第4話 道が通る、価値が走る――清算陣、起動
夜は冷えた。広場の板に映る焚き火が、赤いティッカーのように揺れる。
外の蜂蜜は前日比+四〇%。甘い匂いで市場がむせている。
リスもゴブリンもオークも、誰もがその数字に喉を鳴らした。
怖いのか、期待なのか、自分でもわからない声で。
「――道を通す。物は道を通り、価値は道で清算する」
俺は地面に木炭で線を引いた。森、ゴブリン村、木こり小屋、川向こうのオーク集落。
点が線になり、線が輪になり、輪の中心に石を置く。
焚き火の影は石の周りで震えている。
「森清算所を作る。相手は清算所に差し替え――ノベーションだ。倒れても連鎖しない。倒れる先を、一箇所に固定する」
息を詰めていたリートが尻尾を高く立てた。
「森の回廊プロジェクト始動です!」
広場が少しざわめく。希望めいた匂いが鼻をかすめる。
俺は小さく笑い、すぐに真顔に戻した。
「……ネーミングはあとでいい。今は設計だ」
輪の中心の石に手のひらを当てる。石が冷たい。そこに熱を伝えるように、指に力を込めた。
「この間リートに聞いた理屈を応用する。
誓約圧――契約に宿る圧力の流れ。これをここで束ねる。木の根の下に根脈網を刻む。
板の数字は樹脂の光になって走る。日暮れは満月クロックで日次相殺。やばいときは樹脈拍一打ごとに即時清算だ。
いわゆる緊急リアルタイム清算とデフォルトの滝だな」
リートが首を傾げる。
「滝って濡れます?」
広場にかすかな笑い。
緊張が一瞬ほどけ、俺は肩をすくめる。
「濡れる順番は決まってる。本人 → 手付葉(証拠金) → 清算基金 → 追加拠出 → 参加停止。ここに置く大石が結界庫だ。足りなきゃ次へ落ちる。だから連鎖はここで止まる。……止め方まで木に彫って見せる」
ゴブリン村の若手会計、帳面を抱えてやって来たシーフォー。
目の下のクマ(信用力)は、少しだけ薄い。
彼の視線は石と俺を何度も往復する。
希望を信じたいのに、信じきれない顔だった。
オークの取立屋ドン・オークスも腕を組んで座っている。革鎧の代わりに工具袋。背の帳簿はそのまま。
太い指が膝を叩く音が、広場に小さく響く。
「前にうちの帳簿が爆ぜたのは――」
「重複証文で誓約圧が共鳴した。契印干渉だ。清算所が受け皿になれば、これからは圧はこの石に落ちる。爆ぜるなら、ここだ」
結界庫の石が低く唸り、淡い緑に光った。
誰かが息を呑む。
制度の説明なんかより、光のほうが彼らを納得させていた。
「規律の骨組みを言う。KYC《Know Your Canopy》、誰がどの幹にぶら下がっているか確認する。枝貸しは禁止。苔洗浄防止法《AML》も作る。苔を洗って増やしたフリは犯罪だ」
リスの子供が「苔って洗えるの?」と囁き、母親に尻尾で叩かれて黙る。
笑いが起きた。こういう笑いは強い。皆が関わって生まれるからだ。
「板に載せる条件は?」
とドン・オークス。
腕を組んだまま、低い声。だが、瞳はわずかに興味で揺れていた。
「話が早いな……手付葉に蜜印が入っていない注文は光らない。魔力ゼロの幻は刻印台で弾く。
最小約定蜂蜜ひと匙。約定履歴は年輪ハッシュで公開。前日比±三〇%で木鈴が自動で三打、一拍ごとに冷ます――サーキットブレーカーだ」
長老が目を細める。
沈黙。広場の空気が冷えた。
その一言を待っていた。
「――やろう」
その声に、参加者はみなうなずいた。
息を吐く音が、いくつも重なった。
***
接続試験。樹皮札に試験信号を送る。
「ぽ・ぽ・ん」
木鈴が各拠点で応答する。
「ぽ・ぽ・ぽん」
広場に笑いが走った。まるで森が歌っているみたいだと。
刻印台の線が樹脂色に走る。湿気が強い場所では、光がわずかに遅れて届く。ラグだ。
木工班が笑いながら樹脂を温める。誰もが手を貸す。何かが始まる気配がそこにはあった。
最初の注文は、はちみつ一樽売り/リーフ。
買い板、売り板。刻印が追いつかず、木工班が走る。
「最小約定、ひと匙!」
「手付なしは流すな!」
「両建て禁止。片付けてから寝ろ!」
笑い混じりの怒声が飛ぶ。制度が生き物になってきた。
そのとき、外商〈仮〉の大量買いが立った。数字だけ甘い。……光らない。
広場にざわめき。息が止まる。
「蜜印なし。板に載せるな」
槌の音。木肌に灯が戻る。
広場に安堵の吐息が広がる。
「以後、板は蜜印必須。叫びは光らない。流れるのは、払った蜜だけだ」
その言葉は制度じゃなくて、呪文のように響く。
尻尾が何本も一斉に揺れる。
〈本日の参加者〉
A:倉番・商人〈仮想〉・オークの金融屋(高額・手付多め) 4
B:生産班・木こり・輸送(中額) 7
C:家計・子育て(小額・リミット付き) 28
清算基金(初期拠出)=リーフ120/凍結手付葉=リーフ36
「数字が走ってる……!」
小さくガッツポーズするシーフォー。
その目は、もう、数日前の借金地獄の青年のものじゃない。
***
昼には、逆入札リファイが始まった。
ドン・オークスが借用証文の束を掲げる。
厚い。重い。ゴブリン村、二集落ぶん。
その腕が震えていた。あの巨体が、初めて怯えていた。
「起点利率、日利二割」
ざわめき。恐怖の波。
俺は木槌で刻印台を叩く。
音が広場を切り裂く。
「入札開始。単位は年率、総額は樽三十。遅延は清算所が代位弁済。虚偽は三満月停止」
板が刻まれる。
「年一二〇%」――倉番。
「年四八%」――木こり。
「年二四%」――シーフォー……は共同基金から参加。
「年ゼロ%!」――リート。
一瞬、沈黙。広場全体がその数字に吸い込まれる。
リスの子供が「ただで貸してくれるの!?」と声をあげ、母親が口を塞いだ。
俺は木槌を握りしめた。心臓が一拍遅れる。
「……ゼロはダメだ」
槌が木に落ち、音が夜気を裂いた。
「善意は制度を壊す。保健枠は別だ。ここは――市場だ」
数字は滑るように下がり、刻印の光が呼応する。
誰もが食い入るように板を見つめた。
そして最後の刻印が跳ね、三紋一致が緑に弾けた。
――落札、年二八%。共同基金と倉番Aの共同。
ゴブリンの誰かが膝から崩れ、泣き笑いがこぼれる。
リスの尻尾が一斉に震え、森が歓声で揺れる。
俺は木槌を静かに置く。
「とりあえず、ゴブリン村のデフォルトは避けた。オーク、お前は清算金を即時に受け取る。ただし外商との倍値契約は監査する。独占は、道が通れば腐る」
ドン・オークスはしばらく黙り、やがて口の端で笑った。
「……悪くない。回収屋は運び屋にもなれる。運ぶ先が決まってりゃな」
大きな手が伸びる。
「ようこそ清算所ネットへ」
固い握手。オークの怪力が洒落にならなかった。
でも痛みよりも、初めて仲間に触れた熱が強かった。
***
ーーその瞬間、北の根から甘い光が滲んだ。
遠くで誰かが蜜印だけを焚いて板を狂わせようとしている。
そう思った。
広場に緊張が走る。尻尾が一斉に逆立つ。
「ッ……サーキットブレーカー発動!」
俺は槌を二度、三度打った。木鈴が自動で三打。樹脈拍三回ぶん、板が凍る。
広場の空気が止まる。泣き声も笑い声も吸い込まれた。
「薬草だけ買わせて!」
C帯の母リスが叫ぶ。
俺は一拍置き、木鈴の下で宣言した。
「――保健枠は凍結の例外だ」
凍った板の上を、小さな数字が一筋だけ走る。薬の注文だ。
子リスの咳が広場に響き、それが唯一の音になった。
「板は冷ます。声は止める。――数字は残す」
凍結が解けると同時に、板は静かに再起動した。
今度の数字は、ちゃんと重かった。
***
夕暮れ。満月クロックが空で鳴り、日次相殺が走る。
結界庫の蓄圧石が段々に光って、デフォルトの滝の順番をなぞる。どの段も溢れない。
今日のところは、ちゃんと止まった。
刻印台の下で、リートが尻尾をふわりと揺らす。
「道が通ると、匂いも通いますね」
「価格の匂いだ。甘いだけじゃない、汗の匂いもな」
広場の木肌に小さく数字が彫られる。
〈本日の約定総額〉リーフ86/〈清算基金残高〉リーフ142
「停止ゼロ……!」
シーフォーの呟き。木肌の光は、夜更けとともに落ち着いていく。
俺は結界庫の石に手を置き、息を吐く。
――叫びは光らない。流れるのは、払った蜜だけだ。
そう刻んで、月に見せた。
あとがき:本日の金融ワンポイント
今回出てきた「清算所(セントラル・カウンターパーティ、CCP)」は、実際の金融市場でも重要な仕組みです。
取引相手が破綻しても、清算所が間に入ることで「連鎖倒産」を防ぎます。
つまり異世界で石が光っていたのは、現実だと巨大なITシステムが24時間動いてるイメージです。
さらに、このエピソードでやった「オークの借金を清算所でまとめて、入札で金利を下げる」仕組みは
現実でいうと「債務再編オークション/国債入札」に近いものです。
高すぎる金利のローンを、市場の競争にかけることで適正化する。
要するに市場を通すことで暴利を抑えるという機能ですね。
金融市場には大きく分けて4つの役割があります:
資金調達・運用(お金が余ってる人と足りない人をつなぐ)
価格発見(需要と供給で値段を決める)
リスクの分散・移転(株・債券・為替などに逃がす)
清算・決済(安全に取引を完了させる)
今回の「清算陣」は、そのうち清算・決済機能と資金調達機能を一気に導入した感じ。
要は――森に「経済の血流」を通したわけです。
魔法で石が光るのもロマンですが、現実の市場インフラも実はけっこう魔法じみてます。