第一話 平穏の崩壊
「ボクの将来の夢は、ヒーローになることです。ヒーローになって困っている人を助けたいです」
これが小学六年生の『将来の夢』のテーマで発表した作文。
先生は顔を引きつらせていたし、友達も引いていたが結構マジだったりした。
あれからもう四年経つ。思い出すだけで恥ずかしくてたまらない。
でも、あの頃の俺は本気でなりたかったんだと思う。困ってる人を助ける強いヒーローに。
今思えば、何の利益もなく、人が困っているから助けるという心意気には頭が下がる。労働基準法も顔負けである。
そんな馬鹿馬鹿しいことを考えながら、いつもの電車に乗る。スーツを着たサラリーマンたちが、せわしなく乗り込んでいるのを見ると、まさしく社会の歯車という言葉がしっくりくる。
俺の名前は 大神 大神。
名前が苗字と同じじゃねっ? と思う人がいると思うが、これにはちょっと特別な読み方がある。大神と書いて『でうす』と読むのだ。よって俺の名前は 大神 大神。素敵な名前だろ? えっ? 厨二臭いって?
……ほっとけ。
俺の家族は三人で構成されていた。俺と父と母。だが、母親は七年前に他界した。母親が死んでから、親父は仕事に逃げるように没頭した。だから、小さいころに親父と遊んだ記憶なんて一つもない。そして、親父は自営業に失敗した。
たくさんの借金をしていたらしいが何も話してくれない。信用されていないのか、それとも俺を息子だと思っていないのかは知らないが。
そんな中で俺は育った。人と少し感覚が違うんじゃないかと自分でも思う。
だが、俺にもちょっとした特技がある。それは、剣道だ。
小学二年生の時に始めた。ヒーローに憧れていた俺は、剣道に引き寄せられるように没頭した。母親が死んでからも続けた。ちょっとした約束をしたからな。
中学では県大会優勝と言うところまで上り詰めることができた。
電車で二十分のところにあるA高からのスポーツ推薦により、高校でも剣道を続けることができていた。
しかし、人生はそんなにうまく運ぶものではない。一回のデカい喧嘩によって俺の剣道は終わった。
それからはタダ平凡に登校して授業を受けて帰る。感情のないロボットのようにそんな日々の繰り返し。
もう、うんざりだ。
学校もやめてしまおうか、なんて最近はよく考えるようになった。
電車で揺られて二十分。電車が着くと一斉に人ごみができ飲み込まれる。もう慣れたので、うまい具合に人と人の間を滑るようにして歩く。今日も学校へ行かなくてはならない。……行きたくない。
思わずため息が出てしまう。
駅を出ると歩道橋を渡り、学校へ向けて歩き始める。駅から歩いて五分で学校には着く。
十月になって和らいだ暑さが、涼しい秋風になって俺の頬を撫でる。そろそろ学校が見える頃か。夏には青々としていたイチョウの葉も、十月になって黄色く染まっている。
今日も若者が制服に身を包み、せっせと校門をくぐっている。
一人の生徒と目が合う。その途端、顔色を悪くして校門を走り抜けて行った。それから他の生徒が俺を見るなり、隣の友人とコソコソ話し始める。
『アレがあの大神さん?』
『不良百人を病院送りにしたっていう人?』
『紅狼だろ』
またか。
これが俺の毎朝の恒例行事。とある一回だけしたデカい喧嘩により、俺の評判も地に落ちた。
『顔は結構イケてるのに……』
『しっ! 狼に噛まれるわよ』
そんな会話が後を絶たない。無駄に耳がいいので全部聞こえてしまう。
『おとなしい女の子を食べるんですって』
ん? なんだそれ? 初耳だがな。てか、俺の評判どんだけデフレなんだよ。
そう思いつつ、聞こえないふりをして、教室に向けて歩を進める。
俺がドアを開けると教室中が静まり返る。あたりを見渡し席に着く。俺の席は窓際の一番後ろで指定席だ。それから少しずつ教室がにぎわい始める。
「今日もいい睨みきかせてやがる」
「怖~」
そんな会話も丸聞こえ。聞こえてしまうのだから仕方ない。俺はカバンを机の横に掛ける。
しばらくすると、チャイムとともに担任が入ってきた。
「出席をとるぞ~」
メタボにメガネの担任が出席をとり始める。
「江崎」
「はい」
「大神」
「はい」
「ヒッ!」
隣の女子とメタボがビビる。普通に返事しただけなのだがな。
気を取り直して出席をとり始める。出席の後にどうでもいい雑談を言い放った後、教室を出て行った。
一時限目のチャイムが始まりを告げる。
授業中は何かと心が落ち着く。生徒の目は黒板に向くし、何もしなくても時間は進む。現国の白髪じいさんの枯れた声が教室中に響く。
この人の声は人の意識を刈り取る。つまり、強制的に睡眠を引き起こさせるのである。
この学校では『現国の死神』なんてシャレた二つ名で呼ばれることもある。かく言う俺も現在進行形で、死神の鎌に意識を刈り取られようとしている。あ、ダメだ。おやすみ。
……何やら美味しそうな匂いがしたので目が覚めた。時計を見ると十三時を過ぎている。周りの奴らは机を囲んで昼飯を食べていた。俺はカバンを持つと教室を出た。
一時限目から寝ていたとすると三時間くらい寝ていたことになる。……いつものことだ。
階段を上がっていくと屋上へ続く扉がある。扉を開ける。
「眩しっ」
思わず目を細める。真昼の太陽は俺の心とは反対に、うっとうしいくらいに輝いていた。
扉を閉め、扉の横にあるはしごから給水塔へ上る。昼飯時になるといつもここに来る。友達がいないからな。一人で教室にいることほど拷問じみたことはない。
親父は借金を返すために日雇いの仕事や職業安定所にかよっていて、ほとんど帰ってこない。だから朝飯も昼飯も自分で作らなければならない。
今日の昼飯はいつもより遅く起きてしまったせいで、駅に売ってあるメロンパンを買った。
パンを食べ終え、ゴミをカバンの中にしまい横になる。
暖かい太陽の光が俺の頬を照らす。それに満腹感がさらに俺を気持ちよくしてくれる。あまりの気持ちよさに、さっき三時間ほど寝たはずなのだが、またしても睡眠の魔の手がまぶたの裏まで忍び寄ってくる。
……そういえば、俺が剣道を失ったの日の空は、この快晴とは違ってどんよりと曇った日だったっけ。
あの日のことは、今もはっきりと覚えている。
あの日、部活に向かう途中に、一人の女の子の悲鳴が聞こえた。駆けつけると、数人の暴走族に絡まれている、うちの制服を着た女の子を発見したため、俺のヒーロー魂が燃え上がり助けようとした。
当然、暴走族共は素直に言うことを聞くわけがなく、殴ってきやがったわけで、囲まれているから逃げることもできず、持っていた竹刀で片っ端からなぎ倒していった。倒しても倒しても減らないと思ったら、あろうことか奴らは応援を呼んでいたのだ。
やっとの思いで全員なぎ倒したと思えば俺は警察に囲まれていて、竹刀も俺も血まみれだった。
警察ではこってり絞られ、女の子の証言のおかげでなんとか正当防衛で済んだが、三ヶ月の停学処分をくらった。
新聞にも載った。『たった一人で暴走族壊滅!?』 『血まみれの狼、百人の不良を病院送り!?』なんていう、いかにも俺が不良みたいな小見出しの新聞がばらまかれた。三ヶ月の停学が終わって学校に来ると『大神』と『狼』をかけて、『紅狼』なんて汚名が俺についていた。
当然、部活は強制退部。しかし、学校は普通に行かせてもらえた。なぜなら、先生が俺にビビりまくっているからである。
そのまま、学校をやめさせれば何をするか分からない、という理由だろう。だから、念入りに先生はこう言ってきた。「学校に通い続けたいなら、これ以上何もするな」と。自主退学も考えたが、将来のことが不安すぎたのでここに留まることにした。まあ、その場しのぎなわけだけどな。俺の中学の後輩にも悪いことをしたと思っている。俺のせいで、もう推薦が来ないかもしれないからだ。
そして、今に至るわけだ。ヒーローどころか悪党じゃないか。
あ~、いやなこと思い出した。
俺は立ち上がり背伸びをする。
そういえば、あの助けたメガネの女の子は元気だろうか。
まあ、どうでもいいや。
……よしっ、帰るか。
俺はカバンを気怠く持ち上げると、屋上を後にした。
* * *
学校を出て電車に乗る。昼間は朝ほど人が混んでいないので席に座ることもできる。最近は大体、昼飯を食べると五・六時限目をサボることが多くなった。とりあえず学校を卒業したい気もするが、どうもやる気が出ない。
電車に揺られて二十分。駅に着くと家へと向けてまっすぐ歩く。
昼食帰りのOLが急いでいる。
五分もしないうちに家に着いた。
ボロく、しがないアパートの二階が俺の家だ。階段を上りこれまたボロい扉の鍵を開ける。ここのドア、鍵なんてする必要あるのか?
扉を開ける。
すると、円卓の上に置かれた封筒あることに気付く。
俺は靴を汚く脱ぎ捨て、封筒を開ける。
一枚の紙が入っていた。
「な、なんだこれ!?」
『大神 大神』と書かれた領収書の類と思しき紙だった。
おい、待て。これいくつ『0』が付いてるんだ?
一、十、百、千……っ! ご、五千万!?
五千万円の借用書。目の前が真っ暗になる。
封筒の中を見るともう一つ紙が入っていた。どうやら手紙のようだ。
『俺はもう疲れた。もう、この家には帰らない。この手紙を読んだら、すぐ逃げろ。 生きろ。』
手紙を落とし、膝が崩れる。絶望に足が吸い込まれそうだ。
ウソだろ親父。
絶望に打ちひしがれる中、ドアを激しくノックする音が俺を現実に引き戻した。
扉が壊れそうになるほどの勢いで扉を叩いている。
「大神はん、居まっか~。いるのは分かってるんでっせ~」
偉くドスの利いた声がノックとともに聞こえる。
しまった。手紙にもすぐ逃げろと書いてあったのに。
どうする? 窓から逃げるか? 馬鹿言え! ここは二階だぞ。そんなアニメや漫画の世界じゃないんだ。こんなところから飛び降りたら間違いなく足が折れる。
そんなことを考えているうちにドアが勢いよくぶち壊された。
「居るやんけ」
今度はやけに甲高い声が聞こえた。振り向くとそこには二人組の男が立っていた。
一人はパンチパーマで白いスーツの下に派手なYシャツを着た小さいオッサン。
もう一人は坊主にマユ無しの黒いスーツの下に水色のYシャツを来たノッポ。
「兄ちゃんが 大神 大神でっか?」
チビの方が甲高い声で聞いてくる。
「えっ?」
俺は混乱して変な声を出してしまった。
「なんじゃその顔。もしかして兄ちゃん、親父はんから何も聞いてないんか? 親父はん、兄ちゃんのこと借金の返済に売り飛ばしたんやで」
なん、だと?
「てことで、うちの事務所まで来てもらうで~。おいっ」
そう言うとチビはノッポにあごでしゃくった。
「へい」
ノッポが野太い返事をすると俺を強引に立ち上がらせ、扉から出し車まで連れて行きそのまま乗せた。反抗する気力さえない。
あまりの突然すぎる展開についていけない。俺を乗せた後、チビが助手席に乗りノッポが運転席に乗った。
俺を乗せた車は俺の無気力感さえ無視して走り出した。
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