第十話 友達
昨日から俺はとことんついてないらしい。
昨日の朝にはチンピラに絡まれ、クラブで酔い倒れ、さっきは蜂谷親子に出くわし……
『よう、ホワイト・ファング。昨日はうちのもんが世話になったらしいな。それからそこの赤マフラーもだ』
逃げてきたと思ったら、黒いバンダナをしたチンピラにまた絡まれる。
どうやら昨日の仲間の敵討ちに来たらしい。
一、二、三……十人はいるかな。その内、一人は金属バットを肩に抱えている。
これまた随分と愉快な仲間達をお連れだ。
それもこんな人通りの多い街の真ん中で。
なぜか俺も目の敵にされている。
ほとんどキリヤがやったんだよ。
コイツらとは奇妙な縁を感じてならない。
「昨日? なんかあったっけ? デウス」
コイツはそれすら覚えていない。
この発言が火に油を注ぐのだ。
『ざけんなっ、コラっ!』
『ぶっ殺してやるっ!』
『舐めやがって!』
『やっちまえっ!』
血相を変えたチンピラたちがこちらに向け、一斉に走り出す。
どうするかな。俺、一応怪我人だからな。
でもこの数はさすがにキリヤ一人じゃ―――
「デウスは怪我してるようだから、手ぇ出すなよ」
俺の耳元でキリヤが囁いたかと思うと、俺の真横を白い影が通り過ぎる。
俺が止めようとしたときには、もう遅かった。
キリヤは走り出した勢いのまま左足を前に出し踏ん張ると、右足で回し蹴りを繰り出す。
チンピラ一人の腹部に直撃し、もう一人を巻き添えにしてアスファルトに叩きつけられる。
キリヤはその回し蹴りの反動を利用して、一人の顔面に一発左手で拳を入れ、その隣のチンピラの左頬にひじ打ちを叩き入れる。
これで早くも四人を片付ける。
四人片づけるのにまだ十秒もかかっていない。早すぎる。
一つ一つの動きに無駄がなく、その攻撃はまるで狼の牙で鋭く噛みちぎるかのように容赦ない。
いや、複数の人間を相手にするうえで一撃で仕留めるのは、当然だ。
相手はCPUじゃなく、人間だ。戦う意思がある限り、立ち上がり続ける。
いたずらに自分のスタミナを削ることになるのだ。
キリヤの猛攻はまだ終わらない。
正面から来るチンピラの顔面に拳を入れようとフェイントを入れ、チンピラの視界から消えて、足払い。
後頭部が地面に着くと同時にそのチンピラの顔面を踏み台にし、高く宙に飛ぶと、もう1人に頭蓋骨を叩き割るかのような、かかと落としをお見舞いする。
これで六人。
アクション映画を間近で見ているようだ。
いや、そこら辺のアクションスターでは補助なしではできないかもしれない。
それほどまでにキリヤの身体能力は類まれないのだ。
キリヤの表情を見て、俺は息を呑む。
―――笑っているのだ。
喧嘩が好きだと昨日キリヤは言っていた。
自分に向かってくる相手を倒すことが、快楽にでもなるのだろうか。
俺にはよく分からない。
それを間近で見るならまだしも、やられる側ならたまらないだろうな。
一人のチンピラが怖気づき、後ろに下がったことをキリヤは見逃さなかった。
そのチンピラめがけて足を踏み入れた、その瞬間だった。
俺は衝撃の光景を目の当たりにする。
キリヤの体がグラついたかと思うと、その場で膝から崩れ落ち、口から赤い液体を吐いたのだ。
吐いた? 赤い液体? さっき食べたオムライスのケチャップ?
……いや、違う。―――血だ。
なぜそれが血だと分かったのかは分からない。だがすでに体が動いていた。
チンピラは、今にも持っている金属バットでキリヤを殴りかかろうとしている。
くそっ、この距離じゃ、間に合わないっ。
そう判断した俺は胸ポケットから素早く『暴君 壱号』を出すと、チンピラの顔面めがけて投げつける。
得物の切っ先が顔面に当たり、チンピラが後ろに仰け反る。
返ってきた得物を地面すれすれで掴むと、剣を伸ばすと同時にそのまま仰け反ったチンピラの溝内に突き入れて倒す。
突きの勢いを維持しながら、残り二人の顎めがけて剣を斜めに素早く叩き込む。
少し遅れて二人はグラつきながら、地面に沈んだ。
それを確認すると、激しく咳き込むキリヤに近寄る。
「おい、キリヤっ! なにがあった!」
「……い、いや、だい、じょうぶだ」
そう言って激しく咳き込む。
俺にはそれが到底、大丈夫には見えなかった。
地面に広がる血が妙に俺の胸の中を騒がせる。
きりきりと胸を掻きむしるのだ。
「ちょ、ちょっと……した持病みたいなもんだ。く、すりがある……」
「薬があるのかっ? 待ってろ今、水を―――」
そう言い、水を探そうと顔を上げると、通行人が俺たちの周りに集まっている。
無理もない、道の真ん中で乱闘をした上に、キリヤがこれじゃ。
遠くから、パトカーのサイレンが聞こえる。……くそっ!
「キリヤ、ちょっと我慢しろよ」
俺はキリヤを背負うと、広がる人の群れの中を走り出す。
キリヤが咳き込む振動が背中に伝わる。
いろんな悪い想像を掻き消し、ただ人のいない場所を探す。
腹の底が妙に冷たいのは、冬だからというわけではないだろう。
* * *
路地裏に入り、薄汚れた壁にキリヤの背中を付ける。
口元には乾きかけの血がこびり付いている。
キリヤの咳はもう止まりつつあった。
だが、目に光がない。危険な状態なのかもしれない。
「どうする、キリヤ。俺の知り合いに医者がいるんだが、見てもらうか?」
「……い、いや、大丈夫だ。それより、水あるか」
「あ、ああ」
ここに来る途中で自販機で買っておいた水をキリヤに渡す。
力なく受け取ると、キャップを開けようとする。が、中々開けられず、俺が開けて渡す。
「すまねえ」
と言い、キリヤは受け取った水を一飲み。
少し咳き込み、目を閉じて壁に体重を預けた。
俺はこの光景をどこかで見たことがあった。
……そうだ。俺の母親だ。
俺の母親が入院しっぱなしになる前に、こういう光景を見てきたんだ。
その度に俺は母親に寄り添っていたっけ。
「そう、心配そうなツラすんなよ、デウス。薬飲んだら、治る」
「薬?」
と俺が尋ねると、キリヤは頷いてポケットを漁る。
それから、ビニール袋を取り出した。
ビニールの中には、何やら小さな粒みたいなものが数個ある。
キリヤはそれを三粒ほど手に乗せた。
赤く丸い小さな錠剤だ。
赤い……薬?
見る限り、とてもじゃないが体に良い色だとは思えない。
最近の病院はこんな薬をくれるのか。
キリヤは顔を上にあげ、錠剤を水と一緒に流し込む。
喉が飲み込む音と共に大きく弾むと、キリヤは上を向いたまま目を閉じた。
路地裏の奥から冷たい風が吹きすさぶ。
「なあ、デウス。お前も父親が家を出て行ったんだよな?」
キリヤの口から突然出てきたその言葉に若干驚いた。
そういえば、クラブでそう言う話をしたんだっけ。
「……ああ」
「一つだけ聞いていいか?」
「なんだ?」
「その父親に会いたいか?」
「……」
俺は思わず黙り込んでしまう。
この質問、いつかどこかで聞いたような気がする。
父親に会いたいか……か。
俺は親父に会いたいのか? ……分からない。
実際、会ったところでどうなる。
また一緒に暮らすのか? 馬鹿馬鹿しい。
自分を捨てた親父と? 母親の死に際にもいなかった親父と?
そんなことありえない。
でも、忘れきれていないのも事実。
本当にどうでもいい相手ならここまで考えないだろう。
忘れられないのはきっと、俺が少しでも会いたいと思っているからだ。
たった一つだけ聞きたいことがあるからだ。
「会いたいのかもしれねえな。そして聞いてやりたい。どんな気持ちで子どもを捨てたのかって」
「……そうか」
キリヤはまだ目を閉じたままだ。
俺とキリヤの間に波紋のように静かな沈黙が広がる。
……キリヤはどうなのだろう。
その疑問は勝手に口から零れていた。
「お前はどうなんだ? 親父に会いたいのか?」
俺のその質問を聞いて、キリヤはピクンと白髪を揺らす。
壁にもたれ掛ったまま立ち上がる。
そして、静かに口を開くのだ。
「……オレの母ちゃんは、オレを育てるために無理をしてたんだよ。親父が家からいなくなってから近所のイチゴ畑の人に世話になってな。母ちゃんはオレの前でずっと笑ってたんだ。でも、母ちゃんは倒れた。きつそうな素振りをオレに一切見せないで。そして、母ちゃんはオレの前から居なくなったんだ」
そこまで言い終わるとキリヤは、壁から背中を放すと同時に口元の血を袖で拭いた。
それからゆっくりと目を開ける。
俺の眉間に少ししわが寄るのが分かった。
薄暗い中でも分かる。
キリヤの目が、少し赤みがかって充血しているのだ。
それほど母親が死んだことが悲しいことだったのだろう。
「……母ちゃんがこんなことになったのも全部あの男のせいだ。オレはあの男を絶対に許さない」
とキリヤは言葉を続けて、目の前の薄汚い壁を睨みつけた。
その目に灯る赤い怒りが俺に伝わった。
電気のように鋭く、炎のように焦がれる、憎しみとも言っていいほどの静かな怒り。
俺は何も言うことができなかった。
俺が親父を恨んでいないかと言えば、嘘になる。
確かにそういう、どす黒い感情が俺の中にもあるのだ。
「悪りぃ、デウス。今のなし」
と言い、キリヤは肩を大きく揺らし深呼吸をした。
それから俺の方に向き直り、いつものように笑った。
まただ。またこのどうしようもなく胸を締め付けられるような感覚。
たまに、人が笑っている時の方が悲しそうに見えてしまうことが、本当にあるのだ。
「それよりもデウス、お前強いんだな」
「え?」
キリヤの切り替えの早さに少し戸惑う。
「さっきオレが倒れた時、三人一気に蹴散らしただろ?」
「え、あ、うん。見てたのか?」
「いや、地面に倒れた奴らを見ただけだ。……オレと喧嘩しねえか?」
「なんでだよ。意味分からんぞ」
「いいじゃん、オレ、喧嘩好きだし」
「病人はおとなしくしてろ」
キリヤはガッカリしたように肩を落とす。
コイツどんだけ喧嘩が好きなんだよ。喧嘩馬鹿か。
確か昨日、いつか紅狼とも戦いたいって言ってたっけ。
それが俺だなんて知れたら、面倒なことになりそうだ。
「じゃあ、まあ、今日は見学だけにしとくか」
「ん? 見学?」
と俺が聞くと、キリヤは路地裏の入り口に向け歩き出す。
入り口付近で立ち止まり、こう言うのだ。
「面白いところに連れて行ってやるよ」
* * *
俺がキリヤに連れたられ、その場所に着くころには日が暮れていた。
冬は日が落ちるのが早い。
今何時なのかもよく分からない。
高層ビル群を抜け、倉庫街の奥にある廃倉庫の前。
「ここだ」
「ここ? 一体ここに何があるんだ?」
「着いてくりゃ、分かる」
と言い、キリヤは再び足を前に出す。
俺はその背中に着いて行く。
こんな人もあまり寄り付かない場所に何があるというのだろう。
面白いところとキリヤは言っていた。
こんなところに面白いところなんてあるのか?
そんなことを考えていると、廃倉庫の扉の前で止まる。
……ん? なんだろう。何かの音がぼんやりと聞こえる。
奇声のような悲鳴のような歓喜のような……人の声?
それも一人じゃない。多人数の声だ。
その声は扉の向こう側からした。
キリヤは扉のドアノブを掴むと一気に開ける。
その刹那、熱気と歓声が顔の皮膚を引きちぎるようにして、俺を通り過ぎた。
少しの間、俺はその熱気に気圧されていた。
背中で閉まるドアの音で正気に戻る。
外との温度差と熱気で耳が熱くなる。
まず目についたものは、天井のライトを浴びてそびえ立つ、ロープの張ったリング。
そのリングの上で戦う、上半身裸の男二人。
そして、そのリングを囲む、多くの若者。
耳鳴りがするほどの大歓声。
やっとの思いで息を吐く。
「こ、ここは……」
「ここはオレ達、『レッド・クリフ』のたまり場だ」
「たまり場? そんな場所に俺が来ていいのか? それにたまり場なのになんでリングがある? ここで何をしてるんだ?」
「まあ、落ち着けよ、デウス」
キリヤのその一言に俺は自分が少し高揚しているのに気づく。
俺は熱のこもった空気を吸い、さらに熱を増して吐き出す。
深呼吸を終えると、キリヤの目を見た。
「それで? このたまり場に俺は来てよかったのか?」
「ああ、いや、基本来たらダメだろうな。でも、ここは『レッド・クリフ』のたまり場だ。ここのカラーギャングの色はなんだ?」
俺はリングの周りの若者たちを見回す。
赤のジャケットに、赤のニット帽、赤の手袋。
なるほど、そう言うことか。
「つまり、赤いものを身に着けていれば、良いってことか」
「そういうことだ。このチームの最低条件は、赤いものを身に着けることだからな。まあ、どこのチームも、何らかの色のものを身につければいいんだけどな」
赤いものを身に着けていれば、別に分かりはしないってことか。
俺には首に巻いているこの赤いマフラーがある。
だから、別にここに居ても不思議には思われないのだ。
俺は今もリングの上で戦い続ける、男二人を見た。
「それで? 一体アイツらは何をしてるんだ?」
「リングの上で喧嘩してるんだよ」
「喧嘩? なんで?」
「いや、喧嘩って言っても楽しい喧嘩だ。戦いたい奴だけが戦って、それを見たい奴だけが見て楽しむ」
喧嘩に楽しいも何もないと思う。
なぜだか、とても胸の中がモヤモヤする。
「それにリラックス解消にもなるし、リングの周りの奴らは掛け事をして楽しんでる。ちょっとした小遣い稼ぎみたいなもんだ。ちゃんとグローブだって付けてるしな」
例え、グローブを付けていたとしても、戦っているのは素人だ。
なにがあってもおかしくない。
それになにより……
「コイツら、家に帰らなくていいのか?」
そう聞くと、キリヤはリングを見つたまま、黙り込んだ。
その赤みがかった目に、天井のライトが浮かび上がる。まるで、遠くの場所を見ているようだ。
それからそっと口を開いた。
「帰る場所がないんだ……」
俺は唇を強く噛んでいた。
帰る家がないのではない。帰る場所がないのだ。
それはつまり……家に居場所がないということ。
その気持ちが少し俺には分かってしまう。
ぶわっと、歓声が上がる。
リングの上を見ると、一人の男が地面に突っ伏し、もう一人の男が天に向かって拳を突き上げている。
ゴングの音も聞こえる。
どうやら試合が終わったらしい。
さっきのモヤモヤがさらに膨れ上がるのを感じた。
人を殴り倒して、そんなに嬉しいものなのだろうか。
俺は確かに剣道も喧嘩もしてきて、たくさんの相手を叩きのめしてきた。
でも、その度に俺は何かを失ったような気がしていた。
人間として大事なものが、少しずつ欠けていくのを感じてきたのだ。
そこに喜びはなかった。
それは多分、俺が母との約束を護るためだけに戦ったからなのかもしれない。
『正義に味方になる』という約束のためだけに。
そして、最後に一番聞きたかったことを聞いた。
「なんで、こんな大事な場所に俺を連れてきたんだ? チームでもなんでもない他人の俺を」
そう聞くと、キリヤは目を丸くした。
その表情に俺は首を傾げる。
それから俺に向けてこう発するのだ。
「なんでって、そりゃあ、お前がオレの友達だからだろ?」
「友達?」
と聞くと、キリヤは八重歯を見せながら笑った。
「ああ。だって、一緒に笑って、一緒に飯食べて、一緒に歩いたら、もう友達だろ?」
……どうしてだろう。
今すごく心臓の鼓動が早くなっている。
それに心なしか顔も熱い。
このままここに居たら、心臓が爆発しそうな気がした。
俺は急いで振り返り、ドアノブを握った。
「おい、デウス。帰るのか?」
「あ、ああ」
「これからが面白いんだぞ?」
「悪い、ちょっと用事を思い出してな。 ……今日は楽しかった。ありがとうな」
そう言って、扉を閉めた。
熱が遮断され、肺の中に冷気がたち込める。
折角楽しい一日のつもりだったのに、後味を悪くしてしまったかな。
今度キリヤに会ったら、謝っておくか。
それにあんな逃げるような形で、出てきてしまった。
ん? 逃げる? 何から? 分からん。
今、俺の中で一体何が起こっているんだ。
全てはあの『友達』という単語を聞いてからだ。
マフラーに首を埋め、暗闇の中を歩き出す。
真冬の星空が暗い夜道を照らす。
これから起こる、俺とキリヤの運命を導くかのように……
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