第13章 ぱんつ再び
静まり返り、陽の光も届かない海底から、それはゆっくりと浮かび上がりつつある。
五亡星をかたどった鉄の浮島。
破壊された要塞よりも、遥かに巨大な砲台の群れが無数にそびえる。
全体はシャボンのような空気に覆われ、空を飛んでいるようにさえ見える。
一見するとそれは、ドーム型の未来都市のようにも見えるだろう。
そして、その中央に位置する中央司令室で、口元を扇で隠しながら高笑いをする女が一人。
たった今、世界最大の要塞を一つの罠として使い、四十の悪魔軍団とバラムを葬り去った、六道炎夜だ。
「これぞ我が力! 我が獄炎術! 閻魔大王の娘は伊達じゃないのよ!」
「むうー、悔しいけど凄いわね……」
ニコラにもらった特濃牛乳を、いつものお気に入りのマグから飲みながら、ナナは炎夜の方を見る。
その隣にはニコラが座り、画面に映る戦況をじっと見守っている。
死傷者約四万三八〇〇人。これだけでも、人間界ではちょっとした戦争レベルの犠牲者だ。
まずは前哨戦を勝利で飾る事ができた祝いに、ニコラはウォッカのグラスを傾ける。
しかし、まだまだ油断はできない。
いきなりラーフラとベル、そしてバラムが軍団を引き連れて来たのだ。
天界と魔界の若きサラブレッドと、魔界の大幹部による奇襲。
遺憾の意を表明などと言っておきながら、こんなやり口で攻めてくる。
神も悪魔も、まるで食えない奴らばかりだ。
「しかしまあ、プレゼント袋ってのはすごいわね。金さえ入れれば、こんな巨大な要塞をすぐに取り出せてしまうなんて」
『えっへん』
プラカードを出して、感謝しろと言わんばかりに袋を膨らませる。
確かに、彼がこちら側に居なければ、今日のハルマゲドンは実現する事は無かっただろう。
そういう意味でも、彼は一番の立て役者であり功労者だ。
「プレゼント袋、まだまだ頑張ってもらうよ。子供達の為にもね」
『死力を尽くしましょう』
ぽんぽんと袋の留め口を叩きながら、要塞が浮上する軌道の確認をする。
「ニコラ、太陽の光だよ! そろそろ浮上するよ!」
「ああ、いよいよ本当の戦いが始まるんだ。覚悟は出来てるか、ナナ」
「ニコラと一緒なら、大丈夫だよ」
ナナが気丈な笑みを浮かべ、頷く。
握った手は、少し震えている。
平和そのものの部屋の中だが、一寸先には絶望的な死が口を開けて待っている。
サンタクロースと閻魔大王の娘、そしてグレムリンとプレゼント袋。
総兵力はわずか四人だが、負ける事は許されない。
「浮上が終わったわ。周辺の状況に気を付けて」
炎夜の言葉に、全員の目がモニターに釘付けになる。
だが、空は晴れ渡り、雲一つ無い穏やかな天気だ。
しかし油断はできない
遥か上空から押しつぶされそうな強い殺気を感じる。
おそらくバラムよりも階級が高い、何者かがまだ残っているのだろう。
誰もがぴりぴりとして画面に釘付けになっているその時、モニターに何かが映し出される。
落下物だ。それも、超高速で真っ直ぐに、この司令室に向かって飛んでくる。
弾丸か。それとも爆弾か。或いは新手の悪魔か神霊。
小ささとスピードの速さから、砲台はその存在を捉える事ができない。
固唾を呑んで見守る四人の目に、トマトをあしらった白い布地が映し出される。
どこかで見たことがある造形。
ぷりんぷりんでむちむち。
「ぱんつ……?」
「ぱんつね」
「ぱんつだな」
『ぱんつですね』
四人が口にした次の瞬間、それは司令室の外光を取り入れるために作られた、厚さが三十センチある防弾ガラスに向かって、彗星の如く衝突する。
ぐらりと要塞は左右に揺れたが、ほんの数秒で揺れは治まる。
「はうう……おしりいたいです……」
「おい、そこのぱんつ」
「ぱんつ! ぱんつみえましたか?」
「見えるっていうか、ぱんつしか見えないんだが」
「はううーっ! えっちです! へんたいです!」
「じゃあさっさとそこから降りろ。いつまでもお前の尻が豪快に見えすぎて、邪魔だ」
「えーっと……大変もうしあげにくいんですが……」
「何だ」
「高いからこわいので、おろしてくれませんか?」
こわごわとした少女の声に、豪快に四人はずっこける。
何だこれは。新手の罠か?
だが、声や雰囲気には一切の敵意、殺意は感じられない。
仕方なく外に出たナナが、彼女を下ろして部屋に連れてくる。
白髪に赤い目と、夜のような漆黒のマント。
彼女は吸血鬼族の子供だと、一目で分かる風体をしている。
そして、頼みもしないのに、まだ空も飛ぶことができないと照れながらに彼女は語った。
「で、お前は誰だ? 何の為にここに来た」
「あ、はいー、わたしの名前はドラコです。ベルさまの身の回りの世話をしています」
「可愛い! ドラコちゃん可愛い! 地獄に一匹欲しいわ!」
「えへへ、ドラコはかわいいんですよ♪」
そう言って、彼女は春のお日様のような笑みを浮かべる。
こんな緊迫した時期に、呑気にドラコに頬ずりをする炎夜。
だが、気を張ってばかりでは疲れるだろう。
たまにはこういう息抜きも必要だ。
「ドラコちゃん、お姉ちゃんが作ったミルククッキー、食べる?」
「うわあ、おいしそうです! ほしいです! 食べてもいいんですか?」
「どうぞ、召し上がれ」
「わあ、ありがとうございます!」
ドラキュラってクッキーを食うのか。
初めて知った豆知識に、ニコラは少々戸惑いを感じる。
「あ、血の池印のトマトジュースもありますか?」
「あるよ。地獄だと安く買えるし、美容にもいいから私が持ってるわ」
「ほしいです!」
「はい、どうぞ」
「うわあ、みんなやさしいです! ありがとうございます!」
お前は漫画のキャラクターか!
トマトジュースでいいのか!
目の前で展開する、よく分からない吸血鬼の姿に、ニコラは軽い頭痛がする。
だが、そんな彼の心を見透かしたように、プレゼント袋はプラカードを出す。
『バハリン、いりますか?』
「いや、別にいいよ。とりあえず、こいつのスーパーなごみタイムもすぐ終わるだろう」
「んぐっ! んー、んー、ぷはあ。のどに詰まっちゃいました……」
「ゆっくり食べていいよ。まだ沢山あるからね」
「はいー。でも、あまりゆっくりしてるとベルさまに怒られちゃうのです」
そう言って、彼女はきょろきょろと辺りを見回し、ニコラを見る。
「ニコラさんは、あなたですか?」
「そうだよ」
「わたしは、あなたに降伏するよう伝えにきたのです」
「なるほど、和平の使者か。条件は?」
「魔界の副帝、ベルゼブブさまの息子であらせられる、ベルさまの配下になることです!」
満面の笑みで、嬉しそうに語るドラコ。
だが、ニコラの顔は無表情だ。
それに対して、あれ? なんで喜んでないの? と、ドラコは不安になる。
「ベルさまはやさしくてカッコよくて、とってもステキなんですよ!」
「で?」
「それでですね、なんと今なら、ドラコがあなたのじょうしになるんです!
ドラコ、しゅっせするんです!」
ぴきぴきと、ニコラの額に血管が浮かび上がる。
こんな幼いぱんつドラキュラの手下になる。それが和平の条件だと?
あからさまな挑発じゃないか。
こいつ自身は気付いていないだろうが。
「えーっと、んーっと、今ならお給料が毎月十八万ヘブンに、血の池印トマトジュースを一日一本付けちゃうんですよ!
すごいのです!
ドラコのお給料なんて、毎月千五百ヘブンに、血の池印トマトジュースが五本だけなのです!」
「小娘、お前のそれは、一般的に言う『おこづかい』じゃないのか?」
「あー、ベルさまが毎月くれるお給料袋に、そんな五文字が書いてありますね。
これは魔界ではお給料と同じ意味なんだって言ってましたよ」
騙されてるぞドラコ。
お前、全力で騙されてる。
炎夜はハンカチで涙を拭い、ナナは呆然として笑顔が引きつっている。
見た目も子供だが、中身も生活も、どうやら本当に子供らしい。
「ねえドラコちゃん、歳はいまいくつ?」
「ことしでちょうど百歳です!」
元気いっぱいに両手の指を広げて言う。
一本の指で十歳なのだろう。
「私は百五十歳だから、私の方がお姉さんね! さすが私、閻魔の娘は伊達じゃないわ!」
「うわ、ドラコまけたのです! せんぱいです!」
「いや、歳とかどうでもいいだろう。とりあえず、返事だが」
「はい!」
「悪いけど、僕の上司はサンタクロース一世しかいないんだ。そこで、これを君にあげよう」
ニコラはプレゼント袋に手を入れると、血の池印トマトジュースの、二四本入りケースを取り出した。
その瞬間、ドラコの目はぱあっと輝く。
「いいんですか?! 二四本も入ってますよ?! ドラコの五ヶ月分の給料ですよ?!」
「ああ、ドラコにもメリークリスマスだ。
これは良い子の君に、サンタからのプレゼントさ」
「ドラコ、がんばってこれからもよいこになります!」
「そうだな、ベルとやらにも宜しく伝えてくれ」
「はい!」
ニコラが頭をわしわしと撫でると、ドラコは元気いっぱいに返事をする。
彼女はトマトジュースのケースを抱えて、ベルがくれた帰還用の羽を付けると、何度も振り返りながら、大きく手を振って、空の彼方へと消えていった。
「ねえニコラ、いい子だったね」
「ああ、こんな場所には不釣り合いすぎる程にいい子だ」
「悪魔は必ずしも悪い人ばかりじゃない。
元は神霊や大天使だった者も多いわ。
ただ、神や精霊達の中でも、上の腐った連中のやり口に嫌気が射して、堕天しただけ。
私達が戦おうとしているのは、文字通りの悪魔じゃないし、絶対的な正義の化身でもない。
ニコラ、それだけは覚えておいて。
人間も神も悪魔も、大して差は無いということを」
「戦うのに理屈なんて考えない。終わったら握手をして、抱擁を交わせばいい。
今は殺し合うだけさ。
それだけが、お互いを分かり合うコミュニケーションなんだ」
ニコラは苦笑して、二人の顔を見る。
戦いはまだ、始まりを告げたばかり。
自分は大切なものを守れるのだろうか。
守り抜く事ができるだろうか。
全てに勝って生き残り、笑って抱きしめあえるだろうか。
「ねえ、話し合いで分かり合えないのかな」
「分かり合えないんだよ。
人間も神も悪魔も、きっとみんないい奴で、たまに悪い奴がいて、不器用で滑稽で、一生懸命で格好悪い。
けれど、全力で失ったり手に入れたりしたら、その後に分かることもあるんだ」
「男の子だよねえ、ニコラって」
「でも、そんなサンタクロースが好きなんだろう、炎夜?」
「そうね。生きて帰って、私はあなたをムコにする」
「私、負けないよ。炎夜さん」
「恋にライバルは付き物。
けれど、まずは今を生き残るため、お互い協力しましょう」
「賛成ね」
甲板の上で笑い合う三人。
命懸けだからこそ素直になれる。
これから始まる戦を前に、ほんの少しだけ分かり合えた気がした。