第18章 六道炎夜、女の覚悟
中央司令室で、のんびりときな粉餅を食べながら、ニコラは茶をすすっている。
元々光を物質化できるかも知れないことを知ったのは、テレビでやっていた科学番組のおかげだった。
児童養護施設で、小学校を卒業する事もなくサンタになってしまったニコラだが、学ぶ事を辞めようと思った事は無かった。
むしろ、学が無い事を真摯に受け止めて、時にはナナが呆れる程、熱心に勉強をしていたのだ。
そんな中で、ある日彼は、自分の出す事ができる力、サンタクロース波とは何なのかと考えていた時、それは光であるという結論に達したのだ。
やがて、沢山のプレゼントを配るのに、自分の分身を作ってみたり、星も出ない漆黒の闇夜に星空を作ったり、様々な使い方ができる事を学んだのだ。
難しい事は分からない。
現代の科学や物理学のルールなど完全無視しているだろう。
だが、神と等しい奇跡を起こす能力。
それを出来ることは出来るのだから、使わない手は無い。
そして、今回それを初めて戦闘に応用したのだ。
「きな粉餅って美味しいね。私、地獄ではこんなもの、食べたこと無かったよ」
「いつも地獄ではどんなものを食べてたの?」
「地獄トカゲの唐揚げとか、火食い鳥のスープとか、どれもこれも美味しくないの。
あ、でも血の池印のトマトジュースだけは、天界や魔界に輸出されるくらい美味しいんだよ!」
「ああ、さっきドラコちゃんに渡したやつだね」
「うん、ナナにもあげるよ。ほら!」
ニコラの横で、ナナと炎夜もまるで緊張感の無い会話をしている。
だが、狂気と死を隣り合わせにしている今だからこそ、逆に日常的に振る舞いたいと思う。
それは、誰もが胸に共有していた。
もちろん、いつまでも平和に構えているわけにもいかない。
たった今、罠として作っておいた二人の分身が殺された。
いつか全てのからくりに、彼らも気付くかも知れない。
そうすれば、全てのたくらみは水の泡だ。
「ねえニコラ、そろそろ天界テレビを見て於いた方がいいんじゃない?」
「ああ、そうだな」
スイッチを入れると、ちょうど良く女天使のキャスターがニュースを読み上げていた。
「臨時ニュースです。
天界、魔界の双方は、森羅万象安全保障理事会の要請により、サンタクロースの花巻ニコラの宣戦布告に答える形で軍を派遣し、その数は双方二百万ずつ、計四百万という、史上最大規模の派兵になる模様です。
これについては、安全保障理事会の議員達からも、やりすぎではないかという声も一部から上がっており、天界、魔界を問わず物議を醸しているようです。
また、魔界の副帝ベルゼブブ様のご子息、ベル様。
お釈迦様のご子息、ラーフラ様が、サンタクロースの本拠地に対し、奇襲を掛けており――」
「あれ? 炎夜の名前が呼ばれないね」
「ああ、きっと私の帰りが遅くなってるだけだと思われてるのよ。
チョイワル女の代表として、少しくらい帰宅が遅かったり、外泊しても平気だしね」
炎夜が得意顔で、少し自慢げに言ったところで、ニュースが切り替わる。
「さて、迷子のお知らせです。
地獄在住の閻魔大王の娘、六道炎夜ちゃん(一五〇歳)を見かけた方は、天界テレビまでご連絡下さい」
「…………」
誰もが言葉を失う。ベルとラーフラには『様』が付くのに対し、炎夜だけは『ちゃん』付けになっているというのも痛い。
その上迷子扱い。
だが、何か言うとかわいそうなので、ナナが急いでチャンネルを変えた。
「あのキャスター、いつか地獄に落としてやる……」
「いや、ただでさえ騒ぎが大きくなっているのに、炎夜がこっちに居ると分かれば、火に油を注ぐようなものだろう。
だったら、迷子扱いを受けてる方がまだマシじゃないかな」
「ダーリンがそう言うならっ♪」
「キシャーッ!」
抱きつく炎夜と、威嚇する毒蛇のようなナナ。
そこにあるのは、ただの平和な茶の間の風景。
それは本当に緊張感が無い。
だが、ニュースが事実なら、今頃四百万の軍勢が自分達の為に出されているはずだ。
その数は、世界有数の大都市の人数と肩を並べるものだ。
指揮官として、二つの世界からはそれぞれ有力な神霊、魔物が出ているに違いない。
本気で正面からやり合えば、ニコラ達はひとたまりもないだろう。
彼は決して、蛮勇を是と思っている訳ではない。
たった一つ、天より垂れる細い細い、勝利に繋がる蜘蛛の糸に掴まり、慎重に上を目指して昇ろうとしているのだ。
この世で最も強いものは数。
数字とは冷静で残酷で無機的だ。
そして、数は力を最も正確に表している。
戦力差という数に於いて、いくら一騎当千のつわもの強者とは言え、ニコラ達が相手にできる兵力には限りがある。
『勝てますよ、ニコラ』
「プレゼント袋……」
『世界中の子供達は、あなたを求めている。それは奇跡を起こすはず』
「ああ、そうだな」
座椅子の背もたれを少し倒し、目を閉じる。
まぶたの裏に浮かぶのは、たくさんの子供達が見せてくれた笑顔。
ニコラは自分がサンタクロースをしていたことに、一片の後悔も無い。それを今後も見る為なら、この戦いにも意味があるだろう。
血まみれだって、汚れていたって、守らなきゃいけないものがある。
戦いの果てにしか見えないことや、分からないことがある。
初代サンタクロースは、最後の最後でたくさんのプレゼントをしてくれたのだ。
そう、これはプレゼント。天が与えたラストプレゼント。
「ニコラ、別の場所から侵入者が二人増えたわ」
モニターを見た炎夜が、不意に真面目な顔になる。
「え? ベルとラーフラじゃなくて?」
「首無し騎士のデュラハンと、釈迦の十六羅漢のトップ、スブーティよ」
言いながら、炎夜は立ち上がり、身支度を始める。
赤蝶石の髪飾りを着け、星くずをあしらった、黒いドレスに身を包む。
それは地獄に於いて、死を覚悟した戦場に臨む際に着る喪服。
戦う相手に対する、最大の礼儀だ。
「死ぬ気か?」
「分からない。けれど、彼とは一度、小細工無しでやり合いたかったの」
「スブーティって奴のことか」
その言葉に、炎夜は小さく頷く。
瞳に宿っているのは、固い決意の光。
「あいつを殺すのは私。それを魔界の掃除屋とか呼ばれてる、首無し女なんかにくれてやるわけにはいかない」
姿見の前に立ち、くるりと回って見せる。
その姿は少女のものではなく、死を覚悟した戦士だ。
最後に自らの姿を確認し、その瞳に焼き付ける。
「君も不器用な女なんだな」
「器用に生きられる人なんて、魅力も無いと思わない?」
「ああ、そうだな」
ニコラは苦笑する。
彼女の言う通り、器用な奴なんてここにはいない。
居るのはただ、不器用で救いようが無い、最高のろくでなし。
これからまさに死のうとする、くたばり損ないばかりだ。
「ナナさん、もしも私が死んだら、彼のこと、宜しくね」
「生きて帰ってよ」
「そうね。帰れるといいな」
「いきなり私達の心に入ってきて、勝手に出ていくなんて、わがままじゃない」
「私は猫みたいなものだから」
精一杯の笑みを浮かべる。
だが、ナナは笑えない。
「そんな顔しないで。あなたは私のライバルでしょう?」
「まだ認めてあげない。死んじゃうような女の子なんて、私のライバルじゃないもん」
「じゃあ、ライバルになれるように頑張るわ」
「うん、なってよ」
「ありがとうナナ。サンタと同じくらい、あなたも素敵よ」
「戻ってきたら、もう一度言って欲しいな」
「残念ね、もう言ってあげないわ」
いたずらっぽく笑い、炎夜は背中を向ける。
もう振り返る事は無いだろう。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
その背中は、小さく震えている。
彼女を支配しているのは恐怖ではない。
喜びと絶望のない交ぜになった武者震いだ。
素晴らしい舞台。唯一無二の棺桶。
私は歌い、殺し合う。
誰にも見せたことが無い、黒い微笑みがこぼれた。
神も仏も関係ない。
復讐に燃える時、誰もが同じかお表情をするだろう。
仮面を脱ぎ去り、裸の心で斬り合おう。
肉を切り裂き血を吐いて、死ぬが死ぬまで殺し合おう。
殺して殺して殺し尽くして、二度と蘇らぬように。