第17章 それは奇跡の失敗作、汝の名は人間なりや
ラーフラによる分析は、見事に当たっていた。
海中の警備は手薄で、一戦を交える事も無く、すんなりと要塞の中に侵入を許した。
もちろん、ある種の角度やルートを通る事によって、レーダーやソナーに掛からないように細心の注意は払っている。
だが、海上に於いて無敵を誇った要塞にしては、あまりにもお粗末な警備体制と言える。
彼は明らかに、自分が試されており、自分達はわざと侵入を許されているという事を、その体で感じていた。
「呆気ないもんだな。派手さも無くてつまらねえよ」
「体中を銃創だらけにして、血煙まみれになりながら戦いたかったか?」
「ちょっとくらいハンデをやらねえと、サンタなんて俺達なら秒殺しちまうだろう」
「だといいな」
何かの搬入口らしきところから内部に入り、周囲の様子を確認する。
手から出した光弾で辺りを照らし出すと、それはまるで、人間達が最近になって作っている、映画などに出てくる宇宙船の中のようにも見える。
無機的な鉄に囲まれた空間は、通路そのものはかなり広く設計されているはずなのに、 どこか息が詰まるような圧迫感を与えてくる。
「さっさと殺して帰ろうぜ。ここは嫌な匂いがする」
「嫌な匂い? 僕がこうして歓迎してやってるのに、なかなかひどい言いぐさだな」
おいでなすった。ベルはにたりと笑いながら、舌なめずりをする。
やがて、彼は音もなく壁の中から姿を現した。
頭にだけはサンタの象徴である赤い帽子を被り、迷彩服に身を包んでいる花巻ニコラだ。
右手には、安っぽいステッキを持っている。
左手には、棒きれに紙を貼り付けただけの、安っぽい三角の旗を持ち、ボールペンの手書きでWELCOMEと書かれている。
「仮装パーティーに行く途中か? かぼちゃの馬車でエスコートしてやりたいが、生憎全て出払ってるんだ。悪いな」
「男にエスコートなんてされたくないね。蠅の王の息子さんよ」
「そんな糞にたかる蠅の子に、お前は殺されるんだよ」
「やれるつもりか? 来いよ、虫ケラ」
小さな旗を捨てると、中指を立てて、ベロを出して挑発する。
あからさまなその態度。背筋がぞくぞくとしてくる。
殺したい殺したい殺したい殺したい。
殺し尽くして、骨まですりつぶしてやりたい。
だが、歓喜に震えるベルの肩に、ラーフラはぽんと手を置いた。
「落ち着け。罠だ」
「待てよラーフラ、ケンカを売られてるのは俺だ」
「お前が熱くなりやすい性格だと、炎夜辺りに言われたんだろう」
「炎夜だろうが閻魔だろうが、今ここに居て、奴の片棒を担ぐ奴はぶち殺すだけだ」
べろりと舌なめずりをするベル。
だが、ラーフラはずいと前に出る。
「おい、俺の前に立つんじゃねえよ」
「仲間割れしてる場合じゃない。今は敵がどの程度のものか、知る事が先決だ。
俺が先にやる。もし俺が叶わない相手だったなら、助けてくれよ、ベル」
「それは釈迦の息子、ラーフラとしてのお願いか? だったら、ちゃんとお願いしますって頭を下げろよ」
「分かった。どうか、お願いします」
ラーフラはベルの方に向き直り、深々と頭を下げる。
一瞬、何が起きたか分からなかったが、すぐに状況を察する。
熱くなった自分の方が、ラーフラの弁に負けてしまったのだ。
これでいいだろう? 笑みを浮かべるラーフラに、ベルは苦笑する。
「仕方ねえな。俺の楽しみもとっておいてくれよ?」
「カタが着かなきゃ、後は頼むって言ってるだろう?」
ニコラの方に向き直ると、背中のサーベルを抜き、身構える。
「茶番劇は終わったか? 先に殺るのはお前でいいのか」
「ああ」
「僕は二人いっぺんに掛かってきてもいいんだけどね」
「挑発に乗るのは愚かだ」
言い終わる前に、彼はニコラの懐に飛び込む。
驚いた顔をするニコラの体に対し、斜め上から刀を振り下ろす。
だが、寸前で彼は体を傾け、ラーフラの刀を避けた。
そのまま天井に飛び上がると、逆さまの状態で笑い声を上げる。
「お前、今僕のことを殺せると思っただろう?」
「普通の神霊や悪魔なら、今の一撃で葬り去っていた」
「釈迦の息子ラーフラ、お前に相応しい死に場所を用意してやるよ」
ぱちりと指を鳴らした瞬間、要塞の通路はまばゆい光に包まれる。
思わず目を閉じ、次に開いたその時、そこはもはや薄暗い要塞の通路ではない。
イエス・キリストの私庭、エデンだ。
どこまでも続く花畑と、永遠を思わせるような蒼穹。
所々では白い蝶が舞っている。
「幻術だと……?」
「お前が一番好きな場所は、ここだろう? 死に場所に相応しいじゃないか。僕に感謝しろ」
宙に浮かんで、逆さまになったままのニコラが胸を張る。
ああ、憎らしい。どこまでも腹立たしい。
そんなに挑発されると、みじん切りにしてやりたくなる。
「分かったから死ねよ」
大地を蹴って飛び上がり、三六〇回に渡り斬りつける。
それは刹那、瞬く間の出来事。
天界一の名刀、雷神インドラが造りし増長天は、あらゆるものを紙の如く切り刻む。
まさにニコラは挽肉となり、花畑の土となる。
そのはずだった。
だが、いつの間にか彼は地面に降り立ち、くるくると安物のステッキを振り回している。
「それで終わりかな?」
返事をする間も惜しいと思い、そのまま下に斬り掛かる。
空を切り、力任せの一刀両断。そこには確かに手応えがあった。
だが、一歩下がって彼は笑っている。
「そろそろ反撃していい?」
「やれよ、サンタ」
飛び上がり、ニコラは杖の先をラーフラに向ける。
「サンタクロース波ァ――――――ッ!」
光の塊が先端に現れ、それはラーフラの方を目指して飛んでくる。
だが、彼はそれを刀で斬り捨て、飛びかかろうとした。
だが、なぜか足下に嫌な寒気を感じる。それは刹那、彼の気を散らせた。
「避けろラーフラァッ!」
「え?」
不意に響く爆発音。
足を包み込む熱。
気が付くと、彼は花畑の中に転がっていた。
「くっ……右足が……」
「僕の勝ちだね。ラーフラ」
地面に降りたニコラは、ゆっくりと近付いてくる。
勝利を確信した者の余裕。だが、それは同時に慢心でもある。
とどめを刺そうと、ニコラはもう一度ステッキの先端をラーフラに向けた。
「お前、俺を誰だと思ってる?」
「釈迦の息子ラーフラだ。こんにちは、そしてさようなら」
光が放たれるその前に、突如再生した右足で、彼は大地を蹴って飛び上がる。
増長天の切っ先は、輝く太陽に向かって突き刺さった。
ガシャンと何かが壊れる音。
再び周囲は薄暗い、要塞の通路へと戻る。
「サンタクロース、俺は君を舐めていた事を謝らなければいけない。
なるほど、君は森羅万象会議に席を連ねる議員達と、同等かそれ以上の能力を持っている。
光を操り、光の粒子密度を高めて物質化し、時には幻術、時には影武者、時には武器へと姿を変えて、変幻自在にそれを操る。
科学になど興味の無い、神霊達には想像もできないだろう。
人間とは考える。
人間とは学ぶ。
人間とは進化する。
素晴らしい。
ああ、実に素晴らしい。
お前は俺の敵だ。
素晴らしい敵だ。
相応しい!
殺したい!
認めてやるよ!
其は人間、我らが神の愛児。
なあ、そうだろう? 花巻ニコラ――」
ラーフラが睨み据える扉の向こうから、パンパンと小さく拍手をする音がする。
やがてゆっくりそれは開き、先ほどと同じ出で立ちをした、ニコラが姿を現した。
これくらいじゃあ、殺せないよね?
苦笑は無言の言葉を伝える。
「ついでに言うなら、多分お前も本体じゃない。ただの光の塊だ」
「どうしてそう思う?」
ニコラの問いかけに、刀を床に突き刺し、ラーフラは語る。
「光とは波であり、粒子だ。どちらでもあって、どちらでもない。
極めてあやふやで、不可思議。
お前は粒子としての性質を用いたんだ。
光の粒子密度を高め、物質化する。
その為、斬れば手応えがあり、血が噴き出したようにも見せられる。
死んだようにもできるだろう。
世界のあらゆる場所をその場に造り、操ることができるだろう。
だが、それはそこにあって、そこにない。
感触のある残像、目に見える夢。
それは神以上に神懸かった、馬鹿馬鹿しすぎるほどの無敵状態。
しかし、同時に自分を知り尽くさねばできない事だ。
科学や物理というものは、人間達の常識だ。
不可能とは人間のものだ。しかし神とは、悪魔とは、そういったものを超越した能力を持ち、人はそれを『奇跡』と呼ぶ。
崇める。
我々にとって奇跡は日常であり、個々の能力。使い方を知れば、知恵と工夫によって、新たな奇跡はいくらでも形作られる。
だが、神も悪魔もそこで終わる。
彼ら自身が森羅万象そのものであり、それ以上のものなど無いからだ。
俺達はそうやって今まで生きてきた。
百年、千年と生かされてきたんだ。
意味も理由も分からないまま、神として。
お前は俺達以上に神で悪魔だ。
考える。工夫する。苦しみ抜いて、知恵を搾る。
主が与えたもうた能力で、神の領域に近付こうとする。
もがき足掻いてたどり着いた、その境地は素晴らしい。素敵だ!」
「べた褒めじゃないか。気持ち悪いな」
「当たり前だろう? 俺の、俺達の宿敵は、愚かな雑魚じゃ困るんだよ。
誰もが恐れ、怯え、震えるような主の問題作。
だからこそ、そんな奴が現れたなら、何があっても、殺してやらなきゃいけないじゃないか!」
そう言って、ラーフラは目の前のニコラを斬り捨てる。
今度は逃げも隠れもしない。
あっさりと袈裟懸けに両断され、ご丁寧にも血を吹き出して倒れてしまう。
だが、その顔は笑っていた。
「悪趣味だねえ、神様って」
「死んでも死なないお前の方が、よっぽど悪趣味だろう?」
「はははっ、そうかも」
「いいから死ねよ、グロ野郎」
それが塵になるまで、何千、何万、何億回と刀を振る。
塵になれ!
塵になれ!
声にならない叫び声。
腹立たしかった。
許せなかった。
ほんの一瞬でも、サンタクロースに怯えを抱いた自分を、そのまま切り刻んでしまいたい。
ニコラという存在は、自分の恥の具現化だ。
それが光の粒子であって、ただの幻影であると見抜けなかった自分の愚かさ。
慎重にと何度も言っていたはずの自分が、誰よりも慢心し、おご奢っていたのだ。
「その辺にしておけよ、お前らしくもない」
「はぁっ、はぁっ、畜生! 畜生! 舐めやがって! 俺を舐めやがって!」
「大丈夫だ。奴もお前と同じくらい慢心しているさ」
「どういう意味だ?」
「戦いたかったんだよ。自分の能力を試し、自慢したかった。
神霊の中でもトップに近い俺達と、一対一でやり合ってみたかったんだ。
本当に冷静で狡猾な奴なら、こんな真似はしない。
海中に侵入ルートを残したのも、俺達をわざわざ艦内に入れたのも、奴は自分が勝てるという確信があってやってるんだ」
「そうだな……確かに……」
「気付かせてやろう。サンタクロース風情に何ができるか。勝てる戦で勝とうとせずに、手加減をした事の愚かさを」
「くくく……ははははっ……ベルが俺に説教をするなんてなあ……」
「面白いだろう?」
「ああ、ホネホネトリオのコントよりも、お前の方がセンスあるよ」
「悪いけど、それは無いなあ」
ニヤリと笑い合う二人。
ラーフラはサーベルを鞘に収めると、本体の居る部屋を探して歩き始めた。
超弩級要塞の探検ゲームが始まりを告げる。
ゴールは中央司令室。クリア条件は花巻ニコラの殺害。
そして六道炎夜にお仕置きだ。