第二話 余命宣告
一九九〇年の初期、日本はバブル崩壊に陥り、不景気の荒波に飲み込まれた。
その煽りを受けて年々、就職率は落ちる一方だ。俺の家も例外ではなかった。
親父が経営していた事業もその荒波に飲まれ倒産。残ったのは多大な借金と俺だけ。それでも、親父は頑張っていたはずなんだ。毎日、職安に通って家にも帰ってこなかった。
それなのに―――。
車内はタバコの煙で充満している。助手席に乗っているパンチパーマのチビがさっきから副流煙をお構いなしに排出しているからだ。マナーを守れ。マナーを。
窓から見える景色が黒がかって見える。萎えた頭を車のエンジン音が揺らす。クソっ!
このチビは、親父が俺を売り飛ばしたと言っていた。何でだ親父。
頭が考えることを拒否する。
何でも何も、親父は俺のことを息子だと思っていなかったってことなんだろ。自分が助かるためなら自分以外の奴がどうなったっていいんだ。それが例え血を分けた肉親だとしても。
「着いたで」
運転席のマユ無しノッポが低い声で言ってきた。もう着いてしまったのか。
車のドアを開けられ強引に外に出される。
目の前にはデカい屋敷が建っていた。門には『蜂谷組』と書かれた看板が掲げられている。
高い塀に囲まれて、門は赤い。
「ここが蜂谷組の事務所や」
チビがあごでしゃくりながら言う。
ホントにこんな、任侠モノのVシネマみたいな屋敷があるなんて思わなかった。
ノッポから腕を強く引っ張られ、門をくぐる。
広い玄関から上がると暖簾をくぐり、長い廊下を早歩きで歩き出す。
庭には、色とりどりの鯉が泳ぐデカい池と無駄に大きな石がそこらじゅうに埋めてある。盆栽なんかもおいてある。
ギシギシと鳴る廊下の板がこの建物の歴史を語っている。
しばらく歩くと、俺の前を歩いていたノッポが立ち止まり、一つの部屋を遮る襖へと体を向けた。
「お頭ぁ、連れてきやした」
そう言うと少し間が空いてから、中から声が聞こえる。
「入りぃや」
物凄くドスの利いた声だ。
緊張しているのか、変に口の中が乾いてきた。
「失礼しやす」
襖を勢いよく開ける。
赤い壁が部屋中に広がって、部屋の真ん中には黒いテーブルに肘置きと背もたれの付いた大き目の椅子があった。その頭上には『任侠』と墨で書かれた額縁が飾られている。さらに横には、蜂の絵が描かれた掛け軸があり、その前には日本刀が置かれている。
俺は息を呑む。
「ようこそ。蜂谷組の事務所へ。ワイが蜂谷組組長 蜂谷 巌夫や」
そう言うと椅子を回転させて、こちらを向いてきたのは一人の男だった。
ツルツルの頭に眉間には深いシワ。目の下や額やアゴには所々刃物で付いたであろう傷があり、目はギラギラしている。スーツをビシッと着込み、襟のところには金色の蜂のバッチが付いている。
まさに、もう見た目からして組長のオーラがにじみ出ている。
めちゃくちゃ怖い。
「兄ちゃんも若いのに大変やな。歳はいくつや?」
「……十七です」
「ほうかぁ。なんや? 何か言いたそうなツラぁしとるやないけ」
顔に出てしまっていたのか。
分かっていても、どうしても微かな希望を信じたい。
「……一つだけ聞いていいですか。……本当に親父が俺を売ったんですか」
「……ほうや。……兄ちゃんの親父はんが売ったんや」
「そうですか」
聞くまでもなかった。初めから分かっていたことじゃないか。
この場に俺がいることが、何よりも答えなのだから。
「俺、これからどうなるんですか?」
「せやな~。兄ちゃんを煮ようと焼こうとウチの勝手やからな~。あっ、そうや」
ハゲ組長が何かを思いついたように言う。
「兄ちゃん。今、人間の臓器が何ぼで売れるか知ってるか?」
頭の中に赤黒い肉の塊がよぎる。
俺は首を横に振った。
「賢臓が一つ十万から一千万、角膜一つ五十万、そして心臓が大体六百五十万。兄ちゃんの親父はんの借金は五千万やから兄ちゃんの体の臓器全部売らなアカンな」
血の気が引いていくのが分かる。
臓器ブローカー。違法で臓器を裏で売買する人たちのことだ。
そうか。俺は臓器を売られてしまうのか。
「まあ、そない青い顔するなや。兄ちゃんも若い。若い連中の未来を無理やり奪うのも寝覚めが悪うてしゃあないからのぅ。ワシも鬼やない。……チャンスをくれたる」
俺は顔を上げる。
「チャンス?」
「せや。三ヶ月。三ヶ月や。三ヶ月のうちに五千万きっちり耳揃えて持ってきぃ。そないしたら、兄ちゃんを解放したる」
指を三本出して言ってきた。
「さ、三ヶ月!? 無理ですよ! 三ヶ月で五千万なんて用意できるわけが……」
「じゃあ、しゃあないのぅ。今すぐ兄ちゃんの臓器ぜ~んぶ取り出して、東京湾の底にミイラになって沈むことになるで?」
ハゲがにたりと笑って言う。
十分、鬼じゃないか。
「まあ、人生何が起こるか分かったもんやないで。もしかしたら、ひょこっと大金ができてすぐ返済できるかもしれへんでぇ? 世の中、銭の稼ぎ方なんてぎょうさんある。あきらめへんことやなぁ」
このハゲ楽しんでやがる。口角が上がりっぱなしだ。
その瞬間、親父からの手紙の最後の『生きろ』の一言が、俺の脳内に何度も浮かび上がる。
「―――分かりました。その余命宣告、有難く受け取ります」
「ほうかぁ。このチャンスを生かすも殺すも兄ちゃんしだいや。頑張りぃや」
そう言うとハゲは、また椅子をくるりと回して後ろを向いた。まだ、口角が上がり続けている。
「また始まったか。お頭の若者いびり」
部屋から出て、少し廊下を歩くとチビが呟いた。
「良かったな、兄ちゃん。寿命が延びて」
皮肉っぽくチビが笑って言った。良かねーよ。
三ヶ月で金集められなかったら、東京湾にミイラになって沈められるんだぞ。
玄関を出て、門をくぐるとノッポが俺のカバンを投げてきた。
「頑張りぃや。結構真面目に応援してるさかい」
そう言ってから、玄関を上がって行ってしまった。
カバン中を確認すると財布が入っていた。
そして、俺はとりあえず安心できる場所を探して歩き始める。
涼しかったはずの秋風が、やけに寒く感じる。
そんな、十七歳の秋。俺は家を失った。
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