18話 送り火/残り火
翌朝。
光達5人は、玉座の間へ訪れていた。
清々しい朝日が差し込むそこには、物言わぬゴーズの巨躯が横たわっている。
その顔から胴体にかけては、いつの間にか清潔な布で覆われ、伺うことはできない。
「本来なら」
ロンドが口を開く。
「その体を清め、衣装を整えてから棺に収めるんだ」
「騎士の葬礼ね」
応じたナインに、ああ、と返し、仮面の騎士は進み出てゴーズの足下に立つ。
その後に続くように、フィオもまたロンドの傍らに立った。
「我々の流儀で弔われても、迷惑かもしれないが……」
澄んだ音を立てて、鞘から剣が引き抜かれる。
2人が、それぞれ捧げ持つように掲げた剣に、朝日が反射する。
その佇まいの荘厳さに、光は思わず息を呑んだ。
沈黙の時間が流れる。
しばらくして、ひゅん、と音を立てて剣が納められた。
姿勢を正したロンドとフィオが、柄を手で押さえたまましずしずと下がり、一礼。
「略式で申し訳ないけれど……」
仮面の騎士は顔を上げ、そこで傍らの少女へ視線を向けた。
「フィオ君も、ありがとう。古臭い儀礼なのに、よく知っていたね」
「いいえ……。昔取ったなんとやら、ですネ」
「あら、謙遜しなくて良いわ。見事な礼法よ」
ナインからも褒められ、面映そうにフィオは頬をかく。
と、今度は王女が進み出た。
「王族の葬礼だとね、略式でも冗長で、面倒なの。彼の者にはふさわしくないでしょう」
くすくすと笑い、王女はその指先に火を灯した。
「だから、助かったわ」
「……それは良かった」
ロンドの声に、ナインはもう一度くすくすと笑う。
悪戯めいた声の中でも、所作は美しく整ったままだ。
指先に燃える火が、徐々に大きく、白くなっていく。
この速度もまた、儀礼なのだろうか?
光はぼんやりと、その灯火を見つめていた。
その後ろに立つティスは、そこで僅かに視線を外へ送る。
天井と壁を失った玉座の間からは、都市外壁のいくつかの尖塔が目に入る。
そのうちの一つから、光を隠すよう音もなく進み出ると、侍女はまた目を閉じた。
◇
時は少し遡る。
未明の尾根を走る影があった。
アドラー。
勇者の追撃という虎口から辛うじて脱した青年は、独り「死の山」を駆けていた。
あの後、四散した魔族の軍勢がどうなったか、今となっては知る術もない。
人間たちの追撃に討ち取られたか、死の山で迷い果てるか、あるいは……。
アドラー自身でさえ、魔力溜まりを見逃して踏み入りかけ、慌てて迂回したことも一度ではない。
それでもなお、闇の中を半日足らずでウプアットまで踏破しつつあるのは、彼の実力の証明だった。
日が昇る。
ウプアットの王城が、自身の知る形を失っていることを、アドラーは見た。
「……まさか」
あり得ない。
あり得るはずがない。
ゴーズが、魔族でも最高峰の実力者が、自分の信頼する上官が、よもや倒れるなどとは。
必死で自らに言い聞かせる青年の胸の内で、僅かに残った理性が囁く。
凶星の顛末を考えよ、と。
確かにヨウゲツを穿つはずだった星が、マカリアへと墜ちた。
それはつまり、凶星を預かるゴーズが敗れたか、奪われたかの二択。
いずれの場合であっても、かの武人が生き恥を晒すはずがないのだ……と。
「閣下……!」
その思考から目を背け、アドラーは速度を上げる。
息が切れ、肺が焼き付く。
激しく脈打つ心臓は、果たして疾走の速さ故だろうか。
ウプアットの外壁が近づく。
逸る心を押さえ、青年は一旦様子を伺った。
気配はない。
そう、魔族のそれさえも。
それはつまり、この都市は既に、落ちていることを示していた。
少数精鋭による、奇襲。
アドラーの拳が、音が鳴るほどに握られる。
都市を陥落せしめ、ゴーズさえも一敗地に塗れさせる敵。
即ち、3人目の、勇者。
その時、きらりと王城から光が反射した。
すかさず青年は近場の尖塔に登り、そちらを伺う。多少遠いが、見えなくはない。
玉座の間だった。
戦いの激しさを物語るように、以前は確かに存在した天井と外壁が崩れ、ほぼ屋外となっている。
そこに、数人の人間と……倒れ伏す威容があった。
その姿を、見間違うはずがない。
「ぐぅ……」
口から、うめき声が漏れる。
食いしばった歯が、ミシミシと音を立てた。
アドラーの視線が、ある人物に注がれる。
勇者と同じ、黒髪をした少年。
あいつか。
青年は直感する。
ざわりと髪が揺らめく。
尖塔の窓枠を握りしめた手が、石細工のそれにヒビを入れる。
感情の昂りのまま、一歩を踏み出そうとした彼の目に、床に突き立っていた斧剣が映った。
――怒りを飼い慣らせ。
かつて、ゴーズがアドラーに語った言葉が甦る。
――感情を抑える必要はない。ただ、研ぎ澄ませ。そして見極めよ。その怒りを、無為に散らせぬために。
青年は俯く。
ガン、と音が鳴った。
その拳が、自らの額を強かに打ち付けていた。
「閣下をも打ち倒す敵……」
二度、三度と音が繰り返す。
「……今の俺では……勝てぬ……!」
一際大きな音。
ややあって、震えるように、深い溜息が零れた。
ぽた、と鮮血が地面を濡らす。
「……その顔、忘れぬ」
それは、地の底から這い出るような声だった。
顔を上げたアドラーの両頬を、額から流れ出た血が、まるで涙のように伝っている。
その視線の先で、少年を隠すように侍女が進み出る。
気づかれた。
青年は躊躇なく身を翻すと尖塔を飛び降り、そのままヨウゲツとは逆方向へ疾駆した。
ウプアットを越え、魔族の領域へと。
◇
「ティス?」
いつの間にか隣に立っていた侍女へ、光は不思議そうに声をかけた。
「少々、お風が当たりましたので」
「? ありがとう?」
風なんか吹いてたのかな、と思いながら、少年は視線を前に戻す。
大きくなった火がナインの指先から離れ、静かにゴーズの姿を包もうとしていた。
間近であるはずなのに、これだけの炎が音もなく、熱さえも感じない。
魔法の不思議さ、と言ってしまえばそれまでだったが、それでもこの静かな火は、ある種の敬意であるように光には思えた。
「……不思議なんです」
ぽつりと呟きが漏れる。
「一歩間違えば、ヨウゲツは滅んでました。その主犯は、確かにこの、ゴーズだった」
その名を呼ぶことに、まだ少しの抵抗があった。
忌まわしく思う、というわけではない。
自分に、その名を呼ぶ資格があるのか、という意味。
思えば、他の面々も、敢えて「名」を呼ぶことを避けている節があった。
「戦った相手が強大であればあるほど、相応の敬意は生まれるものだよ、少年」
ロンドは、光の疑問に先回りして答える。
「不思議と、憎めないものなのさ。命をかけて戦った相手、というのはね」
「恐ろしくもあり、腹立たしくもあります」
フィオが言葉を引き継いだ。
「底知れぬあの力に、劣等感さえ抱いています。それでも……」
少女はそこで、困ったように微笑む。
「……はい。私も、憎めませんネ」
「思うところがない、わけではないけれど」
炎を見つめながら、ナインが続ける。
「ああも見事に最期を飾られては、ね。何も言えないわ」
視線の先では、偉大な敵手がまるで炎に溶けていくように、しんしんと灰になっていく。
誰もが、無言でその行く末を見つめていた。
その中で、ふと、光はゴーズの言葉を思い出す。
「つわもの……か」
静寂に紛れるほどの小さな声は、ティスにしか届かなかった。
傍らの侍女が、そっと目を伏せる。
やがて炎が消えると、玉座の間から1人、また1人と去っていく。
後には、ただ斧剣だけが佇むのみだった。




