第3章 ぱんつと平和
森羅万象会議を終えて、神族と魔族はそれぞれ自分達の国へと帰っていく。
その際に、特に悪魔にとっては、わざわざ天上界の近くまで出向かねばならないこのイベントに於いて、観光を楽しんで帰る者も多い。
悪魔と言っても、人間の欲望や嘘などとのバランスを取るものであり、人間達が言うほどに、危険な者達ではない。
むしろ、天上界に於いては、互いに違う国として、対抗意識はあれど、それほど相争うというわけでは無かった。
それは、魔王達が絶大な力を持って、彼らの秩序を維持しているという事もあるが、誰もが理性の無い荒くれ者というわけではないからだ。
ましてや、森羅万象国際会議に参加する魔族たちは、天界にも名を知られた知識層の者ばかりだ。
ベルゼブブの息子、次期悪魔大公爵として知られる、ベルもまたその一人だ。
「とても平和な時代になったよね。
こうして、神霊達の店でショッピングが楽しめちゃうんだから」
デュラハンは、自分の首を脇に抱えたまま、あちらこちらと、ネックレスを品定めする。
しかしベルは、お前のどこにそれを着けるんだ?
というツッコミを出来ずに困っている。
黒い触覚をぴくぴくと動かし、何とも言えない表情を浮かべた。
アスタロトと同じく、人間に擬態している彼は、黒のマオカラースーツに袖を通している。
下界の者達が生み出すファッションを楽しむのは、彼のお気に入りとなっており、いくら蠅の王だからと言って、虫達の姿で居る事は、彼はあまり好きではない。
そもそも、虫の姿で居るとモテない。
特に若い女の天使達にキモいなどと言われると、この上なく腹が立つのだ。
「ねえねえ、ベルはどれが良いと思う?
この瑪瑙細工が綺麗なのと、こっちの琥珀で出来た、落ち着いたデザインのもの。
それとも、こっちの猫目石の方がいいかな」
「えーっと、デュラにはどれも似合うと思うよ」
「もー、そんなこと聞いてないのっ! 適当に返事してるでしょう?」
くるりと、持っている頭を後ろに向ける。
しかし、ベルにとっては、なぜ怒られるのかが分からない。
そもそもどうやって首に着けるのか?
と聞いても、それはそれで、きっと後ろを向くに違いないのだ。
「悪魔さんは、女心を読むのが相変わらず苦手のようですね」
そう言って、百年前と同じ姿のまま、店員をしている女天使は笑う。
その手には、ラピスラズリをあしらったブレスレットを着けて、首にはエメラルドで草をかたどったペンダントを下げている。
最初に店に訪れた時、それと同じものがいいとデュラハンは言ったのだが、非売品なんですと言われ、やんわりと断られたものだ。
相変わらずセンスがいい。
天界の連中と比べて、魔界は……いや、言っても仕方あるまい。
「ねえねえアテナさん。百年経ってるのにこの人、相変わらずのオレ様ぶりでしょう?
これだから、私がそばに居てあげないといけないんです」
「いや、俺はお前が居なくてもいいんだが」
「ちぇすとおおおおお!」
「ぐはっ!」
空いている手でサーベルを鞘ごと引っこ抜き、横の壁までベルを吹っ飛ばす。
ゴムボールのように軽くあしらわれたベルは、見事に自分の形のままに、壁にめり込んでいる。
「ぐすん。ベルのばかばか!
照れてるからって、ひどいよ!」
「なあデュラ、百年前もこれ、やらなかったっけ……」
「お二人とも仲がよろしくて、本当に羨ましいですね」
アテナと呼ばれる店員は、口元に手を当て、上品に笑う。
壁の修理代は父親のベルゼブブが大幅に上乗せして払うので、彼女も安心して接客ができるのだ。
ただ、俺の身があまり安心じゃないのは、気のせいだろうか。
「なあアテナさん。
あんたの目、一度誰かに診てもらった方がいいですよ。絶対」
「さあて、視力には問題ありませんけどね♪」
「えへへ。私達、魔界の仲良しカップルとして、サタン様も公認なんですよ」
「まあまあ、それは妬けちゃいますね!」
お前が勝手に言いふらしてるだけだろう!
と思っても、言わない俺は優しい。
ベルは一人で納得しつつ、壁から自分の体を剥がす。
何だかんだで否定しない辺りが、自分の弱みと言えばその通りだろう。
無論、否定したらまた壁にめり込むだけなのだが。
腐れ縁の幼なじみとは言え、なんで首無し女騎士が幼なじみなのだろうか。
どうせならば、ローレライかサキュバス辺りと幼なじみになりたかった。
「ベルさまー、お迎えに上がりましたよ」
「あれ、ドラコじゃないか。どうしたんだ?」
「えっと、ベルゼブブ様が呼んでおられます」
「ふうん、親父が?
今日は一日、自治区観光を楽しむって言ってたのになあ」
まじまじとドラコを見ると、彼女は恥ずかしそうに、小さく下を向く。
彼女はヴァンパイアの子供で、いつもベルの付き人として、身の回りの世話をしている。
だが、今日は一日中、デュラハンに振り回される予定なので、彼女にもいとまを与えていた。
呼びに来るとしたら、父親のベルゼブブから、何かの伝言を受けたくらいしか、理由が無い。
「龍の帰巣時間が、予定より早くなりそうらしいです」
「え? なんでだ?」
「龍のファフニーさんが、おなかが空いてるから早く巣に帰りたいそうです」
その言葉に、ベルは思わず頭を抱える。
またか、またなのか、と。
この世界は絶対おかしい。
神の世界は時の神が居て、様々な交通や物流なんかをきちんと管理しているのに、魔界の奴らは、悪魔だからと言って、あまりにも適当過ぎる。
遅刻しても、約束を破っても、平気な顔で反省をしない。
その事について、父親のベルゼブブが怒ってさえも、悪魔に秩序を求めるっておかしくないですか?
などと、奴らは天使の子供のような言葉を返してくる。
一応、絶対的な魔力で臣下を束ねる魔王達は、その力で秩序と法を守らせているが、歳をとって丸くなったベルゼブブのような者の場合は、なめられているとしか思えない。
たかが龍の言う事に、いちいち都合を合わせる魔王。
ベルにはそれが、何よりも気に食わない事の一つになっている。
「ファフニーさんがそう言うなら仕方ないね。
ベル、帰ろっ♪」
「ああ、ちょっと待て。
アテナさん、あれを出してくれる?」
「はいはい、出来てますよ」
そう言って、アテナは店の奥に入ると、小さな箱を持って戻ってくる。
それを受け取ると、きょとんとするデュラの手に渡した。
「今日はお前の八百歳の誕生日。おめでとう」
「ベル……覚えててくれたんだ……」
「悪魔だから、忘れてるとでも思ったか?」
「ううん、ありがとう!」
そう言って、人目をはばかることもなく、抱きついてくるデュラ。
この時ばかりは、頭をちゃんと首の上に載せて、頬を寄せている。
まあ、たまにはこういう事もあっていいだろう。
ぽりぽりと鼻の頭をかきながら、彼女のお礼にまんざらでもない表情を浮かべる。
「ねえ、開けていい?」
「もちろんだ」
中に入っていたのは、ざくろ石で作った髪飾りだった。
血のように赤いその宝石は、天界では貴重品となっている、天使の古戦場で取れるものだ。
「良かったですねデュラさん! おめでとうございます!」
ドラコが小さく拍手をすると、周囲の天使や悪魔達も、やんややんやとはやし立てる。
口笛がピーピーと鳴り、そばに居た花屋の天使は、お二人にと言って、バラの花を渡す。
「嬉しいな……えへっ……本当は、忘れられてると思ってたんだよ。
私、いつもいつも、ベルのこと振り回してばかりだから……」
「泣くほどって、俺はどれだけ信頼されてないんだ」
「嬉し涙は、いくら流しても良いものですよ。
また百年後も、当店を宜しくお願いしますね」
アテナはぺこりとお辞儀をする。
その姿に、ベルは感慨深いものを感じた。
数百年前の緊張状態だった頃からすれば、信じられないほど均衡が保たれている。
天界の者達が、自分達のような悪魔達に頭を下げるというのは、あり得ない話だったのだ。
確かに悪魔達は適当で粗暴な者が多く、その事から、悪魔は野蛮だと言われ、天界から忌み嫌われていた。
それが、昨今の科学が進化した人間界では、神も悪魔も共に信奉者が廃れ、どちらもわずかな奇跡を起こす事さえ難しいという状態だ。
共に危機感を感じた天界、魔界の双方は、鉄のカーテンを払いのけて、互いに手を取り合ったのだ。
「平和っていいよなあ」
「ぐすっ……どうしたのベル?」
「ああいや、何でもない。アテナさんありがとう。また来るよ」
ドラコは先ほどからちらちらと、ポケットから取り出した懐中時計を気にしている。
時間があまり無いのだろう。
空いている手にドラコを抱えると、ベルは羽根を出して、空に舞い上がる。
「うひゃあっ?!」
「ドラコ、しっかり俺に掴まれよ。デュラ、俺は先に帰るから!」
「うん。また魔界で会おうね!」
「またな!」
「うわあ、ぱぱぱ、ぱんつが見えちゃいます!」
「ドラキュラはぱんつはかないんだぞ」
「え? 本当ですか!」
「嘘だ」
「はうあ!」
ドラコはまだこうもりにも変化できない状態で、今落ちれば大けがを負ってしまう。
だが、それを知ってか知らずか、今もぱんつがどうこうと声をあげ、じたばたと猫のように暴れている。
もちろん、取り落とさないように、しっかりと小脇にドラコを抱えたままで空を飛ぶ。
どこかの首無し女騎士と違って、か弱いドラコのことは、ついいじめたくなってしまうのは自分の悪い性分だと思う。
だが、ついやってしまうのだ。
「ほらほら、もうすぐだからじっとしてろよ」
「ぱんつが! ぱんつーっ!」
「ほい、到着」
龍の停車場に着くと、黒服姿の虫の化身達が集まっているところに降り立つ。
ベルの到着に、誰もがしんと静まり返る。
そして、黒服達の列が割れると、杖を突いている片眼鏡の男性が姿を現す。
空いている手には、自分が著した魔界全書を持っている。
ベルとドラコを見て、老人はにこりと笑みを浮かべた。
彼こそ魔界の大公爵、サタンに次ぐ地位を持つベルゼブブだ。
「お帰りベル。ありがとうよ、ドラコ」
「ベルゼブブさま! ぱんつ見えましたか!」
「ぱんつ?」
「お前は余計な事を言わなくていい」
ごつん
「はうあっ!」
「ただいま親父。ファフニーの奴が腹減ってるんだって?」
「ああ、そうらしい。
育ち盛りの龍族だから、仕方なかろうて」
そう言って、ベルゼブブは上品に笑う。
だが、ベルはそんな彼に少し不満を抱いていた。
今日こそは言ってやろう。
そう決めて、握り拳に力を入れる。
「親父っ! 親父は仮にもサタンに継ぐ悪魔大侯爵なんだ!
たかが龍相手に時間を守れと、ビシッと言ってやってもいいんじゃないか?」
「でもなあベル、ファフニーが居てくれるからこそ、ワシらはこうして多くの軍団を率い、この会議に出席する事が出来るんだろう?
感謝こそすれ、怒る理由など無かろう」
頭痛がしそうになって、思わず額に手を当てる。
まただ。
またこれだ。
この上品な笑い方、やんわりとした否定。
仮にも魔界で二番目の地位を持つ大侯爵なのに、まるで神のような性格になってしまっている。
確かに思いやりは肝心だ。
大切だ。
だが、悪魔を束ねる、最も大切な事は強さだ。
圧倒的な恐怖によって、相手を意のままに支配する事だ。
かつてのベルゼブブと言えば、大天使さえも恐れる悪魔の中の悪魔。
サタン様さえ凌ぐのではないかと言われ、自分も鼻が高かった。それなのに、今は――
「ところでドラコ、ぱんつとはなんじゃ?」
「気にしないでくださいっ!」
「今、ちらりと調べたが、ワシの魔界全書には『ぱんつ』なる単語が載っておらぬのじゃよ。
良ければ教えてくれぬか、ドラコ」
「はうあーっ! おそれ多くもベルゼブブさまの魔界全書に、そのような単語の意味を載せる必要はありませんっ!」
「ぬう、ワシの知識に泥を塗るかドラコよ」
「めっそうも御座いません!
されば私、体を張ってお教えいたします!」
ドラコは後ろを向き、スカートの縁を持つ。
おもむろにそれをめくり上げると、そこにはぷりんとした小さなお尻と、彼女の大好きなトマトが描かれた、白いぱんつが姿を現す。
そして、ベルゼブブはそれをまじまじと見て、どこか感心したように、ほほうと小さく呟いた。
親父、犯罪の匂いがするんだが。
ベルは喉元まで出かかった言葉を、ぐっと飲み込む。
「なるほど、ぱんつとはおなごの腰巻きの事だな!
体を張った忠義、誠に天晴れじゃぞ!
皆の衆、ワシは今猛烈に感動しておる!
これを讃え、この地にドラコのぱんつ像を建てる事を提案するぞ!」
「え? え? えーっ!」
ドラコの顔から血の気が引いていく。
予想外の展開に、ベルはもはや言葉も忘れて立ち尽くすしかない。
あわれドラコ、がんばれドラコ。
俺じゃなくてよかった。彼は心から思う。
「ぱんつ! ぱんつ! ぱんつ!」
「ベルゼブブ様万歳! ぱんつ万歳!」
「ドラコ万歳! ぱんつ万歳!」
「新しい知識がまた一つ魔界に誕生した記念じゃ!
祭りじゃ! 宴じゃ!」
ベルゼブブは杖を振り上げて、高らかに魔界全書を掲げる。
彼は、知恵が増える事に無上の喜びを感じるのだ。
そして今、彼は歓喜に包まれている。
彼が知らぬ事は、この地上からほぼ消えていたはずだったのだから。
「あ、あの、ベルさま、たすけて……」
「父上、ドラコのような忠義者を従者にしていただけた事、このベルは誠に、誇りと思っております」
ひざまずき、涙を流すベル。
ベルゼブブはその頭に、祝福の粉を掛けて喜びを分かち合う。
「はうああああああああ!」
その日、魔界のスポーツ新聞の一面には、ベルゼブブの魔界全書に三千年ぶりの新語が掲載された事を祝う記事が、一面に掲載された。
写真はもちろん、半べそになっているドラコと、トマトが描かれたぱんつだ。
それを見た各地の魔王達は、魔界の未来はちょっと危ないかもと、軽く首を傾げたという。