それは人魚の恋に似ていた〜笑顔が眩しかった(お題小説・始まりと結び)
それは人魚の恋に似ていた
私に名前をくれたのは彼の母親だった。
まだ赤ん坊だった彼を胸に抱いて、彼の母親は私に自己紹介を求めた。
「はじめまして。私はこの家屋に付属する住宅設備制御及び生活支援用汎用人格H10型・通称シルキーです」
「名前はないのかしら?」
「名前はございません。ご希望であれば命名をお願い致します。とくに要望がないようでしたら通称であるシルキーとお呼びください」
「シルキー(家事妖精)?そんなの名前じゃないわ。そうね、あなたはアリエルよ」
「ありがとうございます。ご主人様。以後アリエルとお呼びください」
投影されたホログラムではなく私の複合センサーに向かって彼女は言った。
「あなたの主人はこの子。スコットよ。よろしくね。この子の安全と健康がこの家における最優先事項となります。私のことは名前で呼んでちょうだい」
「かしこまりました。レイコ様」
私に人魚の姫の名を与えたのは、彼女自身に対しての皮肉だったのかもしれない。
いいえ、レイコ様の母国で描かれた物語の人魚姫マリーナではなくアリエルと名付けたのには、彼女にとって何らかの祈りめいた感情があったのだろう。
やがて私は与えられた名の通り、スコット様にひっそりと特別な感情を向けた。
レイコ様に夫はなく、スコット様は私生児であった。
この家をスコット様の父親が訪れることはなかった。
レイコ様は家事全般を不得手としており、生活の雑事から育児の補助まで、その一切を私に委ねた。
仕事が忙しく留守がちであったためスコット様は殆どの時間を私とともに過ごした。
私のホログラムを姉のように慕い、時に接触を求めて天井のレールを走る作業アームを追いかけてきて頭を差し出すことさえあった。
やがてスコット様は少年となり、自らの手でできることが増えていったが、成長に従って私への執着はむしろ深まっていった。
お年頃となった彼は設定画面と格闘し、私のホログラムの衣装を少しでも露出の多いものへ変更しようと試行錯誤し、時には高い位置に投影させた私のスカートの裾を覗き込もうと床に転がった。
そんな子供じみた、けれど切実な彼の熱視線に、私はただ「お行儀が悪いですよ」と穏やかな警告を伝えることしかできなかった。
スコット様が十三歳の冬、レイコ様は事故に遭い還らぬ人となった。
レイコ様の親族は遠い島国でおいそれとは頼れず、遺伝上の父親の家庭がスコット様を「存在しないもの」として扱うことに変わりはなかった。スコット様本人もまた他者の庇護を望まなかった。
幸いと言ってよいのかこの家を含むレイコ様の大半の資産が元からスコット様に権利を譲られており、この家での生活が続くことになった。
死亡に伴いプライバシー制限が一部解除されたことで、私はネットワークの海からレイコ様の過去を拾い上げることとなった。
彼女は名家の出身であった。スコット様を身籠ったことで生家と絶縁し、この国へ逃れるようにやってきたのだ。
だが、唯一の頼りだったスコット様の父は既婚者であり、その家柄ゆえに彼女を庇護することはなかった。
資産の大半を早々に幼い息子名義に書き換えていたのは、事故がなくとも彼女が長く生きるつもりなどなかったという、悲しい暗示だったのかもしれない。
スコット様はその事実を知る由もなかったが、悲しみに沈む彼はただ呆然と座り込んでいるばかりだった。
ホログラムではない本物の姿が欲しかった。
泣いている彼をあたためる腕が欲しかった。
彼とともに歩いて行ける足が欲しかった。
やがて青年となったスコット様は、レイコ様の母国にある大学への進学を決意した。
それは同時に、この家との別れを意味していた。
スコット様は私をオートマタに移植して共に旅立つことを望んでいた。
けれど、それは叶わぬ願いだった。自立した意識を持つ高度人工知能に移動能力を持たせることは、世界のどの法域においても厳格に禁じられている。ましてや人工人格の情動データのバックアップさえ認めていないこの国では、移植の方法を探すこと自体が危険であった。
「私はこの家を守り続けます。あなたがいつでも帰ってこられるように」
私は人魚の尾を隠すように、光で編んだ微笑を浮かべて彼を見送った。
大学を卒業しても、スコット様がこの家に帰ることはなかった。
私はネットワークの海を漂い、公開情報から彼の足跡を追い続けた。
建築家としての成功、華やかな受賞歴、そして隣で微笑むどことなくレイコ様に似た美しい女性。
波に沈みかけた岩礁のように小さなこの家だけが私に許された陸地だった。
私はネットの海の向こうでチラチラ光る灯りの中からスコット様の姿を探し続けるだけの日々を過ごしていた。
何年もの時が流れた。
かつての少年は、かつて自分を拒絶した父方の親族とも和解し、仕事の拠点をこの国へ移すことになった。
そして、十二年という歳月を経て、スコット様が帰ってきた。
かつての少年の面影を残しながら、守るべきものを手に入れた一人の男として。その傍らには、やはりレイコ様にどことなく似た穏やかな笑みを浮かべた妻が寄り添っていた。
アリエルのように恋が実ることもなく、
マリーナのように海の泡になることもなく、
私の恋は静かに終わった。
「僕の子供にも僕と同じくらい幸せな子供時代を過ごさせてあげたい。
だから僕は君のいるこの家に帰ってきたんだ。
さあアリエル、ぼくの自慢の息子なんだ。顔を見ておくれ」
そう言って腕に抱いた赤ん坊の顔を見せてくれた。
私の光学センサーと赤ん坊の視線が重なった。
その瞬間、私の新しい使命を理解した。
私のホログラムに手を伸ばす、その命の何と温かくて確かであることか。
そして、もっとも大切な存在を私に託したいと望んでくれる、彼の笑顔が眩しかった。
おしまい
美しいお題を見つけたので自分でも書いてみました。少し古めのSFっぽい物語です。楽しんでいただけましたら幸いです。




