第15章 魔界で一番いい女
北極海上空では、結局帰ってきたドラコがトマトジュースを飲む横で、ベルとラーフラが戦略についてあれこれと話し合っていた。
だが、内容はほとんど同じ事の繰り返しになっている。
海中から攻めたい慎重派のラーフラと、空から真っ正面に攻めたいベル。
「俺達二人なんだし、まず中に入る事が大事だろう? 海だよ海、安全だし!」
「小賢しいんだよ、そういうの。俺があんな砲台に負けると思ってんのか?」
「勝つとか負けるじゃなくて、あんなのを相手にしたら無傷じゃ済まないだろう?」
「大丈夫だって! 細かい事を気にするのは後だよ、後!」
「気にしろよ! 本体と戦う前に、あんな無機質の物体と戦うってお前、バカだろ?」
「おいコラ、今バカっつったかラーフラ?」
「バカにバカと言って何が悪い。俺だって戦いたいが、あんな鉄の塊とデートなんてまっぴらごめんだ」
一触即発の状態に、辺りは重苦しい殺気が漂っている。
だが、そこに割って入る者が居た。
トマトジュースを飲み終わったドラコだ。
「えっと、くじをつくったのです」
「くじ……?」
「あみだくじです! 阿弥陀如来さまの言うとおりなら、きっとそうなんですよ!」
「悪魔のプリンスである俺に、阿弥陀如来の言うことを聞けと?」
「はい!」
こいつ、阿弥陀如来を何だと思っているんだろう。
たぶん魔界放送協会で毎朝流れる、子供番組の司会か何かと勘違いしているに違いない。
だが、そんなドラコに毒気を抜かれた者が居る。
ラーフラだ。
「ぷふっ、あはははっ! そっか、そうだな、阿弥陀如来が言うとおりなら、仕方ないよな!」
「おいおい、お前何言ってんだよ……」
「お前の従者であるドラコが言うとおりにしようって言ってるんだ。問題は無いだろう?」
「そりゃまあ……ドラコは俺の世話役だが……」
「はいっ! どれか一つをえらんでください! 三つのうち、一つはあたりです!」
「あたりって何だ?!」
「あたりが出ると、わたしがチューしてあげます♪」
顔を真っ赤にしてドラコは言う。
こいつ、本当に魔界屈指の大馬鹿者だ。
だが、そんなドラコの事は嫌いではない。
あと百年もすれば、魔王達の誰もが振り向く、いい女になるだろう。
自分が考えもしないことを口にする。
ささくれだった場の雰囲気を和やかにする。
魔族でありながら、天使のような心を持つ。
ドラコは、不思議な女だ。
「ベルさまもラーフラさまも、あたりをめざしてがんばってください!」
「おやおや、天界の女性誌でキスされたい男ランキング一位の俺に、かわいいレディがキスをプレゼントしてくれるってさ。どうよ、ベル?」
「まあ、こいつの好きにさせてやろう」
もはや苦笑いしか出てこない。
だが、そんなドラコのことをベルは尊重する。
本当に将来は、魔界の大公になるかも知れないな。
何気なく、そんなことを考える。
「さあ、どれにされますか?」
「お前が選べよラーフラ。こいつは俺の従者、公正を保ちたい」
「可愛い姫様のキスになっても、俺は責任は持たないぞ?」
「ああ、その代わり、正面から攻撃になれば、お前も俺の言うことを聞けよ」
「もちろんだ」
にやりと笑い、彼は真ん中を指す。
一番下の結果の部分は折り畳まれ、どれが何なのかは、この時点では分からなくなっている。
「それでよろしいですか?」
「いいよ。阿弥陀如来の言うとおりだ」
「では、あっみだっくじー♪ あっみだっくじー♪」
スタートから徐々にゴールに向かっていく。やがてドラコの指は、一番右にたどり着いた。畳んであった部分を戻すと、そこには「うみ」と書いてある。
「あうー、ラーフラさまがあたりなのです」
「よし! さすが阿弥陀如来様のお導きだ!」
ベルは諦め顔ながらも、公正なくじの結果には逆らえない。
ここはドラコの顔を立てる。
「あたらなかったですねー。ドラコのファーストキス、おあずけです」
「お前はよく頑張ったよドラコ、ありがとう」
ひょいと後ろから彼女を抱きかかえると、その頬に軽く唇を付ける。
「きゃーっ! べべべ、ベルさま! はううーっ!」
ぼんっと音がして、ドラコの顔から湯気が立ち上る。
彼女の顔は、耳の先まで真っ赤だ。
そんな二人を見て、ヒュウと口笛を鳴らすラーフラ。
「写真に撮って、デュラに見せてやりたいね」
「お前はそんなことしないだろ?」
「さすが親友、よく分かってらっしゃる」
「じゃ、約束通り海から行くぞ。手はずはどうする?」
「そうだねえ、一見して一分の隙も無いように見える要塞だけど、東南東の方向が少し、手薄になっている。
実際に潜ってみなければ、海中の様子までは分からないけれど、とりあえずあの方向から侵入を試みれば、レーダー等にも探知はされないだろう。もちろん殺気は消すんだ」
「分かった。お前の言うとおりにしてみよう。
ドラコ、俺達が居ない間、しっかり様子を見ておけ」
「ベルさま……あぶないことされるんですよね……」
「そうだな」
「さっき、バラムさんたちは死んじゃったんですよね」
「ああ」
「これ、デュラさんからおくりものです」
「え?」
ドラコが手渡したのは、龍の骨を削って作られるお守りだ。
古くから、戦場に赴く恋人や夫の無事を祈る女性が渡すと言われている。
「ごめんなさい。今までどうしてもわたせませんでした」
「ドラコ……」
「だって、ドラコもベルさまのこと、だいすきだから」
少しだけ泣きそうになりながら、けれど、精一杯の笑顔を見せる。
彼女もまた、従者である以前に一人の女性なのだ。
「だからっ、これは二人からのプレゼントなんです! 生きて帰ってくるって、ドラコとやくそくしてください!」
「おいおい、俺が負けると思ってるのか?」
「いいえ、ベルさまは一番です! 最強で最高です!」
「そうだよ。俺は最高だ」
「まってます! わたし、まってますから!」
「ああ、お前がお昼寝を終わる頃には、俺達は戻ってくるよ」
「いってらっしゃいませ……ご主人様……」
深々とお辞儀をするドラコ。
ベルは「ああ」と短く呟くと、背中を向ける。
海に潜る彼の姿を見送るのが怖くて、ドラコはぎゅっと目をつぶっていた。
サンタクロースはいい人だった。彼の周囲の人もいい人だった。
だからきっと、二人は無事で帰ってくる。
それは都合のいい幻想。子供っぽい妄想。
さっき、彼女はその目で見ていた。
バラムと四万を越える悪魔達が、肉片となって海に消えていく様を。
怖々として震えながらも、目を逸らさずに、ベルの後ろで見ていたのだ。
さっき要塞に使者に出る時も、本当は怖くて仕方がなかった。
けれど、役立たずになりたくなくて、彼女なりに必死だったのだ。
結果として、トマトジュースに懐柔されたけれど、彼らの目は濁ってなどいなかった。
伝えられなかったけれど、それは真実。
なぜ争うんだろう。
なぜ戦うんだろう。
お互いの命を紙くずでも捨てるように、奪い合い、捨て合うんだろう。
幼い彼女には分からない。
けれど、それはきっと大切な事なのだ。
ベルやラーフラにとって、バラムや四万を越える悪魔達にとって。
分かりたくない大人の世界。
けれど、彼が愛するデュラハンは、それを知っている。
知っていて、自分にこのお守りを託したのだ。
小さなライバルさん、宜しくねと言って。
「お似合いですね、ラーフラさんもデュラハンさんも……」
誰も居なくなった空の上で、ぽつりとドラコは呟く。
海は何事も無かったように、さざ波を立てて静まり返っている。
いつか自分も共に戦えるようになりたい。
デュラハンのように、言わずとも理解し、毅然として見送りたい。
「いつか、きっと」
少女の決意は、さざ波の音と共に、ゆっくりと心の中に溶けていく。
その時こぼした一雫の涙は、子供だった彼女に別れを告げるものだった。