18:ウルク魔境巣窟前夜──ゲビルの過去 その2
「ズィーラ・ヴェルキュリスは、魔術機能障害と診断された」
部屋に響いた声。
机の向こうに座る女性は、椅子を静かに回し
ゲビルの方へ向きなおす。
演習場で起きた事故の後。ゲビル・クニャージは、
事情聴取という名目でここ──軍学校の最高責任者がいる執務室へと通されていた。
同じ場にいた教官は、監督官と共に別部屋へ移り指導を受けている。
「神経回路の断裂、とくに右腕は損傷が酷い。
後遺症として、一部麻痺が残るそうだ」
「ッ……」
その言葉に、ゲビルは唇を噛みしめた。
「魔術が使えない以上──ヴェルキュリスには退学してもらう他ない」
静かに告げられた通達。
そこで沈黙を守っていたゲビルが、
初めて口を開く。
「……ヴェルキュリスさんは、なんと言ってるんですか?」
対面にいる女性の視線が、一瞬だけ揺れた。
「……何も。
あの傷を受け入れるには、時間が掛かる──」
──魔女を食らった魔女。
その歪められた噂は、すでに校内で知らない者はいなかった。
執務室を出た後、ゲビルにはしばらくの謹慎処分が下された。
重い足取りのまま、自室に戻ろうと通路を歩いているその途中──
「お前か。演習場で仲間を食い散らかした裏切り者は」
知らない声が、彼女の背中に突き刺さる。
振り返ると、見覚えのない生徒たちが立っていた。
「ちょっとレベッカったらやめなよ〜」
「そうそう、構う価値ないよ」
軽い調子で笑う二人。だがその目は冷たい。
「お前らも言ってやんな。この仲間殺しの裏切りもんによ」
その二人の間に立つ、レベッカと呼ばれた赤髪長身の女性がゲビルを責める。
それを見ていた、周囲の生徒たちの視線が集まる。
彼女に逃げ場はない。
「?なんだ、そのツラ。殺る気か?」
レベッカの挑発。それに対してゲビルは、
「──私は……助けたかった」
本心だった。
だがら心の内を吐露する彼女を踏み潰すように、それは続いた。
「あ?なんだって?殺したかった?」
「私は──!ヴェルキュリスさんを助けたかっただけ!」
感情に任せた叫びだった。
「助ける?……お前が?」
その言葉に、嘲るような声で笑うレベッカ。
「どの口が言ってんだ。結局その行いが、アイツの未来を潰してんじゃねえか。
魔術の使えない魔女は、ここでは必要とされねえ」
彼女の言うことは間違っていない。だからこそ、
ゲビルの心に深く突き刺さる。
そして、レベッカは断罪の言葉を告げる。
「魔女として──アイツはすでに死んだんだ」
「ッ!──」
──その瞬間、ゲビルの手が彼女の胸ぐらを掴んでいた。
そして赤く晴れた目で、レベッカを睨みつける。
──しかし、レベッカは怯まない。
「ま、元々成績はドベの落ちこぼれだったらしいからな。あの術式の暴走が良い例だ」
彼女との体格差は歴然。
ゲビルの抵抗はあまりにも小さくて、
「早かれ遅かれ、勝手に死ぬ運命にあった。
それにトドメをさしたのはお前だ──」
直後、パンッと乾いた音が響く。
ゲビルの手を叩き弾き、言い放つ。
「“悪魔”のクセに、人様の真似すんなよ」
そう吐き捨てた言葉に、蔑みが色濃く映る。
「ねえレベッカ?こんなヤツほっといて、行きましょう」
「ああ。──それと」
踵を返したレベッカ。立ち去る直前、
ゲビルを睥睨して呟く。
「居なくなって欲しいと思ってるのは、生徒たちだけじゃねえからな。
人を助けたかったら──さっさと辞めろ」
足音が遠ざかる。
その言葉は、ゲビルの耳にはたしかに届いていた。
レベッカが言った言葉、それがいつまでもゲビルの中で反響していた。
──助けたかった。ただ、それだけなのに。
握りしめた手は酷く震えていた。
♢♢♢♢♢
それからゲビルは、一歩も部屋を出ることはなかった。
謹慎部屋に隔離され、そこで生きることも死ぬこともせず、ボーッと椅子に腰掛けて虚空を見つめていた。
──コンコン。
そのとき、扉を叩く音。
──コンコン。
その音は、酷く遠慮がちで、
──コンコン
三度目のそれで、ようやくゲビルは気付く。
「……開いてます」
水を飲むことさえ忘れていたその声は、酷く乾いていた。
時が止まったように長く滞留していた重い空気も、ゲビルのその一言で塵が舞う。
扉が軋む。
入ってきたのは、彼女が助けたかった少女──ズィーラ・ヴェルキュリスだった。
「……失礼、します」
ブロンドのサイドテールに大きな黄緑のリボンは、彼女のトレードマークでありよく覚えている。
しかし以前より、少しだけ痩せた気がした。
──いや、そう見えただけだった。
なぜなら……彼女の右腕が、力無く垂れていたから。
「……どうされましたか?」
ゲビルは彼女から視線を外して答える。
部屋の隅を見つめる瞳は、恐怖で揺れていた。
「あの、今日、ここを出るので……その」
たどたどしく紡ぐ言葉。
煮え切らない言葉に、ゲビルはたしなめるように聞き直す。
「……なんの用ですか?」
「!あ、な、なので!その前にどうしても、
お礼を言いたくて……来ました」
その言葉を聞いて、彼女は思わず視線を動かした。
ズィーラは真っ直ぐとゲビルを見ていた。
視線が合う。逃げ場のない目をして。
「ゲビルさん、こんな私を助けてくれて、ありがとうございました」
「……何を、言ってるんですか」
乾いた声が漏れる。
「あなたは……魔術を失ったんですよ?
腕だって……まともに動くことさえ、もうない……」
言葉にするたび、彼女はまるで自分の事のように、胸の奥が締め付けられていた。
「あのとき、私なんかじゃなく、教官が止めていれば」
「死んでいましたよ、私」
そんな思いを知ってか知らずか、
ズィーラはあっさりと言った。
「術式が暴走して、自分がなにをしているのかも分からなくて……あのままだったら、きっと」
そこで言葉を切ると、
ズィーラは小さく息を吐いた。
「怖かったです」
「でも──止めてくれたのが、ゲビルさんで良かった」
「……やめてください」
彼女の真っ直ぐな言葉を、
ゲビルは、これ以上聞きたくなかった。
「私は、あなたから全てを奪った」
魔術、腕、学校、未来──
「それは違います。奪われたなんて思ってません」
ズィーラは一歩、踏み出す。
「確かに、魔術は使えなくなりました。それに腕も……もう元には戻らないと思います」
そう言い、動かない右手をそっと左手で支える。
その仕草はゲビルが見たかった光景ではなく──
気付けば涙が頬を伝っていた。
「でも、それでも良いんです」
「……どうして」
掠れた声の後、
ズィーラは笑ってみせた。
「だって私……生きてますから」
視界が歪む先で見えたのは、
少しだけ、不器用な笑顔だった。
「魔女としては失格かもしれません。
でも、人としてまだ生き続けられる」
その言葉に、何も返せない。
適切な返答が思い浮かばないゲビル。
しばらくの沈黙が流れた後──
「ゲビルさん」
名前を呼ばれてビクリと肩が揺れる。
「助けてくれて、本当にありがとうございました」
深く頭を下げるズィーラ。
その姿は、あまりにも真っ直ぐで
「……やめてください」
(そんな顔で、言われたら……)
出ない言葉を絞り出してゲビルは伝える。
「私は、あなたを救えていない……」
ゲビルはこの空気に耐えられずに、逃げるように俯いた。
そして長い沈黙の後、
聞こえてきたのは、柔らかい声だった。
「いいえ」
顔を上げると、すぐ近くにはズィーラがいた。
「私は救われました──誰がなんと言おうと、です」
迷いのない目をして、ゲビルを見つめていた。
「……ゲビルさん。どうか、自分を責めすぎないでください」
それだけ言うと、彼女は一歩引いた。
扉へと向かうズィーラ。
返す言葉は、出なかった。
そしてドアノブに手を掛けた彼女は、
少しだけ振り返って、
「それじゃあ……行きますね」
優しくそう言うと、扉が閉まった。
──その部屋には、静寂だけが残された。
部屋には、ページの捲られていない本と、行き場を失った感情。
ゲビルは手で顔を覆う。
涙として溢れる感情を抑えるために。
──助けたかった!それだけなのに!
胸の奥に残るのは、消えない痛みだけ。
「──助けたいのなら、最後までその責任を持て」
不意に声が聞こえた。
閉まっていた扉。それが今は開いている。
差し込む陽の光を背に、その人影は入口に立っていた。
「私には、救えなかったから」
逆光で表情は見えない。
だが、その声は聞き覚えがあった。
「……あの場で唯一、ズィーラ・ヴェルキュリスを救うことが出来たのは──お前だ。
冷静な判断力と自分を信じて疑わない心。
そしてそれを実行出来る強い意志は、
あの勇気ある行動に繋がったんだ」
それは、とても静かな声だった。
責めるでもなく、慰めるでもない。
ただ、真実を述べる声だった。
「……私は、教官という立場でありながら、彼女を救えなかった。
──ゲビル・クニャージ。まだ間に合うぞ」
その言葉に、ゲビルの肩が揺れた。
「アイツを──助けなくていいのか?」
迷いは──ない。
ゲビルを顔を上げて、何も言わずに、ただ一直線に。
教官の横をすり抜けて、部屋を飛び出した。
廊下を全速力で駆ける。
走り慣れてない足音が辺りに響く。
息を吸うのも忘れて、呼吸が荒くなる。
それでも彼女は止まらなかった。
「……私は、教官失格だな」
その背後で、ポツリと声がした。
だがゲビルには、振り向く余裕はなかった。
階段を駆け降りて、校舎を抜ける。
視界が広がったと同時に、それに追い付いた。
正門前で、その背中を見つける──
「ヴェルキュリスさん!」
声が裂けるように飛んでいく。
それに気付いたズィーラは、足を止めた。
息が切れて、呼吸も乱れる中で、
ゲビルはそれでも、言葉を絞り出して伝える。
「私に!もう一度だけ!」
「あなたを助けるチャンスをください!」
♢♢♢♢♢
「もう一度だけ、ズィーラ・ヴェルキュリスに憲兵魔女になる資格があるかどうか、
リベンジさせてください」
あの日、教官に言ったその言葉が、運命を変えた。
あの後、ゲビルたちは教官を巻き込んで、
一日限りの猶予をもらえた。
捧げるのは──全員の除籍処分。
職場であるこの軍学校を辞めて一番苦しいであろう教官は、
「まあ……仕事は、探し直せるから……」と、
心のどこかですでに諦めてる声をして言った。
その背中にかつての威厳はなく、士気を下げられた気分だった。
(……それでも教官ですか!)
ゲビルは心の中で噛み付く。
だが、それでも教官は、ゲビルたちを見捨てることはしなかった。
──憲兵魔女を志す者として、この国を護れる魔女ズィーラ・ヴェルキュリスに、
私が証明してみせます──
一日だけの猶予。時間は二十四時間。
迷っている暇はない。
ゲビルは、自分の脳内で練った構想を要約して、
手短に二人に伝える。
魔術を失えば、別の形で再現すればいい。
──呪印による再構築。
術式を直接身体に刻むのを利用して、再び魔術と同等のモノを扱えるようにしようという計画。
だが、
「ゲビル・クニャージ。それでは足りないぞ。
呪印では魔術を越えられない」
その通りだ。
既存技術として、魔術の核──大罪欲を呪印構成に組み込み、擬似的に魔術を扱える方法は存在している。
ズィーラのマナディザイアは、私と同じ《色欲》。
構造も性質も理解している。
だがそれでは、ただの代替魔術。
国を護るソーサレスとしては、とても戦力不足だ。
だから私は別口からアプローチする。
「──現世階級を術式に組み込む」
「げんせ、かい?」
「……ゲビル・クニャージ、マジで言ってるのか?」
現世階級──それは魔女の奥義。
属性の境界が存在しない未分化の魔術概念──“原素混沌”を体系化した、
純粋な攻撃特化魔術。
大罪欲を基盤とする魔術が“応用”ならば、
現世階級は原素混沌を基盤とした”破壊“。
魔術の一括りで語られる事が多い現世階級だが、その役割は異なり、
「術者の素質頼りの不安定な魔術だが……」
「ヴェルキュリスさんなら大丈夫です。私の術式構築は、その人に合わせたモノですから」
構築に組み込むのは、一発限りの必殺技。
ズィーラ・ヴェルキュリスを、固定砲台にしようというトチ狂った計画だった。
敵を一網打尽にする固定砲台──大技使いの魔女として生まれ変わらせる。
それは、ズィーラの本質を見抜いた上での選択だった。
ゲビルは、あの術式の暴走を見て気付いた。
ズィーラ・ヴェルキュリスの素質──”莫大な欲“を秘めていることに。
ズィーラは不器用で、技術や要領の悪さが影響して成績は最下位。
座学の点は悪くなかったが、それでも効率の良い勉強は出来ていないため、赤点ギリギリではあった。
だが、彼女が優れているのは、目には見えない。
「ヴェルキュリスさんってエッチですよね」
「えっ?!」
実はゲビルは知っている。
彼女がいつも猥書を隠し持って、時間があればそれを読んでること。それと自作の作品を発表していることに。
「な、なななんでそんなこと、知ってるんですか!
──ハッ!」
彼女の顔は一瞬にして真っ赤なり、それからしばらくの間、バタバタとそれを否定していた。
そして、呪印構築を行う部位を決めるとき。
「このとてつもない術式の量だ。
……やはり右腕か」
教官は、ズィーラに対して申し訳なさそうに告げる。
動かなくなったズィーラの右腕だが、
静脈の具現化による補助により、
日常生活に支障のない程度まで戻れる、リハビリが存在する。
この右腕は、完全には死んでいない。
……のだが、ズィーラ本人の執拗なお願いにより、右腕を代償に、手首から肩まで埋め尽くされるほど刻まれた呪印の術式。
これほどまでの呪印を刻む魔女は、過去一人として存在はしない。
何故なら、呪印構築の際の、神経断裂のデメリットがとても高いため。
しかしゲビルは完成させる。
それはもはや人の腕ですらない、
──”悪魔の右腕“を。
そして──悪魔とその右腕。
二人の異名は、校内に広まっていく。
異端
異質
異常
──だが、確かな力を持つ存在として、
この日を境に、彼女たちは生まれ変わる。
そして、卒業してから二人の活躍が語り継がれるのは──
また別のお話。
博識!ゲビルちゃんの一口メモ。
【ズィーラ・ヴェルキュリス】
私の同期であり、唯一親友と呼べる魔女です。
猥書を持ち歩く変態さんであり、とても気弱な性格をしています。
現在は、夜間哨戒班のヴェルキュリス班を率いている隊長さんで、破壊の魔女と呼ばれている有名人。
愛称はズラちゃんですが、何故かこの呼び方に本人はモヤモヤしてるそうです。




