第5話 森の預金箱ギルド――預ける勇気、貸す規律
広場の片隅の共同倉庫に、眠っているお金が積んであった。
――正確には、リーフの束を入れた木箱。蓋の隙間から葉の端がのぞく。
子リスが箱をそっと撫でる。
「しー。お金が起きちゃう」
「起きてくれ。働け。寝過ぎだ」
俺は木箱を指で弾いた。コツン。気持ちよく無反応。
「……ROI、ゼロ%。いや、箱代ぶんマイナスか」
「寝てるお金は安心です!」とリート。
「安心は大事だ。でも――安心は栄養じゃない。腹は数字で膨れない」
森には食べる物も、切り出す丸太も、乾かしたい木片もある。
にもかかわらず、リーフは箱で昼寝している。もったいないの極みだ。
倉の軒先では雨漏りの跡がまだ濃い。濡れた木片は乾きが悪い。火の用心鈴が、昼に一つ鳴った。
「よし。預金を集めて、必要な所へ貸す規律を作る。名前は――」
「森の預金箱ギルド!」
「やけにかわいいな」
「かわいさは正義です!」
「……たまに正しいのが腹立つ」
俺は広場の大木に板を立て、『公開残高板』と上部に大書した。
表示は総額だけ、個人名は出さない。数字は年輪ハッシュで誰でも数え直せる。
「まずは見える安心。次に貸すときの約束――今日はその骨組みだ」
***
森の会議の輪の一番端。ミミズクの帳付け老人・ポッポが瞬きもせず座っている。遅い、深い、几帳面で有名らしい。
ポッポの重い声。
「預けるとは、離すこと。離すには、拠り所が要る」
「拠り所は三つ」
俺は板に三本線を引いた。
――職能(何をする人か)/担保(何を差し出すか)/返済計画(どう返すか)
「難しい言葉は要らん。木こりなら木こり、倉番なら倉番。石に働きの印を刻む。
担保は今ある物。未乾燥は二割引き(ヘアカット)で数える。水分は信用にならない。
返済計画はいつ、どのくらい、どうやって。三つそろって初めて貸す。それが与信基準――いや、『三つの約束』だ」
「よしん……きじゅん……」と子リスが復唱する。
「覚えなくていい。『三つの約束』って言えば十分だ」
リートが小さくうなずき、尻尾で「三」を描いた。
そのとき、コルクが立ち上がる。例の倉番だ。蜂蜜色の紐飾りを揺らし、気まずそうに咳払い。
「乾燥木片の在庫が詰まった。雨が多く、乾きが遅い。
焚き場用の棚を増やしたい。費用はリーフ二十。運転資金……つまり、回す金が要る」
「職能:倉番。担保:未乾燥の木片と、出来上がる乾燥木片。返済計画は?」
「月に五ずつ、四か月で……」
「分割実行だ。三回に分けて渡す。約束と違う物に使ったら、そこで止める。――守れそうか?」
コルクは一拍おいて、うなずいた。
「最終分は初回返済の確認後に渡す。――それが転ばない貸し方だ」
以前より目線が低い。少し、柔らかくなったのかもしれない。
ポッポが口を開く。
「返し損ねたら?」
「担保から返す。それでも足りなければ、次の貸し出しは当分お休み。――預ける勇気は、断れる仕組みから生まれる」
「……うむ、刻んでおけ」
ふと、輪の外から海風の匂いがした。薄青の外套のカモメの若者が、くちばしで羊皮紙を掲げる。
「海商共和国書記、アジュールと申します。本日は通りがかりのご挨拶だけ。
森の皆様もご健勝なようで……いつか海路で物を買うなら、海の街で通行証みたいな紙を見せるだけで払える仕組みの話でも」
彼はそれだけ言って、軽く会釈して去った。
微妙な空気。ポッポが首をゆっくり回す。
「紙を見せるだけで……依存は甘い匂いがする」
「虫除けを焚きましょう」とリートが笑う。
「便利はルールで飼う。――刻んでおけ」とポッポ。
……ポッポさん、結構前からこの辺り覗いてたろ。それ、俺の台詞なんだが。
***
午後、預金募集を始めた。条件はこうだ。
預け入れはいつでもOK。引き出しは木鈴三打ぶん待ってもらう。
利息は薄い。代わりに、盗難と火災のときは――上限付きで共同基金が査定の上、一部を先に立て替える。
運営の手間は手数料で賄う。誰がいくら預けたかは出さない。総額は広場の板で見える。
「利息が薄いのはケチだからでは?」と誰か。
「銀行はラーメン屋じゃない。濃くすれば客は喜ぶが、寸胴が先に沈む。預かり物は、濃くすると重くなる」
「例えが食べ物に偏ってます」
「腹が減ってるんだ、ニートは」
「スープが濁る前に寝かせる、ですよね?」とリート。
「そう。濁らせず、冷まし過ぎず」
広場の端で、リーフが箱から箱へ移る。木札に焼き印。
数合わせの役は子リスたち。年輪の目で数えるのが上手い。彼らは仕事が増えて少し誇らしげだ。
数字が板に灯る。
〈本日の預け入れ:リーフ38〉
〈本日の引き出し:リーフ0〉
〈預かり残高:リーフ38〉
〈貸出予定:リーフ20(コルク倉)〉
目に見えるだけで、空気が落ち着く。
人は見えない安心より見える安心に弱い生き物だ。いや、リスだが。
***
夕暮れ、噂が来た。
噂は足が速い――甘い匂いのする方へ集まる蜂みたいに。
「預けたら、もう返ってこないらしい」
「ギルドは上の連中が好きに使うらしい」
「明日から引き出し禁止になるらしい」
刻印台の前に、いつの間にか列ができていた。もう短いとは言えない長さだ。
列の先頭に、子を抱えた母リス。頬がこけ、子の咳が小さく続く。目が、噂を信じかけている目だ。
「火消し行ってきますです!」
リートが尻尾をぴんと立て、走る。
俺はポッポと板の前に立った。
「見せよう」
木槌で刻印台を叩き、『公開残高板』に見出しの順番を刻む。
〈本日の預け入れ〉〈本日の引き出し〉〈預かり残高〉
それから、広場の真ん中に小さな箱を置い
た。〈今すぐ要る箱〉と蓋に刻む。
医療・子育て・非常食だけ、優先してその場で出す。箱の中身は刻んで公開。
板は夜も淡く光るよう、樹脂を薄く塗った。
嘘は、月に照らすのが一番早い。
「預ける勇気は、見える約束から生まれる」
「そして、貸す規律は、断れる仕組みから生まれる」
ポッポがふたたびうなずく。
「……うむ、木目まで刻め」
リートが戻ってきた。
「『明日から引き出し禁止』の発信元、たぶん蜂蜜の商人です。甘い声で『タダで預ける必要はない』って」
「タダじゃない。便利の手数料だ」
「伝えました」
列の先頭、母リスが『今すぐ要る箱』の前で立ち止まる。
俺は頷き、木鈴を三打。
樹脂の光が数字を滑り、板に新しい行が刻まれる。
〈本日の預け入れ:リーフ41〉
〈本日の引き出し:リーフ3(保健枠:薬草)〉
〈預かり残高:リーフ38〉
夜風。木鈴が一度鳴る。板の数字は、ゆっくり、でも確かに増えていった。
そして俺は表の見せ方を一段改良した。預け手が知りたいのは「今すぐ返せる額」だ。
〈本日の預け入れ:リーフ52〉
〈本日の引き出し:リーフ7(うち保健枠:リーフ3)〉
―――――――――――――――――――
〈預かり残高:リーフ45〉
〈本日の貸出実行:リーフ7(第1回/コルク倉)〉
〈手元の蜜(可用流動枠):リーフ38〉
停止なし。パニックなし。
俺の腹が鳴る。
「……ラーメン、食べたい」
「結局、ラーメンって何です?」
「分からない。でもきっと美味い」
木鈴が遠くで一つ鳴った。腹も一つ鳴った。――どちらも、待てば出る。
***
翌朝、預金箱ギルドの入口に貼り紙が増えた。
〈三つの約束(与信基準)〉
一、誰が何をする人か(職能)
二、いま何を出せるか(担保)
三、どう返すか(返済計画)
〈見える安心〉
総額は毎日、広場の板で公開(年輪ハッシュ付き)
医療・子育て・非常食は「今すぐ要る箱」から優先(上限・公開査定)
引き出しは木鈴三打(順番の合図)
〈貸すときの勇気〉
分けて渡す(分割実行)
約束が曖昧なら貸さない
約束を破ったら、しばらく貸さない
紙は風で揺れたが、約束は木に食い込んだ。
そして、木に食い込んだ約束は、案外、よく守られる。
――木鈴が二度、間を空けて鳴った。
掲示の角が焦げていた。刻印台の樹脂には細い爪痕。
誰かが、数字を嫌っている。
あとがき:本日の金融ワンポイント
テーマ:銀行の役割(満期変換)/なぜ薄利か
銀行(=今回の預金箱ギルド)は、すぐ使いたい人のお金を、しばらく使う人の仕事に貸す生き物です。
みんなが「いつ引き出すか分からない」資金(短い)を、木材の乾燥棚みたいに「数か月かけて回収する」仕事(長い)へ橋渡しする。これを満期変換といいます。
便利なぶん、橋は重くなるほど危なくなるので、薄利で慎重に運営するのが基本。
だから今回は、
①『公開残高板』で見える安心(預ける勇気)、
②『三つの約束』で貸す規律、
③『分割実行』で転びにくさ、
④『手元の蜜(可用流動枠)』ですぐ返せる体制、
を見える化しました。
銀行は速い儲けではなく、長く続く便利で食べる生き物。
言い換えれば――「薄利=耐久力」。この森ではそれを「預ける勇気/断れる仕組み」で表現しています。
薄利は耐久力。見える安心は、預ける勇気の別名です。