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第16話 何て書こうか、卒業文集

 三月に入った。だが、今までとは何かおかしいことに、ヤスノリは気が付いた。そうだった。卒業生を送るお別れ遠足の案内が、いつまでたっても無いのだ。

 去年までは三月に入ればすぐにお知らせがあったのに……。

 ヤスノリの思いと同時に、クラスの皆がそのことに気付き始めた。けれど、この間の体育館の一件のせいか、道化者のゾッピでさえ、お別れ遠足のことを河上先生に聞こうとはしなかった。

 やはりあの体育館掃除事件が尾を引いているのかな。あの事件の罰として遠足は取り消しってことになったのかな……。

 あると思われたはずのお知らせの無い帰りの会を終えて、ヤスノリは何となく重い足取りで家路に就いた。広い土間へと続く玄関の戸を開けると、いつも尻尾を

振って飛びついてくるシロは、様子の違うヤスノリに、きょとんとしている。

 靴を脱いで、居間に上がると、母は浮かない顔のヤスノリに気が付いて言った。

「どうしたの?」

 ヤスノリはうつうつとした胸の内を話した。

 母は、なんだ、そんなことだったの、と言った顔で答えた。

「ああ、お別れ遠足ね。あれはもう今年からは無いのよ」

 ええっ? と驚いた顔で、ヤスノリは母を見る。

「だって遠足があれば、どうしてもいろいろと準備をしたりしなきゃいけない

でしょ? お弁当を作ったりとか……。だからもう廃止にしよう、っていう声が、PTAの間で前から挙がってたの。それに行き先が極楽浜でしょ。あそこだったら、いつだって行けるし、だいいち、三年生の遠足の行き先と同じじゃない。子供たちを見ていたら、あまり嬉しそうじゃないから、もうやめよう、ってことに

なったのよ、今年からは」

 なんだ、とヤスノリは安堵感を覚えた。

 僕たちのせいで遠足が取りやめになったら、クラスの女子や下級生に対して後味が悪すぎるもんな……。

「先生は、はっきりと『お別れ遠足はもうしません』、なんて口に出して言ったりしたら、せっかくの卒業気分が台無しになると思って、わざとそのことには触れないでいるのよ、きっと……」

 それを聞くと、ヤスノリは急に空腹感を覚えて、母に聞いた。

「ねえ、母さん。今夜の夕食って、何?」


 水床島小学校の卒業写真は生徒数の少なさのためか、集合写真ではなく、一人一人一枚ずつ撮る個人写真になっていた。

 学校で写真を撮った後、今度は文集に載せる二十字以内の卒業メッセージを書くための七夕の短冊のような原稿用紙が配られたが、よく見るとその用紙というのは、不用になった、低学年用の一行十文字の漢字練習帳から二行分をていねいに切り取ったものをひな型にして人数分だけコピーしたものだった。

 ヤスノリは渡された短冊のような原稿用紙をランドセルに入れると、ミツアキと一緒に家に帰った。

「文集、何て書こう? お前、何か思いついた?」

 歩きながらミツアキに聞く。

 いや、まだだ、とミツアキは首を振る。

「何か書くことが決まっても、何て書いたのかは、文集をもらうまでお互い内緒にしようぜ。その方が面白いだろ?」

「ああ、それがいいな」

 歩きながらミツアキの家でもある島の駐在所の前まで来ると、じゃあな、と

言って二人のいとこは軽く手を振り別れた。


 さて、卒業文集になんて書こうか。

 家に帰ると、ヤスノリは自分の部屋の机でほおづえをついた。

 小学校の卒業文集と言えども一生ものだ。やはり記念になるメッセージを残しておきたい。僕の人生に刻印するような……。

 そう思い始めると、妙に欲が出てくる。一つの言葉が思い浮かび原稿用紙に書こうとすると、いや、待てよ。他にもっといいメッセージがあるかもしれない、と思い始め、なかなか決まらなかった。

 ヤスノリが、まるで作家のように考えあぐねていると、この前、母が、魔法よ、と言って水床島の海の水で作った天然の塩を手のひらに載せてくれたことを、ふと、思い出した。

 魔法か。メッセージがすらすら思い浮かぶ魔法の呪文でもあったらなあ……。

 ふとそう思ったとき、ヤスノリの頭にひらめくものがあった。

 そうだ、呪文だ。

 学校でもらった二十字の原稿用紙に鉛筆を走らせてみる。

「お月さん、いっつも桜色。水床島だけのひみつ」と書こうとしたが一字余って、最後が、「ひみつ」ではなく、「ひみ」になってしまった。

 ヤスノリは桜餅が好物だったので「桜色」の「桜」の字は知っていた。

 「桜色」の「桜」は「桜餅」の「桜」でよかったんだよな。だけど「ひみ

つ」って、漢字でどう書いたんだっけ?

 めんどくさいな、としぶしぶ机の本立てから辞書を取り、「ひみつ」という言葉を引いてみる。

 なるほど、「秘密」か……。「秘」は「のぎへん」に「必ず」って字で、「密」は「蜂蜜」の「蜜」の下の部分が「山」か、「虫」じゃなくて……。

 ヤスノリは以前、母から、うちは農家なんだから「蜂蜜」って字くらいは書けな

きゃね、と諭されたことがあった。正確に言えば農家で蜂蜜を作っているところは珍しく、ヤスノリの家では蜂蜜を作ってはいなかったが、母としては、何でもいいから理由を付けてヤスノリに少しでも漢字を覚えさせたいようだった。

 そんな訳もあって、難しい「蜂蜜」という漢字を頑張って覚えたのだが、

さっき、原稿に鉛筆を走らせて書いた、最後の「ひみ」の文字を消しゴムで消して、「秘密」と漢字で書くと、ちょうどぴったりに収まってくれた。

 よしよし、これでOK。

 卒業メッセージの出来栄えに満足したヤスノリは、書き上げた原稿を失くさないようにランドセルに忍ばせると明かりを消し、ふとんに入って目を閉じた。

 確かに「水床島だけの秘密」だもんな、こんな呪文を唱えてるのって……。

思いを巡らせていると、今夜も沖を行く黒潮のさざめきがはっきりと聞こえてくる。遥か沖のはずなのに、まるで耳元でささやいているかのような鮮やかなさざめきだった。

 ミツアキのやつは、何て書いたんだろう? まあ、約束通り、後で文集をもらうまで待ってみるか……。

 ヤスノリは眠りに入っていった。


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