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Chapter 2-5 「遠き山に日は落ちて」 "After The Sunset"

 その言葉を聞いたセオファニアは光弾の収束率を上げ、半ば光線と化したそれでゾンビの頭を撃ちぬいていく。するとゾンビは活動を止め、本物の死体となって横たわる。別方向ではアーシャが短銃でゾンビの頭を撃ちぬいている。

 形成逆転だ。


「シン、生きてる?」


 ある程度のゾンビを片付けて、周囲を警戒しつつセオファニアが言う。彼女の額には玉のような汗が何粒か浮かんでいた。


「ああ。なんとか生きてるよ」


 黒い血に塗れた剣を地面に放りながらシンはセオファニアの方を向く。


「酷い格好。……それに、酷い匂い」地面に腰を下ろしながらセオファニアは言った。


 彼女の言葉通り、彼の服や腕には返り血が染めきっていた。こんな格好ではとても人前には出られないだろう。

 しかし、疲れきっていたシンは言葉を返せず、手をひらひらと振って答えただけだった。

 

「何体倒したんだ……?」アーシャが銃のフレーム部分から何かを落としながら呟く。

「二十七。……そして、二十八」セオファニアが顎と手足を失ったゾンビに止めを指しながら言った。


 一行は一息入れることが出来るはずだった。これで終わったなら。

 ――獣の咆哮。それが聞こえた時には時は既に遅かった。


「な、何よ、今の」

 違和感に最初に気がついたのは、セオファニアだった。


「死体、……ゾンビ達が、いつの間にか消えている」アーシャが呟く。

 そう。彼ら三人を覆い隠すかのように大量の数が存在していたはずのゾンビ達は、いつの間にかその姿を消していた。この場に残る文字通りの“死体”と化したゾンビ達と、先程まで存在していたはずのゾンビ達との数が、あまりにも違う。


 そして、三人は同時に気がつく。場の雰囲気が変わった。ゾンビ達の発する腐臭は消え失せて、別の何かで上書きされている。


「何かが、来る」

 シンは呟く。他の二人は言われるまでもなくそれを確認していたが、今のシンの言葉を聞いてそれを再確認したかのように身震いした。


 壮大な咆哮。それは空気を揺らし、三人に畏敬をもたらすには十分すぎる程だった。

「……これは獣?」セオファニアが呟く。


 彼女の顔色が、一瞬の内に青ざめるのがシンに見て取れた。

「逃げなきゃ、逃げなきゃダメ。嫌、嫌だ」セオファニアは杖を取り落とし、両腕で肩を抱き、震え始める。


「どうした、セオファニア」

 シンがセオファニアに声を掛けた後だった。

 咆哮の主が遂に姿を表した。


 巨大な狼――違う。こんな獣の姿は、この場に居る誰もが今までに見たことのないようなものだった。馬よりも巨大な獣が木々の間から姿を表したのだ。

「冗談、でしょ」アーシャが呟き、更に一歩下がる。


 この獣は狼の様な毛皮を身に纏ってはいるものの、その体躯のあちこちには血痕が付着している。その双眸は白く濁り、一応三人の方を見てはいるものの、その姿を映し出しているのかは定かではない。そして、三人に他の何よりも嫌悪感を抱かせたのは、狼のような顔の右半分が腐り落ち、骨がむき出しとなっていた事である。その頬の表面からは白い煙が上がり、辺りに酷い刺激臭を振りまいていた。

 三人の中でこの物体を恐れなかった者は居ない。だが、一番嫌悪感を、……いや、苦痛を感じていたのはセオファニアであった。


 この少女の様子の変化に気がついたアーシャは彼女に声をかける。

「どうした、銀目、様子が変だ、ぞ」

 アーシャ自身の声も震えていた。だが、セオファニアに対する精一杯の強がりで自身を保っている。


 セオファニアはそのアーシャの言葉に対してただ頭をゆっくりと横に振るばかりで、言葉を返すことが出来ない。シンが彼女の方に目をやると、彼女の目尻には涙が浮かんでいた。その顔に浮かんでいたのは、恐怖ではなく、悲しみ。


「セオファニア……?」

「“アレ”は、“アレ”は、何なの……?」

 セオファニアは呟くように語り始める。獣は彼らとの位置を、確かめるような足取りでゆっくりとゆっくりと詰めてくる。奇妙なことに、直ぐ様飛びかかってくるような様子はない。どちらかと言えば、三人の様子を伺っている、そんな印象を受ける。だがシンは改めて剣の柄を握り直す。


「セオファニア、あれに関して何か分かるのか」

 シンは獣とセオファニアを交互に見つめ、彼女の言葉を待つ。

「あれは何なんだ、銀目! あれは、先程まで戦っていたゾンビ共と同一の物か、どうなんだ!」


 苛立ちの混じった声を荒げるのはアーシャだ。セオファニアはそんな二人の言葉や焦りとは裏腹に、落ち着きを取り戻したようで、息を大きく吸い、語り出した。

「そう。――あれは、先程までの連中と同じ、本来死んでいるはずの物。だけれど、先ほどまでの連中の肉体には、魂は宿っていなかった。だけれど、だけれどあれは……」

「何が言いたいんだ、私には分からないぞ」

「あれは本来こういう事をする性質の存在では無い。操られて、苦しんでいるのが分かる」


 最後の言葉を聞いたアーシャの表情が固まる。

「操られている、だと?」


「アーシャ、避けろ!」シンの声だった。

 アーシャが顔を上げると、唸り声を上げながら獣が彼女に近づいてくるのに気がつく。口からは黄土色の唾液を垂れ流しながら。その唾液が地面に落ちるたびに、物が焼けるような音と刺激臭を辺りに振りまいている。

 アーシャは弾丸はを再装填した銃口を獣に向ける。それが合図だった。獣はこれまでの緩慢な動きを捨て去り、銃口を避けるように真横に飛び退いた。


 シンはセオファニアを庇うように前に立ち、剣を構える。その時、彼は獣と眼を合わせてしまった。

 獣が飛ぶ。その数瞬後、それまで獣の居た場所にアーシャの短銃の銃弾が撃ち込まれる。だが、時は既に遅く、獣はシンに向けて飛びかかった。


 僅かな判断の時間の差が、シンを救った。彼は反射的に後ろに一歩退いたのだが、それまで彼が居た所に獣の前足が振り下ろされたのだ。彼の眼前を灰色の爪が掠め、彼の立っていた場所に地面に鋭い爪跡が残る。

 シンは悟る。やられたら、命はないと。


 セオファニアとアーシャの攻撃を察知したのか、獣は唸り声を上げながら再び距離を取った。

 獣は毛を逆立て、尾を上げ、先程よりも大きくなったように見える。


「セオファニア、あいつを牽制してくれ」

「……やる気なの!?」珍しく動揺した様子のセオファニアは、シンを引きとめようと彼の服を後ろから引っ張る。

「あんな物と戦うなんて、無茶よ」

「やるしか無いだろう。あっちはやる気だ」そう言うと、シンはセオファニアの手を振り払い、獣に向き直る。


 獣は遠くで様子を伺いつつ、時折発射されるアーシャの短銃からの銃弾を避け続ける。

「素早い!」悪態を付きながらも、狙いを定め続ける。


 彼女は両手に一丁ずつ短銃を持っている。その短銃は手のひらの長さ程の銃身に曲線を描く銃床、その上に付いた撃鉄と、回転式拳銃とそう変わらない形状をしているように見える。

 だが、その機関部を貫くように横に飛び出た弾倉が装着されており、上から見るとまるで十字架の様な形状となっていた。


「あと何発撃てる!?」

「合わせて七発!」

「セオファニア、アーシャが当てられるよう、あいつを追い込めるか!?」

「やってみる」

「アーシャ、できるだけ近づいてきた所で上手く当ててくれ」

「外したら?」

「……考えるな」


 アーシャは引きつりながらも、シンにつられて笑顔を見せる。

 そして、二度目の合図はセオファニアの放った魔法だった。光弾が発せられるが、獣は軽々と回避し、逆にセオファニアに対して飛びかかろうとする。ちょうどその時、アーシャの銃弾が獣のすぐ脇を掠める。


 今放った弾丸は三発。つまりはあと残弾四発という事だ。セオファニアはずっと何かを呟き続けている。呪文の詠唱を行なっているのだろう。

「細かい魔法でいい、牽制を!」だが、セオファニアはそんなアーシャの言葉に注意を向ける素振りは見られない。諦めたアーシャは再び銃弾を発射する。


「残り三発!」アーシャは叫ぶ。

 その時、獣が体勢を崩したように見えた。前足を折り、まるで転んだような体勢に。

 それを好機と見たアーシャは、二丁の短銃の引き金を迷うこと無く引いた。これで決着が付いた。そう確信しながら。だが。


 獣は一気に高く飛び立った。フェイントだったのだ。

 人の言葉を解しているのか、そう巡らせた思考は、飛び立った獣の姿によって一瞬の内に上書きされた。


「こっちに!」身を躱したアーシャはセオファニアに対して叫ぶ。だが、彼女が動く気配は全く見られない。

 やられた、アーシャはそう確信した、

 だが、セオファニアは何かをつぶやくと、杖を横に薙いだ。それと同時に彼女の頭上数メートル――獣の眼前――で爆発が起こる。

それに驚き、一行の手前に降り立つ形になった獣は背後へ飛び去った。だが、その飛び退いた場所でも再び爆発が起こる。


 「時限式……?」それに驚いたアーシャはセオファニアの顔を見る。だが、セオファニアはアーシャの方を見ながら杖で獣を指し示していた。撃て、という事なのだろう。

 迷わず引き金を引いたアーシャの短銃から発せられた弾丸が獣の胸元を貫く。


「こ、これで弾切れっ!」その言葉の後にアーシャはシンを探すが、どこにも見当たらない。だが、彼が逃げたとは思えなかった。

 唾液を飛び散らせながらも、獣は声一つ上げない。爆発と銃弾によって随分深いダメージを受けているはずだが、表情は全く変わること無く、ただ静かに濁った双眸でアーシャを見ただけだ。だがその双眸で見つめられたアーシャは、獣の中にある しかし、獣は気が付かなかった。アーシャの方向とは逆の方向から、飛び込んできた一人の男の事に。


 シンだった。剣を地面に這わせるように引きつつ、獣の左腕を狙って切り上げようとする!

 その時、不思議なことに、シンには世界がゆっくりと見えていた。獣が彼に気が付き、振り上げた腕と、その腕にゆっくりと向かっている自身の剣の切っ先、どちらが先に相手を切り裂くのか。自分か、相手か。


 ――勝ったのは、剣の切っ先だった。切っ先は白い毛に包まれた腕にズブリと入り込み、骨へと達し、その腕を切り飛ばした。

 器用なことに、獣は残った一本の前足で後ろへと後退りしていく。切り飛ばされた前足の切断面からは、タールの様な液体が絶えること無く流れ続けている。だが、ある程度まで下がった所で、動きが止まった。


「終わった、の?」

 アーシャが呟く。彼女の目線、いや、セオファニアとアーシャの二人の目線はシンの方向へと向けられている。

「シン」

「その獣は、苦しんでる。――トドメを刺してあげて」

「分かるのか?」


 セオファニアはコクリと頷く。だが、その眼は下を向いたままだ。

 シンは警戒しながらも、獣に近づいていく。


 近づいてきたシンとその手に握られた剣を視認した獣は、頭を上げ、首を露わにする。――彼には獣の言葉は分からない。だが、彼の目の前で、彼を見つめている獣が死を求めているのは、はっきりと分かった。

 シンは剣を振りかぶり、獣の首に向かって振るった。刃はその中程までしか達しなかったが、それで十分だった。頭が力を失い、前へと倒れこむ。


 変化はその後に起こった。黒い血を垂れ流すこと無く、獣の全身は刺激臭と共に白い煙を発しはじめる。そして、次第にその白い毛皮は蒸散していき――最後に残ったのはその骨だけだった。


「どういう事だこれは……」

 一行はただ呆気にとられる。夢でも見ていたのではないか。そんな疑問が彼らの頭をよぎる。だが、その周りに転がるゾンビの“死体”を見れば、これが現実であるとはっきり分かる。


「奴らが戻ってこないうちに急ぐぞ」アーシャが先頭を切って歩き出す。

「これでもポート・ロシェルは安全だと言い切れる?」その後ろに付いて行きながら、セオファニアは言う。


「……」

 アーシャはそれに答えない。答えることは、出来ない。

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