第22章 陰謀とプライドとジョーク
「アスタロトよ。イエスのあの焦りよう、あれは演技か、それとも真か」
「私には判別しかねます」
「そうじゃのう。愚鈍に見せかけ、我々を油断させているかも知れぬ」
自分の陣地に戻る途中、ちらりと後ろを振り返る。
十万抜けて一九〇万に及ぶ天界の軍団は、光を放ち、夕暮れさえも焦がすような勢いだ。
だが、所詮はぬるま湯に浸りきった烏合の衆。
愛だの思いやりだのを、上っ面で語る軟弱者の集団に過ぎない。
おそらく全面戦争となれば、圧勝とは言わないが、確実に魔界は勝利を手中に収めるだろう。
「正直言って、天界の者達には幻滅しましたね。あの程度の兵力ならば、近い将来我々の軍門に下ることでしょう」
「そうだな。だが、たった一つ彼らがワシらに勝つ方法がある」
「なんでしょう?」
「サンタクロースのプレゼント袋を手に入れる事じゃよ」
ベルゼブブの言葉に、アスタロトはその意図を計りかねる。
先ほどもイエスと激しく言い争っていたが、それほどサンタクロースという男が重要なのだろうか。
年に一度、イエスが生まれた誕生日の前夜に、子供達にプレゼントを配って回るだけ。
それ以上でも以下でもない。
魔界と天界を問わず、サンタクロースの認識とはそういうものだ。
「アスタロトよ、お前は疑問に思っただろう。
なぜイエスとワシが、これほどまでに、サンタ如きを巡って争うのかを」
「左様ですね。私には分かりませんでした」
「その答えは、奴が持っているプレゼント袋にある」
ベルゼブブにやりと笑い、ポケットから一枚の金貨を取り出す。
「例えばアスタロトよ、この金貨が一万枚あったとしたら、お前はどういう武器を調達する?」
その問いに、アスタロトは即座に答える。
「超硬金のデモナイトを用い、魔界鍛冶であるトバル・カインに依頼し、槍を十本作らせます」
「模範的回答だな。軍師としては百点だが、問題はその製作期間だ。
デモナイトは採掘が極めて限られており、十本の槍を作る為には、最低でも三ヶ月の期間が掛かる。
さらに、怠け者として有名なトバル・カインの事だ。
納期はおそらく半年程度と思われるな」
「はい、九ヶ月という期間は要しますが、緊急でなければ最高の選択です」
「では、明日必要と言われれば、お前は金貨一万枚で何を用意する?」
「魔界商人の下に赴き、鉄のランスを千本用意します」
「それも模範的回答だ。
だが、もしも敵がデモナイトを使い、トバル・カインに製作させた槍を持っていたならば、たった十人の騎士に、千人の槍兵はことごとく皆殺しにされてしまう事だろう」
その答えに、アスタロトは少々むっとする。
ベルゼブブの言うことは、当たり前の事であり、魔界の兵力とその補給について取り仕切る自分の事が、馬鹿にされたような気がしたからだ。
だが、ベルゼブブはそれを承知で質問したのだろう。
そう思うと、すぐに冷静さを取り戻し、ベルゼブブに返事をする。
「左様です。しかし、時間を超越する事は、我々にも天界にもできません」
「そんな時間を超越する、まるで卑怯な無敵の方法が一つだけあるんじゃよ。
それを使えば、金さえ用意すれば百本でも千本でも、一瞬にしてデモナイト仕様トバル・カイン製作の槍を手に入れる事が可能になる」
「まさか、それがプレゼント袋の力だと?」
「ああ、そのまさかだ。イエス達が喉から手が出る程欲しいのは、そんな禍々しいほどに無敵の最終兵器なんじゃよ」
「はあ……にわかには信じかねますが……」
「信じかねる?
サンタクロースがこもっている、あのような巨大な要塞を、人間共の手だけを用い、たった一昼夜も掛からずして、築くことができると思うか?」
「あの要塞も?! あれもプレゼント袋から出現したと言うのですか?!」
「そうだ。そんな馬鹿げたことさえも可能にする。まさに天界と魔界のパワーバランスを一瞬にして崩壊させるほどの奇跡、それがプレゼント袋というものよ」
イエスに見せた時のように、耳まで裂けた口が笑う。
その顔に、アスタロトは思わず目を逸らした。
仮にもひとかどの魔王足る自分が、心の底から恐ろしいと思うのは、この細く小さな、年老いた魔界の副帝ただ一人だ。
「あまりにも恐ろしい道具故に、我々はその利用を双方で禁止してきた。
ちょうど人間共が、核兵器というものの利用を牽制し合うのと同じだ。
手に入れればハルマゲドンはすぐに始まり、あっという間に決着がついてしまうだろう。
戦争と言えどルールが必要だ。
なれば、プレゼント袋は禁じ手として封じられる。
だが、サンタクロースという小役人の仕事に限って、人間界での利用と限定することにより、その使用は許可された。
その提案を発議した者こそ、かつてはこの上ない聖賢として名を知らしめた、イエス・キリストだ」
「それを今さらになって廃止ですか。一応、予算不足、財源確保の為とうかがっておりますが」
「確かに森羅万象国際会議に於ける予算問題は、悪化の一途を辿っているのは事実だ。
だが、サンタクロース予算などというものの出費は、微々たる問題に過ぎないのだ。
そんなものより、他に削るべき無駄な出費は山ほどある。
ワシはそれを言うべきか迷ったが、イエスの言うことに、わざわざ異議申し立てをする必要も無いと思ったのだよ。
ワシはイエスを信頼していた
。心の底から、奴は平和を希求する者と信じて、疑いなどしなかった」
「しかし、イエスは裏切ったと?」
「ああ、そうだ。奴はサンタクロースの廃止と同時に、それにより浮いた予算を、全てプレゼント袋に注ぎ込み、さらに天界の金庫を開けて、そこにある全ての金銀財宝も流し込む予定となっていた」
「なるほど、それにより、武装しようというわけですね」
「やはりお前の考えもそこで終わりか。凡百の意見だな」
「武装する以外に、どう使えと?」
「奴はそこから、主を蘇らせるつもりだったのさ」
「え……?」
ベルゼブブの言葉に、アスタロトは言葉を失う。
神や悪魔でさえも、絶対に侵してはならない禁忌がある。
触れてはならない問題がある。
それは彼とベルゼブブ、そしてイエス・キリストと閻魔大王のみが知っている事実。
主も無くサタンも居ないという事。
唯一無二の存在である主もサタンも、代わりを務められる者などいない。
だからこそ、彼らは嘘を吐き、それを誰にも検証させないようにしてきた。
復活などあり得ない。
いつ、どうやって亡くなったかは知らないが、少なくとも主もサタンも既にこの世には無く、これからも二度と現れないだろう。
「人間共と我々が共に学び、発展させてきた、錬金術の応用だ。
あの袋の中がどうなっているのかは知らないが、ただ、あの中に途方もない額の金銀財宝をぶち込み、生き返らせたい人間、或いは神霊、或いは魔物の名を呼べば、その手を掴む者があるという。
例えばそれは、サタン様や主でも可能だということだ。
もちろん、与太話だったのだがな」
「その与太話を……実現させようとした……?」
「ああ、そして奴は言う。
主は居る。
しかしサタンは居ない。
そんな魔界は張り子の虎だと。
猿芝居を続ける愚かな劇団と我々を呼び、主の号令一下と共に天使兵となり、聖霊兵達は雪崩を打って魔界に乗り込んで来るだろう。
彼らは意気軒昂であり、あらゆる勝利を確信している。
だが、サタン様が居ない魔界の悪魔達は、総崩れとなってしまうはずだ。
士気は下がり続け、中には絶望から塵に還る者さえ続出すると思われる。
阿鼻叫喚の果てに、一人、一匹残らず魔族は捕らえられ、首輪をされて奴らの子飼いとされる事になる。
奴らはそれを『平和』と呼び、『秩序』と讃え、歌うのだ。
許せるか? 許す事などできようか?
ワシは許さん!
誇り高き魔族に、そんな犬畜生のような扱いをさせる事などできぬ!
もしそうなれば、その責任は全てワシのものだ。
そして魔界ではベルゼブブという名は恥と同義になり、子供達が悪口として使う言葉となる。
永遠に、ワシの名は汚名として語り継がれていくのだ。
その様を思い浮かべ、イエスは毎夜笑っている。
その妄想をつまみに、奴は酒を飲んでいる!
ああ畜生。
殺したい。
ブチ殺してやりたい。
あの野郎。ワシを誰だと思っている。
畏れ多くもかしこくも、魔界の副帝ベルゼブブなるぞ!
魔界は、魔族は、戦えば負けるはずなど無い!
バラムが死と引き替えに伝えたもの、残したものは、お前にも分かるだろうアスタロト!」
「はっ、言うまでもありません」
「魔界は、ワシらは、先にサンタクロースとプレゼント袋を手に入れる。
だが、ワシらはサタン様の復活などという、愚かな真似は絶対にしない。
そんな薄汚い事に手を染めるほど、悪魔は落ちぶれてはいないのだ!
胸に刻め、誇りを捨てるな。
ワシがこの先死んだとしても、どうかベルとお前で手を取り合って、これからも悪魔達を導いてくれ。
神が奢らぬよう、人が惑い過ぎぬよう、混沌の中に秩序を見出す、変わらぬものであり続けてくれ」
「かしこまりました。
しかし、私やベル様ではまだ、魔界を率いるには早過ぎます」
「当然だ。ワシはまだあと一万年は生きるぞ」
今までと違い、普通に優しい笑みを浮かべる。
肩の力を抜いて、アスタロトも笑い返した。
現在のベルゼブブが一万歳、通常の悪魔の平均寿命に達している。
そんな彼が、さらに倍の時を生きるというのだ。粋なジョークだ。
もう五千歳を迎える自分さえ、ベルゼブブに掛かれば新人扱い。
しかし、そんな副帝だからこそ、アスタロトは叛乱を企む事も無く、彼に付いてきている。
最強にして最凶、最後にして最期の魔王。
架空のサタン様以上にサタンらしいと、時にアスタロトは思う。
「もうすぐ本陣だ。お喋りは控えよう」
「左様ですね」
この戦は負けられない。
天界、魔界の今後を決する戦いとなるだろう。
それにしても、たかがサンタクロース一人の為に、これほど揺れる二つの世界。
よほど数奇な運命を背負った人間が、サンタという役を務めているのだろう。
もし、この戦いが終わったならば、一度会って、茶でもご一緒したいものだ。
そんなことを思いながら、アスタロトは自分の陣へと戻っていった。