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第12話 運動会

 十二月の第三日曜日。

 運動会の朝となった。生徒数が少ないこの小学校の運動会は毎年盛り上がりに欠けていた。参加人数が少ないため、島の青年団、農協、漁協の人たちや生徒の父兄らも運動会に加わったが、どちらかというと生徒よりも大人の方が熱心だった。

 父親と違ってスポーツがそれほど得意ではないヤスノリは、毎年この時期になると祈るような気持ちで、運動会よ、どうか雨で中止になってくれ、と天に願ったが、その願いは今まで一度も叶ったためしがなかった。この前の男爵芋の収穫で、まだ体中の筋肉が痛んで疲れが残っていたが、それにもましてハナに変顔を見られたこともあって、ヤスノリは気分が重く、今年はもう運動会を休むことにしよう、と心に決めた。

 一クラスに十一名と生徒数の極端に少ないヤスノリのクラスでは、恥をかいた相手、ハナとの距離感の短さが半端ではない。

 小学生でいられるのもあと数か月か。もう、さっさとここを卒業してS町の大きな中学校に入りたい。クラスにもっと大勢いるような……。

 ヤスノリは自分の家の二階の部屋の敷いたままのふとんの中で、ただぼんやりと思いにふけるのだった。

 八時五十分。家からは割合と近い学校のスピーカーから流れる運動会のアナウンスが聞こえてくる。校長先生の開会式の言葉が述べられている。

 始まったな……。

 ヤスノリは布団を顔まで掛けて、ほとんどふて寝のような睡眠をむさぼろうとしてみたが、かえって目が覚めてしまうのだった。

 しばらくすると、先生の、がんばれ、がんばれ、もっと、もっと、などという励ましの声がいやでも耳に入って来る。

 一年生の時の、初めての運動会はそれなりにワクワク感というものがあった。初めての玉転がしに、ほとんどビリに近かったが、懸命に走った徒競走。けれど、今ではもうそんな新鮮味などは無い。

 ハナは頑張って走ってるのかな……。

 あの変顔を見られてしまった事件があったものの、やはりハナのことを考えてしまう。ありがたいことに、朝食は母がおかゆを持って来て、寝ているヤスノリの枕元に置いてくれていた。

 今朝、具合が悪いから休む、と言うと、母は学校に連絡してくれた。

 何しろ、各学年に一クラスしかなかったので、「紅組白組対抗~」とか、「クラス対抗~」とかいったもののないこの島の小学校の運動会は、ヤスノリ一人が急に欠けたにしても影響は出なかった。その点は、皆の迷惑になる、という罪悪感を感じずに済んだので幸いだった。

 一階の電話口で、母が、具合が悪いので今日は運動会を休まさせていただきます、と言っているのが聞こえた時、別にこれは嘘じゃない、と思った。

 ヤスノリは具合が悪かった。体というよりは心の、だ。ほんとうにだるくて力が抜けてしまいそうだった。

「じゃあ、私たちはお昼からは運動会に出るから……」

 母はそう言っておかゆを枕元に置いた。両親は午後からの「父兄による徒競走」に参加するつもりだったのだ。

 ヤスノリはもうひと眠りすることにした。

 

 目が覚めてもしばらくぼんやりとした感じは抜けずにいた。

 父はヤスノリとは反対にスポーツが得意で、昔は運動会の花形だったらし

かった。   

 何にでも前向きに取り組まなければ気が済まない性分はその頃からのようだ。夕べも今日出場する「父兄による徒競走」のために結構走り込んでいたのだから。

 なんせ、昔の遠泳が今でも自慢の種なんだからな……。

 少しおなかがすいてきたヤスノリは起き上がると、まだ食べずにいた、枕元の冷えてしまったおかゆをレンゲで一口すくった。とろりとした米の舌ざわり。ほんのりとした塩味が口の中に広がる。

 遠くでチャイムが聞こえた。役場の時を告げるチャイムだ。机の上の置時計を見ると十二時を指していた。

 もうお昼か……。

 そういえば先生、最初の頃は、役場のチャイムと校内のチャイムを時々勘違いしていたっけ……。

 ヤスノリはなんだかおかしくなってきた。

 こうして一人きりでいると、さまざまな思い出が行き交いはじめる。楽しかった修学旅行。そして、その前に行われた宿泊訓練……。

 最近、ハナのことはできるだけ考えないようにしていたが、それとは別にふだん

考えまいと遠くに追いやっている問題が嫌でも思い浮かんで来た。好きにはなれない、父のあの行為だ。銀色の魚の形をしたワインのコルク抜きを手に取って昔の遠泳の思い出を重ねている……。

 もっと前を向けばいいのに……。

 だが、それよりも、もっと我慢を失いそうになったのは、遠泳を終えた夜に「銀の魚になった」などという歯の浮くようなことを語った、ということだった。

 そんなことって言えるものなのかな、ふつう……。


 どうやら父兄による徒競走が始まったようだ。学校で行われている運動会のアナウンスが聞こえてくる。

 やがてヤスノリの耳に、とどめをさすような言葉が入ってきた。

「がんばれ、がんばれ。……一等は中田さんのお父さん!」

 個人情報の保護、という言葉が無いくらいに水床島の島民の距離感は近い。島の皆が親戚のようなものだ。

 もう、最後の言葉はいらないだろう?

 この島に住んでいる「中田さんのお父さん」で、父兄参加の徒競走で一等が取れる「中田さんのお父さん」はヤスノリの父以外いなかった。

 今、聞こえてきた運動会のアナウンスを振り払うように、ヤスノリはうんざりとして首を振るのだった。

 

 運動会の翌日の月曜は代休で、ヤスノリは結局二日も時間を持て余して

しまった。

 月曜の朝、やっと気を取り直して二階から下りてきたヤスノリに、母はごはんをよそいながら言った。

「きのうの父さん、すごかったわよ。一等だったのよ、一等。あんたにも見せてあげたかったわぁ、走るとこ……」

 ……あのさ、僕がスポーツあまり得意じゃないことわかってて言ってるの? そういうこと……。

 ヤスノリは心の中でつぶやきながら、無言で、よそわれた茶わんを受け取る。

「父さんだけじゃなかったわよ。ミツアキ君も一等賞だったわ」

 運動会の実況中継では、生徒の場合は個人情報は保護されて、ミツアキ君が一等、などとアナウンスはしなかったが、それは生徒どうしの競争心をあおらないようにとの配慮からで、このあたりはいわゆる臨機応変というやつだった。

「あいつは走るの速いから。毎年のことだよ」

「ああ、それもそうだったわね……」

 ヤスノリは、ぶすりとした表情で朝食に箸をつけた。

「まだ具合がよくないのか」

 ヤスノリに取って頭痛の種である父が呑気に話しかけてくる。

「大丈夫だよ。明日は学校へ行くから……」

 物憂げになりそうなのを抑えながら答えるのだった。

 きのうはおかゆだけだったヤスノリが今朝は朝食をきちんと食べたのを見ると、両親はどこか安心したように畑に出て行った。

 

 両親がいなくなると、ヤスノリは自分でコーヒーを淹れることにした。この前、職員室で河上先生がブラックのコーヒーをうまそうな顔をしてすすっていたのが記憶に残っていたからだ。

 カップにインスタントコーヒーを一さじ落とし、ポットのお湯を注ぐ。

 あたりに香ばしい香りが立ち込める。

 ブラックって、うまいのかな?

 コーヒーにはちゃんとクリームパウダーを入れるのよ、といつも母親に言われていたが、今日は生まれて初めてブラックに挑戦してみる。

 うっ、

 一口飲んだヤスノリは、さっとカップを遠ざけるように口から離すと、舌の上で後を引いているブラックコーヒーの苦みを持て余しながら、クリームパウダーと砂糖を急いでカップに入れるのだった。

 

 翌日の朝になった。休みはもう終わりだ。

 ヤスノリの気分は重く、いつもよりもぐずつき気味で、母に何度も、学校に遅れるわよ、と言われた。とうとう母が気を利かせて、ミツアキの家に、あの子、今朝、調子が悪いの。構わないからミツアキ君たち、先に登校して、と電話を掛けるのだった。

 シロもいつもとは様子の異なるヤスノリを遠巻きにして見ていた。


 もうどうしようもない気持ちで、足を引きずるようにして一人でヤスノリは学校に行ったが、教室に入ると同時に、悪童たちに捕まった。

「運動会、ずる休みィ」

「調子はどう?」

 教室に入ってきたヤスノリを、ゾッピとタルケがすばやく見つけ、口の両端を耳まで届くくらいに顔をにやけさせながら迎えるのだった。

 だが、別にこんなことを言っても、彼らに悪意などはない。

「本当に具合が悪かったんだ」

 ヤスノリは席に着いた。

 嘘ではなかった。悪かったのは体ではなく心の具合の方だったのだから。

「エイプリルフールなら来年だぜ」

 ゾッピの声が飛ぶ。

「だから、嘘じゃないってば」

 ヤスノリは少し疲れた声で言った。隣を見ると、ミツアキまでもがにやにやしている。

 まあ、男の友だちって、こんなもんだよな……。

 ふとハナに目をやると、何も気が付かないふりをしてくれていた。

 こうして運動会の後、年末までただ日々は流れてゆき、年が明けた。


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