第10章 星に願いを! かけたら家が全壊した
クリスマスにはほど遠い、少し温かな小春日和の町を、ナナは買い物袋を抱えて歩いていた。
翼と耳は隠し、昔ニコラが買ってくれた、お気に入りのえんじ色のベレー帽を被っている。
街角から流れてくる少し陽気な音楽。
通りを行き交う人達の、元気な声と笑顔が彼女は何よりも好きだ。
「こんにちはナナちゃん、久しぶりだねえ。元気にしてたかい?」
「アナスタシアさん、こんにちは! 今日はいい天気ですね」
「そうだね。今日は旦那も上機嫌で、ウォッカも進むって言ってるわ」
「晴れても降ってもウォッカが進む、でしょう?」
「あははは、そうだね♪」
手を振り、なじみにしている酒屋のおばさんと挨拶を交わす。
何気ない光景。いつも通りの町並み。けれど、もうすぐここともお別れだ。
さっき、ニコラから連絡があったのだ。
二千億ルーブルという巨額の金を手に入れ、今夜はモスクワの石油王と一緒にディナーを共にするらしい。
ニコラはさらに巨額の資金を手にして、意気揚々と帰ってくるに違いない。
おいそれと、早くに帰っては来ないだろう。
午前様かも知れない。ウォッカでべろんべろんになって、頭痛をさせている事だろう。
だから、酔い覚ましにオニオンスープを作っておく。
ニコラが頑張っている中で、私にできることは何かな?
そう考えた時、答えはとてもシンプルなものだ。
疲れて帰る彼が一番欲しいものを用意して、お帰りなさいを言ってあげる。
徹夜だって平気。
商売相手と一緒に飲むお酒なんて、美味しいものじゃない。
けれど、楽しく飲んでいる振りをして、大切な言葉を引き出さなければならない。
「美味しくできるかな、オニオンスープ」
人気の無い空き地に出ると、辺りを確認し、夕日をいっぱいに浴びながら翼を広げる。
飛び立つ時には、夕暮れの空気を胸に吸い込む。
次にこの町に来るときまで、それを忘れてしまわないように。
大空を自由自在に羽ばたきながら、くるりと輪を描いてみたり、時には宙返りをしてみる。
アクロバット飛行はストレスの解消になるのだ。
と、その時だった。遠くでキラリと何かが光る。
「あれ? 流れ星かな」
とっさに願い事を三回言うことを思い出し、心の中で必死に呟く。
ニコラがこの戦いに勝てますように、と。
神や仏、悪魔や精霊に最も近い、いや、そのもののはずであるナナにとっては、偶然を創り出す超自然的な現象、運命こそが神に等しい。
この世界の誰もが唯一わかり得ない事、それは未来だ。
だからこそ、ニコラが勝利する未来という、可能性は絶対に存在している。
限りなくゼロに近い一%でも、それは必ずある。
買わない宝くじは当たらないように、受験しない大学は合格しないように、まず始める事が大切だ。
そして今、ナナができるのは祈りだけ。
神にさえ祈ることができない彼女は、流れ星のように曖昧なものに、願いを託す事しかできない。
もし不安を顔に表せば、きっとニコラに迷惑が掛かる。
怯えるような素振りを見せれば、彼の仕事の足手まといになるだろう。
だから彼女は気丈に振る舞う。
けれども彼女はすがりたい。
恐れ怯えて涙を流し、部屋の片隅にうずくまってしまいたい。
怖くて怖くて仕方が無くても、まるで気付かない振りをする。
強がり、胸を張り、気丈な笑みを投げかける。
死ぬのは怖い。
けれど、独りぼっちになってしまうのはもっと怖い。
だから星に願いを掛ける。
神以外への神頼み。
星に願いを。
「あれ、流れ星がうちの方に向かってる?」
光の玉は、徐々に大きさを増している。
明らかにそれは近づいていて、自分達の住んでいる家の方に向かって飛んでいる。
これはひょっとして、すごくやばい?
そう思った次の瞬間、家の方からきのこ雲が立ち上る。
「きゃあああああああああああああ?!」
無惨に空に響く叫び声。
ちょっと待って! 家を破壊してなんて願ってない!
全速力で近づいてみると、そこにあるのは無惨な姿になり果てた、ニコラとナナの家の跡。
ぷすぷすと音を立てる黒い炭。
周辺一帯は黒こげになって、見るも無惨な光景だ。
地面に降り立ち、呆然としてひざを突く。
これからニコラを迎えてあげるはずの家が無い。
お帰りを言ってあげる場所が、もう無いのだ。
呆然として、言葉が見つからない。
自分の中の何かが壊れた。
一雫の涙がこぼれ落ち、大地を濡らす。
だが、途方に暮れている場合ではない。
すぐに前に向き直り、ナナは立ち上がる。
この惨状をどうするか?
まずそれが肝心だ。
辺りを見渡した時、がれきの下から何かがもぞもぞと動くのを見つけた。
やがてにょきりと突き出す、それは人間の白い腕だ。
「けほっけほっ、この私が着地を失敗するなんて……」
見知らぬ少女が姿を現す。
偉そうな帽子と、着物なのか洋服なのかよく分からない衣装に身を包んでいる。
どこかで見たような気もするが、どこだっただろうか?
と、疑問に思っている場合ではない事に、はたと気付く。
彼女を助けなければ!
「大丈夫ですか?!」
「ふふふ、六道炎夜がこの程度で死ぬわけがないのよ!」
ナナの存在に気付いた炎夜は、痛いのを我慢して胸を張る。
本当はちょっと、いや、かなり痛い。
死なないだけで痛いのは痛い。
けれども泣かない、それが閻魔大王の娘としての勤め。
と思った瞬間、さっきの爆発で舞い上がっていた石の破片が落下してきた。
それは炎夜の後頭部にクリーンヒット。
変な叫び声を上げて、彼女は前のめりに倒れる。
「大丈夫……ですか……?」
「うおおおおおおおおお! 痛いの痛いのとんでいけーっ!」
それで治るのか。
ツッコミしたい気持ちを、必死になって呑み込む。
ナナとしてはどうしていいか分からず、がれきの中から救急箱を探す事にした。
だが、こんな状態の中では救急箱など見つかるはずもない。
ただ、先ほどの爆発に巻き込まれてもほぼ無事な事から考えて、人間ではないだろう。
きっと大丈夫に違いない。
とりあえず大丈夫。
たぶん平気。
そう思う事にして、彼女に話し掛ける。
「ところで、今降ってきたのはあなたですか?」
「降ってきたんじゃなーい! 降臨し損なっただけ!」
それ、降ってきたのと同じですから。
思っても言わない方がいい気がして、黙っておく。
「私は地獄界を治める閻魔大王の娘、六道炎夜。
あなたはサンタクロースのところに居候している、ナナさんかしら」
「あ、はい、ナナです」
「よーし、私の勘は当たってたわ!
こっちの方からサンタの匂いがすると思ったのよね!
やったー、万歳! 私すごい! きゃっほう!」
ガッツポーズ、さらにターン。
そのまま太陽に向かって飛び上がる。
全身で喜びを表す炎夜だが、ナナの目は極めて冷静に周囲を見渡し、もう一度炎夜に注がれる。
「ところで炎夜さん、大変申し上げにくいんですが」
「何かしら? 何でも言って」
「家、弁償して下さいね♪」
「そんなこと、できるわけないでしょう♪」
満面の笑みで語りかけるナナ。
それに対し、空っぽの財布を見せながら、眩しい笑顔で返す炎夜。
その日、ナナは初めて他人に対し、力一杯コブラツイストを掛けたのだった。