第24章 交渉と敗北は紙一重、罠と準備は十重二十重
要塞の上空は既に、二十万に及ぶ聖霊兵と、悪魔達によって囲まれている。
出撃命令を互いに今か今かと待ちわびており、時には小競り合いも辺りで起こり始めていた。
剣聖であるスブーティにデュラハンは負けると言われ、カッとなった悪魔と天使の間で乱闘が起きたりといったところだ。
だが、基本的にはぴりぴりしつつも、秩序だけは保たれている。
「見ろ、スブーティ様とデュラハン様。
それにベル様とラーフラ様だ!
けれど、真ん中に居るあいつは……誰……?」
要塞の甲板上に、ニコラを中心として五人が立ち、聖霊兵と悪魔達に手を振らせる。
まずは無事を確認させる為だ。スブーティはこれと言って感慨の無い顔をしているが、デュラハンとベル、そしてラーフラはそれぞれ複雑な表情をしている。
ラーフラを殺せず、サンタ討伐の戦列に加わる事さえできなかったデュラ。
自分が付いていながら勝利を手に出来ず、初めて恐怖を感じてしまったラーフラ。
そして、情けを掛けられ、ニコラの部下にされてしまったベル。
その契約はあくまでもベルとラーフラ、そしてニコラの間のみに通じる秘密契約とされたとは言え、あまりにも内容は屈辱的なものだ。
しかし、負けた手前、その事を否定はできない。
真ん中で誇らしげに胸を張るニコラは、取り囲む二十万の兵達に向かって大声で叫ぶ。
「森羅万象国際会議に於ける、サンタクロース予算削減に関する異議申し立ては認められず、僕はこうして武力行使により、解決を図った。
結果は見ての通りだ! 言わずとも分かるだろう?
今から黄泉比良坂に陣を張る、イエス及び釈迦と、ベルゼブブ及びアスタロトと話し合いを申し上げたい。
邪魔立てをすれば、この要塞がお前達を容赦なく撃ち殺す。
死にたい奴だけ掛かって来い!
僕の首を持って帰れば、お前達には勲章が贈られる事だろう!」
ニコラは張り裂けんばかりの大声で叫ぶが、むしろ、今までにわかにざわついていた二つの陣営、計二十万の兵達は、しんと静まり返る。
天界と魔界の有力者が計四人、ニコラのそばにいて、何もせずに突っ立っている。
これは、彼らが降伏、或いは何らかの和平を持ちかけられたという事を意味する。
誰かが独断飛びかかろうものなら、たちまち蜂の巣にされて、魚の餌になるだろう。
今や悪魔達にさえ、命を惜しむ心が戻ってきていた。
恐怖が、その場にいる全ての者達を支配していた。
そして、誰も動かないと見て取るや、ニコラは高笑いをする。
それは勝利宣言にも等しい。
「賢明な判断だ! では、今から僕達は黄泉比良坂に行く。
道を空けろ、サンタクロースが通るぞ!
僕が居れば、そこはクリスマスだ!」
その言葉に、空を覆い尽くす二十万の軍が、モーゼによって割られた紅海のように、一本の道を形作る。
天界、魔界と人間界を繋ぐゲートに向け、それは真っ直ぐに開かれた栄光への道。
「ニコラさん、私達は確かにあなたに降伏という形を取りました。
しかし、イエスやベルゼブブがこれで納得するとは思えません。
手打ちを計るにしても、まだあなたの方が不利です。
交渉材料の乏しい中で乗り込んでは、逆に残り三八〇万の軍勢が、場合によってはあなたに襲いかかる可能性だってある。思い直すなら今ですよ?」
スブーティの忠告に、ニコラはありがとうと返す。
その顔には、交渉が不調に終わるかも知れないという不安が、微塵も感じられず、それが逆に不審でさえあった。
「それじゃ、行こうか」
ニコラが飛ぶと、他の四人も連れ立って宙へと舞い上がる。
天界と魔界の有力者四人を、まるで従者のように携えて、威風堂々とニコラは先頭を切っている。その姿を、誰もがその顔を目に焼き付ける。いつか殺すべき怨敵。自分達の顔に泥を塗った逆賊。そう思う一方で、怯える者や、ある種の尊敬の眼差しを向ける者もいる。
やがて光に包まれ、見えなくなった彼らを追って、二十万の兵達も黄泉比良坂へと撤退を始める。
次の命令が下るまで、何も行うことができない。
そして、最期の一人が消え去った後に、辺りは普段と変わらない、北極海の光景を取り戻す。
そこにはつい今しがたまで存在したはずの、あの超弩級要塞は、影も形も見当たらず、煙のように消え去っていた。
波は静かに流氷に打ち寄せ、何も語ろうとはしない。そこで何が起きていたのか、知るのは海と空のみ――