第21章 神生ゲームの行く末
黄泉比良坂に陣を張ったはいいが、そのまま天界、魔界共に膠着状態が続いている。
ベルとラーフラが中に居る間は、うかつな手出しはできない。
仕方なく、釈迦達は本陣の中で、ロングヒットを記録しているボードゲーム、神生ゲームをプレイしていた。
「あっ、子供が産まれたので私に五十万ヘブン払って下さい」
「またイエス!
またですか!
あなた子だくさん過ぎですよ!」
「ふぁふぁふぁ、ワシはまだまだ蓄えがあるわい」
「…………」
その光景は、まるで友人の家に集まった仲良しの四人組というようにも見える。
だが、ベルゼブブとアスタロトに付き従って、陣営に足を運んだ魔王達は、神霊達に囲まれて、ただならぬ殺気を放っている。
居心地という意味では、この上なく最悪だ。
一方で、それに対抗するように、天使兵達も余興に剣舞を見せるなどして、魔王達にその力を見せ付けている。
「ところでイエスよ、森羅万象国際会議の席以外で、こうして膝を突き合わせるのはかなり久しぶりの事じゃのう」
「そうですねえ。千年以上前に、悪魔達との緊張感がかなり高まっていて、和平協定をするために、地獄の赤銅池のほとりで会談して以来になりますかな」
あごひげを指で遊ばせながら、ベルゼブブは釈迦の方を見る。
にたりと笑うその顔に、釈迦は気まずそうに目を逸らした。
「ワシとして提案したいのじゃが、サンタクロースの裁判はぜひ、我が魔界にて行わせていただきたいのじゃが、どうじゃろう?」
「お断りします。サンタクロースは元々天界の管轄。
彼の裁きは我々の手で行わせて頂きます」
「じゃがのう、大伽藍の乱などで、天界は少々信用を失っている。
違いますかな」
その言葉に、イエスの顔がこわばり、釈迦は見る見る血の気が引いていく。
なぜ今この場でその単語が出る?
喉まで出かかる言葉をぐっと飲み込み、再び笑みを浮かべるイエスと釈迦。
天界最大のタブーは、各種メディアに対し、第一級の箝口令が敷かれている。
例えうわさ話でもそれを口にすれば、たちまち守護天使が現れて、事情聴取をされ、最低一世紀の禁固刑が言い渡される事になる。
情報統制は完璧のはずだった。
「何の事でしょう?
我が天界史には、そのような単語は載っていません」
「おやおや、それは失礼しましたのう。
じゃが、地獄では閻魔大王が蟄居も同然の状態と聞き及んでいましたので。なあ、アスタロト?」
彼は無言でこくりと頷く。
こういう感情を見せないタイプが、一番やりづらい。
イエスはいらだちを極力見せないようにして、グラスのワインに口を付ける。
「ベルゼブブさんは何か勘違いしておられるのではないでしょうか?
そもそも地獄は天界です。
内政干渉は慎んでいただきたい」
「しかし、地獄は魔界と最も近い場所にあり、交流も活発ですじゃ。
だから例えば、サンタの裁きは閻魔大王に任せるとか、いかがかのう?」
「サンタの裁きを閻魔大王に任せる? 馬鹿な!」
勢い良く立ち上がると、今までプレイしていたゲームは丸ごとひっくり返る。
だが、誰もその事を気に止めようとはしない。
あの冷静なイエスが、これほどまでにうろたえているにも関わらず、だ。
もし自分達までが動揺すれば、魔界にさらなる付け入る隙を与えてしまう。
唇を軽く噛みしめ、拳を握りしめて事の成り行きを見守る天使兵達。
そして、魔族達はさも面白そうに、ニヤニヤと表情だけで笑う。
「イエス、ちょっと落ち着いて……」
「我が方には正義の女神、ユスティティアがいる!
彼女は法の番人にして、全てに平等な裁きを下す者だ!」
「ユスティティアなら良くて、閻魔大王に任せられない理由でもあるのですかな?」
「うっ……それは……」
露骨過ぎるまでの墓穴の掘り方に、釈迦は思わず眉をひそめて俯く。
イエスの最近にして最大の汚点、大伽藍の乱という単語に、彼は必要以上に反応している。
天界で、主に次ぐ権力者たるイエス。
だが、それは大伽藍の乱で大きく揺らいだ。
さすがの鈍い釈迦でも、薄々は気付いていたが、秩序を優先するならば、事を荒立てる必要は無いと思い、口にすることは無かった。
しかし、もしも今、閻魔大王が表舞台に立つような事があれば、どんな波乱が起こるだろうか?
それは想像もできない。
「閻魔大王の裁きが嫌ならば、こうしましょう。
先にサンタクロースを捕まえた方が、彼を裁く権利がある。
いかがじゃろう。
これならば、公明正大ではありませんかな?」
してやったりといった顔をするベルゼブブを援護するように、アスタロトも口を開く。
「ベルゼブブ様のおっしゃるとおりかと存じます」
「いいでしょう!
その条件で構いません、ねえ仏陀?」
「え? あ、はあ。
イエスが良いと言うのなら、私も構いませんが……」
その返事を聞いた瞬間、ベルゼブブの口は耳まで裂けて笑った。
ギザギザの歯を剥き出しにして、嬉しそうに何度も頷く。
「聞いたか? 聞いたか? 聞いたか?
聞いたな? なあアスタロト? 聞いたなあ?」
「はい、イエス様がおっしゃる言葉、しかと耳に刻みました」
「これほどたくさんの天使兵と魔族達が証言者なのじゃから。
後で撤回など、許される事ではありませんが、宜しいんですなぁ?」
「当たり前でしょう? イエスが嘘を吐くなどあり得ない!
熾天使も智天使も座天使も今、この場で私達の会話を聞いているのですよ?
ねえ、そうでしょう天使達よ!」
四方を囲むざわめきの中から、はいという声がいくつも上がる。
イエスはベルゼブブ達の方を向き直り、テーブルに手を突いて言い放つ。
「サンタクロースを先に捕らえた者が裁く権利を持つ!
我々天界は、総力を挙げて彼を捕獲します!」
「なあイエス様?
例えばその際、うっかり殺してしまったとしても、問題は無いよなあ?」
じゅるりと長い舌を出し、口の回りを舐め回す。
ベルゼブブもまた、その熱気に興奮を隠せなくなっている。
「死んでいようが生きていようが構わないでしょう。
私は構わない。仏陀よ、どうですか?」
「えーっと……ですからまあ、イエスが良いのならば別に……」
複雑な表情で、しどろもどろに返事をする釈迦。
だが、ベルゼブブは満面の笑みをますます深める。
「分かりましたぞ。
さすがはイエス様、決断が速いのは素晴らしき事かと存じます。
ワシのようなもうろくした年寄りと違い、若さと活気に溢れておりますなあ。
羨ましい限りじゃて」
「良いですか皆の者!
ラーフラとスブーティが今、最前線に立っています。
彼らを全力で、総力を挙げて援護なさい!」
イエスが拳を上げて熱弁を奮えば、天使達は沸き返る。
久々の大戦に、忘れかけていた血がたぎるのを感じている。
平和の果てに置いてきたものが、不意に蘇ってきたのだ。
「さて、それじゃあワシらも帰りますかな。
アスタロト、久々の神生ゲームは楽しかったのう」
「そうですね。またご一緒したいものです」
相変わらず言葉少なに、アスタロトは頭を下げる。
「では、失礼致しますじゃ」
「ご機嫌よう、皆様」
陣を出るベルゼブブの後ろから、百鬼夜行の群となって、魔族達がぞろぞろと後ろを歩く。
誰もが爛々と目を輝かせ、天使兵達を睨め付けていく。
一触即発の空気だったが、やがて陣内は静かさを取り戻す。
「イエス、あなたらしくないね」
「らしくない? 何を言ってるんです仏陀。
私はほら、いつも通りですよ!」
絶対違うって。
釈迦は喉元まで出かかった言葉を呑み込み、ぐっとこらえる。
それにしても、なぜサンタクロースをそこまで目の敵にするのだろう。
もっと穏便に行う方法もあったはずだ。
なのに、イエスとベルゼブブは目の色を変えている。
まだまだ自分には分からない事だらけだ。
いや、分かったとしても分かりたくない。
無知であることは、案外幸せな事のような気もする。
「イエス、神生ゲーム片付けてもいいですか?」
「そんなもの、とっとと戻して下さい。
やらなきゃならない事は、山ほどあるんですから!」
やれやれ、今までは貴族然として余裕で構えていたのに、まるで小悪党のような焦りようだ。
このままでは、ベルゼブブの陣営に負けてしまいかねない。
しかし、負けたからといって、別に困ることも無いはずだ。
むしろ、気合いを入れすぎて、下手な摩擦を生み、ハルマゲドンに発展しかねない状況の今であれば、穏便に手抜きをしておくべきだろう。
「仏陀、あなたのところのスブーティさんに、頑張るよう伝えておいて下さい!」
「ああ、言っておきますよ」
やれやれ、もう少しどっしり構えて欲しいものだ。
愚鈍な私は、天界を率いるに相応しくない。
閻魔大王か、イエスのようなカリスマも無く、ほとんどの仕事は十六羅漢に任せきり。
だが、不安な気持ちは理解できる。
スブーティには今の自分の全権を渡している。
悪いようにはしないだろう。
頑張ってくれ、我が愛弟子よ。