第19章 死の意味、生の意味、それでも成し遂げたい事
サンタクロースの要塞の中、ベルとラーフラが死闘を繰り広げている真反対の方向で、密かにうごめく二つの影がある。
鎧騎士のデュラハンと、十六羅漢のスブーティだ。
「人間というのは凄いですね。こんなものを創造してしまうなんて。まるで神だ」
「そうね」
そして訪れる沈黙。
さっきから、こんな事を何度繰り返しただろう。
デュラハンは不機嫌の極みになっていた。
いくら隠そうとしても、無表情で無愛想な態度となって、それは現れる。
ベルに付きまとう汚らしい害虫、そして将来のハルマゲドンの際には、怨敵となって自分達に刃を向けるであろう、将来の天界の有力議員。
釈迦の息子、ラーフラをこの手で始末できると思っていた。
だが、その企みは脆くも崩れ去ったのだ。
この仕事が無事に終われば、ベルと自分の関係は、ベルゼブブに正式に認めてもらえるはずだった。
それは幸せな二人の未来の為に。
将来の三千世界を統べる魔界の為に。
魔神はおろか、魔王にさえなれそうもないデュラハンにとって、これは自分がソロモン七二柱の悪魔達と肩を並べる為に、願ってもないチャンスだ。
「ご機嫌斜めですねえ、デュラハンさん?」
「デュラでいいわよ、スブーティ」
「別に仲良しでもないあなたの事を、呼び捨てになんてしたくありません」
その挑発に、さすがの彼女も怒りが込み上げる。
もう少しで、剣を抜いて飛び掛かってしまうところだった。
だが、相手は天界一の剣聖と言われるスブーティだ。
自分を味方と思い、油断するだろうラーフラと違って、この男は私を敵と見ている。
しかも、腕は奴の方が二枚上と見ている。
剣を交えれば無事では済まないだろう。
死ねば自分に未来は無い。
そもそも、悪魔が死んだらどうなる?
悪魔には悪魔のあの世があるのか?
地獄は? 天国は? それとも無に還る?
考える程に恐ろしい。
恐怖感に潰れそうになる。
だが、所詮は兵卒上がりの一介の魔物の自分が、本当にベルと結ばれようと思うのなら、ここで功を上げるしかない。
スブーティを始末できれば、ラーフラを始末する事はもはや造作もない。
そして私は、魔界の辺境伯程度の地位はもらえるはずだ。
ああ、その柔らかい首を横一線にかっ切って――
「私を殺したい。殺したくて仕方がない。
けれど、剣聖と呼ばれる私を相手に、五体満足で居られる自信が無い」
「なっ?!」
「単に独り言ですよ。気になさらないで下さい」
にこにこと、まるでセールスマンのような造り笑顔をするスブーティ。
彼は今、この状況を心から楽しんでいた。
ラーフラを殺したい、現場上がりの女悪魔騎士。
無名だった彼女は、魔界で行われる、非公式の剣闘会で六六六人斬りを達成し、見事にその地位と名声を勝ち得たと聞いている。
いくら自分が剣を教えているラーフラと言えど、まだ彼は子供だ。
親友であり副帝の息子、ベルの恋人と言うこともあり、時に油断もする。
その時こそ、この女は動くだろう。
そして、さも事故が起きたように見せかける。
なあに、方法はいくらでもある。
だが、自分がいる限り、彼女は殺意をおくびにも出さないだろう。
チャンスはいくらでも訪れる。
もし自分とラーフラが死ねば、それは天界の大いなる損失。
将来の重大な禍根であり、師匠である釈迦を悲しみの底に突き落とす。
悲劇、それはあまりにも悲劇。
そんなことが許されるはずがない。
このスブーティの目が黒い間は、そんなことが許されてはならない。
正義は天界にあり。勝利は天界にあり。
悪魔の考える小賢しい策など、この手で全て根絶してくれる。
根絶やしにしてくれる。
不抜けた天界。堕落した天界。しかし、天界とは争いの場であってはならない。
ましてやその頂点に立つ者の手は、悪魔共の薄汚い血に濡れてはならないのだ。
幾度となく偽りの聖戦を繰り返し、屍山血河の上にたたずみ、アーメンアーメンと喚き散らす奴らなど、天界には似合わない。
仏界こそ正義。仏界こそ至高。
ああ師匠、あなたこそ玉座に相応しい。
私はあなたの剣であり、あなたの盾だ。
考えれば考えるほど、心の中がいきり立つ。
恍惚として、歓喜の汁が溢れ出す。
「やけに嬉しそうね。これから殺し合いが始まるというのに」
「多分私は、あなたと同じような事を考えている」
「どうかしら?」
「でも、一つだけ違うことがあるとするならば、私はこの場であなたを殺したりはしない」
「ふうん……」
疑わしそうな目を向けるデュラハンだが、スブーティは静かに説明する。
「私に与えられた目的は、ベル様とラーフラ様を取り戻し、帰還することにあります。
あなたと剣を交えるには、まだ早過ぎるんですよ」
「いつか機会があれば殺すってことでしょう」
「そうですね」
にっこりと笑うスブーティ。
だが、馬鹿正直なそのやり方は、嫌いではない。
「さて、お喋りもいいですが、早く二人を見つけて合流しましょう」
「そうね。多分ベルは、お父様であるベルゼブブ様が動かない事にしびれを切らして、それで出陣したと思う。
天界と魔界がこれほどの大軍を出したと知れば、指揮官として戻ってくれるはず」
「ラーフラも似たような理由でしょうねえ……」
ぽりぽりと頭を掻き、慎重に目の前のドアを開ける。
相変わらず誰も居ない。
その事に安心し、先に進もうとしたその時だった。
「久しぶりねスブーティ」
「おや、その声は炎夜様?」
振り返ると、そこには無表情でたたずむ炎夜が居た。
まるで気配を感じさせずに背後を取られた事に、スブーティは背筋につららが刺さったような衝撃を受ける。
だが、そんな事は悟らせぬよう、しれっと返事をした。
冷静さを失わない。
それは戦いに於いて、最も求められる事だ。
そして、炎夜もまた、淡々と彼らに喋り掛ける。
「いけしゃあしゃあと、どの面を下げて私の前に出てきたのかしら」
「お言葉ですが、今はあなたが、勝手に私の前に現れたんでしょう?」
「うるさい! 口を慎め下郎が!」
言っている事が支離滅裂だが、炎夜はその事に気付いていない。
不倶戴天の敵を前にして、彼女は怒りに打ち震えていた。
骨の髄まで恨みを抱え、殺したい相手を前にして、冷静で居られるほど彼女は強くない。
だが、それでも炎夜は自分なりに、必死で落ち着こうとし、呼吸を整えようとしている。
ひゅうひゅうと喉が鳴り、口の中が渇く。
熱くなればなるほど勝算は減るのに、心の中は黒い炎が燃え盛る。
「お知り合いかしら」
「閻魔大王の一人娘、あらゆる熱を操る獄炎術の使い手、六道炎夜様ですよ」
「天上界の者ね。あなたもベルとラーフラの奪還に派遣されてきたの?」
「残念、私はあなた達を殺しに来た」
炎夜は言って、ドレスの懐から何かを取り出す。
その手に持っているのは、あからさまにプラスチックの玩具と分かる、半透明の黄色い水鉄砲だ。
きょとんとするデュラハンに対し、スブーティは冷静に事の成り行きを見ている。
「お嬢ちゃん、遊びに来たの?」
「もう一度言って欲しい? 私はあなた達を殺しに来た」
「彼女は私のお客様だよ。君は関係ない」
スブーティがずいと前に出て、腕でデュラハンの前を遮る。
だが、置いてきぼりにされているような状況に、デュラハンは不愉快さを隠せない。
「待ちなさいよ。水鉄砲を持った天界の女なんかに、私達の仕事の邪魔はさせないわ」
「そうですねえ。あなたは一応、今は私と共同戦線を張っているんですよね」
「ええ、だからあなたの敵は私の敵。それでどうかしら?」
「いいでしょう。けれど、彼女を殺してはいけませんからね」
「なかなか難しいルールだわ。けれど、確かに閻魔の一人娘であれば、殺すわけにはいかない」
「それを聞いて、安心しました」
ケンカは一時休戦。今は手を組み、目の前の障害に立ち向かわねばならない。
だが、そんな二人の姿を見て、炎夜はいらだちを募らせていく。
「女を口説くのと、私と殺し合うのと、どっちが大事よスブーティ!」
「一つ聞かせて下さい。なぜあなたが、私を殺そうとするんです?」
その問いかけに、炎夜は愕然となる。
開いた口が塞がらないというのを、初めて体で感じた瞬間だった。
「覚えていないの?! このクズ野郎! やっぱり今すぐ私が殺す!」
ぴゅっと水が飛び出した刹那、それはスブーティの目の前で、バスケットボール大の爆発を起こす。
すんでの所で体を逸らしたが、食らえば顔に大やけどを負っていた事だろう。
「水蒸気爆発の応用ですね。人間の科学を勉強していたなんて、お父様もお喜びでしょう」
「そのお父様を……お父様をあんな目に遭わせて……どの口がそんな事を言ってるのよおおおおおおおお!」
手、足、そして心臓に向けて、次々と水は打ち出される。
だが、それを全て紙一重で交わしながら、スブーティは踊るように後退する。
「何の事かさっぱり分かりませんね。私は仏界の者。
仕えているのは師匠の釈迦ですが、閻魔大王もまた、私の上司に当たります」
「父はお前の謀略によって、全てを失った! 大伽藍の乱の裏切り者はお前だ!」
「炎夜ちゃん。仲間割れは醜いわ」
いつの間にか背後に回り込んだデュラは、彼女の喉元に刀を突きつける。
だが、地面を蹴って飛び上がり、炎夜は天井にあったパイプにぶら下がり、壁に付いているノズルに手を付ける。
「こんな奴は仲間じゃないッッッッ!」
それはスプリンクラーのスイッチだった。
天井から降り注ぐ水は、室内の全てを濡らし尽くす。
デュラは危険を察知したものの、逃げるような時間は無い。
炎夜は笑みを浮かべる。
刺し違える事にはなるが、これで確実に勝利を手にしたのだ。
だが、熱を発しようとしたその瞬間、横っ面に強烈な跳び蹴りを食らう。
そのまま炎夜の体は飛ばされ、猛スピードで壁に激突する。
全身の骨にひびが入り、気を失いそうになる。もはや立つ事さえ、気力頼みの状態だ。
だが、この程度で負けるわけにはいかない。
額から血を流しながら、よろよろと炎夜は立ち上がる。
「けほっ……はぁっ、はぁっ……スブーティ! スブーティィィィィィィッッッッッッッッ!」
「女の子に何度も名前を呼ばれるなんて、嬉しいですねえ」
「殺す! 殺す! お前だけは! お前だけは私が殺し尽くしてやる!」
「嫌いな男と無理心中なんて、たぶん若い子の間にははや流行りませんよ」
「大伽藍の乱の恨み! 忘れないぞ!
私は忘れないッ! 地獄に! お前を地獄の底に落としてやる!」
満身創痍となりながらも、熱を貯めようと、拳に力を込める。
スプリンクラーは止められたが、周囲は既に水浸しだ。
もし彼が逃げようとしたなら、すぐにでも爆発を起こすことができる環境は整った。
だが、約束は守れそうにない。
生きて帰る事は、どうやら叶わぬ夢らしい。
ニコラ、世界一のサンタクロースだったよ。
ナナ、あなたは彼を支えてあげて。
一足お先に私だけ、本当の地獄に旅立ってるから。
口の端だけで笑みを作り、倒れる前に熱を入れようとしたその時、スブーティはゆっくりと語り始める。
「デュラハンさんはご存知無いでしょう。大伽藍の乱というものを」
「知らないわ。天界の事なんて、殺意以外に興味が無い」
「あはははっ、素直なレディって好きですよ。でも、それが一般的な悪魔でしょう」
「喋るな! 今からお前は死ぬ! 私と一緒に灰になるんだッ!」
「じゃあ、遺言代わりに聞いて下さいよ。大伽藍の乱の時の事を」




