4話 作戦会議
「この度の作戦目的、よもや忘れておるまいな」
「は……」
薄闇の中、重々しい声が響いている。
声の主、その堂々たる体躯は岩山の如く鍛え上げられ、装束や肌を覆う古傷の数々が威容に華を添えている。
対するは、鋭い眼光を放つ若者。
魔物――彼ら自身は「魔族」と称する――というよりは、人間というべき姿だ。
「勇者なる2名、その抹殺」
その答えに、威容の主、「鋼食い」ゴーズは鷹揚に頷いて見せる。
「然り。人間どもの都市など、その添え物に過ぎぬ」
断言された内容に、青年は薄い笑みを浮かべた。
「結界門は如何いたしましょう」
「勇者どもの抹殺が成れば、結界門も砕けよう。万一残らば、破壊せよ」
「承知」
「アドラーよ」
自らの名を呼ばれ、青年は顔を上げた。
「これが終われば、お主の継承の儀も整おう。励めよ」
「金言、ありがたく」
口元を喜悦に歪め、アドラーは深々と礼をする。
居住まいを正し、退出したその背を見送り、ゴーズは深く息を吐いた。
「人間の血が混じった程度で、あれ程の逸材をあたら貶めるとは……魔族の矜持も墜ちたものだ」
歴戦の魔将は、言ってみれば武人だった。
彼の信じる魔族とは、強さをこそ身上とする兵である。
血筋などは考慮の外に過ぎず、力さえあれば、たとえ人間であろうと関係がない。
強さに重きを置くのは魔族に共通の価値観だったが、そこに「血」の概念が入り込んだのは、いつの頃からだったか。
「太祖とて、木の股から生まれたわけでもあるまい」
見るからに荒々しい容貌と対照的に、ゴーズの目には深い知性が宿っている。
昨今の魔族、中でも「純血」を称する者たちの思慮の浅さは、彼からすれば弱さの表れであった。
だが、正統性を実力ではなく、自らの父祖に求める心根を怯懦と言い切れる彼のような古き魔族は、もはや少数派になってしまった。
その意味では、アドラーのような「ハーフ」が魔族内で確固たる地位を築くことができれば、また潮目が変わるやもしれない。
そんな期待も、ないわけではなかった。
「あれも、継承さえできれば多少は落ち着こう。ふ……己がこうして部下の育成などを考えるようになるとは、な。クナッズよ、これも貴様の想定通りか?」
くぐもった笑い声が薄闇に響く。
その背後で、光の線が明滅していた。
「結界門……」
ウプアットからマカリアへ向かう途上で、アドラーはゴーズの言葉を思い返していた。
万一残らば、破壊せよ。
「閣下は、期待してくださっている」
その事実が、アドラーにとっては嬉しかった。
雌伏の時、と一言で表すには過酷すぎた下積みを経て、ようやく、ようやく巡ってきた良き上官との出会い。
そして、名もなき影ではなく、アドラーとして確固たる功績を上げる機会。
人間の都市、ヨウゲツは魔族にとっては目の上のたんこぶだった。
それは、マカリアとウプアットが人間にとってそうであるのと同じように。
結界門。
その名の通り、魔族にとって著しく不快な結界を生じさせる装置を、人間は各地の主要都市に配置している。
あのゴーズでさえ、結界内に長時間滞在すれば、不覚を取りかねないほどだ。
「だが、俺ならば……」
人間の血が混じる故か、アドラーには結界の効きが鈍い。
それは、かつて自身が証明したことでもあり、ゴーズに目をかけられるきっかけともなったことだった。
「閣下の作戦が成れば……勇者など物の数ではない」
噂に聞く勇者の実力がどうあれ、アドラーはその結果を疑っていなかった。
そのための準備は、すべて整えたのだ。
11万にも届く軍勢は、いかな魔族とて容易に揃えられる数ではない。
敢えてそれを見せつけることで、勇者をヨウゲツに呼び寄せる。
これは成った。
その数をもって、ヨウゲツが落ちるならばそれはそれで良いし……落とせずとも、勇者を都市へ釘付けにできるならば、それだけで目的は達せられる。
「凶星……」
呟き、魔族の青年はニヤリと口角を釣り上げる。
それは、勝利を確信した獰猛な笑みだった。
◇
カォン、という独特な音が辺りに響いた。
それとほぼ同時に、的にされていた岩が抉れる。
「お見事」
「……どうも」
拍手をするロンドに、光は少しだけ笑って礼を述べると、その手の拳銃のような武器――ロックガン、と光は呼んでいる――を、そそくさとしまい込む。
日課である武器の練習だが、いつまで経っても慣れることはない。
ティス以外の観客がいる今回は、尚更だった。
「いつ見ても不思議な武器だ。雷撃弾を放っているような感じもするが……」
「すいません、僕には魔力はないんで説明は……詳しいことはメルヴィル博士に」
「ああ、そうだったね」
メルヴィル。
ライト・メルヴィルという、マッドに両足と片腕を突っ込んだような技術者の名前に、ロンドは笑う。
実際のところ、これは嘘だった。
ロックガンはティスの手で創られたもので、博士にはそのように話を通しているだけ。
本当なのは、魔力がない、というところ。
カイセイにおいて、魔力を持たない人間、それは例外中の例外だ。
だからこそ、その点を軽く流してくれる目の前の騎士に、光は感謝していた。
「さて、じゃあ打ち合わせといこうか」
「はい」
ここでロンドが少年の日課に付き合っていたのは、もちろん仕事に関連した用件があったからだ。
彼女が率いる傭兵団、ハモニカが光から受けた依頼は、彼に同行し、戦闘において協力すること。
この「協力」には、戦いに関する作戦計画の立案も含んでいる。
つまり、今回の作戦会議をここで行おうということだ。
さり気なく、控えていたティスが何事かを呟くと、それまで聞こえていた風の音や、川のせせらぎが一気に小さくなる。
「相変わらず、君の侍女はすごいね」
遮音フィールドが展開されたことで、ロンドは苦笑した。
室内ならともかく、屋外でこの手の空間を瞬時に展開できるなど、世界でも何人いることか。
そんなティス自身は、光の後ろで控えたまま、目を閉じている。
気を取り直すように、騎士は一度息を吐いた。
「で、本陣というと、マカリアかい? それとも……」
ある種の確信を持った問いに、光は答える。
「はい。ウプアットです」
「ふふ、とすれば、相手はあの鋼喰いか。なるほど、なるほど」
ロンドはどこか納得したように頷いた。
「……騎士冥利に尽きる、と言うのかな」
ノブレス・オブリージュ、とでも呼ぶべき信念。
彼女の信じる騎士道とはまさにそれだった。
優れた力を持つ者は、その力に応じた責任を負うものだと。
それを呟くロンドの表情は鉄仮面で伺えないが、声音は楽しそうにさえ聞こえる。
「あの、これを聞くのは失礼だとは思うんですが……」
「なんだい?」
その声に、光はつい疑問を口にした。
「ゴーズに勝てる自信が?」
「……うーん、難しい質問だね」
気分を害した様子も見せず、ロンドは腰に手を当てた。
「前提として、負けると思って戦いに臨むことはないんだ。だから、それを自信というならそうだろう。でも、聞きたいのはそこじゃないね?」
「……はい」
「鋼の騎士団は、私の父と知己があってね。幼い頃、鍛錬の様子を見たこともある。その時見た彼らの実力は、今の私に劣るものではなかったよ」
「それって」
「ああ。鋼喰いは、私よりも強い。君の侍女なら、勝てるだろう。噂の王女様や勇者殿も行けそうだが……フィオ君や、リヴォフ将軍は少し足りないかな?」
さらりと言ってのけるセリフは、しかし、他人を頼みにしている様子とも違っている。
それがわからず、光はますます困惑した表情を浮かべた。
「ふふ……。騎士冥利に尽きる、と言っただろう? 勝てるとわかっている相手に勝つ、というのは、もちろん大事なのだけれどね。勝てないかもしれない相手でも、なお臆せずに立ち向かう、その覚悟こそが『騎士の証』だと、私は思っているんだよ」
「覚悟が、騎士の証」
「そう。覚悟……覚悟だね。改めて言葉にしようと出てきた言葉だが、ふふ、しっくり来る」
くつくつと、ロンドは喉の奥で笑った。
「そして、この覚悟というのが……案外と難しいんだ。私も、こうして口に出すことで自分を追い込んでいるくらいでね。君からの依頼でなければ、尻尾を巻いて逃げていたかもしれないよ?」
「……まさか」
「ははは。では、質問に答えよう。鋼喰いは私より強い。でも、勝つのは私……いや、君だ。私が、私が率いる『ハモニカ』が、君に勝利を興そうとも」
「――はい」
「少しは不安が消えたかな? よろしい。では、具体的に計画を立てようか」
からりとした声を、ややおどけた身振りに添えて先を促す歴戦の騎士を前に、光は知らず力が入っていた肩の力を抜く。
「そう、ですね。……ありがとうございます。まず、前提としてウプアットは空になる、はずです」
「うん、今度は向こうの全軍で来る、という話だからね」
頷くロンドに頷き返し、少年は続ける。
「おそらくですが、拠点の維持に必要な最低限の数しか残らないでしょう。ゴーズは、わかりませんが、最悪いなくても」
「そうだね。いないなら、楽ができる。そうなったら、退路を失った11万の軍勢とゴーズを、後ろから討つだけでいい。あるいは、挟み撃ちかもしれないが」
ゴーズの動静は読み切れない。
これまでと同じく出てこないかもしれないし、満を持して自らが11万の軍勢を率いてくる可能性も当然ある。
結局、これまでなぜ動かなかったのか、がわからない以上、そこは出た目で勝負するしか無い。
少なからず博打の要素がある、ということだ。
そして、ウプアットにはそれだけの価値がある。
「ウプアット……いや、敢えてソリッドステートと呼ぼうか。周囲の山々の険しさは『巡り土の死の山』と呼ばれるほどで、唯一通行可能な街道も大軍の運用にはまるで適さない。そこさえ確保できれば、11万という数は意味を成さない」
「めぐ、ど?」
「巡り土。ああ、そうか、少年はこの辺りの土地勘は無かったね」
言いながら、ロンドは足元の土を削り、手に取る。
「通常、土に含まれる魔力は僅かだ。ただ、ミスリルがある故なのか、あの辺りは土壌自体に魔力がとても豊富でね。その魔力が、山々を巡っているんだ」
「魔力が巡る土……」
「そう。これが厄介でね。魔力溜まり、魔力の濃い空間が所々にできていて、長居すると『酔い』と呼ばれる体調不良が起きる。自分の方向感覚も、ついでに方位磁石も狂って、遭難したらまず助からない。だから、死の山」
ぱら、と音を立てて土が撒かれた。
「ソリッドステートが、なぜドワーフたちの国だったのか、というのもそれ繋がりでね。彼らは、そういう土地に強いんだ」
「その、『酔い』は魔力が濃いせい、なんですか?」
騎士は、ああ、と応じる。
「そう言われている。濃すぎる魔力が、体内の魔力に悪影響を及ぼすのが原因、とね。実際、似たような原理のトラップもある」
「なるほど」
話が逸れたね、とロンドは軽く笑った。
「さて、そういう山々に囲まれた難攻不落の鉱山都市。そこをどう攻めるか、つまり、どこから攻めるか、ということになるね。どうする?」
質問の体を取ってはいるが、これは答えが用意された問いだ。
「山から攻めましょう」
「うん。その心は?」
光の答えにさらりと同意し、騎士は問いを重ねる。
それは、教師が生徒に教えるような様子にも見えた。
「街道は目立ちすぎます。そもそも、途中までは敵の列でいっぱいでしょうし……気づかれないようにするには、街道を離れて、大回りで行くしかない」
「そうだね。どうしても、あの山々を抜けて行くことになるだろう」
「幸い、こちらはそこまで大人数ではないですし、ほとんどが騎士ですから、何とかなるはずです。不安要素は、まぁ俺ですが」
「ふふ……少年一人くらいなら何とでもなるさ。それに、君にとっては複雑かもしれないが、魔力がないなら『酔い』とも無縁だろう。その意味では楽なものだよ」
合格だというように、ロンドは手を叩いた。
「魔力溜まりは、兆候さえ知っていれば避けることは可能だ。目的地も、少し高所に行けば目視できる。遭難する心配はまずしなくて良い。問題があるとすれば……」
「時間、ですか」
「そのとおり」
光の言葉を受けて、彼女は地面に膝をつき、いくつか小石を並べて見せる。
「これがヨウゲツ、これがマカリア、そしてこれがソリッドステートだ。街道沿いなら、歩いても3日で着く。だが、私達は迂回して山中を通る。魔力溜まりの状況によっては、かなりの大回りも必要になる。2日は余計に見たいね。できれば3日は欲しいところだ」
「つまり、遅くとも明日には、ですか」
「タイミング的には、ちょうどだろう。魔物の再編成が終わって、ぞろぞろと列を連ねてマカリアに向かう脇を、我々がすり抜ける形だ。……『ハモニカ』は、今すぐでも出られるよ?」
光は腕を組み、僅かに唸る。
ロンドは立ち上がると、ちらりと少年の後ろに立つティスへと視線を送った。
泰然と佇んでいた侍女は、その視線へ僅かに目配せをし、再び瞑目する。
「……明日の朝食後に、出発します」
微かな迷いを見せながらも光が返答したのは、その少し後だった。