第23章 聖夜を支配するモノ
触覚をピクピクとさせて、ベルは辺りを見渡す。
最初にニコラが現れてからは、地雷のような小賢しいトラップばかりが続いている。
光を一カ所に集中させ、炎夜の獄炎術と組み合わせて作られたそれは、通常の地雷と違い、普通に床を歩いているだけでも、つい踏んでしまうのだ。
時には部屋の壁も床も、一面が接触すれば即大爆発を起こすという、とんでもない部屋まで存在していた。
「ああ畜生、何なんだよこの小賢しさは! もう爆発とか気にせず進もうぜ!」
「落ち着けベル。まともに食らえば、足の一本は確実に飛ぶレベルだぞ」
「お前はいいよな。幻影とは言え、最初にあいつとやり合ったんだから」
「いじけても可愛くないぞ、ベル」
「ドラコは可愛いって言ってくれるんだよ」
「そりゃあ素敵な事だね。デュラの前でもやってみな」
地雷が無い事を確認して、次の部屋に入る。
すると、そこは限りなく白い、何も無い空間となっていた。
それは無。ただひたすら、地平線の果てまで広がる白い世界。
「ようこそ、僕の舞台へ」
少し離れた所から、さっきと同じ迷彩服にサンタ帽子という出で立ちの、ニコラがひょこりと姿を現す。
「今度は本物みたいだな」
「匂いで分かるだろう? 正真正銘、本物の花巻ニコラ。サンタクロース二世だ」
「怯えて、俺の前に出てきてくれないかと思ったぜ」
「ベル、あなたは蠅の王の息子だ。
ラーフラよりも視覚、聴覚、嗅覚の三つが発達している。
さっきの戦いで、偽者の僕の姿形や特徴、血の飛び方からその匂いや熱に至るまで、分析を終了しているはず。
そんな敵を相手にして、小細工が通じるなんて思っちゃいないよ」
「さんざっぱら地雷とかの、ちゃちなトラップまみれで歓迎しておいてか?」
「戦いの舞台を作るのに手間取っていたんだよ。この白い部屋がそうだ」
「この部屋、ねえ」
改めて部屋を見渡す。それはとても不思議な空間だ。
無機的で、よく分からない素材でできた白い床と、どこまでも続く同じ色の白い空。
天井は存在せず、果てもどこになるのか分からない。無限という言葉が、ベルの頭を過ぎる。だが、無限や永遠などというものは、天界にも魔界にも存在はしていない。
神も仏も、悪魔も妖精も、皆等しく死に、朽ち果てる。
この世界は彼が見せる幻影。光をどう使っているのかは分からないが、ただ無限に見えるだけの、張りぼてに過ぎない。
「ラーフラ、今度こそ俺がやってもいいんだろう?」
「ああ、約束したからな」
「それじゃあ、ちょっと殺し合おうぜサンタクロース」
「いいね、退屈してたところだよ」
お互いが飛び上がり、ニコラはその手に光を集める。
ベルはジャケットを突き破る巨大な羽を羽ばたかせ、一気に間合いを詰める。
そのまま腕を振りかぶり、ベルの拳が頬に触れそうになった瞬間、ニコラは光の弾をベルの腹にぶつけると、二人の間合いは一気に開く。
「何だ、実物も意外と良い動きをするんだな!」
「実物の方がいい男って言ってくれよ、蠅の王」
「まだ王じゃない、王子だ」
「それは失礼」
言葉と同時に飛んでくる蹴りを、腕で受け止める。
ダメージを減らす為、光でプロテクターを作ったが、それさえも粉みじんに粉砕する。
なるほど、武器は使わずに体で勝負するタイプか。
ニコラがちらりと目を合わせると、ベルは楽しそうに笑った。
「知ってるか? 昆虫ってのは本来、身体能力があらゆる生物の中で、最も優れてるんだぜ」
「ノミやアリを見て、馬鹿にする奴の方が馬鹿だと思うよ」
「ただなあ、肉体がそれほど強いなら、武器を使えばもっと強くなるんだ」
ベルは胸のポケットに手を入れると、するすると長い棒のようなものを取り出す。
およそ、普通では収納できないであろうそれは、巨大な黒い刃の槍だ。
だが、その槍の先端近くには、斧のような巨大な刃と、同じく大きな鉤爪が、おまけというには禍々しい程の存在感を放ちながら、鈍い光を放っている。
「ハルバードって知ってるか?
人間共が西洋で作った武器の一つだが、こいつが一本あるだけで、突いたり斬ったり叩いたり、幾通りもの戦い方ができる、素晴らしい戦争の発明だ」
「世界史は好きな方だから、知ってるよ。
サーベルよりも遥かに凶悪だね」
「歴史的な武器で、将来の副帝に屠られる事は喜びだろう?」
「そいつは嬉しいね。涙が出そうだ」
「分身してもいいし、光の弾を撃ってきてもいい。
掛かって来いよ、サンタ野郎」
「ありがたい提案だ。けど、周りはちゃんと良く見てたか?」
「え?」
気が付くと、ベルの周囲を蜘蛛の糸よりもなお細い、肉眼で捉える事が困難な糸によって、何百本と囲まれていた。
「武器自慢なんてする暇があれば、さっさと首でも斬ればいいのに」
口元に手を当てて、ニコラはくすりと笑う。
「やばい! 逃げろベル!」
「光と死のダンスステージ、踊り明かせよ悪魔!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
せめて相打ちにしようと、ベルは斧の刃をニコラの首筋に向かって叩き付ける。
だが、転がった首から出てきたのは、小さな旗に『はずれ』の三文字。
「あみだくじの時といい、運が無いねえアンタ」
背中から声が聞こえた刹那、腕を反射的にそちらに振ろうとする。だが、ぼとりと嫌な音を立てて、それは地面へと転がり落ちる。
「ベェルゥゥゥゥゥゥッッッッッッ!」
「だいたい一八八分割。粗挽きミンチの出来上がり」
緑色の血を吹き出し、ずるりべちゃりと響き渡り、ベルの肉片が降っていく。
魔界屈指の権力者、副帝ベルゼブブの息子としては、少々呆気ない終わり方だ。
だが、油断をすれば自分が挽肉にされていた。勝負というのは、案外素早く片付くものだ。
「さーて、まだあなたと戦わなきゃいけないんだよね。ラーフラ」
「ベル……ああベル……テメェ……よくもベルを……」
「悪魔と仲良しの釈迦の息子って、なかなか不思議な関係だね」
地面に降り立ち、ベルの目を踏みつぶす。
ぐしゃりと嫌な音がして、腐った卵の匂いが立つ。
だが、それには目もくれずに、光の弾を手の上に作る。
「なあお前。さっき何個に分割したって?」
「一八八だ。殺し過ぎたかも知れない」
頭を掻きながら返事をするニコラに、ラーフラはにたりと笑う。
「殺しすぎた? そいつは目出度いな。たかが一八八分割で、殺し過ぎた、か」
「え?」
「ザコが調子に乗って勝ち誇るごっこ、そろそろ終わろうぜ?」
背後から声が聞こえた瞬間、ニコラの首にハルバードの切っ先が突き刺さる。
ぴゅうと勢い良く血が噴き出す。確実に彼の首筋にある、大動脈を捉えていた。
「馬鹿だねえ。ベルは六六六以上の肉片に分割しないと、殺せないのに」
「そしてニコラ、お前のこの血の温かさ。そして何よりもこの匂い。お前こそは本物、お前こそはオリジナル、唯一無二の花巻ニコラ、本人だ」
けらけらと高笑いをし、その返り血を舌で舐め取る。最高の勝利の美酒の味だ。
「か……はっ……ごぼっ……」
「悪いな。遺言を言う暇を与えてやるほど、俺も優しくないんだ」
「おめでとうベル。お前の勝利だよ」
どさりと倒れるニコラの為に、彼は手を合わせる。
今度こそ確かな死を見届けた証として、懐から数珠を取り出し、念仏を唱える。
「駄目だよ、相手が死んでも油断しちゃ?」
突如聞こえるニコラの声。
やがて空から、彼は階段を下りるようにして、何もない空間をゆっくりと近付いてくる。
おかしい。ありえない。
初めてベルは混乱した。
さっき殺したのは、確かに花巻ニコラのはず。
だが、足下には死体はおろか、血の一滴さえこぼれていない。
何度も足下と空から降りるニコラを見直した時、再び辺りに光の糸が張り巡らされている事にベルは気が付く。その糸の数はさっきの比ではない。
六六六以上に分割されれば、彼は確実に葬られる。
脳裏に浮かぶ死の文字。次の瞬間、彼の体は再び挽肉にされていた。
「勝ったつもりでいい気になる敵キャラごっこ、終了」
右手で銃の形を作ると、口でバンと言いながら撃つ真似をする。
少年のままの笑みを携えて、彼は再び蘇る。
「バカな……バカなバカなバカなぁっ! さっきお前は死んだ! 俺も見た! あれは確かにお前だったはずだ!」
「共感覚って知ってる? 音の色や、光の匂いを感じるっていう、人間界のオカルトじゃあ、ちょっと有名なシックス・センスの事なんだけど」
「光の……匂い……?」
「ほんの少しの想像力が、人間に奇跡をもたらす。
弱いからこそ学び、学んだものを積み重ねる。
サンタクロース二世の僕は、人間なんだよラーフラ」
「はは……はははっ……本当に人間か?
物理や科学なんて無視する俺達を、さらに無視して無敵モードか?
ありえねえよ! くそっ!
お前っ、本当に何なんだよ!」
「教えてやろう、僕こそが花巻ニコラ。
十二月二四日の支配者、別名をサンタクロースと言うんだ」
胸を反らせ、親指を立てて自分の胸元をとんとんと叩く。
馬鹿馬鹿しいまでの神々しさ。
圧倒的過ぎる非現実性。
ラーフラはその場にがくりと膝を突く。
勝てる気がしない。
かつては自分も同じ人間だった。
そして、自分が絶対に勝てないと思った人間は、自分の父親である釈迦と、自分に剣を教えたスブーティくらいのものだ。
だが、それを越えたもの。
人智を、神智さえも越えたもの。
神や悪魔を凌駕する。
其の名はサンタクロース。
「テメェ……なんで六六五で止めた……」
「ベル! 生きてたのか!」
死の直前、一歩手前まで切り刻まれて、さすがのベルも傷は深い。
だが、立ち上がる程度の力は残っている。
倒れそうになりながら、ラーフラの肩に掴まるベルを見て、ニコラはそっと右手を差し出す。
「お前は殺されるより、生き恥をさらす事を屈辱と思う男だ」
「だったらなおさらだ! 殺せ! 殺しやがれ糞野郎!」
「やだね。頼まれたって殺してやらない」
「畜生! 畜生! 畜生!
何だ? 何が望みだ?!
悪魔が命と引き替えの情けを掛けられたなら、俺はお前の願いを一つ聞き届けねばならない!
それがお前の狙いだろう? 最悪だ! 早く言え!」
「待ってたよ、その言葉」
ニコラはポケットから、くしゃくしゃになった書類を取り出す。
そこに大きく書かれている文字は契約書。
内容は、月給が一五〇〇ヘブンと血の池印のトマトジュースが五缶で、花巻ニコラの部下となる事。
ただし、仕事は年に一度、クリスマスの日に自分の手伝いをするだけ。
そして、その書類を今度は、おこづかいと書かれた封筒の中に入れる。
「これが僕の望む願いだ」
「くく……ははは……ドラコのやつ、帰ったらお尻ペンペンだああああああああああああ!」
ベルが獣のような咆吼を上げた時、空の上で二人の帰りを待ちわびているドラコは、背筋につららが突き刺さるような悪寒を感じたと後に語った。