第六話 アヒルのように
もう、この運命にはあらがえないのだろうか。
ママにダンボールハウスを作ってもらったはいいが、その対価として夜のお相手をしろ、とのことだそうだ。
冗談じゃない。
逃げるか? ……怖い!
逃げたらもう、戻れない気がする。
ダンボールハウスでそんなことを考えていたら、いつの間にか寝てしまった。
* * *
『ヒーローの第一条件って何だと思う?』
『……強いことだろ? 正義は必ず勝つって言うし』
『ブッブー! 不正解』
『……じゃあ、正義の心だろ』
『う~ん。惜しいっ!』
『じゃあ、なんなのさ』
『……それはね―――』
* * *
目を覚ました。
あの日の夢か。小学四年生の頃。母さんが死ぬ少し前にした会話だ。
『ヒーローの第一条件』か。なんだったっけ?
まあ、いいや。それよりも腹が減った。
……ん? なんかいい匂いがする。
自分のハウスのドアを開けると、もう夜であることに気付く。
どうやら、匂いはママのハウスからするようだ。
俺を鍋に入れて、食べる気か? オエッ。変な想像しちゃった。
ドアを閉め、また寝転がる。
夜は寒い。当たり前のことだが、改めて知ったことだ。
俺があらがう方法を考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。ママか!?
「お~い、デウス。ワシじゃワシ」
「どうしたんだ? ハカセ」
「ママのところ行くぞ」
「えっ? ハカセもお呼ばれされてるのか?」
「そうじゃよ。ウミサルもサヤエンドウもおるぞ」
なんだなんだ? みんなでパーティーか? ……オエッ。
「さあ、行くぞ」
「嫌だ~!」
強引に連れて行かれた。
……このドアを開ければ、俺はもう……戻れない。
ママのハウスの前で立ち尽くしていると、ハカセが「早く開けろ」と急かす。
くそっ。もうどうにでもなりやがれ!
さらば! 俺の純情!
俺は、ダンボールでできたドアを勢いよく開けた。
――――静寂を切り裂き、複数のクラッカーの音が響く。
『阿比留公園へようこそ!』
ハウスの中から一斉に声が聞こえた。
クラッカーの中のものが俺に降り注ぐ。
「へっ?」
自分で言うのもなんだが、随分と変な声を出したと思う。
「あの、これって?」
「見て分からねーか? お前の歓迎会だよ」
と赤鼻のトナカイのような顔をしている、白いニット帽を被ったおっさんが言ってきた。
歓迎会? 夜の営みじゃなくて?
「ていうか、アンタ、誰?」
「俺だよ。俺。ウミサル」
そんな顔してたんだな。昼間はゴーグルで顔が見えなかったよ。
そうじゃなくて、俺の歓迎会ってどういうことだ。
「そんなとこに立ってないで、さっさと座りなさい」
ママが手招きする。
俺は言われるままに中に入り、ママの横に座った。
ハウスの中は広く、五人も入っているのにまだ少し余裕がある。隅の方に鏡や化粧道具などの私物が固められている。
真ん中には、カセットコンロでグツグツと煮込まれている鍋があった。
ざく切りの野菜や魚が入っているのが見える。
「俺の歓迎会って何で?」
俺のこの質問の意味が分からなかったらしく、みんな顔を見合わせている。
なんか、変な質問したかな?
「なんでって。……新しいファミリーが増えるんだから、祝わないわけにはいかないでしょう?」
「ファミリーって誰だ?」
またしても顔を見合わせ、同時に俺を指さす。
「え? 俺?」
「他に誰がおるんじゃ?」
「ここで一緒に暮らすんだから。もうデウスもファミリーの一員じゃない」
ハカセとママのこの言葉を聞いて、なぜだか目頭が熱くなった。
「おっと、まだ泣くのは早いですよ」
「そうだ。この鍋を食ってからにしな」
サヤエンドウとウミサルが言ってくる。
ママが紙皿によそってくれた。
そして、一口食べる。
みんなの視線が俺に集まる。
今まで食べた鍋の中で一番おいしい鍋だった。何より暖かい。この暖かさは鍋の暖かさだけではないのだろう。
「……うまい」
俺がそう言うとみんなの顔がほぐれる。
「そうかそうか。うまいか。まあ、俺の持って来た魚が良いダシになったんだな」
「何を言います。私の丹精込めて作った野菜が水を吸って良いダシになったんですよ」
「何を!」
「何ですか!」
ウミサルとサヤエンドウが言い争っている。どっちでもいいだろう。
「何言ってるの? アタシの愛情がこもっているからおいしいのよ!」
「馬鹿言うな。ワシの作ったカセットコンロがじゃな……」
ママとハカセも言い争いに加わった。
この言い争いを見ていると、口の中に消えた暖かみが蘇ってきた。
「……あら、やっと笑ったわね」
ママの一言で、俺が笑っていることに気付く。
笑う。そんな感情忘れていた。ここ最近、笑うことがなくなっていた。まあ、笑えない現実があったからなんだけど。
「もうどうでもよくなってきた。さあ! 乾杯しようぜ乾杯!」
ウミサルがそう言うと酒をビニール袋から取り出し、コップに注ぐ。
「ほれっ」
コップを俺に渡そうとしているので、慌てて止める。
「いや、俺まだ未成年なんだけど」
「大丈夫だ。法律じゃ俺たちは裁けねえ!」
「裁けるよ! 俺が何でも知らないと思ったら大間違いだ!」
「形だけ。形だけですよ」
サヤエンドウに言われると、俺はしぶしぶコップを手にした。
「よ~し、みんなにコップ行き届いたな~。ささっ、ママ、一言挨拶を」
ウミサルが言うと、ママがコップを高らかに掲げる。
「え~~、新しいファミリーの誕生にかんぱ~い」
『かんぱ~い』
みんなでコップを掲げて、一杯飲む。
俺はもちろん飲んでない。
「そういえば、デウスにはまだ二人のことを紹介してなかったな」
ハカセが野菜をほおばりながら言ってくる。
「この、麦わら帽子がサヤエンドウで、そっちの赤鼻がウミサルじゃ」
サヤエンドウが軽く会釈した。ウミサルは、酒を次々と飲んでいる。
「そう言えば、二人はなんで公園に住んでないんだ? ファミリーなんだろ?」
気になっていたので聞いてみる。
「河川敷にいる方がいろいろと便利なんですよ。川は近いし、ビニールハウスは近いし」
「俺は、近くに川があると、すぐ魚取りに行けるからだ。でも、六月にはこの公園に帰ってくるぜ。市役所の奴らが台風とかの災害に備えて、強制撤去に来るからな。さすがに死者がでたらシャレにならんだろ」
強制撤去か。……ん? ちょっと待て。
「てことは、この公園にも強制撤去に来るんじゃないんですか?」
「大丈夫よ。ここは撤去させないから」
「撤去させない?」
俺のこの疑問に、隣に座っていたハカセが耳打ちしてきた。
「ママの力で、ここには来させないようにしてるんじゃよ」
「マジか」
ママって一体何者なんだ?
俺の視線に気づいたママは、手を振ってくる。
「ついでに一つ言っておくと、俺は元漁師で、サヤエンドウは元農家だ」
「はあ。てか、そんなプライベートなこと話していいのか?」
「別にいいだろ。過ぎたことだ」
ウミサルはそう言うと、コップの酒を一気飲みした。
俺は、話題を変えるためにいろいろ聞いてみる。
「昼間、川に潜ってたんだよな? 寒くないのか?」
「今は、まだ大丈夫だが、もうそろそろ一本吊りに変えなくちゃなんねえ。冬に、潜ってたら凍死だ。それとお前にアドバイスしといてやるけど、釣りをするときは、スライド式の釣竿は使うな。すぐ折れて使い物にならなくなる」
「俺、釣りしたことないんだよな。今度教えてよ」
そう言うとウミサルは、ニッと笑い答える。
「もちろんいいぞ。言っとくが、俺の釣り指導はスパルタだからな」
ウミサルは笑いながら、釣りの真似をする。
できるだけ、優しくお願いしたいところである。
「あっ、ウミサルさんだけずるいです。デウスさん。私のところにも野菜作りに来てください」
「いいのか? 野菜なんて作ったことないぜ?」
「私が一から教えますよ。ウミサルさんとは違って優しくね」
またしても二人でいがみ合っている。仲良いな。
酔いも回ってきて、盛り上がっていく。
その中でハカセが突然、俺がチンピラを倒した時の話をしだした。
「チンピラを拳一つであっという間に倒したんじゃよ。そういえば、チンピラのパイプを取って一発叩き込もうとしたとき、何で止めて拳で殴ったんじゃ? そのままやればカッコ良かったのに」
「……ああ。アレは、その……そう! さすがに、そこまでする必要がないと思ってな」
「そうか。しかし、本当に強かったんじゃよ」
ハカセがまた一から説明を始める。
……そこまでする必要がないか。思わず嘘をついてしまった。
暴走族を壊滅させたあの日から、俺は剣で人を殴ることができなくなったのだ。剣道をやめたのもそのためだ。続けようと思えば高校じゃなくても続けられた。
俺は怖かったのだ。俺が剣を使えば、あの日、母さんを亡くしたように、俺が剣道を失ったように、また大事なモンがなくなるんじゃないか。そんな気がして。
「…ウス……デウス? 聞こえてる?」
ママが覗き込んできた。
「うわっ! な、何?」
いきなり出てきたモンスターに驚いてしまった。
「だから、五千万を三ヶ月で返さなくちゃならないってことよ」
「えっ?」
隣でハカセが手を合わせて頭を下げている。
「あっ! ハカセ何勝手に話してんだ!」
「スマン! つい口が滑って」
俺は、軽く白髪を叩く。
「はあ~、五千万ね~。しかも、三ヶ月って。……無理だろ」
「無理ですね」
「だから! 無理とか言わないでくれる! 泣きそうだから!」
くそっ。何でそんなに他人事なんだ。まあ、他人事なんだけど。
なんか、一気に現実に引き戻された気分だ。
俺には、三ヶ月以内に五千万を返さなくてはならないという使命がある。
実質的に12月末には、返さなくてはならないということだ。
「何か、力になれることがあったら相談してね」
ママが手を握って言ってきた。離せ。気持ち悪い。
しかし丁度いいので、相談してみることにする。
「じゃあ、早速なんだけどさ。働ける場所知らない?」
「働ける場所ね~。……あっ、そうだ。アタシの店で働かない? 最近、人手不足なのよ」
「店? ママ、店持ってるの?」
「ええ。ちょっとしたバーを経営してるわ」
「店持ってるのに、なんでこんなところでホームレスしてんの?」
「こうやって、ワイワイできるから」
「はあ」
正直意味が分からん。金があるなら、こんなしがないダンボールじゃなくて、しっかりした家に住めばいいのに。
「バーって、未成年でも働けるの?」
「大丈夫よ。ばれるはずがないから」
ばれるハズがない? なんだその意味深な言い方は。
でも、働けるならどこでもいいか。
「……じゃあ、頼むよ」
「分ったわ。じゃあ、明日からでいい?」
「ああ、もちろんだ」
まさか、働き口が見つかるとは思わなかった。
ママには感謝だな。
「ママ。確かママのバーって……」
「さあ! 食べましょう!」
ハカセの言葉を遮り、鍋の中に箸をツッコむママ。
なぜか、ハカセたちが俺に両手を合わせて拝んでいる。何してるんだ?
* * *
もうみんなベロベロに酔ってママ以外は寝てしまったので、介抱しているとママがこんなことを言い始めた。
「知ってる? アヒルって一見、水上では何の苦労もなくスイスイ泳いでいるように見えるけど、実際は水中で一生懸命水をかいてるのよ」
「はあ」
聞いたことはある。
「多分、ホームレスもそんな感じ。一見、ダラダラ暮らしているように見えるけど、本当はいろんなことに、もがいて、もがいて、もがいて。そうやって生きているのよ」
ママは言い終わるとぐったりと寝てしまった。
俺は、ママに毛布を掛けると自分のハウスに戻った。
夜の公園は外灯に彩られ、怪しく光っていた。
今、何時頃なのだろうか。
ホームレスになってから、時間の感覚が全然ない。時計を手に入れなくては。
ホームレスは、アヒルと一緒……か。
言われてみれば、そうかもしれない。
見た目は白鳥ほどは美しくないけれど、それでも泳ぐ姿は何の苦労も感じさせない。
優雅な泳ぎでは考えられないほどの苦労がある。
カバンを枕にして寝転がって、そんなことを考えていると、いつの間にか深い眠りに落ちた。
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