃないでしょう?」
「一緒に行かせてくださいお願いします」
「よろしい」そう言ったセオファニアの顔はいたずらっ子の様なはにかみ笑いで、シンには初めて彼女の少女らしい顔を見た気がした。
どことも知れぬ山の上。一人の男が時たま雲の隙間から覗く向こう側の山を睨みつけるように見る。幾度と無く強い風が吹き付け、彼の手に握られている杖がもぎ取られそうになるが、その度に彼はより強く地面に押し付ける。
男は片手で杖を、もう片手で身に着けているケープをしっかりと押さえながら歩を進める。
その足取りには力強さが見える。だがその足取りからは想像出来ぬ程、彼は歳を取っていた。
よく見れば、杖を握る手には皺が目立ち、彼の顔で主張している髭は真っ白で、随分と高齢である事が伺える。だが、その目に見える外見とは裏腹に、彼の体はその実年齢よりも遥かに若々しいように思える。強い風に逆らいながら一歩一歩確実に進んでいくその姿を見れば、誰もが納得するだろう。
「時は来た」
風の中、彼は一人呟く。彼の言葉は強風の中に消えていく。
「古の神々は忘れられた、彼らもまた人を忘れた」
誰に聞かせるでもなく、彼は呟き続ける。
「それは誰の過ちの所為でもない」
彼も誰も聞いてはいない事を知っていた。むしろ、聞いていない事を知っているからこそ、呟き続ける。
「人が、子供として過ごす時間は終わった」
鋭い眼光が、彼の歩む道の先を睨みつける。白い霧の先が見通せるのかのように。
「間も無く、人の時代が始まる」
この男の名は、カスタルシオ。
カスタルシオ・フォン・アーカス。