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『ホームレスヒーロー。』  作者: あああ
第二章 Family memories ~紅と白の咆哮~
37/43

第十五話 家族の欠片

 青白い三つの長方形の光を背に、こちらに笑いかけていた。

 多分笑っているのだと思う。

 ただ一つ、俺が気になっているのはシルエットが明らかに人ではないということ。

 いや、人なのだろうけど、なんか頭の付近に長い耳のようなものが付いている。

 目の付近にメガネと思えるものが反射しているので、かろうじて人だと判断できる。

 こちらからじゃ、暗くてあまり良く見えない。


「何を呆けて突っ立っているんだ。即刻その扉を閉めて入りなよ」


 やわらかくか細い声が耳に届く。

 明らかに男の声ではない。女の人なのか?

 俺は慌てて扉の内側に入り、扉を閉めた。

 部屋に入るなり、極寒の風が身を凍らせた。

 なんだ? なんで、こんなに寒いんだ?

 天井を見上げる。クーラーが稼動していた。

 嘘だろ? 今、真冬だぞ?

 俺は両手で腕を擦り上げながら、扉を閉めて明るくなった部屋を見回す。

 部屋のあちこちに大量の良く分からない機械が光を帯びて、部屋の中を照らしている。

 床にはこれまたよく分からない配線が束になっていたり、のた打ち回ったりしていた。

 小さな台所もあり、マンションの一室とほぼ変わらない。


「そんなにも我の部屋が珍しいのか? とりあえず靴を脱ぎなよ」


 俺は声に応じて靴を脱ぎ部屋に上がると、目を上げた。

 三つの大きなパソコンを筆頭に、サイバー化しているデスクの前。

 大きなオフィスチェアに座った、一人のいや、一匹の、とも言えるのか?

 長い耳を生やした白いウサギの着ぐるみパジャマ。

 黄緑色をしたフレームのメガネを通して、大きな瞳が映し出されていた。

 フードの内側にはヘッドホン、その隙間からは黒い横髪が胸のところまで垂れており、額はきれいに出ている。

 その少女は、肘を付き俺を見たまま、膝を組んでいた。

 これが情報屋? こんな小柄な少女が?

 なんというか、初対面にして関わりにくい人間にリストアップされそうだ。


「君が初めてだぞ。我を見て、そこまであからさまに落胆した表情を浮かべた人間は」


 その少女はヘッドホンを首にかけながら言う。

 首にかかると同時に前髪が、メガネにかかる。ヘッドホンで前髪を止めていたのか。

 ていうか、俺そんな顔してたの?

 まあ、拍子抜けというか、少しがっかりしたのは事実だな。


「まあいい、噂というのは一人歩きするものだ。君もそう思うだろ、紅狼ブラッド・ウルフ

「―――っ!」


 彼女はあざ笑う。

 コイツ、俺のことを知っている?


「知っているのか?」

「君はもう少し自分の知名度を理解した方がいいぞ。少しこの街の裏側を知っている人間ならば、紅狼の名を一度は聞いたことある者が多いだろう」

「そんなに有名なの?」

「君は暴走族一一四名を一人で倒して潰し、十二月に起きた蝶野組構成員が捕まった事件。表向きは内部抗争ということになっているが、潰したのは君だろ? 必然的に、有名にもなるよ。まさに、生きる伝説にも等しい」


 生きる伝説。俺はそんな大層な人間じゃない。

 それにそんなことで有名になっても全然嬉しくない。

 ていうか、蝶野組の件もその名前で通ってんの?


「……よく知ってるんだな」

「ふっ、こんなものごく一部だ。我は君の全てを知っているぞ。幼い頃に母親をなくしたことも、父親に逃げられたことも、今はとある公園でホームレスをしていることも、その公園で小さな便利屋を経営していることも。随分と運命に弄ばれているみたいんだな」


 顔の血の気が引いていくのが分かった。

 冷房のせいもあるかもしれないが、すごい寒気がする。

 自分の知らない人間が自分のことを知っている気持ちの悪さ。

 それもただ知っているわけでなく、俺の忘れたい部分の奥深くを知っているのだ。


「おっと、これは失礼。我のことについての紹介がまだだったな。我はウロボロス。世界の一部を掌握する者だ」


 この少女が、ウロボロス。

 俺のことを知っている口ぶり。間違いないのだろう。

 いや待て、もしかしたら少女の着ぐるみをきた大男だったりして。


「こちらから一方的に話してすまなかったな。我に何か質問はあるか? 三つまでなら許すぞ」

「じゃ、じゃあ……お前は……男、か?」


 冷房の風音がただこだます。

 気持ちの悪い沈黙が通り過ぎた。


「これは驚いた。今日はたくさんの初めてが訪れるな。あの宇宙生命体的な合言葉も含めて、その質問で三回目だぞ。君のその顔についている二つの球体は、オブジェなのか? それともその瞳孔は本当にただの穴なのか? 君のような人間のために眼鏡という画期的な器具があるのだ。眼鏡を付けるか、眼球にレーザー光を照射することを推奨するぞ」


 ため息混じりに彼女は言う。

 よくもまあ、そうすらすらと言葉が思い浮かぶな。

 なんかすごい罵倒を受けた気がする。俺、一応目はいい方なんだけど。

 とりあえず、女性であることは間違いないようだ。


「まあ、その質問に答えるのであれば、我が言うよりも直接見た方がいいだろう」

「え?」


 彼女は胸のボタンに手を伸ばして、一つ外した。

 白い肌が隙間からこぼれた。


「って、おいっ! 何やってんの!?」

「君こそ何を言っている? 我が、雄か雌か確かめたいのだろう? それならば、実際に見た方が早いだろう?」

「いや、もういいからっ。ごめんっ。すみませんでしたっ!」


 彼女は不思議そうに顔を傾げながら、ボタンから手を放した。


「いや、ボタン締めろよっ」

「一々口うるさいな、君は」


 少女はぶつくさ言いながら、胸のボタンを締めた。

 コイツには羞恥心というものがないのか?


「それで、二つ目の質問は?」


 何事もなかったような顔で済ませるのだから、気にしている俺が馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 二つ目の質問か。

 この部屋に入ったときから、聞きたかったことがある。


「えっと、お前は、その寒くないのか?」

「その質問に答える前に、そのお前と言う三人称をやめなよ。我はウロボロスと名乗っただろ」

「え、なんて呼べばいいの? ウロちゃん……とか?」

「君の左脳をミキサーでミンチ状にしてやろうか?」

「じゃあ、ウーロ―――」

「ン。なんて言った暁には、君を下着窃盗容疑で訴えるよ」


 なるほど。それなりのボキャブラリーを秘めていらっしゃる。

 こうも容姿と言動にギャップがあると少し話すのが楽しくなる。


「じゃあ、ウロボロス」

「始めからそう言えばいいのだ。それでこの冷房のことだったか? これは我の友には適温なのだよ」


 彼女ははそう言って、部屋中の機械たちを眺める。


「友?」

「そうだ。一緒に数々のセキュリティーを旅した友だ。我の友は高温に弱くてな」


 今、チラッとすごいこと言わなかった?


「セキュリティーを旅したって、その、何だっけ、クラッカーだっけ?」

「そんな輩と一緒とするんじゃない。クラッカーは悪事を働くものたちだぞ。我はどちらかというとハッカーだ。ハッカーは創造者であり、クラッカーは破壊者だ。覚えておきなよ」


 両手でジェスチャーをしながら彼女は言う。

 どっちも犯罪者でしょ?


「何か言ったか?」

「……いや、なんでもない」


 しまった。声に出ていたようだ。

 冷たい視線が俺の頬を突き刺している。

 気を取り直して、俺は最後に三つ目の質問を思い浮かべた。

 イーグルさんは言っていた。ウロボロスは世界の全てを知っていると。

 こんなに小柄な彼女が、世界の全てを知っている?

 そんなことありえるのか?


「最後の質問だ。……お前、いやウロボロスは、この世界の全てを知っているのか?」

「……」


 彼女は黙り込み、俺の目を見たままゆっくりと首を横に振った。


「さっきも言っただろう? 我はこの世界の一部を掌握する者だと。それに我は始めから知っていたわけではない。知ったのだ。調べることでね」


 それから彼女はパソコンに向き直り、キーボードを叩き始める。

 まるでピアノでも弾いてるみたいに、柔らかなタッチで。

 しばらくすると、たくさんのウィンドウが三つの画面を埋め尽くしていく。


「この画面の中の世界と、この現実リアルの世界はリンクしている。つまりこれだけの情報が世界には溢れかえっているのだ。さらに情報は水と同じで流れ続ける限り腐ることはない。加速し続ける情報の全てを知ることは神にしかできないのだよ」


 そう言って彼女は、再びキーを叩く。

 どんどん広がり続けるウィンドウは消えていき、最後に二つのウインドウが残った。


「溢れかえる情報を切り張りして、ただそこに見える事実を伝える。それが我の役目だ」


 だから結果的に我は、世界の全てを知っているわけではないのだよ。

 そう付け足して、彼女は振り返り、微笑んだ。

 彼女は自らその役目を担ったのだろうか。

 残酷な事実を現実を伝えることを。


「どうして君が申し訳なさそうな顔をしてるんだ?」

「いや、なんていうか、ウロボロスって優しいんだな」

「むむ、我が優しい? 何を言ってるんだ?」

「だってそうだろ? そんな残酷なことを自分からしたがるなんて」


 そう言い終ると、彼女はレンズ越しに目を大きく見開いた。

 それから、くすくすと笑い始める。

 あれ、そんなにおかしなこと言ったかな。


「……いや、すまなかった。今ので君がどういう人間なのか大体理解した。そうだな……君には作家か詩人になることを薦めるよ」


 俺は首を傾げる。

 作家? 詩人? 何を言ってるんだコイツは?


「我は我の調べたことと、この三つの質問で依頼人がどういう人間か判断している。君は我が会った人間の中で卓越して珍妙な人間だ」

「珍妙って、褒めてるの?」

「安心しろ。全力でけなしている」


 俺は肩を落とした。

 彼女はおかしそうにあざ笑う。


「それだと自分が人間じゃないみたいな言い方だな」

「まあ、ある種、そうとも言える」

「え?」

「我は探しているのさ。始まりも終わりもない完全なものをね。それを知るまでは、蛇にでもなって生と死を繰り返し続けるだろう」


 言っていることの意味が分からなかった。

 始まりも終わりもない完全なもの?

 生と死を繰り返す? それこそ完全なものじゃないのか?


「我もはっきり理解しているわけではない。流してくれてもかまわない。終わりがなければ始まりもないし、始まりなければ終わりが来ないことなんて、分かってるんだ」


 彼女はそう言って天井を仰ぐ。

 大きく背伸びをした。


「こんなにも依頼人と依頼以外のことで話したのは初めてだよ。それよりも、君はここに情報を知りに来たんじゃないのか?」


 彼女の一言ではっとする。

 俺はここにサヤエンドウのことについて聞きに来たのだ。

 彼女のペースに乗せられていた。


「ああ、聞きたいことがある」

「だろうね。君の聞きたいことはまあ、大体分かっている」

「……え?」

「ホームレス狩りに遭ったホームレスの居場所」


 鳥肌が立った。

 コイツ、本物だ。

 何も言ってないのに、言い当てるなんて。


「だが、その情報を聞くには、覚悟と対価が必要になる」

「覚悟ならできてる。対価ってなんだ」


 彼女は人差し指と親指で円を作る。


「え、金?」

「当たり前だ。情報を唯一還元できるのは貨幣のみだ。それに君は本当にこの情報を聞く覚悟があるのか?」

「……どういう意味だ」


 彼女は椅子を一回転させて、腕を組む。


「無知は罪だ。だから人間は生まれながらにして、罪を背負っている。だが、知ることは罰だ。一度知ってしまえば、後戻りなんてできない。情報は武器にだって兵器にだって成り得る。つまり―――」


 彼女は一呼吸置いて、俺の胸に人差し指を突き立てる。


「死ぬ覚悟はあるかと聞いているんだ」


 喉仏が上がるのが分かった。

 このとき俺は、彼女がウサギの格好をした死神に見えたのだ。

 俺の心臓に剣を突きつけているような、そんな幻に。

 でも……たとえ心臓を貫かれたとしても、俺の答えは変わらない。


「死ぬ覚悟なら、いつだってできてるよ」


 俺は彼女の目を見つめる。

 彼女のレンズに、俺の真剣な顔が映っている。

 彼女は人差し指を下ろした。


「そうか。だが、貨幣はどうする」

「出世払いで」

「法律上、出世払いという言葉はない。それに、そんな無期借金が通用するのは、君の身近な暴力団くらいのものだ」


 だよな。って、俺のことどこまで知ってるんだコイツは。

 確かに組長とは借金延長ということで片がついたけど。

 こんなことで一々驚いている場合じゃない。

 コイツの言い方だと、多分、情報料は高額だ。

 俺の全財産を出したとしても、到底及ばないだろう。

 ……仕方がない。

 組長には悪いけど、この方法を使うしかないか。


「別に金じゃなくてもいいよな」

「まあ、それなりの対価なら」

「だったら、俺と契約してくれ」

「契約?」

「ああ。お前が俺に情報をくれる代わりに、全てのことに蹴りが付いたら―――俺の体を、俺の命をお前にやる」


 なんだかんだで俺が持っているのは、この体一つだ。

 結局は、体を売るしかない。

 彼女は目を見開き、すぐ元に戻る。


「本当にいいのか?」


 俺はただ頷いた。

 俺は俺にできることをやると決めたんだ。

 その結果、俺の体がどうなったとしても、悔いはない。

 彼女は顎に手を添える。


「確か、ここにはキリヤという男の紹介だったね」

「ああ。って、俺そんなこと言ったっけ?」

「いや、監視カメラに映っていたんだ」


 指差され、一つのモニターを見た。

 雑居ビルの前で話している、俺たち二人の様子が映し出されていた。


「カメラなんてあるのか」

「ここだけじゃないぞ。この街付近には一万以上のカメラが設置されている」

「いっ、一万っ!」

「それよりも、本当にこの白髪の男が君を紹介したのだな?」

「あ、ああ」

「そうか。全てを伝えろということか。我に代弁しろと……」


 彼女は、なにやらぶつぶつ言った後、眼鏡を取った。

 眼鏡を取ったことで目が少し鋭くなる。

 ウサギ耳のフードも取り、後ろ髪を露にさせる。

 足の辺りまであるのではないかと思うくらい長く、全てを包み込むような漆黒の髪。

 寝癖がすごく、ところどころ跳ねている。


「君はこれを知れば罰を受ける。もう後戻りはできないぞ」

「……やっぱり、優しいんだな」

「そんな軽口がたたけるのは今のうちだ。……ふっ、いいだろう。君に全てを教えよう」


 それからパソコンに向かい、白い指がキーを繊細に打ち込む。

 様々な淡い光が三つの画面を覆い尽くしていく。

 それから、手がぱたりと止まる。


「これを見なよ」


 彼女はパソコンに向いたまま、そう言った。

 俺は彼女の椅子に近寄り、三つのうち一つの画面を覗き込む。

 そこには、どこかのサイトの書き込みがあった。


「これは?」

「とあるカラーギャング専用の交流サイトだ。チンピラの分際でセキュリティーなんてかけてあったけど、穴だらけだったよ。この掲示板の中の今日の書き込みがこれだ」


 マウスがその部分をマークする。


『今日の二十時、オリジナルイベント開始! リーダーVS謎のH、レートは二倍!』


 そう書いてある。

 なんだこれ?


「日時は分かるが、これはどこで何が行われるか分からない。だが、『レート二倍』というこの部分から、何か賭け事をしているのは明らかだ」

「あ、ああ」


 これがサヤエンドウとどう関係しているんだろう。


「次にこれだ」


 画面には、違う書き込みが表示された。

 今度は会話だ。


『今日のファイト楽しみだな』

『ああ、でも、謎のHって誰だろうな?』

『バーカ、んなもん、この前もやってたじゃねえか』

『あ~、なんだ。おっさんかよ。正直、あれ見てられねえんだよな。一方的すぎて』

『まあな。おっさんたち殴られるだけだもんな』

『でも、レート二倍なら見る価値がある』

『しかも今回はリーダーがやるみたいだから、がぜん楽しみだ』


 そんな会話がされていた。

 ファイト?


「この会話文からさらに絞り込むことができる。まず、この『ファイト』の部分で、あのオリジナルイベントが対戦することだと分かる。次に二行目から四行目の部分で中年男性がこの対戦に関わっていることが分かり、さらに『殴る』という言葉を使っている時点でこのファイトが肉体的接触を行う、暴力を行使する対戦であることも分かる。それから、この者たちはどうやら見物しているように思える。推測するに、競馬のようにどちらが勝者となるかを賭けしているのだろう。その上で『おっさんたち』と書かれていることで、中年男性は複数人いると思われる。そして最後の行で―――」


「リーダーと言われている奴とその中年男性複数人が戦う」


 彼女は頷いたかどうかも分からないくらい、微妙に首を縦に振った。


「これをまとめると、今日の二十時、リーダーと言われている人間と中年男性複数人が賭け対戦をするということになる」

「随分と絞れたな」

「だが、まだ足りない」


 そう言って、彼女はマウスのカーソルをスライドした。

 今度は違うサイトのようだ。

 この青と白を多用したサイト、見たことがある。


「シャイッター?」

「よく知っていたね。君のような単細胞でも知っているなんて、さすがは一億以上の人間が共有するサイトだ」

「一言多い。知り合いが使ってるんだ」

「このシャウトを見なよ」


 わけの分からないユーザー名をした一人の、シャウトがあった。

 自分の性癖を赤裸々に書いて、コイツはアホなのか。


『く~、今日も賭け負けた~。でも、やっぱり間近で一対一見れるのは痺れるぜ~』


 これもさっきのサイトの関係者か?


「これもさっきのカラーギャングに関わる人間だ。ここでは一対一で対戦が行われていたというふうに書かれている。ということは、対戦は一対一で行われる」


 俺は頷く代わりに瞬きをした。

 それなら、今日の二十時、リーダーと言われている人間が中年男性と賭け対戦をするに変わる。


「これまでことをまとめても、場所と具体的人間が分からない。だが、君ももうそろそろ事実に気づいてきたのではないか? この『謎のH』が一体誰なのか」


 彼女の意味深な言葉が、何かを語っていた。

 今日までの俺の身近で起きていたことを思い返す。

 そして、このタイミングでの賭け対戦。

 まさか……。


「……Hって、ホームレスのことか?」

「ご名答」


 今夜二十時、リーダーと言われる人間とホームレスが賭け対戦。

 ホームレスを賭けを楽しむ道具にするということか?


「一体誰がそんなことを……ホームレス狩りの連中か」


 って、待てよ。さっきの掲示板もシャウトも全部、とあるカラーギャングだって。


「おい、これどこのカラーギャングだ」

「事実まではあと少しだ」


 と言い彼女はキーをしばらく叩いた後、祈るようにエンターキーを押した。

 画面に八つの写真が表される。

 みんな家族で写っている写真だ。


「これは?」

「この中に何人か、君の知っている人間はいないか?」


 俺は写真を凝視した。

 俺の知っている人間? ……これはっ!

 この河童みたいに頭のてっぺんに髪がない男。今とまったく変わっていない。

 もしかして、ザビエル。


「いたか?」

「あ、ああ。でもなんでこんな写真、ウロボロスが持ってるんだ?」

「これはね、とある依頼人から渡された写真なんだ」

「とある依頼人?」


 彼女の長い前髪が揺れた。


「君は、そのホームレス狩りによって誘拐された人間の数を知っているか?」

「あ、ああ。確か、はちに―――」


 そのとき、脳に電気が通り過ぎた。

 そう、確か誘拐されたホームレスの人数は八人。

 そして、この写真の数も八つ。


「これって、誘拐されたホームレスたちの写真か?」

「……その通りだ」


 見開いた目が乾燥してきた。


「なあ、聞いていいか?」

「なんだ?」

「その依頼人って、何を依頼してきたんだ?」

「……この写真の男たちの場所を教えてくれ、と」


 さっきまでの寒さは、どこかに吹き飛んでいた。

 じゃあ、その依頼人が、ホームレス狩りの張本人ということになるのか?

 そう思ったが否や、画面には一つの写真が拡大される。

 首に赤いタオルを巻いたやけに体格のいい男と少年が野菜を持って、カメラ目線で笑いかけている写真。


「いい写真だろ? この写真には家族が写っている」


 何を当たり前なことをと思いながら、もう一度見て、彼女の言いたいことが分かった。

 笑いかける父親と子供、そして笑いながらシャッターを切る母親。

 そこには家族の欠片があった。


「この体格のいい男に見覚えはないか?」


 体格のいい男に見覚えはない。

 ただ、この男の被っている麦わら帽子に俺は見覚えがあった。

 ようやく理解した。

 ……サヤエンドウだ。

 ホームレスになる前のサヤエンドウ。今はこけ細って、骸骨みたいなのに。

 何がここまでサヤエンドウを変えたのだろう。


「この一緒に写っている子どもの方にも、君は見覚えがあるはずだ」

「子ども?」


 子どもに知り合いなんていなかったはずだけど。

 写真の子どもを見る。泥まみれで、鼻には絆創膏をつけている。

 やんちゃだったのだろう。

 右目の下の泣きボクロも泥で汚れて台無し……泣き、ボクロ?

 しかも、右目の……下?

 俺の最近の記憶の中に、右目の下に泣きボクロがある人間が一人だけいる。

 俺は首を横に振った。そんなわけがない。

 だって……。


「……辿り着いたようだね。事実に」


 彼女はそういって、大きな瞳を俺に向けた。

 揺れる瞳に溺れそうになる。

 その目が俺に現実を突きつけた。


「白い狼と書いて、白狼ホワイト・ファングと呼ばれているそうだ。彼の動きは、まるで白い狼が得物を狩るように素早いのだそうだ」

「……やめてくれ」

「彼は幼い頃に父親が逃げ、母親が彼を育てていたそうだよ。でも、運命は残酷で彼が中学を卒業する前に、母親は病でこの世を去った。随分と無理をしていたようだな」

「やめろって言ってんだろっ!」


 気が付いたら、叫んでいた。

 吹き飛んでいたはずの、寒さがまた蘇る。

 さっきとは比べ物にならないほどに、寒い。

 体が固まって動かなくなりそうだ。

 彼女の眼に迷っている俺が映っていた。


「これが事実だ。どうだ、これでも我は優しいか?」


 俺は彼女の真っ直ぐな目を見てられなくなって、俯いた。

 彼女はそれでも微笑んだ。


「そう。それでいいんだよ。……君はこれからどうするんだ?」

「……」


 俺は、これからどうするのだろう。

 サヤエンドウを助けたい。

 でもそれは同時にアイツと対立することになる。

 ここで初めて、あの握手の意味が少しだけ分かった。

 どうして、アイツがあんなにもホームレスを憎んでいるようなことを言っていたのかも。

 アイツの言っていた『大事なものを失う』という本当の意味も。

 命を失うという意味じゃなかった。

 大事なつながりが失われるということだったんだ。


「まあ、君に残された選択肢は二つだ。どちらか一人を助けるか。それともどちらも見捨てるか。残念ながら、あの家族の運命は交じり合って激しく交差しすぎている。君にできることは、何もない」


 俺は拳を握り締める。

 それから、ぐちゃぐちゃになった黒いものを少し零した。


「……知っていたのか? ……こうなることが分かっていて場所を教えたのか」


 彼女は黙り込み、手を袖の中に隠した。

 それから、椅子に体重を預けた。


「いや、こうなることまでは分からなかった。でも、予想することはできたよ。それに、例えどうなると知っていても教えただろうね。貨幣を出されたからな。それに、事実を知りたいものを我は拒むことはない。それで例え、我が身が焼け焦げ、燃やし尽くされ、灰になったとしても」


 彼女は天井を見て、小さく息を吐く。

 そして、こう続けた。


「だから、昨日の夕刻、最後の浮浪者の場所をここに呼んで伝えた」


 そういえば、昨日キリヤと会ったのは夕方だったな。

 確か、店長に呼ばれてるとか言って走り去っていった。

 あの時か。


「……サヤエンドウのことか?」

「いや、この河童のような姿をした奇妙な男だ」


 画面に拡大される、ザビエルの写真。

 え? ザビエル?

 何かが引っかかる。


「じゃ、じゃあ、サヤエンドウの場所を教えたのはいつだ」

「むむ、なんだ。やぶから棒に」

「いいから」

「この体格のいい男か? ……我の記憶の断片には、一昨日の昼時だったと刻まれているが?」


 一昨日の昼時? 

 丁度、俺とキリヤがメイド喫茶に行っていたときか。

 飯を食べた後にキリヤはいきなりトイレに行った。多分あの時か。

 ……おかしい。

 サヤエンドウが誘拐されたのは昨日だ。

 だが彼女は、一昨日サヤエンドウの場所を伝えたと言っていた。

 なぜ、一日時間を置いたんだ?

 ―――ここか。

 ここにはまだ、家族の欠片が、ほんの一欠けらだけ残っている。

 そうとは限らないのかもしれない。

 でもまだ、二人の運命にはほつれがある。

 俺はそう信じることにした。


「さっき二つしか選択肢がないって言ったよな」

「……ああ」

「今、三つ目の選択肢が生まれたぜ」

「……ほう。ならば、問おう。三つ目の選択肢とはなんだ?」

「―――二人とも助ける」


 今度は俺が彼女の目を真っ直ぐ見た。

 彼女は揺れる瞳をそっと逸らして、またくすくすと笑いだす。

 何がおかしいのだろう。


「君はやはり珍妙だ。それで、どうやって助けるんだ?」

「分からない」


 彼女はさらに高らかに笑う。

 しかも、腹を抱えて。


「これは傑作だ。助ける方法が分からないのに、助けると吠えるとは。……だが、それは愚者の道だ」


 笑うことを瞬時にをやめ、再び彼女は人差し指を俺の心臓めがけ突き立てる。


「その三つ目の選択肢は、愚か者の歩む道だ。そんな優柔不断な決断は、全てを失うことになるよ。それ

でも、その道を選ぶのか? その道を、進むのか?」


 自分でも分かっている。

 俺の言ったことがどんなにキレイごとなのかも。

 それでも、俺がやらないといけない。

 なぜなら―――


「アイツは、俺のことを友達だと言ってくれた。サヤエンドウは俺のことを家族だと言ってくれた。あの二人の共通点は、俺なんだよ。あの二人の繋がりを、家族の記憶を取り戻せるのは、俺だけなんだよ。俺が今勇気を貫かなきゃ、あの二人の時間は一生止まったままなんだ。だから、例えアイツとの関係が壊れちまったとしても、俺は助けに行く。大事なもんを失うとしても、俺はあの二人を助け出す」


 全てをはき終えて、改めて自分のキレイごとに呆れる。

 どうせウロボロスもそんなことを思っているんだろうな。

 そう思いながら、彼女の方を見る。

 しかし、彼女はなぜか俺を見て微笑んでいた。


「えっと、なんかおかしかったかな?」

「いや、真っ直ぐな言葉たちだったよ。呆れるくらいね」


 不意を衝かれて、俺はどぎまぎしてしまう。

 なんかすごい恥ずかしい気持ちになる。

 俺は頭を掻いた。

 そして、踵を返す。


「んじゃ、俺、行くとこできたから行くよ」

「どこに行くんだ?」

「ちょっと相談したい人がいるんだ」

「そうか。なら一つだけ、君に助言しておくよ」

「助言?」


 俺は再び彼女を振り向いた。

 彼女は頷き、人差し指を上に向ける。


「言葉は、人と人にとって一番大事なものだ。それゆえに使い勝手が利かない。言葉は包帯であると同時に銃弾でもあるんだ」

「……ん? 何が言いたいんだ?」

「つまり、言葉は慎重に選べということだ。銃弾を詰めた銃口からは、銃弾しか出ない」


 彼女の言っていることの半分も理解できなかった。

 でも彼女が俺を心配してくれていることだけは分かった。


「やっぱり、優しいよ。お前は」

「むむ、またそんなことを恥ずかしげもなく、よく言えたものだな」

「だって、俺のこと心配して言ってくれたんだろ?」

「むむむっ、違うぞ。ミジンコ並みの精神の弱さを誇る君のような人間を心配する時間があれば、これからの日本の外交問題と世界の貧困を心配するに決まっているだろ」


 彼女は、そっぽを向いてしまった。

 そこまで言わなくても……。もうなんかすごい傷ついた。

 俺は玄関に行き、靴を履くとポケットに手を突っ込む。

 何かが手に触れる。ビニール袋だ。

 これは確か、キリヤが忘れていった薬。


「おい、ウロボロス」

「え、なっ―――」


 俺はビニール袋を投げ渡す。

 彼女は両手で慌ててビニール袋を掴み取る。


「な、なんだ、これはっ。それに投げるならもっとゆっくり投げなよっ」

「悪い。それキリヤがさっき落として行ったんだけど。俺多分もう会えないと思うから。ここの方がキリヤが来る確立あるだろ? そのとき、渡しておいてくれよ」

「……分かったよ。確かに預かった」

「それと、ありがとうな。……教えてくれて」

「むむ、そうか。だが、あまり無茶するなよ。君の体は、我のものなんだからな」


 俺は頷いて、そのまま重たい扉を開け、その場所を後にした。

 エレベーターを上がり、外に出る。

 部屋より外の方が暖かいことに少し驚く。

 そりゃそうか。だって、クーラーつけてたんだもんな。

 ……よし、行くか。

 俺は、首もとのマフラーを少し下げて、歩き出した。


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