第20章 大伽藍の乱の真相
大伽藍の乱、それは閻魔大王が天界の全権を掌握するため、クーデターを図ろうとしたと言われ、スブーティがこれを未然に阻止した事件の事を言う。
閻魔大王が当時持っていた兵力は十万。
だが、天界全土で四百万の兵があることを考えれば、これは決して多いとは言えない。
むしろ、スブーティは同じ数の兵を、当時から統べていた。
天界と魔界は既に和平が為されており、戦争とはおよそ無縁な日々が続いている。
そんな中、太平の世を波乱に導くような閻魔大王の叛乱。
それは青天の霹靂となって、天界全土を駆けめぐった。
理由はこうだ。
不抜けた天界は、このままでは魔界の勢力に負けてしまう。
仏界には不動明王のような怒りの神もあり、武神と呼ばれる者も多く存在する。
イエスを筆頭としたキリスト諸派の軟弱な外交は内憂外患を招く国賊の行為である。
これを粛正し、粛清せねばならない。
それゆえ、自分は立ち上がる。地獄を統べる大王として、天界に対し反旗を翻すものなりと。
だが、十万の兵だけでは当然、すぐに鎮圧されてしまう。
そんなことは火を見るよりも明らかな事だ。
そこで、彼は密かに盟約を交わしていた。
釈迦と共に、新たな天界の秩序を築く。
二頭体制による東方仏教の絶対支配だ。
その宣戦布告が為されたならば、主はイエスを筆頭とした討伐軍を形成し、釈迦もその戦線に加わる。
主への忠誠を試される、それは踏み絵と同じ行為だ。
まさに一触即発でハルマゲドンへと繋がりかねない、一大内乱となるはずだった。
その調整役に立っていたのは、釈迦の直参として筆頭を務めるスブーティ。
彼が閻魔大王と釈迦の間を取り持つ、密使として暗躍していた。
しかし、スブーティはその最中にこの事実を主に密告し、閻魔大王の企みは事前に防がれる事となる。
そして、閻魔の処罰はスブーティに委ねられる事となった。
だが、スブーティはこれを不問とし、何らの罰を与えはせず、その存在は公式な記録からも削除されることとなった。
以後、大伽藍の乱は天界の噂話であり、都市伝説。
そして、天界最大のタブーとして、神々の間に語り継がれる事となったのだ。
だが、それ以後の閻魔大王は表に出る事を嫌うようになり、抜け殻とまで揶揄されるようになった。
隠然たる権力は固持したものの、地獄に関わる全ての執務は娘の炎夜が担当するようになり、森羅万象国際会議などの重要な席に於いても、彼女が代理出席をとるような形となった。
汚い閻魔大王。
主に背いた造反者。
売国奴。
様々なレッテルが閻魔に張られるが、それはごく一部のものだ。
そもそも、記録がほとんど残っていない為、何が真実で、何が起きていたのか、その一部始終を知る者はほとんど無い。
ただ、事件後から急速に釈迦の一派は勢力を増し、お釈迦様お供え思いやり予算の計上など、黒い法案もすんなりと通るようになっている。
そして、スブーティの天界に於ける序列もまた、凄まじい速さで上がっていったのだ。
閻魔大王を売って地位を手に入れたスブーティ。
それ以後、彼女はスブーティを見るたびに殺意が湧いていた。
しかし、そんなことはおくびにも出さない。
にこにことして笑みを絶やさず、地獄のプリンセスとしてあるように振る舞い、釈迦やイエスとも積極的に外交を行った。
地獄という自治区の顔役として、閻魔大王以上に閻魔らしく振る舞い、その発言力を高めてきた。
それはひとえに、いつかスブーティに復讐をするためだ。
閻魔は何一つ語ろうとしない。
だが、彼女は閻魔が抱える深い悲しみと絶望を、常にそばで見てきた。
恨めしかろう、悔しかろうその心を、誰よりも感じてきたのだ。
「私が裏切り、大伽藍の乱は失敗に終わった。そう思っているでしょう?」
「当然でしょう? 返してよ、偉大な父を! 尊厳に満ちた父を!
地獄の象徴だった父を! 返しなさいよ! 裏切り者のクズ野郎!」
「私はね、大伽藍の乱には賛成だったんです。
閻魔様がおっしゃる事は、どれもこれもが耳に痛い事ばかりだった。
そして我々仏界は、イエスの一派と比べて、どんどん力が弱まっていく。
このままでは遠からず、仏界は全て、イエスの派閥として取り込まれてしまうという状態になっており、師匠のお釈迦様も、言葉には出さないながらも、少なからず心配をしていました」
「だったらなぜ?! なぜあなたは裏切ったの?!」
「裏切らざるを得なかったんですよ。
なぜなら、こうなるようにし向けたのは、閻魔大王様の方から提案されたことですから」
「父の方から? わざわざこんな事になりたいって言ったと言うの?
この上なく苦しい言い逃れね!」
「ねえ炎夜さん、これは私の独り言です。
そしてデュラハンさん、あなたにも思い当たる事があるかも知れません。
けれども、黙って聞き流して下さい。
これは絶対に、天界、魔界に於ける最大のタブーなのですから」
「もったいぶってないで、早く言いなさいよ。聞いたら殺してやるから!」
「主は、サタンは、実は存在しない架空の存在ではないか? ということです」
スブーティの言葉に、辺りに流れる空気が凍り付く。
だが、ぽたぽたと水滴が垂れる音だけが、周囲の時間は動いていると主張する。
デュラハンは言葉を探し、それでも何も言えず、苦々しい表情を浮かべて足下を見る。
天界、魔界の権力中枢に近付けば近付くほど、主やサタンとの距離は縮まる。
そのはずだが、逆にその距離は遠く感じる事になるのだ。
どちらの世界もナンバー2であるイエスとベルゼブブの二人しか、目通りは叶わない。
それも、謁見する際は必ず一人で、従者も付けずに部屋に入っていくという。
誰の目から見ても怪しい。
だが、主とサタンは絶対の存在だ。
イエスとベルゼブブは、それぞれに言葉を託され、配下の神々や魔族達に命令をする。
しかし、それに疑問を呈する事などあってはならない。
もし誰かが疑問を口にすれば、天界も魔界も、その体制の全てが揺らぎ、場合によっては崩壊をしかねない。
だからこそ、中枢に近付けば近付くほど、彼らは主やサタンへの忠誠を言葉として口にしたがる。
部下達にも、その絶対性を厳しく説くのだ。
「閻魔大王様は、そのタブーについて、釈迦に相談したいと私に申し出ました。
もし存在していないのであれば、その事を公にした上で、新体制を構築すべきではないか?
仏界としてどうとか、そんな小さな話じゃない。
天界全体として、これは向き合うべき大問題だ。
今こそ真実を明らかにすることで、いつか来るハルマゲドンの前に、私達は魔界よりも一歩先を行くことができるのではないだろうか?
大王様はそのように考えたのです」
「父上……そんな危険な事を……だったらなぜ、なぜあなたは父を裏切ったの?
天界の為を思うなら、なぜ父上を売り渡したの?!」
食い下がる炎夜に、溜息混じりでスブーティは答える。
「私が密告なんてするはずがありません。
その言葉は、既にイエスの耳に入っていた。
私が師匠である釈迦に伝える、その前に。
そしてイエスは私を呼び出し、言ったのです。
この叛乱行為について、主は不問に付すとおっしゃっている。
しかし、まだなお逆らう事を続けるならば、釈迦並びに閻魔大王の一派を、全て根絶やしにせねばならない。
その為に、仏界を除く天界の全てが軍をさし向けるだろうと。
それが主の言葉などではなく、イエスの独断だろう事は私にも分かりました。
しかし、それは主の言葉、主のご意向なのです。
逆らう事などできません。
そして、私からその言葉を聞いた閻魔大王様は、自ら決断され、言われるがままに権力の座を追放される事となりました。
そんな茶番劇を仕立てたのは、この私です。
結果として天界を救った英雄と言われ、名声は上がりました。
けれども、その代償はあまりにも大きい。
せめてもの償いに、私はその流れを利用して、師匠である釈迦と、仏界の地位を向上する事に貢献しました。
しかし、あなたと同じで一部の者からは、売国奴というレッテルを張られたのです。
今もたまに、脅迫状や怪文書が私の元に届く事がありますよ。
特に地獄の鬼達からと思しきものが、ね」
苦笑いをして、彼はひざまずく。
そして、そのまま深々と頭を下げた。
「あなたをかように追い込まなければ、私の話を聞いて下さらなかったことでしょう。
そして、私はあなたに手を挙げた。
あなたを傷付けた。
理由の如何を問わず、その罪、万死に値すると存じます。
私は仏法に帰依する者。
私が守るべきものは仏法であり、その守護者たる釈迦であり、菩薩であり、閻魔大王様です。
そんな閻魔大王様のご令嬢、六道炎夜様を手に掛けた。
私は償いようもない咎人です。
こうして真実を告げた以上、私の役目は終わりました。
どうか首を刎ねるなり、地獄の業火で焼き殺すなり、炎夜様の思われるように、この私を裁いて下さい」
「スブーティ……あなた……」
「本当に……申し……申し訳っ……ありませんでした……」
水滴とは違う、暖かみを帯びた液体がスブーティの頬を伝う。
罪を犯した者の流す、悔恨の涙。
だが、そんなものを流す必要があるだろうか。
今、炎夜の目の前で膝を屈している男は、三千世界の誰よりも忠義者なのだ。
炎夜もまた膝を突き、その頬を伝う涙を指ですくい取る。
「顔を上げなさい、スブーティ。あなたは仏界を救った英雄です。この六道炎夜は、あなたのような忠義者を責め立てる事などありません」
「炎夜様……」
自分よりも二回りも大きいスブーティを抱きしめ、濡れた頭の髪を撫でる。
それは赦しだ。
主の居ない世界を生きる神霊。
そんな彼を許してやれるのは、閻魔大王の娘である、自分の務めだ。
だが、その横で少しだけばつが悪そうにしている女悪魔が一人。
デュラハンだ。
サタンが居ない。
薄々気付いていた事を、ついにはっきりと言葉にされてしまった。
もちろんそれはオフレコであり、単なる彼の独り言だ。
だが、心の中には消えない傷として、それは残ってしまうだろう。
「デュラハン、ありがとう」
「な、何よいきなり」
「私と炎夜様のやりとりを、邪魔立てもせず、黙って見ていてくれただろう。
君は無防備な私や炎夜様を、その剣で斬り殺す事もできたはずだ」
「別に……私とあなたは今、お互いに仕事を遂行しなきゃいけないし……」
「悪魔にだって思いやりや愛があることは、私達はちゃんと知っています」
「とっ、当然でしょう? 悪魔をなんだと思ってるのよ!」
「でも、いつかハルマゲドンになったなら、私は炎夜様や他の天界の人々を守るため、あなたを容赦なく斬り捨てる事でしょう。
だからあなたも、その時は全力で戦って下さい」
「そうね。涙で顔をぐしゃぐしゃにしてるあなたを殺すより、よっぽど面白そうね」
「それでいいんです。それでこそ悪魔です」
スブーティは立ち上がり、右手を差し出す。
最初、何をすればいいか分からず、きょとんとするが、すぐにデュラハンも右手を出す。
天界の人間と握手をするなど、生まれて初めての事だった。
そして、それを自然に行ってしまうという、自分の甘さが少し気恥ずかしい。
だが、スブーティはそんな自分に、笑顔を返す。
「あなたとは良い仕事が、そして良い殺し合いができそうです」
「当然よ。私は剣闘会で無敗のデュラハンなんだから」
「これからは、デュラって呼ばせてもらいます」
「え? ああ、いいわよ」
焦ったように返事をする。
その仕草はどこか少女っぽくて、微笑ましいとスブーティは思う。
だが、そんな平和な時間を過ごしていられるのも今のうちだけだ。
任務が完了するまで、一時として気を抜く事はできないだろう。
「炎夜様、どうか天界にお帰り下さい。この件は不問に致します」
「あのね、スブーティの言う事でも、それだけは聞けないわ」
「わがままをおっしゃらないで下さい。
ただでさえラーフラ様とベル様が居なくなって、天界と魔界はちょっとした騒ぎになっているんです。
この上、炎夜様がサンタの側に付いている等と思われれば、混乱は深まる一方です」
「これは私とあなたのハルマゲドンよ。
次に会うときは全力で戦いましょう、スブーティ」
ふわりと浮かび上がると、炎夜は壁の中に消えていく。
だが、その姿を呆然として見守る事しかできない。
物体をすり抜ける能力など、炎夜は持っていないのだ。
なぜそんなことができるのだろう?
サンタが能力を与えたのか?
「ちょっと、ぼんやりしてる場合じゃないでしょう?
捕まえるターゲットが増えたんだから、もっと気合いを入れないと」
「そうですね、申し訳ない。急ぎましょう」
ぱしりと自分で頬を叩き、気合いを入れ直す。
デュラの言うとおり、炎夜も連れて帰るという仕事が増えたのだ。
腰に付けた刀の位置を直すと、スブーティは先頭に立って走り出す。
ここは敵地の中枢部、一時も気を抜いてはいけない。