第5章 かくして賽は投げられた
いつも通り、ナナの方が先に目が覚める。
横ではニコラが、可愛く小さな寝息を立てながら、時折寝言のようなことをもごもごと言っている。
何か夢を見てるのかな? 私の夢だといいな。
そう思いながら、台所に行って、コーヒーサーバーをセットする。
編み物の勉強も大事だが、プレゼントの分類についても、当然やらなければならない。
サンタクロースの助手というのは、決して暇な仕事ではない。
「来年はどの国に重点的に配ろうかなあ。やっぱり先進国以外の方がいいかな」
世界地図には、今までに重点的に配った国のデータが出ている。
アジアが多いので、今度はシベリアからも近い、旧ソヴィエト連邦の諸国にしようかな。
そんなことを考えながら、天界テレビのスイッチを入れる。
「――森羅万象国際会議の決定により、サンタクロース予算は削減することが決定となりました」
「え?」
一瞬、何か夢の続きを見ているのではないかと思った。
だが、つねれば頬は痛い。
アナウンサーの天使は、淡々とニュースの続きを述べる。
「なお、サンタクロースのポジションについては廃止となり、その後は携帯ストラップの神として、移転が決まっており」
「えええええええええ?!」
「うるさいなあナナ。もう少し寝ようよ……」
眠そうな目をこすりながら、ニコラはむくりと起きあがる。
ニュースの声は全く聞こえていないらしい。
「起きなよニコラ! 寝てる場合じゃないよ!」
「えー、続きまして、豊胸エクササイズ詐欺です。
悪魔グループKYONYUが本日未明に、天界三丁目の雑居ビルにて摘発されました」
「うわっ、僕がナナの為に買っておいた通信教育の豊胸体操、詐欺だったのか!」
「豊胸体操って何よ、豊胸体操って……」
「二万ヘブンも出して買ったのに……うおお、悪魔めぇ……」
ニコラは血涙を流し、悲嘆に暮れている。
ナナは真剣に頭痛がした。
そんなものに二万ヘブンも出したのかオイ。
後ろ頭に飛び膝蹴りを入れてやりたい気持ちをぐっと堪えて、それじゃないと訴える。
「え、通信教育の豊胸体操の事じゃないの?」
「ニュースが切り替わった時にニコラが起きたの!
さっきやってたのは、サンタクロースの予算削減による廃止決定が、森羅万象国際会議で決まったっていうニュースよ!」
「なんだとおおおおおおおお!」
「今さら驚くんじゃないバカ!」
さすがのニコラも、寝ぼけている場合ではない。
サンタクロース廃止。
それでは自分はどうなるのか?
気が気ではない。
「でね、その後は携帯ストラップの神様に配置換えらしいよ」
「携帯ストラップの神……なんて地味なんだ……」
「まあ、さすがに私も地味だと思う……」
二人で言っていて、なおさらにへこむ。
まだサンタになって十年というのは、新米も良いところだ。
そして、やっと仕事に慣れてきたところだとも言える。
天界・魔界にも景気、不景気の波があるとは言え、サンタクロース廃止。
これはちょっと、子供達に対してひどい仕打ちではないだろうか。
「抗議するにはどうしたらいいんだろう。
私、ひとっ走り、天界と魔界に行ってくる」
「まあ待て、闇雲に抗議したって何もできやしない。
まずは、この決定の効力がいつからで、どんな抗議手段があるのか調べよう」
なんだ、ニコラにしてはまともな事を言うじゃないか。
ナナは少し感心する。
「で、調べるって?」
「もちろん、天界ネットの教えてヘブンちゃんねるに書き込むんだ!」
キラキラとした瞳は、何かの確信に満ちている。
駄目だ、この人早くなんとかしないと。
ナナは淹れ終わったコーヒーをサーバーからカップに移すと、無言のままニコラに渡す。
これでも飲んで落ち着け。
彼女なりの小さな抵抗だった。
「見なよほら、親切な人が早くも僕達に教えてくれてるじゃないか!」
「どうせろくでもないんでしょう」
期待はせずに、画面を覗き込む。
一件目 : ヤホーでゴグれば良いんじゃない?
二件目 : ゴグれカス
三件目 : 新参乙
四件目 : そんな質問で大丈夫か? ああ、問題ない。
それ以後も返事が書かれるが、似たような調子だった。
予想通り過ぎて、もはや何と言っていいか分からない。
ナナはがっくり膝を突く。
「うーん、今日の僕は冴えてると思ったんだが、不発だったか」
「ニコラはいつも不発でしょう? まったく! ここに天上六法があるから、調べようよ!」
「こんな事もあろうかと、既に調べておいたのさ。フフフ」
きらりと白い歯が光る。
ナナとしては、ここでアルゼンチンバックブリーカーを極めておきたい欲望をぐっと堪えて、ニコラの話を聞く事にした。
「さて、この天界六法の天界法第三八条九項によると、森羅万象国際会議にて発議され、可決された事項に不服がある者は、三ヶ月以内に異議申し立てを行う事が出来る」
「じゃあ早速、異議申し立てしなきゃ!」
「まあ待て、その後、実際の異議申し立てに関する事例が載っているけど、全て却下されてる」
「それって……異議申し立ての意味あるの……?」
ナナの表情はにわかに曇る。
だが、ニコラは続きがあると言って、ページをめくる。
「さっきの法には十項があり、異議申し立てをしても受理されなかった場合、聖戦を宣言し、会議で賛成に票を投じた当該議員達に対し、宣戦布告を行い、武力解決を図る事ができる特例が認められている、と書いてある」
そう言って、十項の特例の説明に、蛍光ペンでラインを引く。
やけに冷静だが、この人は何を言っているか、理解しているのだろうか。
ナナはますます頭痛がひどくなる予感がする。
「あのねニコラ、森羅万象国際会議では、最低でも三分の二以上の賛成を得られないと、あらゆる提案は可決されないの。
逆に言えばね、天界、魔界の両方を合わせた、千数百の有力魔族、天使達が私達の言うことに耳を傾ける必要があるの。
もし下手をすれば、主やサタンなんかにまで弓を引く事になる。
だからみんな、この会議で決まった事については、仕方なく受諾して来たんだよ?」
ナナは幼い子供に教えるように、お姉さんぶった態度でニコラに言い含める。
しかし、彼はそんな彼女の言葉を聞きながら、大きくあくびをした。
さすがのナナも、これにはムッとする。
「ちょっとニコラ、あなた真面目に聞いてる?」
「聞いてるよ。それくらい分かってるさ」
「じゃあニコラ、あなたまさか、サンタクロースの地位を賭けて、今の世界にハルマゲドンでも起こすつもりなの?」
「そうだよ」
ニコラはさらっと言い流す。その態度に、ますますナナは腹が立つのを隠せない。
「あのねニコラ? 私達、二人だけなんだよ! あっちは天界軍と魔界軍。分かる?」
「怖いのか、ナナ」
ぶっきらぼうで短いその言葉に、少しだけ返事に詰まる。
言いたくはないが、この状況ではやはり格好を付ける分けにいかない。
むしろ、寝起きで頭がボケているのか、自暴自棄になっているニコラを止めるのは、自分の役目だ。
深呼吸をして、いつもと違う真剣な眼差しを向ける。
「怖いに決まってるでしょう? 何バカなこと言ってるのよ!」
「じゃあ逃げろ。逃亡資金は僕の口座に余ってる金、全部使えば事足りるだろう」
「逃亡資金って何よ? ニコラは貧乏じゃない」
「ほらよ」
ポケットから天界銀行の通帳を取り出すと、ナナの目の前にぽんと置く。
それはいつも見ている通帳とは違う、天界銀行の定期預金向け通帳だ。
中身を確認したナナは、己が目を疑った。
「いちじゅうひゃくせんまん……ちょっとこれ、何? ゼロの桁数が、普段見るより三つほど多いんだけど」
「世界中のおもちゃ会社から、僕に入ってくるリベートだ」
「リベートって、それ、賄賂じゃない!」
「きれい事だけで子供の夢が成り立つのか?
サンタクロースは天界・魔界連合から一定の資金提供を受けているが、それだけで全て事足りるほど、甘くないんだ」
面白く無さそうに、ナナの方に振り向きもせず、ニコラは答える。
「でもでもっ! 子供達に夢を配るのがサンタでしょ? それがニコラの誇りでしょ?」
「そうだよ。誇りだからこそ、ナナに対しても今まで黙ってたんだろう?
だから僕は報いを受ける。
このリベートの罪に対する報いを。
天上界と魔界を相手に、たった一人でも戦ってやるよ。
それで死ぬなら本望だ。
子供達の笑顔の為に、僕はこの世界の塵になる。
神が正しくて、悪魔が間違ってるとか、神は間違っていて、悪魔が正しいとか、理屈や理論はどうでもいい。
どっちも正しいか正しくないか、頭の悪い僕には分からないから。
でもね、子供達の笑顔を守る事は、間違いじゃないと思う。
どうせ天界も魔界も、ろくでもない余分な予算を、じゃぶじゃぶ計上してやがるんだ。
それを削りたくなくて、一番削りやすい僕らのところにしわ寄せが来た。
こうなることは分かってたよ。
引退した初代サンタは、その瞬間を迎える事に耐えきれず、見ず知らずの子供で、たまたまサンタを世界一愛していた僕に、二代目サンタを譲ったに違いない。
あの時は分からなかったけれど、天界テレビのニュースを見ている内に、こうなるだろう未来は予想できたんだ。
頭の悪い僕にもさ」
「じゃあニコラは死ぬの? こんな事で死んじゃうの?
バカだよ! そんなのバカ!」
ナナが半べそになってバカ扱いをすると、ニコラは彼女ににやりと笑う。
「僕は男の子なんだ。何歳になっても、バカな男の子だよ。
女の子に理解してもらおうなんて思ってない。
だからナナ、君だけでも逃げろ。僕のバカな遊びに付き合う必要は無い」
「やだ! ニコラが死ぬなら私も死ぬ!
やだやだやだ! バカニコラ! うんこ!」
うんこはひどくないか、ナナ。
言葉に出さず、ニコラは少しへこむ。
「とにかくそういう訳なんだ。
君はもう、一人でも生きていけるだろう。
十年間楽しかったよ。本当にありがとう」
ニコラはそっと目を閉じ、ナナを優しく抱きしめようとした。が――
「自分の命を粗末にするんじゃないわよ。バカニコラぁ!」
「ぶべらっ!」
ナナの力一杯の一撃を、横っ面にお見舞いされる。
その痛みに、何が起きたのか分からず、呆然として頬をさする。
だが、その痛みは少しだけ優しい気がした。
「だいたい何よ、さっきから格好付けてばっかりでさ!
私の事泣かせたり!
調子に乗るんじゃないわよ!
ニコラはいつもそう、わがままで、エッチで、最低!」
「わがままでエッチで最低な奴の為に、ナナが死んでどうするんだよ」
「それを私が直してあげるまで、ニコラを死なせてなんかやらないんだから!」
「あははっ、それじゃあ僕が死ぬまで直らないかもよ」
「だったら死なせてなんてやらないっ!」
そう言って、今度はナナの方からニコラに抱きついてきた。
だが、突然の事で受け止めきれずに、そのままバランスを崩し、後ろに倒れ込んでしまう。
やれやれまいったね。
言葉にできずに、そのままぼんやり天井を見上げる。
「エッチな僕にしがみついてたら駄目だろう?」
「ニコラは優しいから大丈夫だもん」
「そうだな、僕は優しいぞ」
ナナがまだ小さかった頃のように、頭を軽く撫でてやる。
ぐずって泣いているナナを、泣きやむまでこうして撫でていた。
時間は過ぎても、やることは変わらないらしい。
「僕のそばにいたら、死んじゃうかも知れないんだぞ」
「死なせないもん。絶対私より先に死なせない」
「やれやれ、バカなペットを拾ったもんだ」
「バカなご主人様だから、お似合いでしょ」
「なるほど、その通りだな」
ナナの切り返しに、思わず笑ってしまう。
ああ、本当に僕らはバカだ。
きっとこの世が終わるまで、救いようが無い大バカだ。
けれど、小利口な天界や魔界の奴らより、遥かにマシだ。
初代サンタさん、僕はあなたが出来なかった事、引き継ぎます。
あんな無謀で頭の悪い出会い方をした僕だけど、サンタ魂は宇宙で一番のつもりです。
どうか見守っていて下さい。
「で、いつまで僕の上にのっかってるの?」
「うーん、もうちょっと」
「そっか」
「うん」
たまにはこういうのも良いだろう。
こんな時しか素直になれない、僕らはそういう不器用なDNAを持っている。
分かってるからさ。
と、しんみりしているのも束の間だった。
今度は小屋が揺れ、轟音が辺りに響き渡る。
まだ宣戦布告をした覚えは無いんだが?
「ナナ、こたつの中に頭を入れろ!」
「だめ! ニコラが先に入って!」
「バカっ、僕の性格を直す為には、お前が生きてなきゃ駄目なんだろう!」
「うわあっ」
嫌がるナナをむりやりこたつにねじ込み、尻を押す。
意外と大きいんだな、胸は小さいのに。
「ニコラ、よく分からないけど今私の事バカにした?」
「してないしてない」
首を左右に振り、落ち着いて辺りの様子を伺う。
すると、窓の外に見慣れない、黒い大きな影が映っている。
音と振動は、それが原因らしい。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
唾を呑み込み、ニコラはサンタクロース波を久々に撃つ事を頭の中でシミュレートしながら、相手の出方を待っている。
すると、突然ドアが開き、上等そうなスーツに身を包み、白い息をはずませる東洋人の女性が姿を現した。
「まいどおおきにサンタさん! 大阪のマミヤ商会代表取締役社長、間宮倫音ただ今参上!」
暗闇の中、巨大な塊にライトが当たると、それはロシアの軍用ヘリだというのが分かった。
人が忙しい時に限って、政府の誰かがサンタの自分を紹介したのだろうか。
だが、彼は同時にその名前を聞いて、ある記憶が蘇ってくる。
彼女は束ねた髪をヘリの風になびかせながら、眼鏡の位置を直すと、満面に笑みを浮かべた。
面白いなあ、実に面白い。
漫画でもない映画でもない、現実こそが面白い。
そしてこれこそが運命なのか。
ニコラは苦笑しつつも立ち上がると、ようこそと言って両手を広げた。
どうせなら、こいつも事件に巻き込んでやれ。
花火は派手な方が面白い。
なあ、そう思うだろう?