Chapter 3-3 「選択と結果」 "The Chosen"
ポート・ロシェルに近づけば近づくほど、避難民の数は減り、海兵達の姿が多く見られる様になった。顔つきは様々だったが、海兵達に共通していたのは一見明るそうに見えるのだが、その内側に隠された怯えの表情だった。
只ならぬ事が起こりつつある。屈強な海の男達ですらそれに対して恐れている。シンはそう考えていた。そう考えていたのシンだけでは無いようで、セオファニアはそんな男達の顔色を興味深そうに見ていた。
「海でも何かが?」セオファニアは言った。
マルティリオがそれを聞いている様には思えなかった。彼は腰にぶら下げたスキットルから何かを飲むと、振り向くこと無く答える。
「幽霊船だよ」
「幽霊船?」
「信じられないだろうが、本当の話だ。ボロボロになった船、動く骸骨、水が滴り落ちる死体、そんなのが海にはうようよ居やがる」
「その話、本当なの?」セオファニアはフードを引き下げ、顔を露わにしながら言った。銀色の目がマルティリオの背中を射る様に見つめる。
すると、彼は射すくめられたかのように足を止める。
「本当だ、ウソを付く必要が無いだろうが!」マルティリオはそう言いながら、くるっと向きを変えて三人の方を向く。その表情には、先程すれ違った海兵達と同じような恐怖の色が現れていた。
「少し前ならお笑い種で済んだ話だがな、事実なんだよ。信じないってのか? 俺もそうだったよ。見張りに立ってた奴が血相を変えて船室に飛び込んで来て、言ったんだ。『幽霊船だ、俺は呪われた』ってな。俺たちは当然笑い飛ばしたよ。普通信じられねえし、十数年海の上に暮らしてるが、そんな物は一度として見たことはねえ。幽霊だのなんだのってのはガキ共の戯言だと思い込んでた。
だがな、その後に見張りに立った俺はハッキリと見たんだ。一目で分かったよ。幽霊船は青白い光を発しながら、風もないのに滑るように航海してやがった」彼の顔に、嘘の気配は見えない。
「分かった分かった、そう興奮するな」興奮して今にもセオファニアに掴みかからんとしているマルティリオに対し、アーシャが宥めに入る。
マルティリオに酒が入っている事は、その熟れた林檎の様に赤い顔からハッキリと分かる。だが、その言葉には酔っぱらいの戯言と切って捨てる事は出来ない切実さがあった。
それに、三人はそれと同じ、いや、それ以上の物を見てきたのだ。信じないという選択肢はあり得なかった。
「マルティリオさん」彼に最初に話しかけたのはシンだった。
「んだよ、兄ちゃん、信じれれないってか?」
シンは無言で首を横に振る。マルティリオはそんなシンを見て少し驚いたように他の二人を見るが、どちらの顔にも彼を馬鹿にしたような様子は見えない。それどころか、真剣に彼を見つめている。マルティリオは今まで幾度と無くこの話をしてきたが、誰も信じなかったのだろう。だからこそ、何の疑いもなく彼の話を受け入れた三人に対して、驚きの目を持って見ていた。
「ここに来るまで、俺達も同じような物を見た」
「同じようなもの……?」
「動く死体だ。人や、デカい獣。頭を潰さないと決して死なない化け物だ」
それを聞いたマルティリオは手に持っていたスキットルを落とし、その飲み口からは黄金色の液体が流れ出る。
ショックで言葉も出ない。そんな印象だ。重苦しい沈黙が流れる。
最初に動いたのはやはりマルティリオ。握りしめた拳を解き放ち、スキットルを拾おうと体を屈める。
「なんてこった、この世界はどうなってやがるんだ」マルティリオは悪態を付きながらスキットルを掴み、キャップを締めた。
「急ぐぞ」そして、踵を返し歩き出した。
彼らは程なくポート・ロシェルの門前までたどり着く。
「マルティリオの兄貴、そんな顔してどうしたんで?」
マルティリオの顔を見つけ、小走りで近づいてくる門番の男を見ることなく、彼は言う。
「緊急の用事だ。頭の所に行って伝えて来い。火急の自体だとな」
「へ、へい!」返事が先か走るのが先か、男は直ぐ様門の向こうへ消えていき、見えなくなる。
ポート・ロシェルへの入り口となるその門は、幅広い水濠を跨ぐ石橋の向こう側に存在しており、挟み込むように両側に突き出た壁に圧迫されて、少し窮屈そうに見える。
その城壁は、意外と背が低く、シンの立ってい場所からでも、城壁の上で警備に当たっている人物の姿がはっきりと視認出来る。
橋を渡った後、門の両側から突き出た壁と門との間にそれなりの広さがある広場があるのだが、その広場には小さな小屋や馬の見えない馬車などが所狭しとスペースを取り合っていた。
「マルティリオさん、これは?」シンが掘っ立て小屋の方を指さして言う。興味に満ち溢れた顔だ。
「避難してきた連中を全員中に入れるわけには行かねえからな。運の悪い連中は外で寝泊まりしてるって訳だ」
「それにしては人の姿が見えないわね」
キョロキョロとあちこちを見渡しながらセオファニアは言った。
「大抵の奴らは昼間は中に居る。当然夜になっても外に出ようとしないわけで、中に居座ろうとするんだが、そういう連中は俺たちが外へ追い出す」
シャツを捲り、楽しそうに指の骨を鳴らしながらマルティリオは言う。必死で逃げてきた挙句、こんな大男に手荒に追い出される連中は哀れだ、そうシンは考えた。
そんな会話をしている内に、先ほどの男が駆けてくる。その額には汗が滲み、シャツは湿っている。
「マルティリオさん、了解貰えました!」砂埃は巻き上げながらもなんとか止まり、マルティリオに報告する。
「うっし!」 マルティリオは小さくガッツポーズを取ると、門の向こうへと指を突き出し、言った。
「我が君の所へ、いざ行かん」そう言い終わるのと同時に、彼は笑う。シンはもちろん、セオファニアにも微笑が見られたが、アーシャは面白くなさそうな表情のままだ。
「ったく、嬢ちゃんは冗談を理解しないな。そんなんじゃ人生楽しくないぞ」
「だからどうしたというのだ。今はそんな事をしている場合では無いだろうに」
元来生真面目で型にはまった性格の彼女にとって、マルティリオは軽薄で軍人らしく無いとしか思えないのだ。
しかし、マルティリオは態度を変えようとはしない。する必要を彼は感じていない。
「こういう時だからこそ、こういう態度を取るんだよ、嬢ちゃん」
そう言うと、マルティリオは色黒の肌には似合わない白い歯を見せ、笑った。